壊れた世界と魔法使い

シロ紅葉

もう一人の囚われ人

「さて、まずは覇人。無事、娘をここまで連れて来てくれたことには感謝しよう。君のおかげで娘も一回り大きく成長している様子だ」
「いいってことよ。それに、半分ぐらいは緋真のやつが連れて来たようなもんだけどな」

 緋真さんとは、右も左も分からなかった私たちに生き方と魔法の使い方を教えてくれた。感謝してもしきれないほどに助けてもらって、ここまでやってこれたんだよね。

 ――私たちと別れるその日まで。

「……僕がいない間に外では色々と事態が進展しているらしいな」
「ええ。緋真の件もありますけど、何よりも収穫が大きかったのは三十一区の歴史の遺物ですわね」
「はは、あれにはさすがに驚いたぜ。組織の方も一番が直々に動くぐらいだったしな」

 うーん。何やら私には分からないところで良いことがあったみたい。

「やはり、僕の勘が的中していたということか……。いよいよ本腰入れて変革に向けて動き始めていく段階にまできているのだな」
「そのために、あなたを連れ戻すように組織から指示が降りたのですわ」

 父さんは組織の中でもかなり重要な立場にいて、見捨てられない存在でもある。とは言っても、秘密犯罪結社のだけど……。
 まったくもって自慢できるような親ではないけど、魔法使いであるからには、そんなことはどうでもいっか。どうせなら、上の地位にいて、何かしらのすごいことをやっていることを褒めたたえてあげるべきだよね。

「とりあえずは、ここから早めに出ないか? せっかく合流出来たんだ。このままキャパシティまで一緒に行きましょう」
「そうね。いつ奴らに潜入されていることがバレるかも分からないわ」
「じゃ、帰りの道案内も覇人お願いね」

 当然ながら、複雑な道のりをただ付いていくだけとなっていた私たちでは帰りの道も覚えてるわけがない。

「待ってくれ。ここを出る前にもう一つやるべきことがある」
「どうしたのですか? 何か心残りがあるのですか」
「えー。なに? あんまりゆっくりしてる暇ないんだよ。父さん」

 蘭も言っていたように、父さんを助ける過程で何人かの研究員を倒してきている。見つかったら騒ぎになることは間違いない。そんなことになったら、脱出が一気に難しくなってしまうんだから。

「数日前のことだ。ここにある魔法使いがやってきた」
「助けろってか? 回収屋は休業中なんだぜ。いまは彩葉たちをキャパシティまで連れていくことが最優先だろ」
「そういうわけにもいかないな。彼女は必要な人材だ。君たちにとっても放っておけない存在だよ」

 父さんはもったいぶったような口調で焦らす。
 そして、その忘れられない人生の救済者の名前を教えられる。

「キャパシティ幹部の一人。穂高緋真の救出が最優先だ」


 行きと同じく、蘭が魔眼で周囲の研究員の索敵をしながら、どうしても避けられずにすれ違ってしまう場合だけ、無力化しながら父さんを先頭にして突き進む。

「お姉ちゃんをここまで連れてきたのは多分、あの女ね」

 蘭が独り言としか思えないような小さい声を出す。それに合わせて私も声の音量を下げて聞き返す。

「あの女……?」
「蘭さんの知り合いですか?」
「あんたたちも一回あったことがあるでしょ」

 心当たりは……ないと思うけど。……あったっけ? よく分かんない。

「橋の上で戦った華南柚子瑠かなんゆずるよ」
「……あいつか」
「蘭の同期でB級戦闘員だったな」

 あー、あの肉食系風の人。凶暴さがにじみ出ていた戦闘員で、正直勝てたのが奇跡だとでも思えるような強さだった。

「この区画で重要な戦力であるはずの柚子瑠があんな端っこの方まで来るなんて、一体どんな厄介な任務に関わっていたのかと思ったら、お姉ちゃんの移送任務だったのね」
「そういえば、華南柚子瑠がこの辺りを徘徊している時期がありましたわね。B級でしたから手を出しづらかったのですけど、あれは緋真の移送でしたのね……」
「移送先がここで良かったです。いままで何度も助けてもらいましたから、次こそは絶対に私たちで助け出してあげたいですね」
「当たり前よ」

 緋真さんは生きている。それを伝えられた時は、不覚にもあまりの嬉しさで叫んでしまいそうになったけど、茜ちゃんがとっさに機転を気かして口を押えてくれたから何とか声には出なかった。ようはそれだけ嬉しかったってこと。
 少なからずもあの時。実力不足で緋真さん一人を置いてあんな結末を迎えてしまったことに罪悪感は感じていた。
 だから、この朗報を聞いて、絶対に助け出したいと思った。この前の無力さをここで返したい。いままでお世話になった大切な人だから、私たちの頼れるお姉ちゃん分をこの手で救い出したい。
 蘭にとってはたった一人の残された家族でもある。人一倍に心配になって、悲しんでいた姿を私は知っている。だからこの朗報が聞けたとき、きっと一番心が揺れているのは蘭だよね。
 それを欠片ほども見せず、冷静になって魔眼で索敵だけに徹している。この救出劇にかける想いは誰よりも負けていないのは見て分かった。
 やがて、蘭が強い魔力を感知し、周囲に研究員がいないことを確認したうえで、一気に突っ走っていった。
 迷子になった子供が母親との再会を果たしたような勢い。無理もないよね。五年間も離れ離れになって、再会できた途端にまた別れることになったんだもんね。
 私や茜ちゃんも色々と面倒を見てもらった身分でもあって、蘭にならってつい遅れて駆け出してしまった。
 着いた先は、父さんがいた部屋と同じ造りをしていて、だけど明かりを点けるまでもなく、中にはすでに先客がいた。

