『元』奴隷の少年と白銀の契約獣

楪 ひいろ

01 出会い



 逃げなくては・・・・・・殺される。
 怪我で血のにじむ裸足の足で必死に走る。
 目の前にはとても暗い、森の入口。
 少年はそこに向かってただひたすらに走る。

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 月のない暗い夜。

 北のルドフィード国、南のアルヴァ帝国の中間に位置する人が立ち入ることの出来ない暗く光の射さないヨルの森。

 森の入口に鈴の音が響く。

 鈴の音は、疲れ果てて倒れるようにして眠る傷だらけの少年に近づく。
 そして、闇から響く鈴の音は徐々に猫の姿をとった。

 「・・・少年、起きなさい」
 鈴が鳴るような小さなとても優しい声が闇にまぎれる黒猫から発せられる。

 「・・・っ!?」
 少年は薄く目を開き、猫の姿を目にして息を飲んだ。

 「ここは貴方のような人間が来るような場所ではないわ。早く自分のお家に帰りなさい。」
 少年が目覚めたことを確認した黒猫は優しく少年に語りかける。

 少年は痛みでぼんやりとした頭で考える。自分の居場所なんてあったのだろうか、と。

 「・・・早く、帰りなさい」
 黒猫はそう言うと少年から離れようとした。

 「・・・・・・嫌・・・で・・・おいていかないで・・・下さい・・・」
  小さな声でそう言った少年は頭を抱え身を縮めた。その時少年の体は小刻みに震えていた。

 黒猫は少年の震えに気がつき、躊躇う素振りを見せてから少年に向き直り優しく話しかけた。

「私、リンっていうの。貴方の名はなんていうの?」
 リンは少年の前に座った。少年の目にゆらゆらと揺れる尻尾が映る。

 リンの尻尾が揺れる度にそこに結ばれている3つの鈴が綺麗な音を立てていた。

 そして、不思議とその音は少年の耳に心地よく響いた。

 「・・・僕に名前は・・・ない、です」

 好きなように呼ばれてきたと小さな声で少年は答えた。
 その言葉に続けて、少年はリンに問う。

 「・・・僕は・・・この森にいてはいけないの、ですか?」
  帰る場所もなく、追われる身の少年はどこかに居場所が欲しかった。今までであった人間は自分の話をまともには聞いてくれなかった。

 でも、このリンは違った。今も少年の目を見て話を聞いてくれている。
 だから、
 もしかしたら、と思ってしまった。
 
 「ここに留まりたいのならヒナに聞いてご覧なさい。でもね、彼女はとても人間が嫌いなの」
 
 ヒナ、とは誰のことだろう。

 そう思いながらも少年は続けて言った。

 「・・・でも、僕は人間ではないので大丈夫だと、思います。僕は、人間じゃない・・・生きている、価値もない奴隷です。ただの家畜と同じ、奴隷です」

 そういい、今にも泣き出しそうな顔をする。

 リンはその言葉でなぜこんなにも幼い少年が傷を負い、ここから帰りたがらないのか少しわかった気がした。

 「そう・・・だから名前が無いのね。でも、もう大丈夫。少なくとも私は貴方を奴隷だなんて思ってなんかいないわ。だから、そんなに卑屈にならなくてもいいのよ」

 少年はとても驚いた。今までの人生で少年のことを人間だと、生きていいと言ってくれる人はいなかった。
 家畜、ゴミ・・・そういう扱いを受けてきたから。
 初めて自分のことを人間だと言って、生きていいと言われたことに戸惑いを隠なかった。
 
 そして、少年は自分でも気づかない内に泣いていた。
 その様子をリンはそばで温かく見守っていた。


 少年の涙が止まり、しばらくするとリンは森の奥を尻尾で指し、少年の深い碧色の目を見て言った。

 「この森にいたいのならば、ヒナに名前を貰いなさい。この先にずっと真っ直ぐに行けば小さな家があるの。そこに行けば彼女に会えるわ」

 リンの指す方向に1つの小さな灯りがともった。
 少年の腰ほどの高さをゆらゆらと揺れる灯りは小さいけれども、とても暖かい光だった。

 「森の掟で私はついていってあげることは出来ないけれど、少しだけ灯りをともしてあげる。この先を真っ直ぐに進みなさい。振り返ったり、曲がったりしてはダメよ。惑わされてしまうから」

 そう言うとリンは少年の額に軽くキスをした。キスといっても少年の額にピンクの鼻先を押し当てる程度の。

 すると、リンの触れた場所から暖かい何かが伝わり、体中の痛みが引いていった。

 「・・・名前を貰えたら私にも教えてね。約束」
 少年を魔法で癒したリンはそう言い残し、闇に溶け込んで見えなくなった。




 その姿を見て唖然としていた少年は立ち上がりリンの残した灯りを頼りに森の中を一歩ずつ歩み始めた。


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