結末のわからない恋の物語

出雲沙之介

初めてのちゅう

『着きましたー
どうすればいいですか?』

ある休日、一人個室で寛いでいるところへ、里香ちゃんからのLINE。

私は返事も返さず、直様部屋を出て階段を駆け下りました。

すると、ちょうど階段を上がってこようとする里香ちゃんを見つけ、また里香ちゃんの方も私を見つけ、お互いにっこり笑って手を振ります。

今日は、お互い仕事の休みが重なったことで、初めて職場以外の場所で待ち合わせしました。

なので、とてもドキドキしています。

そういえばコレは初デートということになるんでしょうか?

うーむ

展開次第かなー。

今日は、体がとても硬いという里香ちゃんのために、2週間後に控えたマラソン大会に向けて一緒にストレッチをしようということになりました。

私が、日頃お世話になっている、整体師の次郎氏から教えてもらっているストレッチを、里香ちゃんにも伝授しようと思います。

と、いうのは建前で

何か理由をつけて職場以外の場所で会いたいというのが本音ですが。

そしてやってきたのがカラオケBOX。

くつろぎ空間を追求したのでしょうか、椅子ではなくマットの部屋があるのです。

最近のカラオケBOXはすごいですねぇ。

ここならば座って脚を開くことも可能ですので、ストレッチをするには持って来いの場所ですね。

マットの部屋だなんて、何か他に目的があるんじゃないかって?

やだなぁ、ハハハハ(汗)

だいたい、ドアの一部がガラス張りで外から見えるし、監視カメラとかあるかもしれない中で、変なことしませんよ、ハハハハハ!!

まぁ、里香ちゃんとの付き合いは『一線を越えない』と約束していますからね、あまりそういう事は考えていませんけどね。

妄想はしますけどね(笑)

現実には無しだと思ってます。


『ちゅうしたいな』


先日の里香ちゃんからのLINEを思い出すと、ちょっと自信ないけど…。

ちゅうぐらいいいかな?

ちゅうは一線を越えますか?越えませんか?

あのLINE以来ずっと悩んでいるのですが

自問自答の回答は日毎にバラつきながらも徐々にその比率は高くなり

最初この個室に一人で入った段階で、99.99:0.01ぐらいの割合で『ちゅうは一線を越えない』と出てしまいました。

我慢できるかなぁ…

たぶん…我慢できないだろうなぁ…



さてさて、そんなこと考えているうちに、既に部屋で二人きりの状況があるわけで…

しかも…

「ちょ、里香ちゃん…今日ストレッチするんだよね?」

私はガッツリ気合い入れてジャージで来たのですが、里香ちゃんはちょっと動きやすい普段着で、しかも一見ミニスカートに見えるゆるい短パンにタイツ姿です。

この格好で開脚とか、しかも二人きりの個室でのそれは、絶対何かを誘っていると健全な男子ならば思ってしまいますよ!!

「ちゃんと下にタイツ履いてるから大丈夫ですよ」

と、里香ちゃんは言いますが

タイツ越しでもそのゾーンが見えてしまうのは、気にするなって方が難しいと思いません?私だけですかね?

「男性はいいかもしれないですけど、女ってジャージでこういう所はちょっと無理ですよ」

ふむ

私の知り合いには、こういうところにジャージで普通に来る女性も多いので、あまり服装のことは考えてなかったです。



まぁ、そんなこんなありながらストレッチ開始です。

以前次郎氏に作ってもらったストレッチメニューを見ながら、二人でキャッキャッウフフしながらのストレッチは

しあわせでした

普段、遠く離れた場所で見つめ合うことしかできない環境にいるので、こうして誰の目を気にすることなく会話して、互いに触れ合うことのできる距離にいるというだけで、とてもとてもハピネスな気分になれます。

ただ

仰向けで片脚を抱きかかえて身体を捩るストレッチがあるのですが

その時ばかりは視線のやり場に困りましたが(笑)

それと、テキストとして送るという名目で、ストレッチしている里香ちゃんの写真を撮りましたが

もちろん本当の目的は『里香ちゃんの写真が欲しい!!』に、決まってます。

言い訳なんかしませんよ。だって寂しいですもん。

里香ちゃんは、私のブログやタイムラインに投稿してある、未加工の私の写真を見ているようです。

けど、里香ちゃんはそういったSNSなどに写真をUPしていないようで、LINEのトップ画も風景写真のようなものです。

離れている時間が圧倒的に多いので、なんとかして里香ちゃんの写真を手に入れたいと思っていたところだったので、ここぞとばかりに無駄に写真を撮りまくりました。

ええ、変態と罵られようとも構いません!!

