結末のわからない恋の物語

出雲沙之介

「他に誰か行きますか?」

ある平日の朝。

私の家の近所には、大きな川が流れていて、その堤防道路がジョギングコースになっています。

夏が過ぎて涼しくなってきたこの季節は、春と並んでランナーやウォーカーが増えてきます。

毎朝、老夫婦から幼稚園児の団体まで、様々な方がお散歩やジョギングに活用していて、私も週一回の休みの日に走りにきます。

最初はダイエット目的でしたが、アラフォーになった今では、健康のための体力維持が目的に変わってきました。

そして、ジョギングの習慣を維持するために、数ヶ月おきにマラソン大会にエントリーしています。

もちろん、フルマラソンやハーフマラソンなんて無茶はしません。だいたい5kmか10kmでエントリーしています。

ただ、前回まで一緒に出ていた同僚が地元の沖縄へ帰ってしまい、今回は1人で参加かなぁと思っていました。



「あ、店長さんおはよーございまーす」

翌日、休憩時間に休憩室に行くと、里香ちゃんがいました。

「今日も遅番?」

「はい、今月遅番多いんです」

ニコニコ笑ってじっと見てくる里香ちゃん。

なんとなく、視線をそらすことができず、そのままずっと見つめ合うような感じになってしまいました。

「なんですか?じっと見て」

「いや、里香ちゃんがじーっと見てくるから」

「私、じっと見てなんかいないですよ。店長さんが見てくるから私も見てたんです」

「そうか、それはごめんね。今度から気をつけるよ」

「いいですよ、気を付けなくても。今度は私からじっと見ますから」

そう言ってまたニッコリ笑う里香ちゃん。

本当にこの子は何を考えているのかわかりません。

10代や20歳そこそこならば『若いから』のひと言で片付いちゃうんですけどね。

さすがに30過ぎた既婚者の言動としては、理解に苦しみます。

なんとなく気まずいので、正面を避けて斜め前に座り、お弁当を広げます。

「あ、そうだ」

再び見つめ合う空気になりそうな中、ふと思い出しました。

「里香ちゃん、マラソン大会一緒に出ない?」

「はい、いいですよ!!」

おっと、思わぬ即答。

以前からよくご主人と山登りをすると話に聞いていたので、里香ちゃんならいいかなーって思ったのですが。

健康ブームの昨今とはいえ、マラソン大会に誘っても、よほど好きじゃないとなかなかOKしてくれないんです。

「本当?ありがとう」

「他に誰か行きますか?」

「ん?」

あ、そうか。

さすがに2人きりは嫌だよね。

そう思って慌てて話を繕います。

「うん、今んとこ声かけたのは里香ちゃんだけだけど、他にも誘おうとは思ってるよ。けど、ウチのスタッフじゃあんまりそういうの興味ある子いないし、俺の友達はもうみんなオッサンだし(笑)。もしよかったら里香ちゃん誰か友達誘ってもいいよ」

全っ然2人きりで行くつもりないよ!!たくさん誘ってみんなでワイワイする感じで考えてるよ!!

ていうのをアピールしたつもりでした。できてますかね?

「私、友達いないから(笑)」

こんなにお喋りな里香ちゃんが友達いないってことはないでしょうが、女性からよく聞く話で、結婚して地元を離れ、仕事と家事に追われる毎日で友達が減っていくというのは聞いたことがあります。

ましてや里香ちゃんはまだ子供もいないので、ママ友といった繋がりもないんでしょうね。

それでも、私から見た里香ちゃんはとても社交的で人懐っこいので、友達がいないっていうのは無い話だと思いました。

「いやいや、んなことないでしょ。あ、じゃあ旦那さんも一緒に…」

「旦那は仕事ですよ!!」

ずいぶん強い口調で言われました。まだ日付けも言ってないのに…。

「そっか。じゃあまぁこっちで他に声掛けてみるよ」

「はい、わかりました」

里香ちゃんの返事を最後に、少し部屋がシーンとなりました。

他のテナントのスタッフさんもいたのですがみんな出て行き、2人きりの気まずさに私は携帯を出してマラソン大会のサイトを開いていました。

「店長さんの隣行ってもいいですか?」

「ん?いいよ」

里香ちゃんは私の隣に座ると

「手、また触ってもいいですか?」

また私の手を触りたがりました。

箸と携帯で塞がれた私の手を触ろうとは、なんて空気の読めない子なんだと思いましたが、携帯を机に置いて左手を差し出しました。

「いいよ」

私も、女性に触られるという妙な心地よさを覚えてしまったのかもしれません。

早速、以前と同じように揉み揉みしてくる里香ちゃん。

不思議な子です。

「あ、これ見て」

開いていたマラソン大会のサイトを見せて、マラソンの話をしました。

里香ちゃんは走るのは好きだけど、こういう大会には出たことがないそうで、自分のペースも知らないそうです。

私はヘタレなので、5kmで35分ぐらいかかります。

年齢的にも30分ちょうどぐらいで走りたいもんなんですがね。

それを話し、遅かったら里香ちゃん先に走ってもいいからねーとか、話していました。

その間、ずっと彼女は私の手を握っていました。

気が付くと、指を絡めた所謂『恋人繋ぎ』になっていて、こんなとこ人に見られたらなんの言い訳もできないなーと思っていました。

また、いつの間にか所々里香ちゃんから敬語が抜けているのにも気付きました。

心の距離感がだいぶ近付いたようです。

嬉しいような、いけないことのような、複雑な気持ちでした。

その様子にふと思いました。

『他に誰か行きますか?』は、もしかして2人で行きたいのかな…と。

人生で数えられるほどですが、女性の側から告白された経験もありますが、決して自分が女性にモテると言うほど思い上がるつもりはありません。

むしろアラフォーになって、そんなことはもう無縁になったと思っていました。

そこを差し引いても、彼女の謎めいた行為に、普通の人間関係としての好意以上のものがあるのなら…

私は、さっき思いついた誘おうかなと思った人々の顔を、頭の中から消しました。

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