「魔王が倒れ、戦争がはじまった」

松脂松明

落城

 華を支える茎が、赤に染まる。
 粘性を持った赤い水が細い枝を汚していくが、それは華自身が望んで行った行為だ。
 迷いはない。

 トリドという時代遅れの国を支え続けた男。弓聖メラルの腹を少女のように可憐な女の腕が貫いていた。

「予想よりは持ちましたが…そこまでですね」

 口調からは惜しいという感情が伝わってくるが、それは相手のことをおもんばかっているのではなく自分にとってのものだ。
 確かに弓聖は英雄と呼ぶのに相応しい人物ではあった、だが、それだけだ。
 性能差を考えれば、近接戦闘においてスフェーンがメラルを倒すのに長い時間はかからない。メラルの剣の腕は弓の技量に比べて大きく劣る。
 時間にして1分もかかるまいと思っていたが、彼は魔の力を有した軍団長を相手に10分は持ちこたえて見せた。

「それは見事。しかし、私の剣聖のように勝敗を覆すまでには至らず…ええ、それなりには有意義でしたよ」
「剣聖…?」

 言葉を紡いだだけで、血に咳き込む弓聖。瘴気による損傷が内蔵を侵して、肺まで侵食している証だ。しかし、そんな苦痛など相手の言葉にどうでも良くなった。

「私の矢を防ぐ…褐色の男…そうか…アレが南方の…生きて…」
「喋り過ぎました。まぁ冥土の土産にはそれぐらい良いでしょう。道理を超えた強さの教材として貴方は私の役に立ってくれましたから」

 かつて最も苦難の時代に三人の剣聖があった。
 だが、いずれも文明国たる大陸中央の血を引かなかったがゆえに公の場に姿を表すことは稀だったのだ。ゆえに高位の者でも知っているのは名前のみ。東方剣聖ハクロウサイ、西方剣聖サイ・リン、そして…

 敗北も当然か。
 最後の最後に雑兵の刃にかからずとも済んだのだ。勇者として死ねる。
 その思いにメラルは満たされていく。案外に後味の良い最後だ。戦友の甥を巻き込んだことだけは悔いが残るものの、それもアレが自分で選んだ道なのだ。

「ああ、それと貴方の弓は私が貰っていきます」

 …その言葉に末期の満足感は台無しにされた。
 消えたと思った熱が蘇る。数多の勇者の中から自分だけが掴み取った資格。アレを引くために自分がどれだけ苦労したのだと…!

 他国人にはわかるまいが、“巨人の弓”はトリド王国の至宝。その弓を手にせんと数多の戦士が己の半生を鍛錬へと捧げたのだ。メラルも同様。多くの敗者の上に彼は立っている。

「ふっざけ…」

 不快な音で自分の中の何かが捻られるのを弓聖は感じた。
 スフェーンの手指が内蔵をかき分けて、止まらないのだ。言うまでもなく、それは相手へのトドメである。その動きが優しければ優しいほどに苦悶が続く。

「おや、そんなに大事でしたか?ですが敗者である貴方にもうアレは必要ないもの。私の復讐のための道具としてその名を地に貶めることになるなど…どうだって良いでしょう?貴方はもう死ぬんですから」

 蘇った熱が弱い。
 また消えていく。

 “巨人の弓”は俺の物だ。
 なぜ俺の名誉を汚すのだ。
 そう願っても、奇跡は起きない。いいや…奇跡は起きてはいるのだ。新たな魔将との戦いで既に致命傷を受けながら未だに息がある、が体を動かすには至らない。…それがメラルの熱の限界なのだ。
 意識を保ったまま、敵が己の愛弓を奪いに行くのを指を加えて眺めるしかメラルにはできなかった。息絶えるその時まで地獄の煩悶は続いた。

/

 スフェーンは王の首に興味は無い。
 元よりこの国を落とすのは第7軍の役割であり、自分ではない。

「…ああ、終わったかそちらも。どうだった、弓聖は?」
「見るべきところはありました…が、貴方ほどではありませんでした。得手を失えば脆いものです」

 そうか、と剣聖は静かに頷いた。
 共に頂きにたどり着いたと称された二人が出会えば、何か実りがあっただろうか?あるいは共感により語り合いすらできたかもしれない。だがその機会は永遠に失われた。
 それを惜しいとは剣聖は思わない。顔も知らない誰かはどこかで死ぬのが当たり前。そして、因縁があるわけでもない。…矢を射掛けてきた相手に本気でそう考えている。

「…ところで、それは?」

 クィネは小脇に首を抱えている。
 年若い顔は呆けたような顔のまま固定されて、当然ながら動かない。

「ジェダ殿だ。素晴らしい剣技の持ち主だった。干し首はいかんと言われたので、頭骨をトロフィーにしようかと…」
「駄目です」

 スフェーンの言葉には取り付く島もない。
 すっぱりと世の習いに阻まれて、元南方剣聖は肩を落とした。

「代わりにその細剣を持っていけば良いではないですか?見れば、中々の代物ですよ」
「それはいかん。これはジェダ殿の生きた証にして、墓標。黄泉路へと持っていく得物がなければ死後の狩場で獲物となるだけだ」

