異世界で美少女吸血鬼になったので”魅了”で女の子を堕とし、国を滅ぼします ~洗脳と吸血に変えられていく乙女たち~
Ex6-5 イコノクラスム
それからモニターの電源が切れても、巫里が落ち着くまで数時間を要した。
もっとも、父親が死んだのだから、”落ち着く”と言ってもひとまず会話が出来るようになった、というだけなのだが。
その間もずっと千草は彼女に寄り添って、文句一つ言わずに慰め続けた。
「あんた……人間、だったのよね……」
いかんせん久しぶりの会話だったので、それが自分に向けられた言葉だと気づくのに千草は数秒かかった。
「……ええ、そうですよ」
「どうして? どうしてこんな、残酷なことができるの?」
千草は、”はて?”と首をかしげる。
「男が一人死んだだけです、これのどこが残酷なんですか?」
彼女は今更あえて言うことでもないだろうが、本気でそう思っていた。
男が死んだことなど、路端の石ころを蹴飛ばすよりも些細なことだ。
「……っ!? あんたはっ、あんたってやつはあぁっ!」
床に横になっていた巫里は勢い良く起き上がると、すっとぼけた顔をした千草の胸ぐらに掴みかかった。
抵抗は容易い、だがあえて千草は何もせず怒りを受け止める。
「死んだのよ、父親が! 大事な大事な血の繋がった家族が! だってのにそれが、残酷じゃない!? ふざけんなふざけんなふざけんなあぁぁぁぁっ!」
「ごめんなさい、本当にわからないんです」
「だから化物なのよあんたはっ!」
「ふふっ、つまり私は今の体になる前から化物だったわけですか。ああ、なるほど、だから――みんな私のことを受け入れてくれなかったわけですね。そういう理由で、そういう理屈で」
巫里はその時、初めて千草の素の表情を見たような気がした。
自嘲気味に、全て諦めたように投げやりに、乾いた笑いを繰り返す。
空虚で――彼女の人生には何も無かったのだと、話を聞くまでもなく理解できてしまった。
「ねえ巫里、人間とか半吸血鬼とか関係なしに……父親死んだからって、なんで悲しいと思うんですか?」
「あんた……本気で、言ってるの?」
「はい、本気ですよ。父親ってそんなに価値のある存在ですか? ただの男のうちの一人ですよね。いや、私の場合は母親もよくわからないんですが」
そこで巫里は、自分の怒りが空回って居たことに気づいた。
この狂った世界を作り出した張本人は、なるほど家族の”本当の愛”を知らなかったのだ。
「……はは……はははっ、あはははっ! そっか、そうだったんだ、あんたさ、知らないくせに知った風な口聞いてただけじゃない!」
急に千草が哀れで矮小な存在に思えた。
これは要するに、スケールの大きなただの八つ当たりなのだ。
自分が手に入れられなかった物が世界に溢れている、そんなものは認められない、だから壊してしまおうという――そう巫里は結論付けた。
「あんたの作る世界に愛なんて無いわ、体で繋がらないと実感出来ない愛なんて愛なんかじゃない!」
「両親のセックスで生まれてきた子供が何を言ってるんですか?」
「それは結果じゃない、愛し合ったからその……交わったのよ。交わったから愛し合ったわけじゃないの! それを知らないくせに愛に満ちた世界を語るなんて滑稽だわ!」
「そうですか、他人に恵まれた人には理解できないのかもしれませんね。ですが――私はそうは思いません」
千草は平静を崩さない。
装っているわけではない、巫里に否定されても全く歯牙にもかけていないのだ。
愛のある家族が存在することは否定しない。
例えば異世界で半吸血鬼となったレングランド家。
彼女たちは人間をやめる以前から確かに愛し合っていたし、白金家のように隠れた軋轢を抱えているわけでもなかった。
それでも、あの頃より今の方がずっと仲睦まじくやっている。
親と子供とその子供と、3人で交わり、さらに子供を産んで幸福を広げている。
「愛し合えなかった家族も居て、歪んだ愛情を抱えた家族も居て、そんな人たちは半吸血鬼になることで救われるでしょう、扇里のように」
「扇里は救われてなんかないわ!」
「まあ、それはあとで本人に聞けばいいじゃないですか。そして仮に元から愛し合っていた家族が居たとして、彼女たちは半吸血鬼になることでより多くの幸せを手にすることができるんです」
「父親を犠牲にしても?」
最愛の父の死に様を思い出し、巫里の目に涙が浮かぶ。
「ええ、それを差し引いたってプラスですよ、圧倒的にね」
しかしそれを見てもなお、千草は笑顔すら見せてそう答えた。
「命に勝るものなんて無いわ!」
「同感ですね、私もみなの命は価値あるものとして大事にしたいと思っています。だからこそ、仲間が傷つけられた時に怒ったんじゃないですか」
「それは――」
巫里は反論しかけて、途中で止めた。
おそらく、無意味だ。
どんなに討論を重ねても価値観そのものが交わっていないのなら無駄でしかない。
化物とか人間とか関係なしに、根本的に、巫里と千草では考え方が違うのだろう。
命の価値だってそう。
千草にとっては、男性はそもそも命を持った存在として認識されていないのだ。
死んだ所で悲劇ではない、殺した所で罪ではない、当然のこと。
この世から汚れを払った、むしろ正義だ――そう考えているのかもしれない。
「言葉で理解し合えるとは思わない。でも断言するわ、間違ってるのよ、あなたは」
「すぐに正しいと思えるようになりますよ」
「私は扇里みたいにはならない」
「そうですか、なら本人の前で主張してみたらどうです? エリス、扇里、遠慮しないで入っていいですよ、別に立て込んでるわけじゃありませんから」
千草が入り口に向けて呼びかけると、ドアが開き1人の少女が姿を表す。
「扇里……」
「やっほー、お姉。元気だった?」
陽気に手を振って巫里に笑いかける扇里。
肉親を殺した直後に、なぜそのような表情が出来るのか。
理解できないを通り越して、もはや憎たらしかった。
