「魔王が倒れ、戦争がはじまった」
凶手の邂逅
――トリド王城
そこではトリドの第一勇者と称される男が静かに佇んでいた。
長い金髪を棚引かせながら、男は城壁の上から慌ただしく動き回る兵たちの動きを見ていた。それは兵らを見守りながらも、目の鍛錬でもあった。一人一人の動きを完全に知覚しながら、気配の差を感じ取り、自分ならどこから狙いを付けるかと勘を研ぎ澄ませる。
やはりあの若者からか。一人だけ煌めきが違う。
そんなことを思った時、横から現れた偉丈夫に男は思考を中断した。
「デマン。もう動いて平気か?」
「ああ、再生は流石に叶わなかったが…王都の神官は腕がいい」
腕を切り裂かれたデマンは窮地を脱した後、出血と激痛に倒れた。その後は最寄りの拠点で生死の境を味わった。そこでは図られたように治療の手はずが整えられていた。
「お前のおかげだ。いつもながらどうして私が敗れると分かった?」
「勘だ。敗れると分かっていたわけではなく、準備しておく必要があると感じただけだ。自分でもお前にそんなものが必要かと疑ったが」
2人はトリドが誇る勇者隊の仲間だった。互いの力量は知っている。
…デマンはそこいらの腕自慢に負ける手合ではない。矜持と精神力で実力以上の力を発揮するのを第一勇者は知っていた。
平服の袖が翻る様を見て第一勇者は言う。
「惜しいな。これでコイツを引けるものは私一人になった」
胸壁に立てかけてある余りにも長大な弓を指でコツコツと叩いて、第一勇者は苦笑した。
トリドに伝わる秘宝〈巨人の弓〉だ。
かつて巨人族が用いていたという伝説のある逸品だが、あながち嘘とも思えない威容だった。恐るべき威力を持つが、当然この弓を引ける者は限られる。トリド王国でも怪力を謳われたデマンと勇者にのみ可能だった。
長いローブに隠されてはいるが、第一勇者の腕は蟹の一種のように肥大している。
デマンは引けると言ってもそれだけだ。弓矢を得手とするわけでもないから、特に問題はないはずだが…第一勇者にとっては大事なことらしい。
第一勇者の顔が引き締まった。
「近頃、我らの同胞が相次いで討たれている」
「知っている」
同胞というのは同国人のことではなく、同じ勇者達のことだ。
「エリッスやウルエラが討たれたのは意外ではあるが、驚きはせん。だが、カリウヴェまでもが倒された…となると予想を超える」
同じ勇者や英雄であっても、その枠内では上下がある。エリッスやウルエラは確かに強かったが、得手が際物めいた者達だ。そういった勇者上がりであれば、規律の取れた帝国の部隊に捕捉され、勇戦虚しく倒れた…となったのもあり得る話だ。
しかし、“境涯”のカリウヴェは違う。
彼はいわゆるところの万能型であり、デマンや第一勇者と共に隊を支えた者だ。その力量を超える者がいる…というのは不思議ではないが、あらゆる状況に対応できるのが万能型というものだ。逃げの手もそこに含まれる。
つまりはカリウヴェほどの者が逃げることも叶わず、打倒されたことになる。それを可能にするのは強大な個の存在。
「お前の腕を奪った者だと思うか?デマン」
「そこまでは分からんよ、私は神ではない。だがあの者ならば可能だろうな…この私が手も足も出なかった。負けたことに一切の疑問も残らん。…しかし、あの男は結局は孤軍だ。あの男がやるには被害が広範に過ぎないか?エリッスにせよ、ゲルドヴァにせよ担当区域は別々だ」
トリドにも人材は多い…とはいえ、勇者ほどの人材を一箇所に置くほどの余裕は無かった。集結させればそれこそ帝国軍に飲み込まれて終わりであった。帝国の人材の豊富さはトリドの比ではない。
だからこその嫌がらせめいた分散配置。…そう、所詮は嫌がらせである。
トリドの敗北は人魔戦争を生き抜いたデマンと第一勇者には見えている。しかし、寄って立つ旗を変える気はない。
