「最強」に育てられたせいで、勇者より強くなってしまいました。
第一章 第十七話 代償
気が付くと、俺は血を流すイチョウの前に立ち尽くしていた。
さっきまでおかしな空間にいたはずなのだが、いつの間にか――それはもうあの空間にあったものと同じように、曖昧な境界を越え――元の場所に戻ってきていた。
一体あれは何だったのか。
それはとても気になることではある。
だが、イチョウを見るとそんなことは言っていられない。
これまた不思議なもので、イチョウから噴き出す血の勢いは俺が変な引き金を引いた時よりいくらか強くなっていて、つまりそれはイチョウの体内の血液量が増えたことを意味している。
『癒し』を司るという神様――ヨロウが何かしたのか。
はたまた神様パワーか何かで時間を巻き戻したのか。
いずれにせよ、単純に帰ってきたというだけではなさそうだ。
タイムリミットが延びた今なら、イチョウを救うことができる。
しかし困ったことに、ヨロウが貸してくれているはずの力とやらの使い方が分からない。
うっかり代償のことを言い忘れていたようだが、それより先に発動できないのでは話にならない。
これも引き金を引くだけで使えるなら簡単で良いのだが……。
イチョウの出血は勢いを取り戻していたとはいえ、放っておいたら死んでしまうことには変わりない。
今はまだ大して衰えているようには見えないが、俺が試行錯誤している暇はなさそうだ。
とりあえず、慣れている引き金を想像してみよう。
俺は拳銃を構えるならこんな感じかな、と両手を前に突き出してみた。
すると、その手の中にフワフワと光が集まってきて、一瞬強く発光したかと思うと拳銃の形になった。
これが想像――もとい創造ってやつか。
そんなくだらないことを考えながら、今日は短時間で何度も引き金に指をかけているな、なんてことも考えた。
きっとこのまま指を引けば、イチョウは回復するのだろう。
神様の力で、むしろ怪我をする前よりも調子が良いくらいに回復するのだろう。
それは喜ばしいことだ。
俺が望んでいたことだ。
できると分かった以上、今すぐやるべきことだ。
しかし、俺の指はそれが分かっていても、震えるだけで動こうとしなかった。
何せ、人の命が係っているのだ。
助かる見込みのないような、瀕死の状態から元通りに治すというのだ。
本当に、これで治るのか。
代償として、何を要求されるのだろうか。
あっさり発動できそうだが、これは罠ではないのか。
よく考えれば、と猜疑心がどんどん大きくなっていく。
それは自分では止めることができない。
というより、自分自身で大きくしている。
そして何より、代償として何を要求されるかが怖かった。
俺は既に一度、命を失っている。
それに際して家族や、世界というものも失ってしまったようなものだ。
だから、大切なものを失うことの辛さを知っている。
知ってしまっている。
恐怖は常に無知から生まれる、なんて言った人がいるみたいだけど、俺の場合はその逆。
知っているからこその恐怖だ。
命やそれに準ずるものを失うとは思えないが、人間を「矮小な存在」と言い切ってしまうような存在に、自分はそれ以外に何を差し出せるだろうか。
こうして胸の中を埋め尽くし、なお膨らみ続ける猜疑心と恐怖心は、遂に一度は構えた拳銃をなかったことにしてしまう。
手からするりと抜け落ちたそれは、地に着く前に霧散し、跡形もなくなってしまった。
「ハァ……ハァ……ハァ……!!」
俺の呼吸は乱れ、冷や汗で身体中を濡らし、手足は震えて言うことを聞かなくなっている。
イチョウの様態を確認しなくてはならないのに、上手く焦点が合わせられない。
これでは、折角力を手に入れたのに、イチョウを助けることができない。
それは、嫌だ。
でも、怖い。
反発し合う二つの意志がごちゃ混ぜになり、構えては腕を下ろし、腕を下ろしては構えるという動作を何回もした。
当然のように時間は過ぎていき、たまに視界がはっきりした時に見た限りでは、段々とイチョウから出る血の勢いは弱くなっているように見えた。
わざわざ危ないかもしれない力を使う必要はないと言われてしまうと、確かにその通りなのだが、ここまで来て逃げ出すという選択肢は俺の中にはない。
最終的に力を使うことは確定事項なのである。