いろいろ我慢してるんだから、このくらいいいでしょう。ねぇ?

誰にともなく言い訳しながら、いい感じの写真も撮れ、もちろん里香ちゃんに送るストレッチのテキストとして使える写真もちゃんと撮れました。

ひと通り終わったところで、カラオケの予約した時間の終了が近づいて来たので、場所を移動しようということになりました。

実はこの日は雨の予報だったのですが、カラオケを出てみると、少し風が強かったですが、空は心地よい晴天でした。

「店長さん、ちょっとお散歩しません?」

「ああ、いいねぇ。どっかいいとこある?」

「はい、ちょっといくと『お宮の公園』ていう大きな公園がありますよ」

里香ちゃんの提案で、ここから車で5分ぐらいのところの『お宮の公園』と呼ばれる大きな公園へ移動することになりました。

公園まではそれぞれの車で別々に移動。

公園に着くと、ちょっとだけ肌寒かったけど、2人並んで歩き出しました。

私の左隣に並んだ里香ちゃんが、さりげなくバッグを右から左へ持ち替えます。

これはもう、多少察しの悪い人でも、『手、繋いで』と言っているようなものだとすぐ分かります。

里香ちゃんの空いた右手を、そっと握ると

「フフフッ」

これまで見てきた中でも最高の笑顔を私に向けてくれた里香ちゃんは、秋空の下に舞い降りた妖精のようで、嬉しくなった私は年甲斐もなく大きく手を振ってみせました。

すると里香ちゃんも、少し恥ずかしそうにしながらも、楽しそうにしてくれました。

手を繋いで歩くことも何年振りか分かりませんが、このものすごくウキウキした感覚は、学生の頃以来ではないでしょうか。

10年以上連れ添った夫婦ともなれば、手を繋いで歩くこともなくなりますし、恋愛もいくつか経験し大人になると、10代の恋愛のように1つ1つのことに対して心が跳ね上がるような純粋さもいつのまにかなくなります。