「っ――なんでなのよ……ねえ扇里、あんた父さんを殺したのよ? なのに、なのになんでそんな平気な顔してんのよぉぉおおっ!」
「どうでもいいじゃん、そんなこと」
千草と似たような反応を見せる彼女を前に、巫里は痛感する。
ああ、本当にもう、妹は人間ではなくなってしまったんだ、と。
「……あなたはもう、扇里じゃないわ」
「私は私だよ、中身は何も変わってないよ。お姉のことが大好きな妹のまま」
「気持ちの悪いことを言わないでっ! 扇里は死んだの、もう居ないの! あんたなんて妹じゃない、人間じゃないんだから妹じゃないっ! あんたはただの、私の大事な家族を殺した化物よッ!」
感情を剥き出しにした巫里の心無い言葉は、扇里の胸に突き刺さる。
ショックを受けないわけがない。
なにせ、彼女の中身は、彼女自身がそう言ったようにさほど変わってはいないのだから。
表情を曇らせ、俯く扇里を見て、巫里は胸を痛める。
だが心を鬼にして自分に言い聞かせた、こいつは妹などではない、敵なのだ、と。
「扇里を使って私を絆そうとしてるんなら、見込み違いで残念だったわね。これでも私は扇里と違って退魔の家系の人間なの、吸血鬼相手にそう簡単に心を開くと思ったら――」
強がりを連々と並べる巫里。
扇里はうつむいたままじっとその言葉を聞き続けた。
「それはどうでしょうね」
千草は薄っすらと笑みを浮かべてそう言った。
憧れていて、自慢できて、けれど届かない。
そんな優しい姉に、ひたすら罵倒され続ける。
これはある意味で、今まで全く変化の無かった姉妹の距離感に生じた、進展とも呼べるものなのかもしれない。
変化はあった、それが縮めるものか離すものかという違いはあるものの、血脈に雁字搦めにされるように凝り固まっていた物は、こうして今、綻びを見せている。
父親を殺した、人間を捨てた。
つまり、どうせ今以上に扇里が巫里に嫌われることなどないのだ、だったら――やりたいようにやってしまえばいい。
扇里の口角が持ち上がる。決意が固まる。
止まっていた足を動かし、一歩二歩三歩、と大きめの歩幅で、ベッドに座る姉に近づいた。
「お姉」
「な、なによ……何をしたって無駄なんだからね……!」
そう言いながらも、扇里がどう出るのか予想出来ない巫里の目には、微かに怯えが混じっている。
恐怖がその程度で済んでいるのは、おそらく心の何処かに”妹が自分に酷いことをするわけがない”という甘えが残っているからだろう。
扇里はそんな考えを吹き飛ばすように、巫里の左側に体を寄せながら腰掛けると、右手で彼女のお腹を撫でた。
冷たい感触が肌を滑ると、巫里の腹筋にきゅっと力が籠もる。
「ぁ……せん、り……?」
「今まで十年以上も言葉を交わしてきて、結局通じ合うことは出来なかった。でも、体で繋がりあえばきっと理解出来ると思うから。お姉のこと、あたしが沢山気持ちよくしてあげるからね」
「や、やめ……っ!」
扇里の指先が、巫里のへその下あたりを撫でる。
素肌に触れる妹の指の感触は、そのまま上に移動し、へそを広げるように指先をくぼみに差し込んだ。
中指、人差し指、薬指、小指――
「ぁ、お……お、ごおおぉっ……!? う、うそ、よ……は、っほ……んぉ……っ、こ、こんな……こんな、とこ……!」
さらに親指まで飲み込み、ずぶんと手首から先を全て飲みこんでしまった。
「はあぁぁぁ……すっごい、お姉の中、暖かくて気持ちいいよ。もっと奥に入れて、中身をかき混ぜてあげる」
「ひうぅっ、いや、だぁっ! いやあぁぁっ!」
巫里の抵抗も虚しく、扇里の腕はさらにずぷぷと彼女の腹に飲み込まれていく。
そして肘近くまで埋まると、巫里の体内を探るように、ぐちゅりぐちゅりと手を波打たせ、宣言通り彼女の体内をかき混ぜた。
そんな扇里の指先が最初に捉えたのは、胃だ。
文字通りの意味で胃を握ると、壊さないように優しく優しく揉みしだく。
「う、ぷっ……うげっ、がっ、あがっ……! ぎ、ぎぼぢ……わる、いぃっ……!」
「でもその気持ち悪いが、気持ちいいんだよね?」
吐き気がこみ上げてくる。
だがその吐き気が、なぜか心地よく感じられ、巫里の体温を上昇させた。
異常だ、明らかに普通じゃない。
だが”気持ちいい”、その一点だけで身を任せようとする自分が居ることに、巫里は絶望した。
「違う、違う、ちがううぅっ! よぐっ、なん、かあぁぁっ……あ、いぎ、いっぎゅううぅぅぅっ……!」
歯を食いしばり、体の内側から湧き上がってくる感触に耐えるも、声までは抑えきれない。
「素直じゃないなあ、お姉は。私知ってるよ、だってさっき、お姉ちゃんに沢山教えてもらったから。人じゃ感じられないこと、人じゃ与えられないもの。全部、全部っ」
「はおおおぉっ、お、ごっ、ぶ……!」
胃袋を捕まれ、指を波打たせながら牛の乳を絞るように握る。
その動きに合わせて、巫里は口の端から涎を零しながら悶えた。
「ちょっと横にずらして……っと」
扇里が腕の向きを変えると、巫里の腹部からぐちゅりと肉をかき分ける音がした。
「お、このぬるぬるしてるのは肝臓かな?」
「ひっ……」
「んー、胃よりも反応が悪いかな、じゃあもっとイイとこ探さないとね。今度はもっと奥に……上に、っと……」
「あっ、があぁぁぁあああ!」
扇里の二の腕までが、ぞぶりと沈む。
姉の体温と、肉と臓器のぬめりを楽しみながら、ついに彼女の手は肺にまで到達した。
そこを指先で撫でると、巫里の様子が明らかに変化する。
「はっ、はっ、はっ、はひっ、ひゅぅっ……!」
「あれ、なんか呼吸が変な感じ。おーいお姉、大丈夫?」
「ひゅううぅっ、ふううぅっ、んっ、ふぐ、かひゅっ」
巫里の体がガクガクと震え、視線も定まっていない。
さらには全身から脂汗がにじみ出て、顔色も悪くなっているようだ。
「別の場所にした方が良いかもしれませんね」
「肺の柔らかい感じ好きだったんだけどなー……千草様がそう言うなら仕方ない、か。じゃあこっちはどう?」
