壊れた世界と魔法使い

シロ紅葉

二つ目の時計塔

 私の腕元に何かが蠢く感覚がして、目が覚めた。
 いつの間にか、ベッドの上で腕枕をして眠ってしまったみたい。
 まだ睡眠を欲しているのに、眩しい日差しがまるで起きろと言わんばかりに私を照らすから、仕方なくのろのろと顔を上げた。

「――あ……っ! 起こしてしまいましたね」

 いつも通り開きにくい瞼をこすって嫌そうに目覚める私。その視界に飛び込む陽気な朝と……――驚きを隠しきれていないその表情。けど、すぐに柔和な顔を浮かべて、私にその声を聞かせてくれる。

「おはよう。彩葉ちゃん」

 一瞬、理解を追いつかずに食い入るようにその姿を捉える。
 それこそが、待ちに待った私が望んだ日。
 嬉しさのあまりに胸が震え、それを隠すように私は茜ちゃんにしがみ付いた。

「――良かった……。本当に、心配したよ……」


 茜ちゃんが目を覚ましたことは、すぐに皆にも知れ渡った。
 寝起き一杯のコーヒーと軽めの朝食を用意してもらって、全員で部屋に集まった。
 ここがどこなのか。それを知らない茜ちゃんに、あの後の経緯と命の恩人である篝さんの素性について説明しておいた。纏が簡潔に。
 ある程度の事情を把握した茜ちゃんは、篝さんに礼をしていたけど、いつもの如く勝手にやっただけと突っぱねられる。
 素直に受け入れたらいいのに……とは思うけど、あえて口には出さないでおいた。

「お嬢さんも無事に目を覚まし、全員揃ったわけだが。お前らはこの区に来てどこへ行く気でいるつもりだ。命からがら逃げだしてきたんだろう。良かったら、俺のところで面倒を見てやってもいいが……」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、一応、行くところはあるの……けど」

 気になることがあって、茜ちゃんの方をみる。
 あれだけの出血と傷を負ったんだ。すぐに動き始めるのは茜ちゃんの体に悪いんじゃないかな。

「私なら、もう平気ですよ。いつでも出発できます」

 みた感じは本調子に戻ってそう。でも、もしかしたら気を使って無理をしてるんじゃないかと勘ぐってしまう。
 前も熱があるのに、無理したせいで寝込んでしまうこともあったし、心配になる。

「彩葉ちゃんたちのおかげで傷ももうほとんど治っているようなものですし」

 包帯を外して、怪我をした部分が露わになる。
 手当てをしていたのは私と蘭だから、その怪我の治り具合は知っていた。だから、それほど驚くことはないとは思っていたけど、もうほとんど塞がりかけているところを見せられると、さすがに驚きを隠せなかった。

「早いな……もうそこまで塞がっているのか」
「いや、これはおかしいだろ。――いや……まてよ。……そうか、これがあいつの言ってた例の件か」

 後半、ぶつぶつ小声で何か言っていた覇人だけど、やっぱりどう考えてもこれは早いみたい。病気もすぐに治ったし、茜ちゃんって変わった体質をしているんだね。

「うちの連中でもお嬢さんより浅い傷を負った奴ですら、完全には治りきってはいないんだが、お嬢さんの魔法か何かか?」
「え、えっと……多分、似たようなものだとは思いますけど……ごめんなさい、私にもよく分からないのです。あ! もしかしたら、小さいころから軽い怪我ぐらいならよくしていたので、そのせいで治りが早いんだと思います」

 茜ちゃんは花屋を経営していたから、よく手に擦り傷を作ることはあったんだ。でも、それも小学生の頃の話しまでなんだけど。

「そういうもの……なのかしら」
「こうして無事に治ったんだし、細かいことはいいじゃん。それよりもどうするの? 茜ちゃんもこう言ってるし、今夜辺りにでもここを出とく?」