「何やら我らも知らぬ者が動き回っているようだな。まぁそれも当然か。なにせ既に3分の一は奪われて、既に我らが物ではない…さて、未だ知らぬ強者は誰なのか」
第一勇者は再び訓練場に視線を戻した。
速成されていく兵たちの中で、一人だけ別の訓練を受ける若者がやはり目につく。
「お前がもっと早く彼を見出していればな」
「一言も無い。やはり私はもう時代遅れだったのだな…すまない」
剣聖を相手取り善戦したデマンも第一勇者の前には頭を下げる他無かった。
トリドの第一勇者…彼こそがかつてのトリド勇者隊の長。
小国であるトリドが魔将を討つという快挙を成し遂げたのは彼の存在あってこそ。
近接戦の最上位の称号である剣聖になぞらえて“弓聖”の異名を取る男…名をメラルといった。
/
スフェーンは戦いの一部始終を観察していた。
戦闘に向いた適合者は貴重ではあったが、それを捨て石として噂の傭兵を観察した。事前にクィネを付け狙っていたディアモンテの暗殺者を捕らえたことにより、彼の正体を知ったが俄には信じられない思いであったのだ。
…まさか、彼の剣聖がこんなところで韜晦していようとは思いもしなかったのだ。
ディアモンテから離脱したのも、魔王を討ったのが勇者姫ではないこともある程度は察していたが。
彼が齎す政治的な価値は計り知れない…が、スフェーンはそんなところに興味はない。
大事なのはこの褐色の男が、スフェーンの卑小にして壮大な目的に欠かせない強大な個であることだ。それも剣聖。望むべくもない最上位の戦士だ。
結果は圧倒的だった。
グルダ・ガルダという中位魔神にせよ、サレイオスという融合体にせよ…容易く倒せるものではない。それが終わってみれば傷一つ負わせることができなかった。
性能というものでは測れない、真の強者だ。
ディアモンテも阿呆なことをしたものだ、とスフェーンは思う。
この男を敵に回すならば、国一つ相手取ったほうがマシである。だからこそ、今でも暗殺者を送り続けているのだろうが。
「…だから、次の貴方には期待している」
声にどう応じたものか、スフェーンは悩む。
どう答えるべきかは分かっている。偶然からとは言え帝国軍第2軍団長である。若くとも人を見抜く目は磨かれている。だから分からない。本当にこんな飴玉を喜ぶ人間がいるということが、どうにも信じられない。
「まずは名乗っておきましょう。私の名はスフェーン。帝国軍が第2軍団の長を務める者。そして謝罪を…サレイオスを使って貴方を試すような真似はするべきではありませんでした」
「お偉いさんか。まさか今更味方だとでも言う気か?」
「いいえ。それはこれから決まることです」
ほう…と剣聖の目が細まる。
剣聖。だが彼を剣聖と扱ってはならないということを、スフェーンはサレイオスから学んでいる。
「私自身が試すべきでした。傭兵クィネ…今から私と戦っていただきます」
「そう。俺は傭兵だ。戦うかどうかは報酬次第らしいぞ?」
さぁ来た。その質問には答えを間違えられない。
スフェーンは疑問を押し殺して戦意へと変える。
「私が勝てば貴方は敵となり、貴方が勝てば私は味方となります。それでは不足?」
自分で紡いだ答えながら、とてもマトモな会話には思えないと嘆息するスフェーン。
なにせ利益も不利益も、道理もありはしない。しかし、これまでの剣聖を見る限りは彼が望むのはそうしたものである。
「きひひっ」
褐色の男が笑う。
月光と相まって三日月のようだった。
「ソレは良いな。雇い主殿はもういるので、そっちはそっちで交渉してもらうとして…是非も無い。さぁ戦おうじゃないか、先程の男のような無様を晒さないだろうと俺は信じている」
戦う者には見えないスフェーンの容姿に対しても、クィネの戦意は常と変わらない。
見た目で判断する常識など既に彼には無いのだ。
「最初から加減は抜きで行かせて貰いましょう…!」
まさか、こんな報酬で本当に乗ってくるとは。
既に狂っている男の求めに応じるべく、スフェーンもまた戦意を高める。
