壊れた世界と魔法使い

シロ紅葉

誕生

   これは――数多の人々を襲った幾つものの悲劇。
 その一端で戦った、少女たちの記憶を少しばかり紐解いた物語である。


 三年前。
 四十二区。そう、当時は呼ばれていた。
 商業が発展しており、誰もが成功を収めようと日々躍起になっていた。外壁周りに多数の金持ちの家が建ち並び、中心地には破産した者や金を持っていない貧しい者が住み着き、貧富の差がある区画だ。
 その間にまるで境界を引くかのように店が建ち並び、貧しいものと富んだものが分けられていた。
 中心地には使い捨てられた物や盗品などで溢れかえり、荒んでいた。ゆえに、隣接した区画から、人には言えない秘められた事情などを抱えた者たちの格好の隠れ家にもなっていた。
 少女――御影蘭。
 魔法使いの女性――穂高緋真もそんな訳ありの人物の一人だった。
 緋真は身分を隠し、従妹の蘭と暮らし始めた。
 日々の生活は辛かったが、そこで出来た知り合いの助けもあって、裕福とは言えないがそれなりに居心地がいい場所だった。住めば都というやつだ。
 だが、裕福というのは一生続くものではない。


 屍二の惨劇――。
 魔法使いと戦闘員の大規模な抗争によって、一夜にして何もかも無に帰すこととなった大災厄だ。
 以降、閉鎖区画と呼ばれることとなる。
 緋真と蘭もその抗争の真っただ中にいた。魔法使いである緋真は、蘭を守るべくその力を余すことなく使い続けた。
 だが、あらゆるランクの戦闘員と魔法使いの乱闘に、蘭はあまりにも無力過ぎた。
 一般人の避難が行われ、蘭や共同していた仲間たちの無事を祈り、皆と仲良くして待っているのよ。と蘭をそこに参列させることになる。


 それが――蘭と緋真が共有した最後の思い出となった。


「大きくなったわね」
「ええ」
 壊れ物を扱うように、蘭の頭を撫でる。
 いいにおいがする。温もりを感じる。蘭は気持ちよさそうに緋真に身を委ねていた。
「こんなにも可愛くなって。お姉ちゃんは感激だわ」
「従妹だから、似ただけよ」
「そう。お姉ちゃんに似てしまったのね。それなら仕方ないわね」
 自分の容姿が素直に認められないのか、緋真のせいにする。その様子が愛くるしくて仕方がないのか、苦笑する緋真。
 この金色の髪を梳くように撫でる温かい手。
 この腕に収まる抱き心地のいい一回り小さい体。