 …生国が違うせいで、二人の意見は噛み合わない。スフェーンからすれば死後の世界があるとして、そこに武器を持っていけるならば奪われた首はどうなるのだ、と思うのだが。

「…雇い主殿こそ、なんだその巨大な弓は。オオトカゲを二匹並べたような長さだ」
「宝物庫から持ってきました。弓聖は最後には剣を選んだので…」

 相方を刺激しないように慎重に言葉を選ぶスフェーン。

「そうか。それは良いことだな、宝物は誰かが持つべきだ」

 一体どこに境界線があるのかさっぱり分からない理屈だが、とりあえず許しが出たらしい。彼と今後も付き合っていかなければならないのだから、南方についてもっと勉強しようと決意したスフェーン。そんな時に、喧騒が耳に届いた。

「ああ…トリド王城が陥落しますね。…行きましょうか、ここでやるべきことはやりました。次は帝都です。忙しくなりますよ」
「はい、閣下」

 少し意地の悪い丁寧な返事に、スフェーンは笑みを零した。彼にもまだそれぐらいの機微は残っているらしい。それがスフェーンには奇妙に嬉しいのだ。
 自分たちが行った罪と、これから起こる騒動を見届ける気もなく、凶手達は次へと向かう。

「あなたの叔父デマン殿と再戦できなかったのが残念だ。きっと立派な最後だったのだろうな」

 自分が斬り殺した者へと語りかけて、クィネはジェダの首をあるべきところに戻した。

//

 諦めとともに軍団長ベニットは兵たちの狂奔を見送った。
 帝国軍は世界でも最も規律の良い軍団の一つだが…お行儀が良い訳でもない。城下町で暴れ出さなかったのが不思議なくらいであったが、その分の帳尻は王城で埋め合わせることにしたらしい。
 落とされた城で行われることなど決まっていた。略奪である。

「今後の活動に差し障りがないように、城下への被害は極力避けろ。お前たちへの報奨金は別に設けられている」

 直下の騎兵達を中心として臨編部隊を作成したべニットは、振り返って上を見上げる。目の前の既に扉を砕かれた城壁ではなく、もはや誰も顧みない街の壁…どこかへ歩きさる姿が壁の上にある。
 優れた感覚の持ち主でも無ければ、気付くことすらできない距離がるが勇者級の実力者であるべニットには影程度には見えている。

「巨人の弓…確かに優れた遺物ではあるが、アレを何に使うつもりなのか」

 遠い人影が背よりも高い影を携えているのを捉えてベニットは思案する。
 強力ではあるが、それだけだ。
 物量を覆すほどでもないことは、トリドが証明してくれた。わざわざ立場と命を危険にさらして手に入れる意味は?

 別の軍団長は何も言わずに立ち去ろうとしている。
 べニットからの視線に気付いて反応したのは、スフェーンの横の男の方だった。

 目が合う。褐色の男は相手の力量に喜色を送り、べニットは相手の力量を察知して懸念した。強い…というよりはあの男は強すぎる気がしてならない。アレが件の傭兵だとしたならば…

「元傭兵クィネ…遺物ではなく異物だな。さて、アレほどの存在感…記録を辿れるかもしれんな」

 なにせこの距離で圧迫を伝えてくる。端的にいって怪物と呼んで良い男だ。そうした存在は人の心を掴んで離さないし、人々もまた怪物へとしがみつく。
 辿る手段は豊富にあった。
 例え何をしようとも、過去はついて回るのだ。

///

 城内へと入り込んだ黒衣の兵たちは、思うがままに振る舞った。
 しかし、大半は消化不良気味である。

 居残ったわずかな兵が決死に抵抗を試みてきた以外には、人がいない。犯す女も、嬲る子供も、蹴散らす下男もだ!
 金銭欲については概ね満たされた。逃げた者達は重要な物だけを宝物庫から運び出したのだろうが、兵たちにとってはポケットに入るぐらいの大きさがいいのだ。それぐらいならば大抵の指揮官は略奪を容認してくれるものであるし、兵たち自身も隠す場所に不便しない。

 宝物庫に殺到したことで、4名ほどが圧死したが兵たちにとってすらどうでも良いことだ。
 意味もなく、石像に小便をかけたり糞便を撒き散らしたりと一頻り遊んでいた。

 そんな童心に帰ったような者達とは別に、名誉を求める一団は玉座の間を目指していた。手練である近衛を相手にしてでも、王を討った者という称号が欲しいのだ。
 冒険者のような苦難の果てに彼らは広い広い空間へと、とうとうたどり着いた。

 中心に立つ豪華な鎧の男が一人で待っていた。とはいっても扉へ背を向けて玉座の側を向いている。
 装飾まみれの装備を見れば、いずれ名のある貴族にあるに違いない。亡国の瀬戸際にあってその悔恨や不忠を歴代の王に詫びるているか、あるいは祈っているのだ。

 いずれにせよ、既に討たれる気でいるのは間違いない。
 さて、どうするか?後ろから切りつけて、後で脚色するか。それとも正面から…

 考える兵たちの中で前者をさっさと選び取った者が、見事な床を蹴って猛然と突きかかった。
 それが身に到達する寸前に、男は振り返った。

 兵の剣は見事に相手の心の臓を貫いていた。
 そして、相手の剣もまた兵の腹を貫いていた。

 勝ち戦から崖まで一気に突き落とされた兵を見て、トリド王・・・・はたまらないというように笑い転げた。
 立場が意味をなさない勝負で、相手を倒したのはこれが初めてだった。相打ちだとしても一向に構わない。自分程度に刺された相手が滑稽でならない。

「はっ!世界に名を残したな若造…王を討った者。そして軟弱な王に命を奪われた弱者として!」

 それがトリドの最後の抵抗であった。

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