扇里が次に手を伸ばしたのは、人体においてもっとも重要な臓器である心臓であった。
脈打ち、全身に血液を巡らせるそれに触れながら、彼女は恍惚とした表情を浮かべる。
一方で巫里は、自分の心臓に何かが触れている、そんな異様な感覚に恐怖を感じていた。
――だがそれでも、思わず嬌声が漏れてしまうほどの快感は消えない。
「ぅあうっ……っ、あ、はっ、扇里……やめ、てっ……!」
「やだ、やめない。だってお姉の中では、あたしはもう扇里じゃないんでしょ?」
「そん――なっ、あぁぁあああっ!?」
扇里が心臓を手のひらでそっと包むと、巫里の全身がぞわっと粟立つ。
「うーん、やっぱ胃が一番リアクション大きいような……」
「命を握られてる感覚があるので、素直に楽しめないんじゃないでしょうか。少し手伝いましょうか?」
「お姉がそれで気持ちよくなれるならお願いしよっかな。千草様がやることなら間違いないだろうしっ」
近くに立って傍観していた千草は、巫里に近づくと、彼女の首に触れた。
そこには、昨日散々弄んだ印がまだ浮かんでいる。
「ぁ……あぁ……」
巫里の目は大きく開かれ、半開きになった口は、怯えているのか小刻みに震えている。
千草はそんな彼女の印を首から移動させ、ちょうど心臓の真上へと持ってくる。
そして彼女の手が黒いもやを纏うと、ずぷんっ! と体の中へと入っていった。
「あああぁぁ……あぁっ……!」
扇里の場合は、一応”穴”を広げるという形で体内に侵入していたが、これは違う。
穴はおろか傷口すら無い場所から、腕を体の内側に突き刺しているのだ。
普通なら死んでいる。
だが――今はただ、くすぐったいゾワゾワとした感触が胸にまとわりついているだけだ。
痛みもない、体の動きに支障もない、それでも身動きすら取れないのは、目の前で自分の体に起きている光景が脳の理解の範疇を超えてしまったからだ。
千草は目的を果たすと、素早く手を引き抜いた。
そして、手を汚した桃色の体液らしきものを舌で舐め取る。
「にひひっ。そっか、印を心臓に移植したんだ。確かにこれなら、心臓の感度が低いお姉でも楽しめるかも」
「でしょう? 壊してもすぐに再生すれば問題ありませんから、あとは好きにしてください」
「うん、ありがと千草様。じゃあ行くよお姉、気絶しないように歯を食いしばっててね」
「いやだっ、もうやめ――て、へえぇぇええええっ!?」
それはほんの少し、人差し指の先でつついただけ。
けれど、巫里は陸に打ち上げられた魚のように体を跳ねさせた。
そのリアクションを見た扇里は、姉が人外の快楽を思う存分に堪能してくれている、と嬉しくて無邪気に歯を見せながら笑う。
「少しずつ慣らしていこうね、お姉。もう人間なんかじゃ満足できなくしてあげるから」
「はっ、はっ、はあぁっ、あぁぁあああっ!」
「今度は握ってあげるからね……ほら、あたしの手がお姉の心臓を包み込んでるのがわかる? きゅってすると死んじゃいそうなぐらい気持ちいいでしょ?」
「あっぐうぅぅぅうう! うぐっ、うぎいいぃぃぃ……ッ!」
「それにしても、心臓って他のとこより少し硬いんだね。食べたらコリコリしてて美味しそうだと思わない?」
「お、おぼっ、わっ、はああぁっ、んおぉぉおおおっ!」
「思わないんだ。そっか、お姉ってモツとか苦手だったもんね、あたしも特別好きってわけじゃなかったけど、今なら好きな人の気持ちちょっとわかるかも。だってこんなに揉んでるだけで気持ちいいんだもん」
「ほっ、ほおぉおんっ! んぉっ、おぉほおおおおぉおぉ……っ」
「きゅっ、きゅっ、て力を入れるとお姉すっごく気持ちよさそうだね。にひひ、でもこうやって握ってると、思わず潰しちゃいそうで怖いな――こんな具合に」
ぐちゅっ!
扇里はほんのおふざけのつもりで、巫里の心臓を握りつぶした。
「はぎゅっ!?」
巫里は頭のてっぺんから爪先までピンと力を張り、全力でのけぞる。
そのまま放置しておけば、死は免れない。
だが姉の命の中枢を潰した妹は、笑顔を崩さなかった。
「あー、やっぱ潰されると気持ちいいんだ。大丈夫、すぐに治るから」
扇里の腕を伝い、巫里の体の中に影が入り込んでいく。
それは握りつぶし、変形した心臓に入り込むと、修復し、元の形へと戻していった。
その間、およそ1秒ほど。
酸素の欠乏により意識を失うことすら許されず、再生した心臓は何事も無かったかのように平然と鼓動を再開させた。
「あたしはお姉を殺したりなんかしないよ。姉妹として、ずっと一緒に居たいんだもん。あたしが人間を辞めたのは、そのためでもあるんだから」
「は……あぅ……人間、の……まま、で、も……」
「無理だよ、お姉。どんなにお姉があたしのことを想ってくれていても、あたし自身が納得できないから。だからこれはただのワガママだし、嫌われて当然だと思う。それでもこれは――」
扇里の笑みが、寂しさで微かに翳る。
「あたしたちが変わるには、必要なことだったんだよ」
そこに確かに自分の妹の面影を見た巫里は――もう彼女のことを、”扇里ではない”と自分に言い聞かせることすら出来なくなってしまった。
なぜなら、巫里は彼女の悩みを知っていたから。
理解して、退魔の血と天秤にかけて、どちらを優先するか考えて。
そんなことをしてきたからこそ、考える間もなく妹のことを優先することが出来なかったからこそ、扇里を救うことが出来なかった。
その自覚があったから。
もう否定できない。
例えそれが成れの果てだとしても、妹である以上は、肉親の情が目の前の化物と繋がってしまう。
「はぁ……はぁ……扇里……もう、やめましょう、こんなこと」
「どうして? やだよ、お姉にもっと気持ちよくなって欲しいもん」
「そんなのっ、私は望んでないのよ……お願いだから、私の言うことを聞いて?」
「ごめんねお姉。今は、あたしのワガママを通すって決めてるから」
「あ……あぁ……扇里ぃ……っ、ぐっ、おぉぁぁぁああああっ!」
