「最強」に育てられたせいで、勇者より強くなってしまいました。

烏賊月静

第三章 第百二十一話 恥

 朝、俺は猛烈な吐き気と共に目を覚ました。身体が重く、頭痛も酷い。完全に二日酔いだ。昨日の夜、羽目を外して飲み過ぎたのだ。そのせいで楽しかったはずのひとときの記憶がほぼ抜け落ちてしまっている。なんだかずっと気分が良かったことと、やたら美味い串を食べていたという断片的な記憶はあるが、それ以外の仲間と交わした会話や自分の振る舞いについては何も思い出せない。後で一緒にいた面子に確認を取ろうとは思うが、何かとんでもないことをやらかしてしまっているのではないかと考えると気分が晴れなかった。まぁ、そもそも体調が悪すぎて気分が晴れるわけないのだが。

「あら、スマル。起きたの」
「あぁ、おはようベネッサ……」

 頭を押さえながら身体を起こすと、すぐ隣からベネッサの声が聞こえた。どうやら俺と同じベッドに入っていたらしい。俺はその状況を少し疑問に思ったが、そんなこともあるだろうと気に留めない。だが、掛け布団を取り払い、自分がパンツ一丁であることを認識した瞬間、俺の頭は急激に冷えていくような感覚に見舞われた。隣を見ると寝転がるベネッサも同じように下着姿で、こちらを上目がちにのぞき込んでいた。その潤んだ瞳が俺の頭をさらに冷やしていく。最早二日酔いの気持ち悪さなどない。ただやってしまったという純粋で強烈な焦燥感が全てを塗りつぶした。

「……昨日は、その、楽しかったね」
「ええ、そうね。私も楽しんだけれど、特にスマルは楽しそうだったわ」

 雑に探りを入れる俺に柔らかく微笑むベネッサ。普段なら美人だとか可憐だとか、そんなことを思わせるような笑みが、今は怖くて仕方がなかった。それに、俺が特に楽しんでいたというのも、昨晩はお楽しみでしたね的なことを言われているようで恐ろしかった。一体、俺は昨晩何をしてしまったのだろうか。忘れていることを正直に白状して教えてもらうのが良いのだろうか。

「ああ、本当に、楽しかったよ。みんなと美味しいものを食べて、酒を飲んで、騒いで、それから……えーと、そう言えば他のみんなは今どこに?」
「あら、もしかして忘れてしまったのかしら? 他のみんなは気を利かせて隣の部屋に行っているというのに」

 気を利かせて、とは何のことだろうか。俺が何をしようとしたところで気を利かせたと言うのだろうか。ベネッサの笑みが少しだけ艶やかな雰囲気を帯びる。その先には認めたくない現実が待っているような気がした。

「……ごめん。実はどうやって宿まで帰って来たのかも、その後何があったのかも覚えてない……」

 消え入りそうな声で俺は謝る。こういう時はとにかく謝罪だ。何をやらかしてしまっていても、謝らないよりは謝った方が良い。素直に何があったのかを聞いて、それから対応を考えるべきだ。

「そう……。あんなに激しく求めてくれたというのに、覚えていないのね……」
「激しく、求めた……?」

 予期していた最悪の事態。それを示す言葉を受け止めきれず、俺は真実を確かめるように聞き返す。

「そうよ。覚えていないのは残念だけれど、スマルは屋台で私がいかに魅力的であるかを熱弁して抱き着いてきたのよ? 流石にこれ以上飲ませてはいけないと思ってみんなで帰ってきたけれど、その後もずっと私に引っ付きっぱなしで……」
「そ、そんなことに、なってたのか……」

 身体を抱いて煽情的に揺れるベネッサが、熱のこもった眼差しを向けてくる。その熱とは裏腹に、俺の頭は今までに経験したことのないレベルで冷え切っていた。幻の寒さに体が震え、寒いはずなのに汗が止まらない。

「しかもわけの分からない複雑な魔法陣が描かれたかと思ったら、抱き着いたままなのに二人の服が脱がされていたのよ。みんなはそこで察して隣の部屋に逃げて行ったわ。その後は……分かるでしょう?」
「あ、あぁ……。まさか魔法陣まで取り出しているとは思ってなかったが……」

 恐らく、お互いの下着を除いた衣類だけを空間魔法で転移させたり、収納空間アイテムボックス的なものの中にしまったりしたのだろう。そこまでして服を脱がせたかったことにも驚きだが、それができるのに下着は残しておくところが気持ち悪い。自分でそう思った。

「流石に奴隷の刻印の強制力は使われなかったけれど、そもそも一度逃げようとして捕まっている身としては、どうしようもなかったわ」
「それは、本当にごめん……」

 どう弁明することもできず、俺はただただ頭を下げる。力を持つ者は、その力の使い道、使いどころを考えなくてはならない。これはヴォルムに教わったことだが、教わるまでもなく俺もそう考えていた。だが、今回俺は我を忘れて、強引にベネッサに迫った。これはパーティリーダーとして、奴隷の所持者として、そして人として、あってはならないことだ。許しを請おうとは思わない。ベネッサには残るも去るも、好きにしてもらおう。
 そう決めた時、下げ続けていた俺の頭に手が乗せられた。それから、その手が俺の頭を優しく撫でるようにゆっくりと動いた。

