虚空にのぼる

ユーフォー

初夏 それでも

最高気温31℃と7月初めにしては高い温度の中で私、泉 真優はテニスに打ち込んでいた。毎年夏の全国大会を目指しているテニス部は、ほぼ毎日朝と放課後に練習をしている。私もその部員の1人なのである。

「暑ーい!」「汗やばーい!」
1年の後輩達がダルそうに言っている。私たち2年も去年はこんな感じだった、と思い出す。でも今年は違う。2年生の間では今緊張が張り巡らされている。その理由はもうすぐ引退する先輩方と次期部長·副部長が誰になるのかという事だ。2年生は黙々と練習を続けていた。私は部長などには興味は無いが、他にすることも無く、とりあえずボールを打っていた。

部活が終わったら私たちは更衣室に行って着替える。テニスコートは校舎裏の東門近くにあり、西門近くの体育館横の更衣室までは少し距離がある。私たちは野球部が練習している校庭に沿って更衣室まで歩いて行った。
「泉ー!」
更衣室へ向かっている途中に名前を呼ばれて振り返ると、同じクラスの藤原がいた。藤原は野球部だ。

「何してんの藤原、練習は?」
「ボールを拾いに来たんだけど見つかんなくて」へへっと笑いながら言う藤原。
「野球部って普段の練習ではテニスボール使うんでしょ?これ持っていきなよ。」
ポケットにテニスボールを入れていたのを思い出して渡した。
「サンキュ!やっぱこれって同じやつなんだ!」
「じゃあまたね、返さなくていいから」
「あ、待って…俺さ…もうすぐ練習終わんだけど一緒に帰んね?」 
何だか藤原は明らかに様子がおかしい。

「え、何で?」
藤原の家なんてどこにあるのか、ましてや同じ方向なのかも知らない。
「….」
「…?」
「え、あー、いやいや何マジになってんの?冗談だっての!」
「え、そうなの…。」
「おう…。」
たいして面白くない上に何の為にこんな冗談を言ったのかは知らないが、何でだか微妙な空気になってしまった。
「あ、じゃ。」
「おう…。」
おう…。しか言わない藤原を後に私はまた更衣室へと歩いていった。

更衣室に着くと、もうすでに着替え終わっていた優莉が待っていた。優莉とは中1の時からの仲で、部活が同じで家も同じ方向なのでいつも一緒に帰っている。
「ごめんすぐ着替えるね!」
「ゆっくりでいいよ。それより藤原何だって?」
「え、何かボール探してた。」
「は?それだけ?ふーん…。」
何だかよく分からないが、早く着替えを済ませた私は最後だったため戸締りをして、鍵を戻すため優莉と校舎にある職員室へと向かった。
「優莉ごめん、一番最後になっちゃって。」
「いいっていいって。別に急いでるわけじゃないんだし。」

更衣室から近い西昇降口を使って校舎に入った私たちは、鍵を戻した後にまた西昇降口から出ようとしたら閉められていたので2階の職員玄関から出ることにした。
「真ー優、今帰り?」
「ぅわぁ!」上から声が聞こえてびっくりした。
「…なんだ、素晴君か。」
「素晴先輩久しぶりです。」
「えっと、確か優莉ちゃん。」
「はい!」
素晴君は私の幼なじみで一個上の三年生だ。身長が178cmもある。しかも顔が良いと三年生の間でも評判だ。なぜ二年の私がそれを知っているのかと言うと、私は素晴君に片想いをしていていつも入念、かつ内密に調査しているからだ。ちなみにその事は誰も知らない。
「素晴君こそ今帰り??」
「俺はついさっきまで補習で残ってたの。そんで東昇降口閉まってたからこっち来たわけよ。」
「あーそうそう、私たちもあっち側が閉まってたから。」
素晴君は受験生だ。最近は勉強ばっかりしている。
「素晴君、そんなに勉強して頭痛くならない?」
「あはは! そりゃならないって言ったら嘘になるよ。」
「でも素晴先輩って頭良さそうですよね。高校はもう決めてるんですか?」
「あーそれはまだ。そろそろ決めないとなんだよね~。」
私たちは3人で話をしながら帰っていた。途中、優莉が別れて私と素晴君の二人きりになった。

「素晴君、T高校止めたの?」
「まぁ今となってはね。都内の高校に行くよ。」
「野球はもう本当にやらないんだ。」
「…」
素晴君は7歳の頃から去年まで、ずっと野球一筋だった。素晴君は小4くらいからずっとエースで、これでもかと言うほど上手だったんだ。
中学でも1年生の時からレギュラーのメンバーで、高校だって甲子園に行きたいとT高校を目指していた。
だが、去年の八月に素晴君は試合で右手を痛めた。と言っても小指が折れただけの軽い怪我だった。
それから夏休みが終わるまでの間は素晴君は練習に参加しなかった。みんなまたすぐ復帰すると思ってた。それなのに、新学期になって素晴君は退部届けを出したのだ。素晴君は野球をやめてしまった。何があってもあんなに続けてきた野球を素晴君は一瞬で終わらせてしまった。
私は野球をしていた素晴君が大好き‎だったのに。素晴君だってあんなに楽しそうに野球をしていたじゃないか。
「野球…楽しかったんじゃないの?」
「…その話は、もういいって。」
素晴君はわざとらしくニコッと笑った。
「野球はもう嫌いになっちゃったの…?」
言いながら、なぜだか急に涙が出てきた。涙が溢れて止まらなかった。
「真優…そうゆうの困るよ。」
笑うのをやめて本当に困った顔をして歩き続ける素晴君に、私は涙が余計に出てきた。素晴君、どうしてやめちゃったの。聞きたかったが、聞けなかった。

それから団地に着くまで二人とも無言だった。私と素晴君は同じ団地の同じ6号棟だ。私は4階で、素晴君は3階だけど、素晴君は上まで一緒に歩いてきてくれた。
「じゃあ、またな。」
「うん、ありがとう。…さっきはごめんね。」
泣いた後のぐしゃぐしゃな顔を見られるのはなぜだか嫌だったので、私は顔を上げずに言った。
「俺こそ、真優には心配かけたんだな。…悪かった。」
悪かった、と最後に言った素晴君の声は、いつもより低くてなんだか悲しいというより苦しいような感じだった。そして、うつむいたままの私の頭に手を一回ポンと優しくのせて素晴君はまた階段を下りていった。

素晴君のバカ野郎。根性無しだよ。野球やめないでよ…私は…それでもこんなに素晴君が好きなんだ。

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