残された時間が少ない以上、早く覚悟を決めてしまわなければならない。
「どうせやるんだ……いつやっても同じだろ……。なら、今すぐ……!」
そこで俺は、自分に言い聞かせるように、奮い立たせるように言葉を並べた。
「腕を上げて、構える。拳銃を、創造する。狙いを、定める」
自己暗示を続けて、声に出した通りの動きをする。
だが、震えが止まらず照準が合わせられない。
「震えは、そのままで良い。撃てば当たる。あとは……指を引くだけ」
依然として震えは止まらない、どころか強くなっている。
頭が痛いし、フラフラする。
視界はあってないようなものだし、耳鳴りが酷い。
精神的ダメージのせいで、外傷があるわけでもないのに満身創痍である。
だがそれでも、今度は指に力がこもった。
ほんの少しずつではあるが、引き金が動いている。
どこまで引けば発動するのかは分からないが、きっとあと十秒もないだろう。
これなら――
――カチッ。
そんな音が聞こえたその時である。
拳銃の先から光る弾丸が、射出され、イチョウに向かって飛んでいった。
狙いなんてものをどうこうできるような状態ではなかったため出鱈目に撃ったのだが、弾丸はイチョウの首元に吸い込まれるようにして着弾した。
未だに震えている足を引きずって、イチョウのもとへ行く。
恐る恐る首を見ると、そこにあったはずの傷は綺麗に消えていて、当然出血も止まっている。
あれだけ血を流したのに顔色も健常者のそれだ。
無事に、治せたようだ。
「良かっ……た……」
俺はそこまで見ると、極度の緊張状態から解放されたせいか、はたまたこれが代償なのか、その場に倒れ込んで意識を失った。
===============
俺もイチョウも、翌日ベッドの上で目を覚ました。
ヴォルムに聞きたいことがいくつかあったが、聞きだせないまま五日間。
魔術の授業を受けたり、年少組と遊んだり、みんなで食卓を囲んだり。
とにかく普通の日常生活が送れたわけだが、喜ぶべきか否か、代償として失ったようなものは特に見当たらなかった。
予告通り、来週は更新はお休みさせていただきます。
最近更新少なめですみません。
再来週からはしばらく安定すると思います。
さっきまでおかしな空間にいたはずなのだが、いつの間にか――それはもうあの空間にあったものと同じように、曖昧な境界を越え――元の場所に戻ってきていた。
一体あれは何だったのか。
それはとても気になることではある。
だが、イチョウを見るとそんなことは言っていられない。
これまた不思議なもので、イチョウから噴き出す血の勢いは俺が変な引き金を引いた時よりいくらか強くなっていて、つまりそれはイチョウの体内の血液量が増えたことを意味している。
『癒し』を司るという神様――ヨロウが何かしたのか。
はたまた神様パワーか何かで時間を巻き戻したのか。
いずれにせよ、単純に帰ってきたというだけではなさそうだ。
タイムリミットが延びた今なら、イチョウを救うことができる。
しかし困ったことに、ヨロウが貸してくれているはずの力とやらの使い方が分からない。
うっかり代償のことを言い忘れていたようだが、それより先に発動できないのでは話にならない。
これも引き金を引くだけで使えるなら簡単で良いのだが……。
イチョウの出血は勢いを取り戻していたとはいえ、放っておいたら死んでしまうことには変わりない。
今はまだ大して衰えているようには見えないが、俺が試行錯誤している暇はなさそうだ。
とりあえず、慣れている引き金を想像してみよう。
俺は拳銃を構えるならこんな感じかな、と両手を前に突き出してみた。
すると、その手の中にフワフワと光が集まってきて、一瞬強く発光したかと思うと拳銃の形になった。
これが想像――もとい創造ってやつか。
そんなくだらないことを考えながら、今日は短時間で何度も引き金に指をかけているな、なんてことも考えた。
きっとこのまま指を引けば、イチョウは回復するのだろう。
神様の力で、むしろ怪我をする前よりも調子が良いくらいに回復するのだろう。
それは喜ばしいことだ。
俺が望んでいたことだ。
できると分かった以上、今すぐやるべきことだ。
しかし、俺の指はそれが分かっていても、震えるだけで動こうとしなかった。
何せ、人の命が係っているのだ。
助かる見込みのないような、瀕死の状態から元通りに治すというのだ。