「大丈夫。そんなに思い詰めなくても、私は傷ついたりはしていないわ」

 優しく囁くような声に、緊張し冷え切っていた心がほぐされる。と、同時に、これだけのことをしでかした俺を気遣って声を掛けてくれるベネッサをとんでもなく寛大な人間だと思った。俺は顔を上げ、その優しさで溢れた顔を見つめる。数秒間見つめ合い、心地良い静寂が流れた。次の瞬間、慈愛に満ちたベネッサの表情が、堪えていた笑いを我慢できなくなった時のように歪んだ。

「…………え?」

 思わず俺は声を漏らす。なぜ彼女は笑っているのか。今のやり取りのどこに笑える要素があったのか。それとも俺がそれほど酷い顔をしているのだろうか。何一つとして分からず、困惑が頭の中に広がった。
 それを説明するように、ベネッサが口を開く。

「ぷふっ、そんな縋るような顔して、これじゃあどっちがご主人様か分からないわね」
「え? は? どういうこと?」

 彼女が笑っている理由は分かった。俺が酷い顔をしているのだろう。だが、それにしたってこんなに笑えるだろうか。口では傷ついていないと言っていても、本当はどこかで辛い思いをしているはずなのに。

「心配しなくても、本当に傷ついたりはしてないわよ。スマルが考えているようなことは起こっていないんだもの」

 俺が考えているようなこと、つまり、ワンナイトなラブ的なあれこれはなかったということで、ただ俺は酔い潰れてからかわれているだけということで、今までの話は全部嘘ということになるのか?

「え、じゃあ、何だ。俺はベネッサに何もしてないし、屋台で醜態を晒してもいないってことか……?」

 恐る恐る確認を取ると、ベネッサはにっこりと今まで見た中で一番深い笑みを以って答えとした。それを肯定と取った俺は全身から力が抜けていくような感覚に陥る。極度の緊張から解き放たれ、涙が出たほどだ。圧倒的安堵。ただ良かった、それだけが全てだった。

「スマル、喜んでいるところ悪いのだけれどね、私に何もしてないわけではないし、醜態を晒していないわけでもないのよ?」
「…………ほぇ?」

 思考が完全に停止し、間の抜けた声が出る。少し困ったような表情のベネッサが、はぁと溜息を吐いた。

「こうして下着姿で同じベッドにいるのはからかっているからではないの。服を脱がされたところまでは事実よ。ただ、その後すぐスマルが眠っちゃって、それでも私から離れなかったからこうして朝になるまで仕方なく一緒に寝ていたってわけ。分かった?」

 俺は今の説明をゆっくりと噛み砕く。夜のあれこれはしていないからベネッサが傷ついていないのは事実。ただ、屋台で醜態を晒していたことや、服を剥ぎ取りパーティメンバーが察して隣に逃げたのも事実。耐え難い、信じ難い、だが、それは紛れもなく真実だった。

「この度は多大なるご迷惑をお掛けしまして、誠に申し訳ありませんでした」
「なんか変ね」

 俺は普段使わない敬語を持ち出し、土下座で最上級の謝意を示した。


===============


「いやぁ、何ともなかったみたいで良かったニャ!」
「クソ、イラつく顔してるけど強く言えない……」

 それから俺たちは宿の人たちにも挨拶を済ませ、街の端、門の前まで来ていた。その間ずっとパーティメンバー――主にカーシュからからかわれていたが、迷惑を掛けたという自覚があるため、強く言い返すことができなかった。ぐぬぬ、と歯を食いしばってカーシュをぶん殴ってやりたい衝動を堪えていると、俺の右腕に柔らかいものが押し付けられた。独特の圧迫感に驚きそちらに目をやると、そこには俺の腕に抱き着き、胸を押し当てるベネッサの姿があった。

「ひゅー! お熱いねぇ!」
「やっぱりそういう関係だったんじゃない」
「若くて良いねぇ、兄ちゃん」

 見送りに集まっていた人たちからも囃し立てるような声が上がる。その中には見知った顔が多く、屋台の男や話したことのある冒険者、利用した店の従業員などが見えた。その様子を見るに、昨日俺が何をやらかしたのかは既に周知の事実らしい。恥ずかしいことこの上ない。
 こうして集まって見送りに来てくれるのはありがたい。俺がここで築いた関係が本物であったと認識できるからだ。だが、それにしたってこの空気は良くない。こんな締まりのない門出なら見送りなんてない方がましだ。ふつふつと湧き上がる苛立ちが、徐々に抑えられなくなってくる。そして、ベネッサを振りほどいた俺を何か言いたそうな顔でニヤニヤと見てくるカーシュが決め手となって、遂に我慢の限界に達した。見せしめとしてカーシュの頭に思いきり拳骨を落とす。

「クソ! 見世物じゃねぇぞ! こんな街二度と寄ってやらねぇからな!」

 フンフンと鼻息荒く、俺は街の外へ出て行く。一拍遅れてパーティメンバーが付いて来た。

「なんでボクだけ殴られなきゃいけないニャ~」

 カーシュは涙目になっている。だが、謝ってやるつもりはない。むしろ俺に謝って己の行いを悔い改めろと言いたい。しかし、街の人たちには八つ当たりしたような形になってしまった。折角見送りに来てくれたのに、こんな別れにはしたくない。そこで、俺は紙に「見送り嬉しかった。ありがとう」とだけ書き、門の中へと転移させた。

「ははっ、素直じゃないなぁ! 兄ちゃん」

 数秒後に屋台の男の声が響き渡ったが、俺は一度も振り返らなかった。


これにて第三章は終わりとなります。
ありがとうございました。
今回が既に閑話っぽいノリの話でしたが、通例通り閑話を二話挿んで第四章へと移って行こうと思います。
今後もよろしくお願いします。

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