「汚い手でお姉ちゃんに触るな――!」

 研究員が悲鳴を上げるよりも先に手を出す蘭。
 速攻で構えた魔力弾をお見舞いされた研究員は、吹き飛んで壁に叩きつけられると気絶してしまった。怒った蘭の怖さを知らない研究員には、残念だけど同情はしてあげられない。私でも多分、先に手が出たと思うから。蘭の行動はとても正しい、感情に任せたものだった。

「……蘭?」

 錆び付き、清潔感が蚊ほども感じられない汚らしい椅子型の診察台に括り付けられている緋真さんは、すでに手遅れとも思えるほどに力強さを失い、虚脱した声を出した。
 慌てて側によった蘭は、縛り付けられている鎖を豪快にも引き千切ろうとするが、無理に決まっていた。

「その鎖も魔障壁と同じ原理で造られている代物だ。それで括られている以上は、魔法使いは自力で抜け出すことはおろか、魔法を使うことも出来ないようになっている」

 抵抗をしないで、大人しく実験材料になるしかないのはそういう理由だったんだね。
 この鎖にも南京錠で閉じられているから、鍵があるはず。
 そのことをいち早く気づいていた纏が、研究員の白衣から鍵を取り出して南京錠を解いた。
 身体の自由を取り戻せた緋真さんは、我が子のように蘭を抱きしめた。生きている実感を取り戻し、現実を受け止める緋真さんの顔には、たちまち生気が宿り始め、ついには笑顔が零れていた。
 私たちのことはそっちのけで、熱い抱擁を交えている二人を邪魔かなと思いながらも蘭の肩を叩いて振り向かせる。
 皆に見られていたことが恥ずかしいのか、顔をちょっと赤くして抱擁を解く蘭。
 そして――新しい得物を見つけた肉食動物のような様相で、私と茜ちゃんに喰いにかかる勢いで抱きしめてくれた。

「良かったわ。彩葉ちゃんたちも無事で。お姉ちゃんもう、ここに連れられてから心配で心配で……ほら、二人ともこんなに服を汚してしまって……まったく。蘭もちょっとはお洒落な服を着ているかと思ったら、またそんなサイズに合っていないものにして……もう」

 この感じ。随分と久しぶりで懐かしく思える。

 いつも私たちのことを気にかけてくれて。
 いつも私たちのことを叱ってくれて。
 いつも私たちのことを見てくれていて。

 妹分である私には持っていない。不思議な不思議な魔法を操る緋真さん(お姉ちゃん)。

 暖かくて、優しい言葉が耳を通して、心の奥底を刺激する。

 どうしてだろう。なぜ? こんなにも赤の他人だった緋真さんに惹かれてしまったんだろう。

 想いが溢れて口に出来ないこの気持ち。なんて名付けたらいいのかな?

 分からない。ただ、いつか緋真さんが教えてくれた。
 涙は気持ちを切り替えるには丁度いい表現方法。

 だからこの滴は、嬉しさや喜びに変換されて流れている。口には出さなくても、ちゃんと気持ちは伝わっているよね。

「無茶ばっかりしちゃって、ほんとに……。でも、助けてくれてありがとう。お姉ちゃん嬉しいわ」

 その言葉はこの場にいる全員に向けられてものだった。

「お、それじゃあ、礼に俺とも一発熱い抱擁でも交わしてくれんのか?」
「するわけないでしょ。可愛い子限定よ」
「そりゃ、残念」

 当たり前の返答が戻ってきても、本人は分かりきっていたみたいで口振りとは真逆に残念さはない。言わなければいいのに……期待、したのかな?

