TRICOLORE総務部ヒロインズ!〜もしも明日、会社が消滅するとしたら?!~

簗瀬 美梨架

【2-8】無形なるモノ、所有されしモノ

 雪乃の勤める羽山カンパニー・ソサエティはご存知田町にあり、鷺原眞守の活動拠点は新宿である。雪乃には悠々自適な「トレーダー」の生活リズムは理解できないのだが、少なくとも、鷺原の身なりは勤め人のそれだ。

 六時の定時ダッシュをこなして、山の手線に飛び込んだ。内回りで品川プリンスホテルを目指し、スプリングコートを翻らせる。

 品川は巨大ビジネスエリアとして注目されている。品川新都心と呼ばれ、オフィス街も充実していて、田町からも近い。一駅だが、歩くとなると微妙な距離かつちょっと厄介で、人混みに揉まれる嵌めになる。


 ――「ふたりの恋のために 遠距離恋愛応援ステイ」――

(あ、素敵)とうっとりさせる煽り文句に目を奪われているうちに、イルミネーションが灯り始めた。頬をピンク色に染めたところで、スーツ姿の鷺原を発見した。

「眞守さーん」

 篠山雪乃、彼氏と夜のデートです。さすがに「ふたりの恋のために 遠距離恋愛応援ステイ」お泊まりプランは断ったが。


***


「――雪乃ちゃん、牡蠣は大丈夫? フランスのリヨン料理だから、貝の盛り合わせが山ほど来るんだけど」
「大丈夫です」

「ボヤージュ」とはフランス語で船出。マリンデザインのすっきりした店内は程よい明るさだ。ぼんやりと空気を染めた白光に目を細めていると、たちまち気分はアフター色に染まる。

「食前酒を」鷺原と夜の会食を嗜むは、実は二回目。一度目は落ちたフォークを拾わずに、替えを持って来るように丁寧に指示をしていた姿に二度惚れ。
 今日はワインを頼む仕草に三度惚れ。
   ルビー色のワインを注がれたグラスをカチリと合わせて付き出しのチーズを摘んだ。

「まずはお疲れさま。またお局海空さんに苛められなかった?」

 一番に雪乃の話を聞いてくれる。

(わたしは、眞守さんの前だと、気が楽なの)

 海空との違いを脳裏に列挙してみる。男と女、内部と外部、聞き上手と話し上手……。以前のランチでも披露したような理論を鷺原は時たま交えて会話に興じる。
 少しばかりの知識欲が丁度いい。

 しかし、今日は使命がある。「鷺原に会社に恨みがあるのか、訊いてこい」とのお局命令だった。異論はない。雪乃としても釈然としないからだ。もし、好きな相手が自分の会社を怨んでいるなら、それは辛すぎるし、海空の言葉も正しいと思える。

 ――総務部は秘密が多い部署。例えば、株主総会や、役員名簿の管理も実は総務である。人事部はあくまで「社員」専用の部署となり、残りは全部総務に回されるは言うがもがなである。

 雪乃は頬をカイロのようにほこほこに染めて、指を絡ませた。

 鷺原は大きなワイングラスのステルを指で挟んで持ち上げて煽った。ゆら、と大きく揺れる赤い海が眼に映る。ゆうらゆうら、揺らいでいる心の如く。

「うん、苛められてるわけじゃなくてね……あ、あの」
「如何にも、お局さまだもんな。苦労してるんじゃないかな、と思ったよ」

(えへ)微笑みに包まれて、雪乃はワインを持ち上げた。秘書の勉強だけじゃない。ワインの講習も通っているので、嗜みは出来る。鷺原は「良く出来ました」とばかりに微笑んで頷いてくれた。

 ――良かった。あたし、ちゃんとやれてる。うん、努力はやっぱりきらいじゃない。自分のための投資だわ。

 履歴書の資格の枠が溢れるほど、雪乃はイロイロ挑戦してきた。

「ワインを良く分かっているね。うん、さすが秘書になりたいだけはある」
「必要だと思って。あ、テーブルマナーもやったの! ウフフ、田舎のホテルで、テーブルマナーのツアーを見つけてね。だから、貝でもエスカルゴでも大丈夫」

「オレ、母親と来た時に、エスカルゴのトングの摘み方間違えて、カタツムリ飛ばしたな。――で? オレに何か聞きたそうだけど?」

 ――うっ。さすが鋭い!