月下の男女の睦み合いは、狂気と狂喜のぶつかり合いとなる。
そこではトリドの第一勇者と称される男が静かに佇んでいた。
長い金髪を棚引かせながら、男は城壁の上から慌ただしく動き回る兵たちの動きを見ていた。それは兵らを見守りながらも、目の鍛錬でもあった。一人一人の動きを完全に知覚しながら、気配の差を感じ取り、自分ならどこから狙いを付けるかと勘を研ぎ澄ませる。
やはりあの若者からか。一人だけ煌めきが違う。
そんなことを思った時、横から現れた偉丈夫に男は思考を中断した。
「デマン。もう動いて平気か?」
「ああ、再生は流石に叶わなかったが…王都の神官は腕がいい」
腕を切り裂かれたデマンは窮地を脱した後、出血と激痛に倒れた。その後は最寄りの拠点で生死の境を味わった。そこでは図られたように治療の手はずが整えられていた。
「お前のおかげだ。いつもながらどうして私が敗れると分かった?」
「勘だ。敗れると分かっていたわけではなく、準備しておく必要があると感じただけだ。自分でもお前にそんなものが必要かと疑ったが」
2人はトリドが誇る勇者隊の仲間だった。互いの力量は知っている。
…デマンはそこいらの腕自慢に負ける手合ではない。矜持と精神力で実力以上の力を発揮するのを第一勇者は知っていた。
平服の袖が翻る様を見て第一勇者は言う。
「惜しいな。これでコイツを引けるものは私一人になった」
胸壁に立てかけてある余りにも長大な弓を指でコツコツと叩いて、第一勇者は苦笑した。
トリドに伝わる秘宝〈巨人の弓〉だ。
かつて巨人族が用いていたという伝説のある逸品だが、あながち嘘とも思えない威容だった。恐るべき威力を持つが、当然この弓を引ける者は限られる。トリド王国でも怪力を謳われたデマンと勇者にのみ可能だった。
長いローブに隠されてはいるが、第一勇者の腕は蟹の一種のように肥大している。
デマンは引けると言ってもそれだけだ。弓矢を得手とするわけでもないから、特に問題はないはずだが…第一勇者にとっては大事なことらしい。
第一勇者の顔が引き締まった。
「近頃、我らの同胞が相次いで討たれている」
「知っている」
同胞というのは同国人のことではなく、同じ勇者達のことだ。
「エリッスやウルエラが討たれたのは意外ではあるが、驚きはせん。だが、カリウヴェまでもが倒された…となると予想を超える」
同じ勇者や英雄であっても、その枠内では上下がある。エリッスやウルエラは確かに強かったが、得手が際物めいた者達だ。そういった勇者上がりであれば、規律の取れた帝国の部隊に捕捉され、勇戦虚しく倒れた…となったのもあり得る話だ。
しかし、“境涯”のカリウヴェは違う。
彼はいわゆるところの万能型であり、デマンや第一勇者と共に隊を支えた者だ。その力量を超える者がいる…というのは不思議ではないが、あらゆる状況に対応できるのが万能型というものだ。逃げの手もそこに含まれる。
つまりはカリウヴェほどの者が逃げることも叶わず、打倒されたことになる。それを可能にするのは強大な個の存在。
「お前の腕を奪った者だと思うか?デマン」
「そこまでは分からんよ、私は神ではない。だがあの者ならば可能だろうな…この私が手も足も出なかった。負けたことに一切の疑問も残らん。…しかし、あの男は結局は孤軍だ。あの男がやるには被害が広範に過ぎないか?エリッスにせよ、ゲルドヴァにせよ担当区域は別々だ」
トリドにも人材は多い…とはいえ、勇者ほどの人材を一箇所に置くほどの余裕は無かった。集結させればそれこそ帝国軍に飲み込まれて終わりであった。帝国の人材の豊富さはトリドの比ではない。
だからこその嫌がらせめいた分散配置。…そう、所詮は嫌がらせである。
トリドの敗北は人魔戦争を生き抜いたデマンと第一勇者には見えている。しかし、寄って立つ旗を変える気はない。