「あなたは勝手な行動を取ったかと思えば、今度は研究所送りにされてしまいますわで……ほんとに何度、私に迷惑をかければ気が済みますの?」
「ふふ、汐音には悪いとは思ってるわ。でも、なんだかかんだ言ってこうして私に付き合ってくれるのよね」
「何年の付き合いがあると思ってますの。こう何度もあっては、さすがに諦めが付きますわよ。……はぁ」

 こういったやりとりは昔からよくあるのか、嘆息の混じった呆れがこもっている。この人も苦労人なんだね。

「せっかくの再会に水を差す様な真似をしてしまって、悪いのだが……あまりグズグズしている時間はないことだけは頭に入れといてくれないか」
「あ! そうだったね」

 纏が言ってくれなかったら、多分いつまでもここで無駄話をしてしまっていたかもしれないね。

「……緋真。体の調子はどうだ? 君の方も大量の血を抜かれたのだろう」
「ええ、そうね。何が目的なのかは知らないけど、嫌ってほど抜かれたわ。おかげでちょっと気分が悪いわね」

 診察台の上には血液が入った試験官が何本も置いてあった。献血ってことはないとは思うけど、見ていて気持ちが悪い量が抜かれている。

「こんなにも沢山……。大丈夫ってことはないですよね。よければ肩を貸しますよ」
「遠慮しておくわ。可愛い妹分の前で弱いところなんて見せられないもの。お姉ちゃんはこの程度じゃあ、弱音は吐かないわよ」

 もうすっかり、私たちと一緒に行動を取っていた時のような元気な姿が戻ってきている。お姉ちゃんだからしっかりしていないと、て言っている割には足元がふらついているようにも見える。
 見ていられないところもあるけれど、これはお姉ちゃんというプライドがあってのことだから、見て見ぬ振りをしてあげるべきだね。

「ねえ、この血はどうするの? いっそのこと全部緋真さんの中に戻してしまえばいいんじゃない? やっぱりそういうことはダメなのかな?」
「どうなんだろうな。医学の知識なんて持ち合わせてはいないから余計なことはしない方が良さそうだが」

 この場で唯一、医者っぽいことが出来そうなのは緋真さんぐらいかな。もしかしたら父さんも出来るのかもしれないけど、実の娘ながらその辺のことは知らないんだよね。

「どっちにしろ、そんなものをもう一度体内に戻したいとは思わないわ。生理的に受け付けられないわよ」
「あ、なんか分かるかも」

 いくら自分の血だからと言っても、目の前で抜いた血をまた入れ直すなんてことは可能でも抵抗はあるよね。

「必要がないならこれは破棄させてもらおう。奴らにとって魔法使いの血液は、最強の武器になり得る物だからな」
「へえ、そりゃまたどういうことで?」
「もしかして、あの研究についての進展がありましたの?」
「……そんなところだ。詳しいことはキャパシティについてから、リーダーに報告するついでに話させてもらう」

 父さんの研究は医療関係らしい。ちょっと非人道的な部分にも触れているようで、祟られるだとかなんとか家で話していたことが懐かしく思える。

「ついに、アレの正体が解明されたのね」
「アレ? あれって何? 父さんの研究って医療がどうとか、っていう奴だよね。たしか、亡くなった人が生きている人の役に立てるかどうかっていうやつ」

 裏社会でしばらく生きてきて、日常とはかけ離れた数の魔法使いが死んでいった。何の理由もなく、魔法使いというだけで殺されてしまった人たち。もし本当に研究の成果で生者の人たちの役に立てるのなら、無念にも亡くなった魔法使いたちもちょっとは気が晴れるのかもしれない。

「娘には上手く誤魔化して説明してたのね」
「あの頃の彩葉に真実を話してやる訳にもいかないだろう。だが、今なら話してもいいかもしれないな。いや、伝えておかなければいけないことか」

 元々魔法使いなんだから、言えないことの一つや二つぐらいはあって当然なのかもしれない。人間をやっていた私には言えない何かが。

「彩葉。よく聞くんだ。僕の研究内容。それは――」

 父さんの言おうとしたことは、不意になり始めたけたたましいアラーム音によって掻き消された。まるで真実を遠ざけようとしているかの如く、神の悪戯が働いた。

「私たちの侵入が見つかってしまったのでしょうか」
「さすがに長居しすぎたようですわね」

 おまけに研究員を何人も倒してしまっているから、見つかってしまうのも仕方ないよね。だけども、敵の施設の奥の方にまで来てるのに、全員冷静にこの状況を受け入れていた。
 人数が物を言わせているのかもしれないし、頼れる人たちが側にいてくれるから心強さもあるのかもしれない。
 いずれにしても、このメンバーなら怖い物なんてない。

「次々と魔力反応が動き回っているわね。たぶん、研究員の連中が私たちを探しているんだわ」
「敵が押し寄せてくるのも時間の問題だな。全員、いますぐここから脱出しよう。話はそれからでも遅くはないだろう」
「僕と緋真は衰弱しているが、それでも大した脅威にもならないだろう。多少なりとも強引に突き進むことは可能だ」

 キャパシティの幹部が三人。
 構成員が一人。
 確かにこれだけの実力派が揃っていたら、ただの研究員なんて敵じゃないよね。

 捕えられた人たちを奪い返すことに成功し、あとはここから抜け出さないと。
 研究所も荒らされて、研究員も何名か失ってしまったアンチマジックにも一泡吹かせてやることも出来る。

 まさに私たちの大勝利。

 少しばかり早い祝砲となるアラームが私たちの背中を押し、研究所の入口へと這い上がっていく脱出劇が始まった。

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