この時の私は、まるで中学生や高校生の初めての恋愛のような、全てが輝いて見えたあの頃を再現しているような感じで、舞い上がっていました。

なので…

「店長さん、ちょっと恥ずかしい…」

なんて、里香ちゃんに言われちゃったりもしましたが、調子に乗っている私は里香ちゃんに抱きついてみせたりと、大はしゃぎでした。

「ちょ…人が見てる!!」

と、言いながらもそこまで激しい抵抗をしない里香ちゃんも、恥ずかしさ半分、嬉しさ半分かなと、勝手に私は思っていました。

公園に着いた頃、既にお昼を結構回っていたところだったのと、この日は少し気温が低かったので、しばらくして風の強さに冷たさを感じ始め、2人は車へと帰ってきました。

「店長さん、私の車に乗って」

特に断る理由もなかったので、促されるままに里香ちゃんの車に乗り込みます…が

前回の告白の時のことを思い出し、今日も何か起こるんじゃないかという予感が…いや、むしろ期待が膨らみます。

車に乗り込むと、あの時と同じように里香ちゃんが私の手を握ってきます。

あの時と違うのは、私がまったく戸惑いなくその手を握り返していることでしょうか。

さっきまで手を繋いで歩いていましたし、今更里香ちゃんと手が触れ合うことに僥倖すれど緊張はありません。

お互いの手が冷たいせいか、触れた相手の体温を冷たいとは感じませんが、その手を頬に持ってくると、少しひんやりします。

「寒いですね」

里香ちゃんがそう言うので

「そうだね」

と言って、抱き寄せました。

駐車場の、人目につかない所に車は止めてあるので、里香ちゃんもここでは人目は気にしていません。

抱き寄せた私の体に、手を回してきます。

「店長さん、あったかい」

「里香ちゃんも、あったかいし、いい匂いがする」

抱き合えば、互いの顔は横にいて、見えるのは耳から後ろになります。

里香ちゃんの顔が見たかったので、少し身体を離して、また手を繋いだだけの状態に戻ります。

見つめ合い、互いの呼吸を肌と香りで感じ取れる距離。

身体には今の今まで抱き合っていた温もりが、まだそこに相手の体が有るかの如く残っています。

互いの手の動きが、その欲求を表すかのように、肩に触れたり腰に回ったり、また手に戻ってきては指を絡め合ったり

ゆっくりではあるけれど、落ち着くことなく動いています。

「一線…越えちゃダメなんだよね?」

潤んだ瞳で呟く里香ちゃん。

「うん…」

キスは一線ではない

解釈の仕方にもよりますが、例えば欧米では挨拶程度の行動です。

しかし、この状況でそれを言うのは、明らかに言い訳で有ると、40年近い私の経験値が警鐘を鳴らしています。

けど

夕暮れの密室で向かい合い

手は互いの腕や肩や腰に、友人の関係と呼ぶには少しいやらしく触れていて

互いの気持ちもはっきりわかっているこの状況で

逆になぜキスぐらい我慢しなくてはいけないのか

既に思考回路はそのように巡り、先ほどの警鐘も、遠くのお寺で響く夕暮れ時の鐘のように、かえって心地よく響いてしまっています。

そして、それは目の前の愛しい人も同じだったようで

「店長さん…キス、したい?」

最後の判断を私に委ねてきました。

「うん、ものすごくしたい」

もう私の口は、本音を吐き出すことを1ミリも厭うことはありませんでした。

片手を腰に、もう片手で彼女の頭を撫でるように後頭部へと手を回し、そっと引き寄せます。

彼女の視線が私の唇へ向くのを確認し、私も彼女の薄紅の唇を見つめます。

あれだけ葛藤していたのが嘘のように、すんなりと互いの唇が触れ合った刹那

里香ちゃんがスッと下がってしまいました。

え?

それだけ?

そう思っていると、再び短く『ちゅ』と音を立てて、一瞬触れ合います。

それから、数度そのように軽く唇が触れ合うようなキスを繰り返し

目が合った2人は、フフフッと笑い合い

また短く『ちゅ』とキスをしてから

その次は、少し長めのキスをしました。

里香ちゃんは、ディープキスが苦手なのか、あまり絡めようとはしてきませんので、私もはじめのうちは合わせていました。

けれど、何度もフレンチキスを重ねるうちに気持ちが高揚し、里香ちゃんの唇に少し舌先を触れさせたりしていると、里香ちゃんは密着していた身体を押し離して俯きます。

「ダメ…」

ああ、やっぱり深く絡むようなのは嫌なのかなぁ

そう、口にしようとしたとき

「感じちゃう…」

夕暮れの車内

人気のない公園の駐車場

高揚した男と女

これで素直に「ダメ」に従えるでしょうか?



これは、かの有名な三人組の大御所芸人のネタの如く

「押すなよ」と言われたら「押せ」の意味と等しく

「ダメ」と言われたら「ヤレ」と同義語としてしまう思考回路に、スイッチオンするシュチュエーションです。

そこからの私は、おそらく獣のように見えたかもしれません。

唇を、舌を

愛しい人の吐息を

貪るように味わい尽くそうと必死に見えたでしょう。

里香も、抵抗することなくそれを受け入れ

同じように返してきます

時間の感覚が朧げになりそうな頃、里香が少し顔を離し、紅潮した顔を俯かせ漏らす吐息に声を乗せます。

「これ以上は…ホントダメ」

なんで?

欲望を途中で止められたちょっとした苛立ちと

好きな子をからかいたくなる小学生のような悪戯心でそう聞き返そうとする私よりも先に、里香は言葉を紡ぎます

「変になっちゃう」

一瞬、私の理性のブレーカーが落ちそうになりましたが、時間と状況を考慮する大人の一面にそれは寸手のところで食い止められました。

もしこれが、夜まで時間が許してくれる状況であれば、あれほど意識してきた“一線”を簡単に越えてしまったでしょう。

「それは、ちょっとこの状況だとたいへんだねぇ」

悪戯っぽく笑い、理解したフリをし、必死に欲情を抑え込み、もう一度だけ軽く彼女の唇に自分の唇で触れて

そこからは他愛もない会話をしながら、互いの体を愛おしく触れ合い…もちろん、“変になっちゃう”ところには触れずに…残り僅かな2人きりの時間を過ごしました。



「もう、帰らなきゃ」

主婦である彼女は、旦那さんの帰ってくる時間には夕飯の支度をして待っていなければなりません。

夕暮れの空を少し恨めしそうに見つめながら、里香ちゃんは呟きました。

「そうだね…」

そう言って、沈黙する二人。

彼女を困らせるわけにはいかないので「もっと一緒にいたい」という言葉を飲み込み、彼女の目をじっと見つめました。

互いに、自然に顔を近づけて、少し長めのキスをして

「じゃ、またね」

出来る限り冷静を装い

出来る限りアッサリとした言葉で別れました。



もう、本当に後戻りできない

けど、これ以上踏み込むこともできない

背徳の思いと純粋な想いとが、沈み行く夕陽の茜色がドラマのように演出しているようでした。

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