「何やら我らも知らぬ者が動き回っているようだな。まぁそれも当然か。なにせ既に3分の一は奪われて、既に我らが物ではない…さて、未だ知らぬ強者は誰なのか」
第一勇者は再び訓練場に視線を戻した。
速成されていく兵たちの中で、一人だけ別の訓練を受ける若者がやはり目につく。
「お前がもっと早く彼を見出していればな」
「一言も無い。やはり私はもう時代遅れだったのだな…すまない」
剣聖を相手取り善戦したデマンも第一勇者の前には頭を下げる他無かった。
トリドの第一勇者…彼こそがかつてのトリド勇者隊の長。
小国であるトリドが魔将を討つという快挙を成し遂げたのは彼の存在あってこそ。
近接戦の最上位の称号である剣聖になぞらえて“弓聖”の異名を取る男…名をメラルといった。
/
スフェーンは戦いの一部始終を観察していた。
戦闘に向いた適合者は貴重ではあったが、それを捨て石として噂の傭兵を観察した。事前にクィネを付け狙っていたディアモンテの暗殺者を捕らえたことにより、彼の正体を知ったが俄には信じられない思いであったのだ。
…まさか、彼の剣聖がこんなところで韜晦していようとは思いもしなかったのだ。
ディアモンテから離脱したのも、魔王を討ったのが勇者姫ではないこともある程度は察していたが。
彼が齎す政治的な価値は計り知れない…が、スフェーンはそんなところに興味はない。
大事なのはこの褐色の男が、スフェーンの卑小にして壮大な目的に欠かせない強大な個であることだ。それも剣聖。望むべくもない最上位の戦士だ。
結果は圧倒的だった。
グルダ・ガルダという中位魔神にせよ、サレイオスという融合体にせよ…容易く倒せるものではない。それが終わってみれば傷一つ負わせることができなかった。
性能というものでは測れない、真の強者だ。
ディアモンテも阿呆なことをしたものだ、とスフェーンは思う。
この男を敵に回すならば、国一つ相手取ったほうがマシである。だからこそ、今でも暗殺者を送り続けているのだろうが。
「…だから、次の貴方には期待している」
声にどう応じたものか、スフェーンは悩む。
どう答えるべきかは分かっている。偶然からとは言え帝国軍第2軍団長である。若くとも人を見抜く目は磨かれている。だから分からない。本当にこんな飴玉を喜ぶ人間がいるということが、どうにも信じられない。
「まずは名乗っておきましょう。私の名はスフェーン。帝国軍が第2軍団の長を務める者。そして謝罪を…サレイオスを使って貴方を試すような真似はするべきではありませんでした」
「お偉いさんか。まさか今更味方だとでも言う気か?」
「いいえ。それはこれから決まることです」
ほう…と剣聖の目が細まる。
剣聖。だが彼を剣聖と扱ってはならないということを、スフェーンはサレイオスから学んでいる。
「私自身が試すべきでした。傭兵クィネ…今から私と戦っていただきます」
「そう。俺は傭兵だ。戦うかどうかは報酬次第らしいぞ?」
さぁ来た。その質問には答えを間違えられない。
スフェーンは疑問を押し殺して戦意へと変える。
「私が勝てば貴方は敵となり、貴方が勝てば私は味方となります。それでは不足?」
自分で紡いだ答えながら、とてもマトモな会話には思えないと嘆息するスフェーン。
なにせ利益も不利益も、道理もありはしない。しかし、これまでの剣聖を見る限りは彼が望むのはそうしたものである。
「きひひっ」
褐色の男が笑う。
月光と相まって三日月のようだった。
「ソレは良いな。雇い主殿はもういるので、そっちはそっちで交渉してもらうとして…是非も無い。さぁ戦おうじゃないか、先程の男のような無様を晒さないだろうと俺は信じている」
戦う者には見えないスフェーンの容姿に対しても、クィネの戦意は常と変わらない。
見た目で判断する常識など既に彼には無いのだ。
「最初から加減は抜きで行かせて貰いましょう…!」
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