 ああ――すべてが懐かしく、愛おしい。

「でも、この服装はダメよ。全くサイズがあってないじゃないの。減点ね」
「お姉ちゃんのお下がりばかり着てたから、ゆとりのある方が着慣れているのよ」
「……本当に、仕方がない子ね」
 そう言ってまた苦笑した。
 事実を聞いて、最初は驚きが隠せなかった彩葉と茜も再会を見守った。
「噂は聞いていたわよ。戦闘員として、頑張っているみたいね。そのことを聞くだけで。良かった、蘭は元気でやっているのねって安心したわ」
「あたしはお姉ちゃんが死んだって聞かされていたわ。でも、信じなかった」
 あまりにも大量の死者が出過ぎてしまったため、生死が曖昧に記録されていた。事実、死亡したと思われていた人物が生きていたという事例も、三年の間で見てきた。
 だから、蘭はこの目で確認するまでは、死を確定させていなかった。
「良かったではないか。仕組まれたことであったとしても、家族の再会が果たせてさぞ嬉しいだろう」
「……守人?」
 嬉しいに決まっている。なにせ三年ぶりだ。だが、気になったのはそこじゃない。
「引っかかる言い方をするわね。まるで、あなたが会わせてくれたように聞こえるわよ」
「そう言ったつもりだったが、分かりづらかったようだな」
「ええ、分かりづらいわ。もっとはっきりと言ったらどうかしら?」
 せっかくの再会に気分を害する言い方をされて、緋真は強めの語調で問い返す。
「三年前。私は四十二区の外側で倒れていた蘭を保護させてもらった。その際に、蘭に関するプロフィールをすべて調べさせてもらったのだよ。
 奇しくも、妻の仇である穂高緋真は蘭の従妹。私は使えると確信したよ」
 嘲る。流れは完全に守人が掴んでいた。
「身寄りのなくした蘭には戦う技術を教え、姉の生存を仄めかし、名を上げさせることによってお前をおびき出したのだ。
 偶然かどうかは知らんが、結果的にお前は野原町に現れた。成功してなによりだ」
 緋真との出会いから喜色に満ちていた蘭の顔色が青ざめていた。
「待ちなさいよ。あんた……、あたしにお姉ちゃんは死んだって言っていたじゃない。あんたは生きているって知っていたの?」
「知らなければこんな計画は立てるまい」
 もう何も言えなかった。自分が利用されていた? そのことが、蘭の頭を上手く回転させなかった。
「あなた……っ! 私の可愛い妹になにひどいことをさせているのよっ」
「別に何も。一人で生きていく術を持たない子供に、生きる喜びを見出させてやっただけだが」
 我慢の限界が来た。緋真は魔法を発動し、怒り狂う炎が守人に放射される。
 両手に魔具を装着していた守人は事もなげに振り払った。
「厄介ね。あの魔具。蘭、彩葉ちゃんたちも少し離れていて――蘭?」
 うわ言のようにぶつぶつと繰り返す蘭に、異常性を感じる緋真。
「あたしが……あたしのせいで、お姉ちゃんに苦しい思いをさせているの? あたしのせいでこんな怪我をさせたの? あたしのせいで……あたしのせいで……」
「蘭! しっかりしなさいっ。悪い方向に考えてはダメよ。悪いのは蘭を利用した天童守人よ。お願い……! しっかりするのよ! 蘭までこっち側に堕ちてはダメよ」
 肩を掴んであなたは悪くない、と必死で諭す。
 必死で――。必死で――。
「さっきから黙って聞いてたけど、ちょっと酷いよっ! 同じ仲間なんでしょ。どうしてそんなに人を道具みたいにして、いじめたりしてるの?」
 二人の様子を見ていられなくなった彩葉が守人に怒鳴る。
「真実を隠していたとはいえ、蘭は姉との再会。私は仇の再会。同じ目的を持った者同士、協力して魔法使いを探していただけだが?」
「だったら蘭ちゃんは嬉しそうにしていないとおかしいよ。あなただけが得をして、女の子を泣かして……最低……っ! どうして……あなたみたいな人が魔法使いじゃないのっ!」
 もう、どっちが悪なのか分からなかった。
「私が魔法使いでないのがそんなにおかしいか?」
 守人は嘲笑して続けた。
「戦場でなぜ堂々と人を殺せるか。それは何かを守る為、自己の行いを正当化しているからにすぎないのだよ。それこそが絶対的な正義だと妄信しているからだ。
 私も同じだ。たとえ、どんな手段を用いようとも、貴様らから住民を守ることこそが私にとっての善行であり、決して悪意ではないということだ」
 彩葉たちは絶句した。
 こんな――こんな行いがまかり通っても、魔法使いに堕ちないとは。
 人間性が違い過ぎた。もう、何を言っても言葉は通じることはないだろう。
「さて、蘭。手柄を立てた褒美に選択肢をやろう。
 姉を殺して、こちら側で生きていくか――。
 姉と戦いここで死ぬか――。
 好きな方を選ばせてやろう」
「耳を貸すな! 蘭」
 纏が叫ぶ。だが、何も聞こえはしない。蘭の中では、すでに答えは出ていた。
「どっちも選ぶわけがないでしょう。褒美なら別の物をもらうわ」
「……ほう」
 生気の感じさせない、冷たい声音を放った蘭。守人は興味深げに促した。
「あたしやお姉ちゃんが死ぬ前に――」
 心の奥底で蠢く何か。吐き出す。一思いに。蘭は自分の欲求を爆発させた――!


「まずあんたが先に死んで――ッ!!」


 言葉を放つとともに駆り立てられた悲しみと怒りと絶望が人間性の一線を越える。
 この感情は力に作り替え、蘭の腕から魔力の光線が守人を射抜く。
 激しい爆風が一帯を駆け抜け、彩葉たちは目を覆った。
「嘘でしょう……蘭」
「まいったな、これは」
「何? なにが起きたの?」
「魔力を感じましたが、もしかして……!」
 彩葉と茜は一度体験しているが、その変貌の時を目の当たりにするのは初めてだった。
「こうなったら止められないわ。彩葉ちゃん。茜ちゃん。よく見ているのよ。あれが魔法使いの誕生の瞬間よ」
 解き放たれる禍。終点の朱。霧散していく善。不可逆の理による拘束。陰と陽の反転に逆らえない自我。
 それは感情という名の不可視の器官の扉を亡き物にし、逆行して混じる。
 ――全ての贈り物で満ちた世界((パンドラワールド))が蘭を侵し尽くした。


 見届けしもの共よ、怖れ慄け――!
 あれこそは人の道を外れ、限界を超えしもののなれの果て。
 終わりにして、始まりの瞬間の産声を聞き届けよ。

 その醜悪なる姿の名は――魔法使い。

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