混じり《Hybrid》【新世界戦記】

小藤 隆也

序章 1

  「アキ、いつまでキリンばっかり見てんだよ。兄ちゃん早くホワイトタイガー見たいんだよ」

 キリンの前から動こうとしない弟に、急かす様に兄が言う。

  「うん」

   返事はするが弟は全く動く気配がない。どうやら初めて目にする巨大な動物の迫力に目を離す事が出来なくなってしまった様である。

  「もう兄ちゃん先に行ってるからな。みっちゃん行こうぜ」

  「でも大丈夫なの?ママ達にアキちゃんの面倒みろって言われたのに」

   友達のみっちゃんにそう言われても、この兄はさして気にする様子もなく「アキなら大丈夫だから」と、入場口で貰った園内の案内図を開き、さっさと歩き始めてしまった。

   仕方なく後ろを気にしながらみっちゃんも歩き始めた。

   少しずつ距離が開き、弟の姿が小さくなってきた。すると弟はキリンから目を離し、こちらに向かって小走りで向かって来た。
   先程まであれ程固執していたキリンの存在などまるでなかったかの様な表情である。

   この弟にとって兄は何にも代え難い存在で、いつもこの様について回っていたのである。
   兄の方でもその事をよく心得ていて、必ずついて来ると確信していたのだ。


   アース暦2020年5月5日の事である。仕事ばかりであまり構ってあげられない子供達の為に、母親が友人のサトミ親子も誘って動物園に遊びに来たのだ。

   普段はとても優しい母なのだが、お出かけとなると何故か途端に口やかましくなる。
   今日も行きの電車から動物園に着くまでの間、やれ騒ぐな、走るなだの、これを飲みなさい、帽子をちゃんと被りなさいだのと、忙しなく子供達の面倒を見ていた。


   アース暦2020年の5月というと、この家族の住む日本国で開催されるオリンピックというアース全土を熱狂させる総合スポーツ大会を数ヶ月後に控えていた。

   各地で様々なイベントが便乗するかたちで開かれている。この動物園でもいくつかのイベントが行われていた。
   しかし、いざ到着してみると当の子供達は動物達に夢中で、それらのイベントなどそっちのけである。

   朝からの気疲れと自ら企画したイベント中心の行楽が企画倒れになりそうな失望感とで疲労した母親は、着いて早々に「お母さんはちょっと疲れちゃったから、あんた達で好きに見て回って来なさい。お母さん達は、この池の近くで休憩してるからね」と言い放ち、友人のサトミとベンチに腰を下ろしてしまったのである。


   さて、ここでこの家族について少し語っておこう。
   家族は日本国のサイタマと言う所に住んでいた。

   四人家族で、祖母・母親・兄・弟の四人である。
   姓はイイダといい兄の名はテツヒロ。弟はアキツグ(アキヒロという説もあるが、この小説ではアキツグ説を採用しています)という。

   祖母と母親に関しては余り文献等が残っておらず、名前もわからない。
   父親に関しても詳しくはわからないが、アキツグが生まれて直ぐに亡くなったというのが有力な説である。
   それというのもこの祖母はどうやら父方の祖母であった様で、離婚というのは考えづらいからである。

   母親は、昼間は建築系の会社の事務で働き、夜はスナックでお酒の相手をしていた。
   父親も建築系の仕事をしていた様なので、或いはこの会社で働いていたのかもしれない。

   兄のテツヒロは8歳、弟のアキツグは5歳である。母親の働きもあり裕福ではないが、多少は余裕のある生活だった様だ。
 祖母は身体があまり丈夫ではなかった様で、毎日、兄弟の面倒をみるわけにはいかず、幼い兄弟は保育園に預けられるのが普通だった。

   兄弟二人共に明るい性格で、保育園でも兄はリーダー的存在であり、弟の方も年下の子の面倒をよくみる優しい子であった。
   もっとも弟は赤ん坊の頃から保育園に預けられていたため、自分も兄や年長者から面倒みてもらっていた為、自然と身についた優しさだったのだろう。
  

   母親の友人であるサトミ親子についても少しふれておこう。サトミは母親の学生時代からの友人である。

   家族構成等はわからないが、兄弟の保育園の話にみっちゃんは登場しない事から片親ではなかったと思う。

   さて、そのみっちゃんだが、みっちゃんはみっちゃんである。正確な名前はわからない。

   サトミは、母親の勤めるスナックの近くで居酒屋の女将をしていた。
   兄弟はよくここで面倒をみてもらっていて、夕食は毎日のようにみっちゃんと一緒に三人で食べていた。

   三人はここのお客さん達のある種のアイドル的な存在でもあった。

   お客さん達の間でもみっちゃんの呼び名は一様にみっちゃんであり、幼かったアキツグはみっちゃんの本名を本当に知らなかった。


   話を動物園に戻そう。
   三人は白い虎の前にたどり着いていた。

  「すげぇ。カッコイイ。本当に真っ白だ」

  「すごいねテッちゃん。超カッコイイ」

   テツヒロとみっちゃんが目を輝かせて感嘆の声をあげている。
   アキツグはキリンの巨大な存在感とはまた別の圧倒的で強烈な威圧感に、又しても動けなくなってしまっていた。
   しばらくはホワイトタイガーを見つめ続けていたアキツグだったが、不意にその心に、なんとも言えない恐怖心が襲い掛かってきた。

  「テツ兄ちゃん」

   アキツグは一言小さな声を漏らすとテツヒロの影に隠れてしまった。だが、視線はホワイトタイガーから離す事は出来ない。

  「なんだよアキ。怖いのか?大丈夫だよ、こっちに来れるわけじゃないんだから」

  「怖くなんかないよ。わかってるよ」

   アキツグは、そう言って虚勢を張ってはみたものの、恐怖心は拭えなかった。

   あらいは将来、この獣と対峙する事になる運命を、感じ取っていたのかもしれない。

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