扇里はずるりと腕を肘まで引き抜くと、今度は腕で巫里の腹の中身をかき混ぜ始めた。
胃も肝臓も膵臓も脾臓も象徴も大腸も何もかもを撹拌し、ぐちゅぐちゃと人体から鳴ってならない音を響かせる。
そして巫里が死ぬ直前で、影で治癒するのだ。
彼女の肉体や脳からは、一切の不快な感触が取り払われているので、狂乱しながら首を振り、髪をかき乱す巫里も、感じているのは快楽だけ。
自分の手が触れていない場所が一箇所も残らぬように、扇里は余すこと無く姉の体を味わっていく。
「……もう私の出る幕は無さそうですね。あとは姉妹水入らずでごゆっくりどうぞ」
すっかり蚊帳の外にされてしまった千草は、こっそりと部屋から出ていく。
ふたりきりになった部屋の中では、いつまでもグロテスクな音と、巫里の獣のような咆哮、そして扇里の笑い声が響いていた。
◇◇◇
3日目。
昨日の激しい交わりは深夜遅くまで続き、巫里が目を覚ましたのは正午に差し掛かろうかという時間だった。
制限時間まであと12時間、それを耐えきれば彼女はここから開放され、二度と吸血鬼襲われることも無くなる。
だが――隣で寝息を立てる扇里は、その時どうするのか。
寝顔は以前と何ら変わらない、少し肌の色は白くなっている気もするが、元々白い方だったのであまり違和感も無い。
「目を覚ましたら、以前と同じ扇里のままだったらいいのに」
叶わぬ願いであることは知っている。
昨日味わった、内臓をぐちゃぐちゃにかき混ぜられる心地よい感覚は未だ体に残っている。
いくら意識がトんでいたからとは言え、途中からあのおぞましい快楽に身を委ねていたなどと、思い出すだけで寒気がする。
それだけはっきりと記憶している出来事を、夢だと言い切れるものか。
それでも――と願わずには居られないほど、状況は絶望的なわけだが。
彼女とて脱出路を探そうとしなかったわけではない。
外に見張りが居る様子もなく、またモニターが付いている時以外は、監視カメラが動作している風でもない。
だが、肝心のドアが、不思議な力でとにかく強固にロックされており、巫里程度の力では突破できそうになかった。
見張りが居ないのは、あの千草とかいう女の、彼女なりの自信の現れなのだろう。
それは決して過信などではない、彼女が今まで対面したことの無いような強大な力を持っていることは、未熟な巫里にだって理解できた。
となれば、やはり方法は1つだけ。
耐えるしか無い。
耐えて、耐えて、耐え抜いて、そして――
『仮にゲームに勝って外に出られたとして、半吸血鬼だらけの世界で生きていけるわけがない』
――ふと、昨日の千草の言葉が蘇る。
扇里はそう考えたからこそ、追い詰められた末に父を手にかけ、自ら人間を捨てた。
その気持ちはよくわかる。
いや、父親を殺したことを許すつもりはないが、それでも絶望するに十分すぎる理由があったことは理解できた。
巫里とて、考えると目眩がしそうになるほどだ。
それでもまだ彼女が”人間”にしがみついているのは、母が生き残っているからだろう。
ルーマニアに渡ってから連絡は無いが、きっと吸血鬼を屠る術を見つけ出し、助けに来てくれるはずだ。
そうなれば、自分たちに手を出さないと約束した以上、常に一緒に行動していれば、母に危害を加えることも難しくなるはず。
「私はまだ1人じゃない……」
そう、ひとりではない。
だが、そうなった時、扇里はどうなるのだろう。
”本当の家族”を求めて人間まで捨てた彼女を、果たして巫里は見捨てることが出来るのだろうか。
「……いや、違うわ。私たちはもう道を違えたのよ、考えるだけ無駄だわ」
そう言いながらも、巫里は隣で眠る扇里の横顔を撫でる。
幸せそうな寝顔を見て、反射的にほころぶ頬。
口ではどうとでも言える。
しかし本心は。
いざそのときになって、妹を見捨てられるかと言えば――答えはおそらく、ノーなのだろう。
「ん……」
小さな声を出し身じろぐ扇里に、巫里は驚き慌てて手を退けた。
彼女はただ妹を撫でていただけだ。
だというのに、それを気取られてはいけない、なぜなら扇里はすでに敵なのだから――と、無意識レベルで自分の体が動いてしまったことが、無性に悲しく思える。
理性は彼女を敵とみなし、しかし本心は妹のままだと主張する。
ならば先程無意識でこの手を動かした意思は、どこの誰のものなのだろう。
強いて言うなら本能か。
幼い頃から訓練により刻まれてきた、退魔の血を継ぐ者としての。
「(それが、この子をこんなことになるまで追い詰めたんじゃない。そのくせ責任も取らないで扇里を避けるなんて、ほんと無責任なやつね)」
手のひらを見つめながら、巫里は苦笑いを浮かべる。
そして、拳を握ると同時に瞳を閉じた。
胸からこみ上げ、涙腺を緩ませる感情を、視界を塞ぐことで噛み殺したのだ。
「お姉?」
暗闇の世界に救済のように降り注ぐ妹の声。
どうやら巫里の一連の動作のせいで彼女を起こしてしまったらしい。
目を開き、微かに潤む瞳でその姿を捉える。
「にひぃ……おはよっ」
扇里は以前と変わらず、無邪気にふにゃりと笑って言った。
むしろ変わり果てていて欲しかった、それなら今度こそ諦めもつくだろう。
だと言うのに。
ああ、だというのにどうして――昨日あれだけ狂った表情を見せたくせに、ふいに人間のような顔をするのは、卑怯だ。
「おはよう、扇里」
彼女の人間味にそのまま付き合えば、また人間に戻ってくれるだろうか。
霞を掴むよりも馬鹿らしい、そんな一縷とも呼べぬほど小さな望みに手を伸ばすように、巫里もいつも通りを装って返事をした。
だが、声が震えている。
笑顔もどこかぎこちない。
そんな姉の表情を心配した扇里は――それが自分のせいだと理解した上で、手を伸ばし、頬に触れながら言う。
「えっと……なんか、ごめんね、お姉」
自分が言うべき言葉ではないことは理解していた。
だがそれでも、今にも泣きそうに歪む姉の表情を見ていると、言わずにはいられなかったのだ。