 何を言っても茜ちゃんは平気だって言ってくるだろうし。意外と頑固なところもあったりするんだよね。

「そうだな。これ以上、世話になり続けるわけもいかないし、彩葉の言う通り、今夜ここを出るとしようか」
「早いとこ、目的地に移動した方が良さそうだしな。そうすっか」
「あたしもそれでいいわ」

 茜ちゃんもそれで賛成なようだし、結論が出た。

「そういうことなら、今日は店を開けといてやる。どうせ、出るのは深夜だろ。それまでここで休ませてやろう」
「ありがと。――さぁ、どうする? 深夜まで特別やることなんてないし、暇つぶしにどこかに行ってみる?」
「どう過ごそうと、俺の知ったことじゃないな。お前らの暇つぶしに付き合ってやるほど俺も暇じゃないんでね。店の物にさえ勝手に触れなければ、好きにしていたらいいだろ」


 とりあえず、やることもないので外に出た。
 覇人はやることがあるとか言って、どっか行くし。纏は女の子たちの間に男ひとりで割って入るのも照れくさいようで待機。
 仕方なく、女の子三人組で出てくることにした。
 私たちは茜ちゃんが起きるまでほとんど外に出ていなかったから、久々に空の下に降りることになる。
 ぶらぶらと歩いて、何かしら目新しい物がないかと探していたら、遠くからでも視認できる見覚えのある建物が見えて来て、そこへと向かってみた。
 近くまできて確信する。
 この建物は――野原町にもあった。

「時計塔――私、てっきりあの町のシンボル的なものかと思っていたけど、そうじゃなかったんだ」
「何言ってんのよ。こんなのは確か、どこの区画にもあったはずよ」
「そうなのですか? 私も彩葉ちゃんと同じで野原町だけの物だと思っていました」
「そういえば、ほかの区画に行ったことがほとんどなかったのよね、あんたたちは」

 他所の区画のことは、メディアとかで取り上げられたことぐらいしか、ほとんど知らないって人のほうが実は多い。
 実際に行くこと自体がないんだし、行ったとしても観光とかが大半。だから、観光名所となるような案内ぐらいしか雑誌とかには載っていない。三十区の案内本は知らないけど、他所の区画のには時計塔が載っていた記憶はなかった。

「建てられたのが、五百年前の戦争後よ。その時に、全四十七区画に作られているわ」

 戦争後ということは知っている。野原町の時計塔がそうだから。
 時計塔について書かれている石碑にも建てられた日付は書かれていた。

「じゃあさ、この下にも野原町にもあった謎の建築物が埋められたりしてるのかな?」
「さぁ。それは聞いたことがないわね。そもそもあんなのがあったなんてこと自体、あの事件で初めて知ったわ」
「あれも五百年前。それも、戦争時の建物らしいですね。何か、時計塔と関係がありそうですけど……」

 一応は、家? なのか住めるようになっていた。あそこで被害にあった人たちがしばらく住むことになっていたんだから、居住地としての機能はあるんだと思う。
 みんな今でも、あそこで暮らしているのかな? 

「あの……ちょっといい?」

 聞き覚えの無い声を掛けられて、私が後ろを振り向くと、そこには小柄な女の子が立っていた。
 丁度、月ちゃんと同じぐらいの背丈で歳も近そう。だけど、月ちゃんと違ってまるで表情の乗らない顔は一級品の人形のよう。しかし、髪を左右で編んで結ばれている部分には手が込んでいて、人形とは違うんだと実感させてくれる。月ちゃんとは正反対のような印象を感じる。

「その姿……間違いなさそう」

 控えめなクールボイスで勝手に納得される。

「えっと、どこかで会ったことあったっけ?」
「……ない」

 首を振って答える女の子。

「あなたたちのことなら、すでに裏社会では知っている人は知っている」
「また、私たち話題になっているみたいですね」
「二十九区に来たのは数日前なのにもう知られてるのね」

