世界を渡る私のストーリー

鬼怒川 ますず

神すら上回れば私が勝つ

異世界転生者には種類がある。

唐突に異世界に連れてこられた者。
死んでから転生した者。
不遇の死の後に転生した者。
理不尽な人生を送った後の者。
選ばれた者。

その全てに明確な理由は無い。
その全てに人種言語国事情は関係ない。

ただ、生きている間は運が悪くて、死んだ後に本当に運が良くて選ばれただけの話で、選んだ八百万の神も自分勝手な事情で連れて来ただけ。

甘い話には罠がある。
そう言う教訓は、幼い頃より大人から聞いた人が多い。
それも理不尽な人生を送ったものほど耳にタコが出来るほど聞いたことがあるだろう。

ただ転生するだけが良い話ではない、それに何らかの能力を付与させてもらう。
神が死んだ人に力を与えて異界に蘇生させ、介入できない地上の民を守らせる。
そして永劫の幸福と平和を約束する。

字面は最もだ。

最もすぎて吐き気がするみすぼらしい

甘い言葉だ。
勝手に使役されるだけの人形だ。

交通事故で死んだ私でも、そんなゲームのシステムのような人形は御免被る。
たとえ、幸運だけを望み、莫大な財と魔導を極めた私でもだ。
しかし、私はもはやただの人形。
神の手の上で転がる、出目が強いサイコロのようなものだ。
神に逆らって幸運も無くなれば、私はただの魔導だけの男。
失敗が多い魔導でそうなれば、神にすら手が届かない。

人形とはどうあっても使い手を上回れない。
ゲームセンターに置いてある筐体の薄汚れた画面の中で動くキャラクターは、その画面の外にあるレバーとボタンが無ければ動くことも生き残ることも出来ない。操り手がいなければ、どんな最強の存在でも意味の無い存在になる。


それでは、その人形がプレイヤーでもある神すら上回る人形を作ったら?

答えは簡単だ。

人形が勝つ。


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