扇里の言葉を聞いて、巫里はついにこらえきれなくなった。
今にも崩れそうな涙腺を必死にささえていた壁は、くしゃりと紙のように決壊し、雫が零れる。
「そういうの、言わないでよ」
「ごめん」
「まるで人間みたいなフリしないでよ……!」
「ごめん、それは難しいかな。あたし、大して変わってないし」
「嘘つかないでよぉ! 化物のくせにっ、父さんを殺した、化物の癖にいぃぃ……っ!」
ぼふっ、と巫里の体が崩れ落ちる。
扇里の胸に顔を埋めて、力の入っていない拳で何度も何度も彼女の体を叩いた。
本気で恨んでいたし、怒ってしたし、涙を誤魔化すためでもある。
それら何もかもを理解した上で、扇里は巫里の体を抱きしめた。
――確かにあたしが悪い、けど悪いことをしなくちゃならないと思った。
全ては承知の上だ。
父を殺したこと――は、おそらく彼女が人間なら後悔しただろうし、今はそのこと自体を忘れてしまったかのようにケロっとしているのは、間違いなく彼女が人外になった影響ではあるが。
しかし、半吸血鬼になったこと自体は、悔いてはいない。
家族を得るために。
家族になるために。
「お姉、顔をあげて」
扇里の言葉に、巫里は悔しそうに口をへの字に曲げ、顔を涙でぐしゃぐしゃにしながらも、彼女の方を向いた。
右手が頬に伸びる。
涙の雫を指で拭い、そのまま扇里は唇を寄せた。
抵抗は無い、すでに抗うことは諦めている。
どうせ、激しく舌を絡められるのだろう――そう決めつけ、体を縮こまらせて警戒していた巫里は、しかしキスがほんの数秒間、唇を重ねただけで終わり、拍子抜けする。
そしてまた、向き合い、見つめ合う2人。
巫里が、先程の行為がまるで恋人同士が何気なく交わすような口づけだったことに気づいたのは、それから数秒後のことだ。
頬がみるみるうちに赤くなっていく。
巫里は、ついでに紅潮した耳を人差し指と親指で軽く摘むと、
「かわいい」
と、彼女自身もほんのりと頬を染めながら言った。
「な、な……何を言ってるのよ急にっ!?」
「急にじゃないって、あたし前からお姉のこと可愛いと思ってたよ? 今は以前よりも強くそう思える。何回だってキスしたいし何回だって抱き合いたいし、いくらでも気持ちよくなって欲しい」
「やめなさいっ! 姉妹でこんなことするなんておかしいのよ……」
「昨日散々乱れておいて、今更じゃん。それに、それは人間の理屈だよ、お姉」
「私はまだにんげ――んっ!?」
口答えは許可しない、と言わんばかりに今度は強引に口づけし、言葉を遮る扇里。
ねっとりとした動きで舌が挿し込まれるが、巫里にはその動作には、昨日とは違いどこか慈しみのようなものが感じられた。
姉妹だから? 少しだけ人間らしさを取り戻してる?
……いや、おそらくは違うだろう。
昨日とのギャップで、巫里の心を開かせようとしている、そういう作戦なのだ。
だが、一瞬でも”姉に対する優しさ”のようなものを感じ取ってしまうと、忘れることは出来ない。
そもそも、彼女自身がそう言ったように、姉妹でディープキスなどその時点で異常なのだが――昨日の常軌を逸した愛撫を受けてしまって、感覚が麻痺しているのだろう。
巫里もおずおずと、ぎこちない動きで舌を絡め始める。
「ん……ふ、ちゅっ……んんぅ……ふぅっ……」
彼女から、鼻がかった甘い声が漏れだすまでに、そう時間は必要なかった。
ちゅぷ、ちゅぱ――と、そう広くない部屋に、姉妹の奏でる嬌音が響く。
姉が自分を求めてくれたことが嬉しくて、扇里は鼻息荒く、明らかに興奮した様子だった。
しかし、今日は優しくすると決めたのだ。
感情に流されて乱暴になりすぎないよう自制しながら、姉の口内を舐り、唾液をまぶしていく。
巫里は舌に、扇里の体温と味を感じながら、目をつむり、うっとりとした表情を浮かべていた。
「(これが……巫里の味。ずっと一緒に居たのに知らなかった、巫里の一部……)」
それは本来、血の繋がった家族は触れてはならない場所。
正常な精神状態の巫里ならば、それを理解した時点で唇を離しているだろう。
だが、扇里の巧みな舌使いに理性を溶かされた今の彼女にとっては、”近親者である”という認識は快楽を増幅させるスパイスにしかならない。
妹でも構わない……いや、妹だからこそ――さらに大胆に舌を動かし、禁断の果実を味わっていく。
どうせ、今日が終わればもう扇里と合うことは出来ないのだ。
「(なら今だけは、これから先の一生分の前払いだと思えば、この程度のスキンシップぐらい……いい、よね)」
沈んでいく、溺れていく。
まだ泥濘の中にあっても呼吸はできる、酸素は残っている、だから大丈夫だ、と繰り返し自分に言い訳をして。
扇里からのキスが終わると、今度は巫里から押し倒した。
慣れない行動ではあったが、唇を押し付け、自分から扇里の口の中を舌でまさぐっていく。
妹は何も言わずに姉のそれを受け入れた。
拙い動きで、けれどそれが愛おしい。
そのキスが終わると、すでに巫里の瞳は”次”を期待して濡れていた。
どくん、どくん。
2人の心臓は、張り裂けそうなほどに高鳴っている。
特に巫里の方は、胸の高鳴りが強くなれば強くなるほどに、全身を包み込むようなゾクゾクとした感覚を味わっていた。
それは心臓に移された”印”の影響なのだが――今の彼女はそんなことはすっかり忘れてしまっている。
扇里の唇が耳から首へと、首から鎖骨へと、そして胸元へと少しずつ降りていき、右手は背中のブラのホックに向かった。
ぷつん、とそれが外れると、下着を支えるのは互いの密着した体だけになる。
巫里も負けじと妹のブラのホックを外し、2人は布越しに胸を密着させた状態で静止する。
今更姉妹同士で胸を見せあったからと言って何なのだ、という話ではあるのだが。
しかし、なぜだかそれが、無性に特別なことに思えたからだ。
越えてはならない一線が、そこにあるような。
近親者としての? 姉妹としての? 同性としての? それとも、人間とそれ以外としての?