 しばらくの間、大人しくしていたのに、何かスター性を感じる。あまり、嬉しくないけど。

両端ターミナル襲撃は十分に話題になる」
「そうでしたね。……あとのことなんて何も考えてませんでしたね」
「でもさ、あれしかやり方がなかったんだし、そんなこと考えても意味ないって」
「彩葉に賛同するわけではないけど。どっちにしろ、あそこを抜ける以上は避けては通れないわ」

 道は一つしかなかった。だったら、しょうがない。裏社会を賑わす程度になっただけだし、別にいいよね。

「ところで、あなたも裏社会のことを知っているということは、魔法使い……なのですか?」

 襲撃事態はもう裏表関係なく、知れ渡っているだろうけど。私たちの素性を知っているということは、魔法使いかアンチマジックのどちらかになる。

「あなたたちと一緒」

 それを聞いてホッとした。

「そっか。じゃあ、この先もし何か縁があったら、仲良くしようね」
「うん。その時は必ず――」

 弾みのない声に感情は乗っていない。ずっと同じ調子で話す女の子は、表情までも一切変わらずに答えた。

「ちょっと待ちなさいよ。いくら小さい子だからと言って、信じるの? こんなこと言うのも悪いとは思ってるけど、騙している可能性もあるのよ」
「こんな小さな子に限って、そんなことはないですよ。それにその言い方は酷いです」
「甘いわ。月のような年齢でもアンチマジックなのよ。もし、この子が関係者だとしたらどうするのよ」

 傷つくようなことを言われた女の子は無表情を貫いた。この年なら嫌そうにするか、不快感を出しそうなのに。そう、まるで感情が抜け落ちているんじゃないかと錯覚を覚えるほどに変わらなかった。

「私を疑っているの」
「当たり前でしょ。あんたが本当に魔法使いだというなら、証明してみせることね」
「そんなことは出来ない」

 抑揚のない声。強気に出ている蘭を意に介していない様子。

「このお姉さんはすぐ怒るから、ちょっとだけでもいいから見せてあげてよ」
「彩葉は余計なことを言わなくていいのよ。第一、怒ってないわよ。あんたたちが無警戒すぎるから、あたしが代わりにこうして疑っているのよ」
「……だってさ」

 茜ちゃんに振ると、困ったように微笑をたたえた。

「こんなところで魔力を出してしまうと、黒服に気づかれる」
「黒服?」

 何かの隠語?

「戦闘員のことよ。戦装束が黒服だから、一部ではそういう言い方をされているらしいわ」

 そのまんまの意味だった。
 どこかに魔力検知器が潜んでいるから、魔力を出してしまえばアンチマジックに狙われることになる。母さんたちが確か、それで見つかったんだっけ。

「でも、あなたたちは遅すぎた。もう手遅れ」

 女の子が口を開く。相変わらず、表情は変わらないから緊迫感がいまいちわかない。それでも、言い放った一言には重みがあったせいで、続く言葉にはただならぬ嫌な予感を引き寄せられた。

「――来るよ」
「何が……かな?」

 その先を聞く必要なんて多分ない。私たちと関わってくるような存在なんて限られているんだから。それでも、口には出てしまった。聞かずにはいられなかった。
 もしかしたら、勘違いかもしれないという淡い期待を込めて。

「……」

 女の子は答えてはくれなかった。
 もう、分かっているんでしょ。と言わんばかりに。
 出会った時と同じく、言葉もなくその場を去っていった。

「あたしたちも戻りましょ。あの遊び人は夜まで帰ってこないだろうし、それまで待機してましょ」

 遊び人というのは、もちろん覇人のこと。ふらふらとどこに行ってるのかは分からないけど、今夜でて行く予定だから帰ってくることは間違いない。

「ごめんなさい。私のせいで余計な迷惑をかけてしまってますよね」
「そんなことないよ」

 誰かが責められるようなことなんかじゃない。あんなことをしてしまったのが、そもそもの原因なんだから。これは、連帯責任というやつだ。

「どうせさ、今日でていくつもりだったんだし、丁度いいじゃん」
「そうね。あとは、運しだいだわ」

 私たちの安寧はどこにあるのか。短い休息の時間は、終わりを告げた。

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