「魔王が倒れ、戦争がはじまった」

松脂松明

墜落

 そして、あっさりと人魔戦争を人間の勝利に導いた英雄は殺害された。
 会食の最中に用意された盃に口をつけた途端に倒れ、それっきりだった。

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 ディアモンテ王国の王城へと至る大通り。
 そこかしこにうめき声を上げる兵士達が転がっており、戦場のごとき有様だった。
 違うのは倒れ伏した兵らがまだ生きているということだろう。王都の警備隊は殺されることなく無力化されつつあった。

 それを行ったのは一人の男だった。
 褐色の肌に高い背丈。詳しい者が見たならば鍛えあげられつつも、針金ののように細く、ひょろ長い手足から彼が南方の蛮族だと分かるはずだ。

 一国の首都である。王城への道のりは一直線ながらもひたすらに長い。だが彼の足ならばそう遠からずたどり着いてしまうだろう。兵士達がいくら阻もうともだ。
 再び現れた小部隊があっさりと剣の平で叩き伏せられた。射掛けた矢よりも速く懐に飛び込まれるなど想像していなかったに違いない。
 王都の警備隊は能力的には優れているのだが、最初から将来を嘱望された者たちで構成されている。それゆえに人魔戦争において最前線に出たことがなかった。結果として残ったのは見識の不足だ。この世界には生半な数では圧倒してくる個人がいる。それを知らなかった。

 ――鬱陶しい。
 道を切り開いていく男だったが、その内心は焦れに焦れている。
 ――異民族だから、異教徒だからと王都を離れていればこれか…
 この兵たちは時間稼ぎだ。男に敵わないと知りつつぶつけてきている誰かがいる。

 拒馬槍を両断する。槍衾を飛び越える。
 横の路地から奇襲をかけてきた兵を大曲刀の柄で思いっきり突いた。鎧が凹んで食い込んだ兵は苦悶の声を上げ続けた。それに怯んだ残りを尻目に前へ前へと突き進んだ。

 そして――

「そこで止まれ、剣聖殿」
「そこを退け、将軍殿」

 剣聖にとっても知った顔がこれまでの雑兵ではなく、意思持つ敵対者として立ちふさがった。
 飾り気の無い鎧と剣は質実剛健を旨とした人物であることを知らせる。装具のみ見れば二人は奇妙に似通っていたが、今や立場を異にしている。
 あくまで国に忠義を尽くさんとする男と敵対してでも報いを受けさせようとする男として。

「ここで引いてくれるのであれば…私の命に変えてもこれまでの敵対行為は不問にしてみせる。だがこれ以上先へと進むのであれば…」

 排除しなければならなくなる。
 朴訥そうな顔が苦虫を噛んだように歪む。この未だに若い将軍にとっても今回の事態は不服なのであろうことは疑いなく、剣聖もまた将軍と戦いたくは無かった。
 人魔戦争は大きく分けて二つに分かれていた。一つはこの将軍のような者が兵を率いて魔の勢力に抗う。そして剣聖達のような者が敵地の奥深くに入り込み、有力な魔族を排除する。
 二人は戦場は違っても同士だ。魔を討つべく命をかけて“共闘”した仲といえる。

「退けるものかよ。同じ水を飲んだ盟友が卑怯な手段で殺されたのだ。誰であろうとも〈血の報復〉を行うまでだ」
「〈血の報復〉…南方蛮族サウスマンの復讐法か。王国の法による裁きを待て。そうした行いがお前たちを蛮族と呼ばせてしまうのだ。大体にして誰が彼を殺害したのか、お前にははっきりと分かるまい」
はっきりと・・・・分かる必要があるのか?関わったのも皆全て殺すまでのことだ」

 罪の大小に関わらず関与したものを全て殺す…剣聖が語る法はおぞましい連座刑に他ならない。生まれと育ちから来る違いを前にして将軍は剣を抜いた。
 対する剣聖もまた大曲刀を担いだ。説得など不可能だと互いに諦めてしまった。

 瞬きほどの間に二つの鋼が闇夜を火花で照らした。

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「蛮族だと!ああ、蛮族で結構だ!貴様らのような虫けらに成り下がるくらいならな!そんなに勇者あいつが気に入らなかったのならば堂々と勝負を挑め!毒などと…!」
「だからといって、お前のような無法に出ていいわけがあるまい!そんなことを許せば、世の中はただの闇だ!魔が跳梁していた時代とどう違う!?」