きっと全てだ。
全てが混ざりあって、壁になって、本来は理性がそれを感知して暴走を止めるための障害物になっているのだろうが。
理性が茹だった彼女らにとっては、それもまた、気分を高める調味料にしかならない。
下着がベッドに落ちる。
固く抱き合い、素肌を触れ合わせ、口づけを交わし、互い以外に存在しない閉じた世界に沈み込んでいく。
部屋に甘く濃密な匂いが満ちるほど、2人は姉妹でシテハイケナイコトを幾度となく重ね、タイムリミットが来るまで愛し合った。
◇◇◇
いつの間にかベッドの下に用意してあった衣服を纏った2人は、残り少ない時間を、ベッドに並んで横になり、指を絡め手を繋いだ状態で過ごした。
交わす言葉は少ないが、1つ1つに万感が込められていたように思える。
いや、込められていて欲しいと思ったのは、おそらく巫里の方だけであったが。
そんなピロートークに、ノック音が終わりを告げる。
ドアを開き、部屋に入ってきたのはもちろん千草だ。
彼女の姿を見た途端、巫里はがばっと上体を起こすと、眉間にしわを寄せ睨みつけた。
人間にしては中々の殺気を放っているのだろうが、鈍感なのか動じていないのか、千草は変わらぬ様子で笑みを浮かべ、拍手を始める。
ぱちぱちぱち。
空気を読まぬ乾いた音に、巫里はさらに不機嫌そうに眉の傾斜をきつくした。
「巫里、おめでとうございます。ゲームはあなたの勝ちです、二度と私たちは手を出さないと誓いましょう。どうぞ、お帰りください」
接客でもするように、まっすぐに背中を伸ばし、出口へと手で案内する千草。
彼女は約束通り、勝利者を解放しようとしているだけだ。
苛立っているのは、まだ迷いが残っているから。
巫里の視線が扇里に向けられる。
「じゃあね、ばいばい」
人間のままでもいいから一緒に居て欲しい――そう言ってくれることを、心のどこかで望んでいた。
だが扇里は残酷にも、あっさりと別れの言葉を口にして、ご丁寧に手まで振っている。
「(ならそれでいいじゃない、化物が自分から別れると言ってくれているんだから。喜んで受け入れなくて何が退魔の巫女よ!)」
自分に言い聞かせる。
「(それに私にはまだ母さんがいるわ、みんな居なくなったわけじゃない。例え世界中が奴らに支配されたとしても、2人でなら生きていけるはず――)」
二度、自分に言い聞かせる。
そこで千草が、おもむろに言い放った。
「ああ、そういえばルーマニアに旅立ったと言うお二人のお母様ですが」
「っ……母さんが、どうかしたの?」
このタイミングでわざわざ告げるということは、巫里にとって都合の悪い情報であることは間違いない。
緊張から、彼女は生唾を飲み込む。
「そんなに怖い顔しないでください、仲間を観光がてら送ってみたんですが、どうやら無事だという話をしたかったんです。ええ、本家が壊滅したと言う情報もあちらには入っているようで、知人の家に身を寄せて平和に生活しているそうです」
「そっか……無事、だったんだ……」
「知人というのも元々親しい友人だったんだとか。どういう繋がりかは知りませんが、楽しそうに笑っていたそうですよ」
「良かったね、お姉」
「うん……良かった、本当に良かったぁ……」
千草が姿を表してから、初めて笑みを浮かべる巫里。
だが安堵したのもつかの間、彼女はすぐさまとあることに気づく。
――本家が壊滅したと言う情報も入っている?
姉妹の母はそれを知っている、つまり自分の夫や娘たちが危険にさらされていることも知っているはずなのだ。
だというのに、なぜ……楽しそうに笑っているのだろう。
すぐに日本に戻ってくるべきだ。
いや、それは傲慢な考え方かもしれない、なにせ本家が壊滅するほど危険な事態が起きているのだ、自分の安全を最優先するのならそのままルーマニアに留まるべきだ。
……でも、帰ってくるものだとばかり考えていた。
「母さんは、その……私たちについては、何て?」
「直接接触したわけじゃありませんから、そこまではわかりません。一応心配はしてるんじゃないですか?」
「一応じゃなくって! ほら、その、戻ってくるつもりだったとか、荷物をまとめてたとか、それぐらいわかるんじゃないの!?」
「そんな素振りは無いようですよ、旅券を取った形跡も見当たらない、と」
「そ、そんな……嘘よ、母さんは……私を助けに……」
例え世界に味方が誰も居なくても、家族さえ残っていれば生きていける。
そんな彼女の自信が、音を立てて崩れていく。
うつむき、絶望する巫里に向かって、千草は変わらぬ様子で呼びかける。
「それはさておき、約束は約束ですから。ゲームの勝者はどうぞ、ここから出て自由になってください」
「う……あ、あぁ……」
それでも巫里は立ち上がった。
理性が敗北を認め、本能が別れを拒んでも……体に刻み込まれた白金巫里ではない何かが、彼女に”誇り高き人間であれ”と命令するのだ。
「あとこれも、忘れないで下さいね」
立ち上がり、よろよろと出口へ向かう巫里に、千草は一振りの刀を手渡す。
反射的にそれを受け取ると、脳内に響く声がさらに強くなったような気がした。
冷たい木の温度が、白金巫里を否定する。
思えば、それが全ての元凶だった。
初めて刀を握らされたあの日、あの瞬間、巫里と扇里の間には決定的な隔たりが生じ、そして巫里自身も与えられた自由のうちの大部分を失った。
対価として手にしたのは、優等生として褒め称えられる暮らしや、妹にも憧れの視線を向けられるほどの明晰な頭脳、人間離れした運動能力。
そんなものは欲しくなかった。
ああ、そう、そんなものなのだ。
どんなに賞賛の言葉が降り注いでも、自分が成長したとしても、そこには――そしてその先にも、巫里が欲したものはない。
例えば、毎晩家族で囲む食卓や。
例えば、週末に父の運転する車に乗って出かける時間が。
巫里が手に入れたかったものは、その程度のものだったはずなのに――
刀を掴んだ手が、ぶらんと垂れ下がる。
扇里は彼女がここから出ていくのを止めないだろう。
千草もおそらく、ゲームは終わったのだ、と積極的に干渉してくるつもりはない。
一切合切が、巫里に委ねられる。
苦痛と共に正義を貫くも、堕落と共に幸福を手にするも、彼女の意思次第。
「ねえ扇里、私と……一緒に行かない?」
第三の選択肢など存在しない。
ダメ元で試してみるものの、振り向いた瞬間に見た扇里の表情を見て、一瞬で返答が予想できてしまった。
「無理だよ、それは出来ない」
「私の体を好きにしていいからっ! だから……お願いよ、扇里」
「それでもお姉は人間のままで居たいって言うんでしょ? だったらやっぱり無理だよ、だってあたし、本当は今日もずっと、お姉の血が吸いたくて必死で我慢してたし」