本当に、これで治るのか。
代償として、何を要求されるのだろうか。
あっさり発動できそうだが、これは罠ではないのか。
よく考えれば、と猜疑心がどんどん大きくなっていく。
それは自分では止めることができない。
というより、自分自身で大きくしている。
そして何より、代償として何を要求されるかが怖かった。
俺は既に一度、命を失っている。
それに際して家族や、世界というものも失ってしまったようなものだ。
だから、大切なものを失うことの辛さを知っている。
知ってしまっている。
恐怖は常に無知から生まれる、なんて言った人がいるみたいだけど、俺の場合はその逆。
知っているからこその恐怖だ。
命やそれに準ずるものを失うとは思えないが、人間を「矮小な存在」と言い切ってしまうような存在に、自分はそれ以外に何を差し出せるだろうか。
こうして胸の中を埋め尽くし、なお膨らみ続ける猜疑心と恐怖心は、遂に一度は構えた拳銃をなかったことにしてしまう。
手からするりと抜け落ちたそれは、地に着く前に霧散し、跡形もなくなってしまった。
「ハァ……ハァ……ハァ……!!」
俺の呼吸は乱れ、冷や汗で身体中を濡らし、手足は震えて言うことを聞かなくなっている。
イチョウの様態を確認しなくてはならないのに、上手く焦点が合わせられない。
これでは、折角力を手に入れたのに、イチョウを助けることができない。
それは、嫌だ。
でも、怖い。
反発し合う二つの意志がごちゃ混ぜになり、構えては腕を下ろし、腕を下ろしては構えるという動作を何回もした。
当然のように時間は過ぎていき、たまに視界がはっきりした時に見た限りでは、段々とイチョウから出る血の勢いは弱くなっているように見えた。
わざわざ危ないかもしれない力を使う必要はないと言われてしまうと、確かにその通りなのだが、ここまで来て逃げ出すという選択肢は俺の中にはない。
最終的に力を使うことは確定事項なのである。
残された時間が少ない以上、早く覚悟を決めてしまわなければならない。
「どうせやるんだ……いつやっても同じだろ……。なら、今すぐ……!」
そこで俺は、自分に言い聞かせるように、奮い立たせるように言葉を並べた。
「腕を上げて、構える。拳銃を、創造する。狙いを、定める」
自己暗示を続けて、声に出した通りの動きをする。
だが、震えが止まらず照準が合わせられない。
「震えは、そのままで良い。撃てば当たる。あとは……指を引くだけ」
依然として震えは止まらない、どころか強くなっている。
頭が痛いし、フラフラする。
視界はあってないようなものだし、耳鳴りが酷い。
精神的ダメージのせいで、外傷があるわけでもないのに満身創痍である。
だがそれでも、今度は指に力がこもった。
ほんの少しずつではあるが、引き金が動いている。
どこまで引けば発動するのかは分からないが、きっとあと十秒もないだろう。
これなら――
――カチッ。
そんな音が聞こえたその時である。
拳銃の先から光る弾丸が、射出され、イチョウに向かって飛んでいった。
狙いなんてものをどうこうできるような状態ではなかったため出鱈目に撃ったのだが、弾丸はイチョウの首元に吸い込まれるようにして着弾した。
未だに震えている足を引きずって、イチョウのもとへ行く。
恐る恐る首を見ると、そこにあったはずの傷は綺麗に消えていて、当然出血も止まっている。
あれだけ血を流したのに顔色も健常者のそれだ。
無事に、治せたようだ。
「良かっ……た……」
俺はそこまで見ると、極度の緊張状態から解放されたせいか、はたまたこれが代償なのか、その場に倒れ込んで意識を失った。
===============
俺もイチョウも、翌日ベッドの上で目を覚ました。
ヴォルムに聞きたいことがいくつかあったが、聞きだせないまま五日間。
魔術の授業を受けたり、年少組と遊んだり、みんなで食卓を囲んだり。
とにかく普通の日常生活が送れたわけだが、喜ぶべきか否か、代償として失ったようなものは特に見当たらなかった。
予告通り、来週は更新はお休みさせていただきます。
最近更新少なめですみません。
再来週からはしばらく安定すると思います。
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