 打ち合わされる剣戟の凄まじさに指揮官の一騎打ちを見守る兵たちは息を呑んだ。
 …将軍が優れた剣士でもあるのは剣戟が成立している時点で証明されていた。斬魔の域にある剣聖と切り結ぶには最低でも斬鉄の領域に達していなければ話にもならないのだから。
 しかし、十合を越えたあたりから地力の差が露呈し始めた。
 才の差、鍛錬の差も然ることながら剣聖は将軍と違い個人としての武を磨くことだけに神経を注いで来たのだ。それを踏まえれば違うのは純粋性の差とも言えるだろう。

「どうした!屑どもの下で暮らしていて腕が鈍ったか!?岩陰に潜む虫けらどもに使われた挙句がそれか!見るに耐えんぞ!」
「お前が言えたことか!私程度・・・にこうまで手こずる…それこそがお前が矛盾している証拠だろう!剣先にキレが無いぞ!当代最強がこの程度のはずはあるまい…!」

 指摘に剣聖は唇を噛んだ。
 そう、剣聖は全力ではない。そしてそれは望んだ手加減ではない。
 剣を振るう以上は相手に敬意を払い、死力を尽くすことが礼儀にも関わらず、それが出来ない。
 将軍は同士なのだ。それを撃ち殺してしまえば…己は王城に巣食う者どもと…どう違う?いいや違うはずだ、己は少なくとも自身の手を汚す気でいる。
 心を奮わせようとしても肉体がそれを裏切る。

 ――こいつとは戦いたくない。

 そんなありきたりな感情を初めて味わい、持て余す剣聖を将軍は痛ましげに見ている。

「お前の武勇に救われた私達が言うことではないが…お前は故郷から出て来るべきではなかったのだ。熱い砂漠こそがお前のいるべき所で、こんな冷たい石の街ではなかった」
「黙れよ…!頼むから黙って通してくれ!」

 強者が一枚劣る者に哀れまれていた。応える剣聖の声は泣き叫ぶ子供のようだ。
 ――この地に来るべきでは無かった?それは…あいつらと出会わなければ良かったということで…
 認められる筈もない。

「なぜだ!?人の皮を被った畜生どもを殺すだけだろう!?なぜ貴様のように誇りある男がそれを邪魔するのだ!」

 矛盾に苦悶する言葉とは裏腹に速度を増していく剣。心の乱れによって加減が効かなくなってきている。
 今や将軍は打ち返すこともできずに防戦一方だ。しかし、剣聖は本当に優勢なのか?
 親しかった人との決別に心が軋んだ顔は人魔戦争の頃とは別人のようだ。

「誇りがあるからこそだ。そして…敵と味方に世界が分かれている時代は終わってしまったんだ、セイフ」
「黙れぇぇぇ!」

 とうとう一線を越えようとする大曲刀。
 混乱した担い手の感情を無視して刻み込まれた動作が最高の一撃を見舞おうとした。

「…遅くなりました将軍」

 その時、青い宝石で出来た刀身が曲刀を阻んだ。
 他者の接近に気付かないほどに剣聖は混乱していたのだ。

///

 金をくしけずったかのような髪が夜風に流れる。月に照らされたソレは地上に現出した太陽のようだ。
 人々を魅了して止まない肢体を金属で覆っている。ドレスを鎧にしたならばこのようになるだろうと思わせる。
 美しい顔と剣に合わせたような青い瞳もまた、剣聖を哀れんでいた。
 後ろに3人の伴を引き連れている。どれもがやはり知った顔。

「貴様達まで俺を邪魔するか!」
「鉄で全てが決する時代は終わるのです、剣聖様。どうか…退いて下さい。聖女様と魔女様の安全は既に確保しています。あの方を弑した者も必ずや突き止め、法の下に裁かれます」

 涼やかな声が理を説く。
 …魔の支配していた地域に送り込まれた少数精鋭は剣聖達だけではなかった。彼女たちもその一つで、魔王を討伐した一行に勝るとも劣らない活躍をあげていた。
 正真正銘の王族でありながら、聖剣を振るい各地で名を謳われる姫勇者が敵に加わった。