その我慢も、これ以上一緒に居ては限界を迎えてしまう、と。
人間のままで居たいという巫里の意思を尊重した、扇里なりの優しさと受け取ることもできる。
だから、何も言えなかった。
人間のまま扇里と共に生きるなどという都合の良すぎる選択肢は――わかりきっていたことではあるが、最初から無かったのだ。
「じゃ、じゃあ……私が血を吸わせれば、一緒に、居てくれるの?」
「当たり前じゃん。あたしが半吸血鬼になったのは、そうなればいいと思ったからだよ? 家族が欲しかった。でも一番は、お姉と本当の家族になりたかったから。お姉があたしと生きるために、退魔とかいうわけわかんない役目を捨てて人間を辞めてくれるなら、あたしはもう永遠にお姉のことを離さない。ずっと、ずっと、誰よりも愛し続けるから」
けれど巫里が扇里を選ばないのなら、彼女は別の人間を愛してしまう。
自分以外の、誰かのものに。
あれだけ、今日一日かけて、好きだと、愛していると、これまで言えなかった言葉を繰り返し繰り返し聞かせてくれた妹が――
ガタンッ、と巫里の手のひらから刀がこぼれ落ちた。
象徴が、失われる。
威厳と地位、自縛と呪詛、巫里のペルソナを作り上げてきたそれら土台が、砂のように崩れてゆく。
彼女の体から力も失われ、がくんと膝をついた。
「お姉……」
自分から扇里を受け入れると、そう言うまでは触れないつもりだった。
だが苦しむ姉の姿を見て、居てもたっても居られなくなり、思わず立ち上がり、歩み寄り、膝立ちになって抱きしめる。
巫里はそんな妹の背中に腕を回すと、体を預けた。
父の死の記憶は、未だ鮮明に瞼の裏に張り付いている。
悲しみもある。憎しみもある。だがもう戻らない命を嘆いても仕方ない、という諦めもあった。
最終的に、追い詰められた人間が守ろうとするのは他人じゃない、自分だ。
「(ごめんね、父さん)」
それで父が赦してくれるとは思えなかったが、自作自演の免罪符ぐらいにはなる。
ほんの少し軽くなった心。
巫里は扇里に抱きついたまま言った。
「ねえ、扇里……」
彼女の「ん?」と言う相づちを聞いてから、一旦深呼吸を挟んで、本題を切り出す。
「血を吸って……私を、吸血鬼に変えて欲しいの」
扇里の両腕が、さらに強く巫里を抱き寄せた。
「そしたら、ずっと一緒に居られるのよね? 今までよりももっと近くで、姉妹として生きていけるのよね?」
揺れる心を象徴するように声は震えている。
扇里はそんな言葉に対して、行動で返事をした。
立ち上がり、巫里に手を差し伸べる。
そして彼女の体を引き上げると、ベッドの前に立たせ、足と足の間に膝を挿し込みながら、優しく、しかし強引に押し倒した。
もう自分の出番は無いだろう、とひっそりと部屋を出て行く千草。
そんな行動に誰も気づかないほど、2人はすっかり自分たちだけの世界に入り込んでしまっていた。
巫里は潤んだ瞳で、頬を赤く染めながら、誘うように扇里を見上げる。
「せん、り」
「お姉、大好き」
軽く唇を触れ合わせてから、扇里の口は巫里の首に近づいた。
大きく口を開き、肌に吸い付くと、鋭い牙がぷつんと皮を貫き、肉を穿つソレの形に掘り進んでいく。
「ぅ、あ……あぁ……」
痛みを警戒して縮こまっていた巫里の体から、力がふっと抜ける。
注ぎ込まれる赤熱した快楽に、その必要は無いと気づいたのだろう。
”人”を内包し、守っていた器に穴が開くことで、そこから人間を構成する重要な要素が溢れだす。
半吸血鬼は鉄の匂いのするそれを舌で転がし、味わいながら嚥下した。
代わりに注ぎ込まれるのは、人間ではない何か。
少なくとも”人の生命”にとっては毒になるそれを、巫里は吸いやすいよう自ら首を差し出し、喜々として受け入れた。
半開きの口からは赤い舌が見え、端から涎と、小刻みな喘ぎ声が溢れている。
扇里は、自分の体温に比べると高い熱を孕んだその液体が、姉の体から自分の体内へと入っていくたび、体を重ねた時とは違う類の充足を感じていた。
憎き退魔の血が巫里の体から失われていく。
自分と同じものが注ぎ込まれていく。
これでようやく、自分と姉は同じ家族になることができる。
半吸血鬼になってよかった、人間を辞めてよかった、今は心の底からそう思う。
愛おしい姉の香りが、彼女が変わってゆく度に強くなっていく。
口に感じる体温も失われてゆき、肌の色も健康的な肌色から白みのさした物へと変わっていく。
支配欲が満たされ、独占欲が増幅する。
吸血行為を続けるほどに、扇里は『お姉はあたしの物だ』という思いを強くしていった。
「あぉっ、お……は、へ……っ、んあぁ……扇里……せんりぃっ……」
吸い取られていく倫理、朦朧としていく意識、快楽に埋め尽くされていく思考。
それら中にあっても巫里の中で、扇里という存在ははっきりと、宝石のように光り輝いていた。
いや、むしろ他が霞んだ分、より鮮明な輪郭が感じられる。
「(これが、本当の家族になるってこと……なのかな。頭の中が、扇里でいっぱいになってく……あぁ、扇里、扇里、扇里っ!)」
父が死んだことも、母が見捨てたことも、何もかもが巫里の中から欠落していく。
今はただ、この世界で一番愛おしい妹のことだけを考えていたい。
肌を触れ合わせて、唇を重ねて、舌を絡めて、肉体のありとあらゆる部分でつながっていたい。
おそらく今の彼女ならば、昨日のように内臓をかき混ぜられたとしても、その行為自体を、自ら腹を開きながら受け入れるだろう。
ありとあらゆる行動が、無条件で肯定的に受け入れられる。
巫里の中で、扇里はそんな存在に昇華しようとしていた。
「ぁ……あ……せ……ん……」
そして意識を失う寸前まで、巫里の瞳は扇里の姿を写し、巫里の脳内は扇里で埋め尽くされていた。
人としての姉が死んだことを確認すると、扇里はその冷たい両頬を両手で包み込み、眠るように死んだその顔を見ながら自然とにやつく。
「お姉の血、すっごく美味しかったよ。声も可愛かったし、見た目だって……元々美人だったのに、肌も透き通ったみたいに白くてすべすべになって、体も……にひひっ、いやらしいの。あたしを誘ってるみたい。早く生まれ変わった体で、あたしを求めて欲しいな。あたしもお姉のこと欲しいから、2人で何回も何十回も何百回も何千回も何万回も! 世界が終わるまで愛し合おうね、お姉っ」
扇里の手が巫里の死体を撫で回し、全身に頬ずりをする。
さらに、あまりに美しくなった姉の姿に、目覚めまで我慢できなくなった彼女は口づけまで初めてしまった。
