「最強」に育てられたせいで、勇者より強くなってしまいました。

烏賊月静

第三章 第九十四話 宿にて

 貰った串焼きを食べながら歩くことおよそ十分、俺とフォールは宿の前まで来ていた。
 今日は色々あって疲れたが、これでやっと休むことができる。そう思って中へと入った。

 外から見ても特に変化はなかったが、ここは魔物の被害には遭わなかったようで、中も昨日までと同じような穏やかな空気が流れていた。
 受付の男も外で何があったのか知っているのか怪しいくらいに平然としている。
 恐らくは知っている上で普段と変わらない接客をしようというプロ意識なのだろうが、あれだけのことがあって被害に対する負の感情も魔王軍を退けた喜びも見えないというのは少し気味が悪かった。
 特に受付に用はないし、見ていて気分の良いものでもなかったので、俺は泊っている部屋へと足を進めた。

 部屋の中も当然のように朝出て行った時と同じ様子で、この街が戦争に巻き込まれたというのが夢であったかのように思えてくる。
 モミジもユキも、隣の部屋にいるのではないか、ノックしたら何事もなかったかのように出てきたりはしないか、あり得ないとは分かっていても、頭はそんな希望を抱いてしまう。
 その希望を振り払うように俺は頭を振り、一旦部屋の外に出て隣の部屋の扉を叩いた。
 コンコンッ、と木の扉が音を鳴らす。
 だが、それ以上の音――部屋の中からの返事などはなかった。
 二人はもうここにはいないのだ。
 だが、今ここに来た理由はまさにそれだった。
 二人はいない。なら、この部屋を取っておく必要もない。
 後で受付にその旨を伝えに行くのだが、その前に部屋の中の私物を回収しておかなければならない。
 鍵はモミジが持っていて手元にはないので、正直疲れてはいるが、少しだけ回復していた魔力を使って鍵を作り、開けることにする。
 使うのは土属性魔術。魔力を流し込んで型を取り、その通りに金属を生成するのだ。
 これだけ聞くと魔術師は鍵開け放題のように思えるかもしれないが、まず普通の魔術師では魔力を自在に放出したりその形を記憶したりすることができないので、俺やヴォルム他、相当な魔力操作技術を持っている人物を相手にしない限り鍵は有効な防犯手段である。
 とは言え、部屋の前で魔術を使っていたら怪しいことには変わりないので、誰かに見られるとまずいことになる。
 パーティメンバーの部屋だと弁明することはできるが、それがどこまで通用するのか分からないし、そもそも宿のものに勝手に魔術を使うというのはどう考えてもアウトだ。
 最悪牢屋に入るなんてことになりかねない。
 俺はできる限り早く、鍵を生成して部屋の中に入った。

 こっちの部屋には初めて入ったが、見たところ俺とフォールが泊っている部屋とそっくり同じ構造をしているようだった。
 唯一違うのが、私物の場所。
 俺たちのパーティは基本的に俺が収納空間アイテムボックスで荷物を運んでいたが、お金や日用品などの使用頻度が高くいちいち取り出すのが面倒なものは鞄や袋に入れて持ち歩いていたのだ。
 この部屋には二人が使用するタオルや軽食が入った袋が置いてある。
 俺はその袋を手に取り、収納空間アイテムボックスに入れる。
 普段は持つ荷物が少なくて楽だ、便利だと思っていたが、今はたったこれだけで誰でも泊まれるようなまっさらな部屋になってしまうのが寂しく思えた。

 一応ベッドや椅子の上に何か残っていないかを確認して、俺は受付に向かった。

「部屋の予約を取り消したいんだが、良いだろうか」

 俺の声に反応して受付で何か作業をしていたらしい男が顔を上げる。

「ではお名前と部屋番号をお願いします」
「スマルだ。部屋番号は三の四」

 そう伝えると男は宿帳から俺の名前を探し出し、予約の確認をした。

「二人部屋で、銀貨四枚……四日分の料金を頂いていますね。ここから規定のキャンセル料――一人一日につき銅貨一枚を引いた金額を返金することになりますがよろしいでしょうか」
「ああ、問題ない」

 俺が返事をすると、男は銀貨三枚と銅貨二枚をトレーの上に乗せ、こちらに差し出した。

「ご確認ください。それと、鍵がありましたら返却をお願いします」

 俺はトレーの上のお金を数えながら、懐からさっき作ったばかりの模造品の鍵を取り出した。
 本物の鍵は失くしてしまったが、それを言うと新たな鍵を作るのに金がかかったり面倒だ。
 悪いことをしている自覚はあるが、今これ以上負担がかかるのは避けたい。
 俺は何も言わずお金を路銀入れに突っ込み、再び部屋に戻った。

 これで今日、俺がやらなければならないことは全て終わった。
 後は寝るだけで良い。
 そう思うと、段々と眠くなってくるような気がした。
 俺は自然と降りてくる瞼を擦りながら、収納空間アイテムボックスから生肉を取り出す。
 それを皿に乗せフォールに与えると、フォールは嬉しそうにそれを食べた。
 こんなに嬉しそうにして、この狼は、モミジとユキがここにいなくなってしまったことを分かっているのだろうか。
 不意にそんな暗い考えが頭をよぎる。
 フォールも消えた二人と同じように大切な仲間なのにだ。
 こんなことを考えてしまう自分が嫌になってくる。

 これは思っていた以上にダメージを受けているのかもしれない。
 考えれば考える程ぐちゃぐちゃになっていく頭に、感情がついてこない。
 串焼きを貰った時はあんなに穏やかだったのに、二人のことを考えるだけで落ち着いていられなくなる。

「すぅ……はぁ……」

 深呼吸をしてみるが、これといって効果があるようには思えない。
 フォールの咀嚼音しかしない静かな部屋で、いつもより早く打つ鼓動の音が更に俺を焦らせた。

 こうなったら、寝るしかない。
 俺はベッドに腰かけて、再び深呼吸をした。
 色々と考えこむせいで不安になるのだったら、思考する脳を動かさなければ良い。
 そのためには早く寝てしまうのが一番だ。
 片付けのためにフォールが食べ終わるのを待つが、その間も俺は目を閉じて穏やかな呼吸を心がけた。
 数分経ってどのくらい食べ進んだかと目を開けた時、ふと頭にいつか聞いたモミジの声が反響した。

「ちゃんと身体拭いて寝るのよ?」

 確か俺はこれを聞いた時だいぶ寝ぼけていたはずだが、頭の中の声はとてもクリアーに聞こえた。
 今すぐに寝ようとしている自分を叱るような声音と口調。
 無意識の内に、俺は涙を流していた。
 そして、前は結局言うことを聞かないで寝てしまったことを思い出す。

「……分かったよ」

 誰にも聞こえないような、小さな声で返事をして、俺はタオルを取り出す。
 身体を拭く間も涙は流れ続け、俺が眠りに就けたのはそれから一時間以上後のことだった。

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