「…そうか。そうだったのか」
「…剣聖様?」
「貴様達も関わったんだろう!そうだ、そうでなければ邪魔などするはずもない…!」
「何を…」
「錯乱したか、哀れな」

 世界の全てに否定されたような感覚に襲われた剣聖の心が限界を迎えて、あり得ない答えを導き出した。自己の正当化にも似た理屈が殺人を肯定し始めた。
 剣聖が大曲刀を担いだ。その威圧感は先程までの比ではない。極限まで凝縮されたあらゆる感情が、剣に伝わる。蘊奥に達した者の恐ろしさはここにある。本来不利に働くはずの負の感情さえも単なる燃料として機能させることができるのだ。

「…全員、構えなさい。魔将、いえ、魔王を相手にするつもりでかかりなさい。さもなければ…」

 どうなるかは眼に見えている。両断されて終わるだろう。そして自分達の誰かを討った時、剣聖の完全な堕落が完成するだろう。魔王を討った者の一人をそんな目に合わせるわけにはいかない。
 姫勇者はあくまで“相手の為を思って”自身も剣を構えた。

「――〈大火球〉!」

 姫勇者の仲間の一人が魔法を完成させたことを皮切りに再度の死闘が幕を開けた。
 放たれる紅蓮の弾は人間ほどの大きさがある。単純ながら強力な術だ。消耗も激しいため乱用ができないそれをいの一番に用いる。即ち先手必勝。
 南方蛮族は熱に耐性があるだろうが、石すら溶かす一撃を受けて無事で済むはずもない。

「ふっ――!」

 避けることを許さないと、左右から動きを封じるべく将軍と姫勇者が躍りかかる。しかしそのどちらもが思っても見ない行動に剣聖が出た。…大火球に向かって突撃したのだ。

 闇を煌々と照らして飛んでいた赤い弾丸が両断された。魔法を切り裂く絶技に魔術師が叫び声を上げた。

「馬鹿な!あり得ない!」

 もはや剣聖は言葉すら忘れたように剣を振りかざす。あわや魔術師が討たれる寸前で、正確な矢が射手から放たれる。それは続けざまに十を超える矢となり、驚くほどの速射であった。九までは剣で叩き落とした・・・・・・・・剣聖だったが、最後の矢を足に受けて動きが鈍る。
 彼ら姫勇者の伴3人もまた“勇者”に相応しい実力を兼ね備えているのだ。

「止まって下さい!」

 動きが鈍ったところに追いついてきた姫勇者の剣が振るわれる。
 魔王を討った聖剣の姉妹剣。
 それが自分に向かってくる光景に剣聖の精神は更に悲鳴を上げた。そしてその悲鳴すら燃料として剣技は更に上昇する。

 剣聖達を率いた勇者の聖剣は外に向かって聖光を放つ効果を持っていたが、その姉妹剣は聖光を内に秘める。つまるところ、神秘を発揮する度に単純に武器としての性能が上がっていく。切れ味、耐久性共に人界に並ぶ者無し。

 それに対して剣聖の大曲刀は単なる鋼である。
 しかし聖剣を相手取り、全く問題なく打ち合わされて一歩も譲らない。それを可能にしたのは剣聖の今も上昇中の技量だ。本来ならば一合目で大曲刀が砕けていてもおかしくはない。

「神よ…!なぜこんな純粋な方に剣才をお与えになったのですか…これではあまりにも…」
「シイィィィっ――!」

 鋭い呼気に合わせて振るわれる大曲刀。
 打ち合う度に加速して止まらない。
 途中から将軍が加わったことでようやく防戦が成立するほどに高まった剣聖の技量。
 剣風による少竜巻の前に兵も、魔術師も弓手も援護する隙が無い。

 その最中に突如として、乾いた音が響き渡った。

////

「…あ?」

 大曲刀が半ばからへし折れた。
 それは横から飛来した杖の一撃を受けたからで…

「ああ…あ、あぁああ!」

 杖を投げ放ったのは…共に旅をした仲間の一人で…

「うわぁぁあああっ――!」

 今度こそ全てを否定された剣聖は狂乱して駆け去っていった。

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