Waif of Boundary

ねこてん

1-5

「『今日、うち誰もいないんだ』って憧れない?」
「いきなり何を言い出すの、お雪」
中学からの付き合いがあり、多少は唐突さに慣れがある優でも小雪の言動の真意がたまにわからなくなるときがある。優の自宅近くのスーパーの袋を二人してぶら下げて家に向かっている最中の小雪の発言がまさにそれだった。
「こーやってさー、一緒に帰ってるシチュでさー、それぞれの家への分かれ道に差し掛かるの。それでいざバイバイってときに意を決して口にするわけ」
そこで優の方に向き直る。小雪は完璧なキメ顔で。
「『今日、うち誰もいないんだ』」
「…どっちかというと女の子の台詞に聞こえるけど」
「この際、男子からでもよし!」
「ダメだよ。そういう人についていっちゃ」
冗談だと思いたいが念のため釘は刺しておく。冗談だと思いたいが。
「憧れるのくらいいいじゃない。素敵な彼氏とさー」
「私はそういうときにちゃんとお互いのことを考えてくれる人が素敵だと思うよ」
特に小雪が高校生だってことを、と付け足すと。真面目さんめー、と小雪がふくれる。もちろんおどけてなのですぐ元に戻って。
「じゃあ優の求める理想の別れ方は?はいドン!」
「…『じゃあまた明日。朝夕はまだ冷えるから暖かくして寝なよ』とか?」
「…お母さん?」
「うん。チョイス間違えたって自分でも思ってる」
生ぬるめな笑顔の小雪から目を反らして額を押さえる。どうしてこう自分はこう面白味がないのだろう。
「まぁまぁ。そんな優の家で今日はパーティーだー!」
慰めてくれるのか肩をガクガク揺らす小雪とスーパーの袋を引っ張るように足を踏み出そうとしたその時だった。まだ少し揺れる視界の隅に入ったその姿、家路を急ぐ人の中でも彼はよく目立っていた。
「あ、副委員長」
「…副委員長ってのはやめて欲しいんだけど」
小雪の声に気付き、髪を掻きながらこちらに歩み寄ってくる彼ー大月八雲ーは言葉とは裏腹にどこか眠たげなような、あるいは気だるげなような様子だった。

こんな調子の彼がクラスの副委員長になった経緯にはあまり語るべきことはない。委員長と同じくなり手がなかった役職に須藤が押し込んだのだ。入学早々に居眠りをする神経が災いしたと言える。

「せめて名字で呼んでくれないかな?その方が短くて楽でしょうに」
「じゃあハチ君」
「…なんか犬みたいだなぁ」
まぁいいかと嘆息する。その彼の様子が少し可笑しくて気がつくと優も吹き出していた。
「ひどい委員長だなぁ。クラスメイトの名前について笑うなんて」
「違う違う。面白かったのは二人のやり取りだよ」
それにと優が続ける。
「私だって委員長って名前じゃないよ」
「…こいつは失礼しました、小川優どの」
敬礼の真似のように左手をひらひらさせて八雲も笑う。案外フランクなのだなと一週間分の印象が少し、変わった。
「私はねー」
「自己紹介には及ばないよ、須藤小雪サン」
「え?なんで私の名前把握してるの?まさか…」
「たぶん…いや絶対違う」
「ひどい!」
まるでコントのようだなぁとかなり楽しみながら二人の掛け合いを楽しむ。淡々とした八雲と大袈裟に反応する小雪との対比なんて本当にお笑いのようだ。
「それで…お二人は何?買い物?」
「うん。買い物」
「これから優の家で入学祝なのだ!」
二人してぶら下げた袋を示して見せる。それに目を細め、
「お、パーティーみたいだ」
「そう、パーティーだよ!佐々木先輩も来るよ!」
「佐々木って…生徒会長か。もう仲良くなったんだ」
「そういう訳じゃないんだけど…」
入学以前からの知り合いなのだとかいつまんで説明するとほぅ、と驚いたような納得した様子を見せた。優からすればよくある名字からすぐに生徒会長と言い当てる方が驚きなのだけれど。
「まぁ、何にせよ楽しみだな、入学祝」
ひとしきり事情を聞いたところで独り言のように呟く。その言い方がなぜだろう。まるで遠い国の他人事を語るようだった。
「そういうことなら足止めするのも悪い。俺はこの辺りで失礼するよ」
じゃあ、と手を挙げて八雲が去ろうとする。踵を返したその背中が人の流れに溶け込もうとした瞬間だった。
「あの…!」
何かに背中を押されるように、声が漏れた。
「大月くんも一緒に来ない?」
振り向いた八雲も、隣の小雪もきょとんとしていた。それはそうだろう。優本人もそんな言葉が出たのが意外だったのだ。
「えっと、お菓子だいぶ買い込んじゃったし、三人だと多いかなー、というか。せっかく同じクラスだから仲良くしたいなー、というか…」
 つい言い訳めいたものを重ねてしまう。それぐらい今の優の一言は唐突で、大胆に思えて、正直に言うと後から気恥ずかしくなったのだ。
「…委員長…じゃなくて小川さんはあれだな。迷子とか困ってるお年寄りとか放っておかない…いや、放っておけないタイプだ」
視線を合わせた八雲がにっ、と笑う。からかったりするような笑みではなく、好ましいものを見るような感じで、それが少し嬉しかった。
「お招きありがとう。でもせっかくのお祝いだ。親しい人同士の中にお邪魔するのも気がひけるし、今回は遠慮させてもらうよ」
じゃあまた学校で、と手を振って八雲が人の流れに再び分け入っていく。その姿が遠くなり、見えなくなるまで優はその場から動けなかった。
「…優ってああいう男子が好みなの?」
のぞきこむ小雪の一言でふっ、と我に返る。
「べ、別にそういうのじゃないよ…」
「えー、本当?」
小雪のあらかさまな疑いのまなざしから目を背け歩きだす。そのあともしばらく続く親友の追及をかわしつつ、頭の中では別のことを考えていた。
さっき背中を押したものはなんだったのだろう。うまくは言えないけれど、あの時はそうしなくてはならない気がした。

去り際の八雲の姿。吉事を縁遠いもののように語ったその背中が優には何故か、とても寂しく見えたのだ。

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