「んちゅっ、ちゅぅっ……はあぁ、お姉、お姉っ、柔らかい唇も最高だよ、キスしてるだけでイっちゃいそうなぐらい気持ちいいよぉ、半吸血鬼同士の姉妹キスっ、好きっ、最高ぉっ。早く目を覚まさないかな、目を覚ましてお姉からもあたしにキスしてくれないかな。好きっ、好きっ、好きっ! はあぁ、お姉……んっ、ちゅぷ、はむぅ……れるっ、じゅ、ちゅぱぁ……っ」
加えて、舌まで絡め始める扇里。
自分から”吸血鬼にして欲しい”と懇願された時点から、ずっと彼女の興奮はピークの状態だった。
それでも吸血が終わるまでの間は姉を心配させてはならないと、どうにか抑えてきたのだ。
しかし事が終わり、あとは巫里が目覚めるだけとなり、自制の必要が無くなってしまったため、もはや止めることはできなくなってしまった。
扇里は動かない巫里の唇と歯を舌で強引にこじあけ、甘い唾液を大量に流し込んでいく。
しばらく一方的な愛撫を続けていると――がしっ、と扇里の頭に巫里の両手が回され、強く引き寄せた。
同時に、今まで止まっていた巫里の舌が激しく動き始め、堪え性のない不埒な妹の舌を絡め取っていく。
「ふぐっ、んぐうぅっ!?」
「はぶっ、ぶちゅうぅ、んっ、ふうぅん……っ、ぢゅぱっ、ちゅ、ぺちゃぁっ……」
「んっ、んー……んふぅ、ふっ……ん……っ」
最初は驚き戸惑った扇里だったが、人でなくなった巫里が目覚め、自分の愛情に応えているのだと気づくと、潤んだ目を細めてうっとりとそれを受け入れた。
少し口が離れた瞬間に見える2人の舌は、蝸牛の交尾を想起させるほど、ぐちゅりと深く絡み合っている。
一方的に扇里が巫里を愛撫するだけではない、対等に愛し合う交わりがそこにはあった。
それがかつての2人が望んだ本当の姉妹の姿なのかはさておき――以前よりも近くに相手を感じることができる、それだけは確かだ。
例え間違っていたとしても、それでいい。離れているよりそっちの方がずっといい。
にゅぱっ……と2人の舌が糸を引きながら離れると、姉妹は情欲に満ちた瞳で見つめ合った。
「今更だけど……もっと早くにこうしていればよかったわね」
「そんなこと言ったってしょうがないし。今はただ、やっとお姉と同じ場所で生きてけることを、喜ぼうと思う」
「……そう、ね。その喜びに比べれば、後悔なんて些細なことだもの」
力も心も満ちている。
縛り付けていたあらゆる苦しみからも解放され、ただ相手を愛おしいと思う気持ちだけが残った。
かつての巫里なら、今の彼女を”愚か者”と罵っただろう。
けれど、本当の愚か者はどちらだったのか。
まあ、そんなことは――今の彼女たちにとってはどうでもいい、些細なことなのだろう。
◆◆◆
部屋から出てすぐの廊下で、私は巫里と扇里の事の顛末を聞き遂げていました。
無事に結ばれたようでよかった。
私に家族のあれこれはよくわかりませんが、姉妹が得体の知れない団体の都合で引き裂かれて言い訳がありませんからね。
舌を絡める音に、交互に響く喘ぎ声……と室内の音を聞く度にほっこりしていると、足音が近づいてきました。
曲がり角の向こうから姿を表したのは、ナナリーです。
彼女は私の姿を見るなり、わかりやすく頬をほころばせると、小走りでこちらに近づいてきました。
「おつかれさまですわ、主さま」
まさか、ねぎらいの言葉をかけるためだけに来たのでしょうか。
本部殲滅と言い、白金家の父親の死体掃除と言い、最近彼女には何かと面倒な役目ばかり任せています。
むしろそれを言いたいのは私の方なのですが――とナナリーを抱き寄せると、「そちらこそおつかれさまでした」と囁き、唇を重ねます。
彼女は瞳の端に涙すら浮かべながら歓喜し、キスを甘受しました。
そのまま私たちはたっぷりと数分間にも及ぶ唾液交換を終え、体を離します。
「んは……はふぅ、見返りが欲しくて、尽くしているわけではございませんのに。主さまはお優しいのですわね」
「一方的に尽くされるだけが私達の関係では無いと思っていますから。ところで、何か用事があって来たんじゃないんですか?」
「いえ、それは……そろそろお暇ができるのではないかと思い、期待して来てみただけですので」
つまり、期待以上の成果は得られたと。
本当に会えるかもわからないのにわざわざ足を運んでくれるなんて、可愛らしいじゃないですか。
報いたいと思うのは当然のことだと思うのですが。
「ナナリー、よかったらこのまま私の部屋に来ませんか?」
「よろしいのですかっ!?」
すごい食いつきようですね、そこまで反応が良いと誘ったかいがあるというものです。
「ああ、ですが……無理はしなくていいのですよ、主さま」
「無理なんてしてませんよ?」
「いいえ、表情が優れませんわ。体調が優れないのでしたら、わたくしが体に良い料理を作って参りますが」
そんなつもりは無かったんですが、ナナリーから見てそう見えると言うことは、気持ちが落ち込んでいるのでしょうか。
思い当たる節が無いわけではないんです。
異世界でカミラと一つになってから今日に至るまで、私は様々な家族の形を見てきました。
それらを思い出す度に、私の脳裏に浮かぶのは、私自身の両親の姿。
私を捨てた母と、愛を騙りながら私を傷つけ続けた父。
高校でいじめていた彼らも含めて、今までは”どうでもいいこと”と位置づけてきました。
ですが、エリスやみゃー姉、ナナリーたちとの関係を深め、これまでの人生では手に入れることが叶わなかった幸せを抱えるごとに、その異物が視界の端に映り込むのです。
「ほら、そうやってまた……」
ナナリーの柔らかな手のひらが、私の頬に当てられました。
彼女は心配そうにこちらを見つめています。
「確かに思うところはありますが、ナナリーを抱きたいと思っているのは本気ですよ? 正直言って、今回は蚊帳の外になることが多くて欲求不満ですから。間違いなく、これは私の欲です」
「主さま……あなたが、そう言われるのなら。少しでも気分が晴れるように、わたくしも頑張りますわっ」
あんまり張り切られて、暴走したエリスやみゃー姉のようになられても困るのですが。
しかし私は彼女の健気さに心を打たれ、きゅうっと胸が締め付けられます。
同時にこうも思うのです。
愛おしい人々を心配させるぐらいなら、いっそ始末をつけてしまった方が良いのではないか、と。
世界が幸福で満たされても、私が満ちていないのなら意味がありませんから。
母も、父も、そしてかつてのクラスメイトたちもみな――堕として、殺して、それでおしまいにするべきなのでしょう。
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