「なにやってんの。見抜かれているわよ」
「ださ……じゃなくって! 雪乃さんがーんばっ」総務部の姉と妹が脳裏で、トリコロールの旗を振りながら囃し立ててきた。妄想体質健在である。
 ばたばたと頭の上の妄想を祓って、決意を込める。鼓動を静かにして小さく呼吸を繰り返したところで、鷺原がハッとスマホに手を当てたところだった。

「――っと。ごめん、ちょっとスマホいい? 株価の変動が」
「構いません。前みたいな意地悪は言いませんから」

 実は第一回目のデートの時、雪乃は鷺原がスマホを気にするので、むくれた経緯がある。結果、鷺原はスマホを鞄の奥に仕舞い、売り時を逃してしまった……らしい。

「デイトレーダーにとって、株価は一秒を争うんだけどな……株を買うにも資金がなければ買えないし」だそうな。

 しょんぼりとスマホを仕舞った鷺原に、どうにもこうにも微妙な侘びしい感情を噛み締めてからは、鷺原のスマホタイムもちゃんと考慮するようにしている。
 バイナリーの遣い手の異名をとる相手だ。雪乃には判らない大切さがあるのかも知れない。

「うん、羽山カンパニーの株が上がって来ているみたいだ。バイナリー・オプションはNOにしたけど。鉄鋼が下がって来たからね。ユーロ株も下がってる」

「え? ウチの会社の株ですか?」

「オレ、株主だよ? 優待が良くないからさ、保有は1%だけど。最近ちょっといいなと思って、発行済み株式の3%くらいを目指してるところ。きみたちが必死で蛍光灯を替えたり、雪乃さんがお局の下でぐっと我慢している日々を応援しているわけだ」

「応援ですか」
「そうだね。株主は会社が好きで株を買って出資で助ける相互補助だよ」
「好きで?」

 ――もう答えは見えた。会社を怨んでいるならば、株を買って応援したりしない。海空の思い違い+深読みし過ぎだろう。

「ありがとうございます」判らないなりに頭を下げた。ついでに疑ってごめんなさいの意味も込めて。

「株式会社って面白いよな。3%を所持出来れば、株主総会の召集や帳簿の閲覧も出来る。どんな経営方針かを探りたいなら、株主になるのも手だよな」

「帳簿? あたし、よくExcelでやってますよ」
「その帳簿じゃないね。金融庁に提出する労務帳簿。会社の資本金や、貸倒金、社員の労災や、赤字決算、ほとんどの経理資料だから、総務じゃなくて、経理部が発行している「年次報告書」だよ」

 さすが、詳しい。博識に呆けていると、湯気を立てた貝のプレートが運ばれて来た。

 リヨンのお店なので、海鮮類が中心。ちゃんとエスカルゴの「トング」と呼ばれるU字形の道具も並べられている。左手でトングを持ち、貝を固定しながら、右手にフォークを持ち、中身を引っかけて取り出す。汚さずにすぽんと抜けた。貝殻をそっと戻して、アツアツのエスカルゴを口に放り込んだ。
 ――うん、美味しい。

「トングがあって良かったです」

 なければ、手づかみ。鷺原の前でフィンガボウルは避けたい。せっかくのネイルも、ハンドクリームも下手すれば化粧も落ちるかも知れない。

 地味顔はまだ見せていない。――結婚したいけど、地味な顔を見せたくない。

「エスカルゴは冷めると中身が固くなる。熱いうちに食べよう。雪乃さん、バゲット」

 溢れ出たソースをパンに染みこませて、口に運んだ。大きなフォークとトングで貝を山盛りに粧ってレモンをしぼりながら、鷺原が話を再開した。

「つまり、お金を出せば、会社の経営にイチャモンも言えるってね。やあ、美味しそうな牡蠣だな」
「美味しそうです~。大きいですね」
「雪乃ちゃん、どうぞ」
「りょ!」

(あ、うっかり! 鈴子が移った!)

 うっかり鈴子の口癖を出して、鷺原の目を丸くさせてしまった。でも、鈴子の「りょ」より絶対可愛かったと思う。気品もあっただろうし。

 ――会社を怨んでいるのか、なんて聞けないけど、話を聞いていたら、とてもそうは思えないな。

「聞きたい事項があったんだったね」

(ドキ)となりながら、アフター用のネックレスを揺らす。鷺原は海空に似ていて、ずばり言い当てるが早い。

「ご、ゴルフのお話。ウチの営業が迷惑をかけたって……海空さんがね」

 海空と鷺原が天秤に載せられた。エジプトのマアト神の天秤は、確か羽と心臓を量る。羽が鷺原への疑い、心臓は――……。

(佐東主任のことを話すくらいなら大丈夫なはずなのに。何か、不安)

 不安を詰め込んだ雪乃の心臓かも知れない。

「迷惑はかけられてないな。言ってあげたらいいよ。無理して祝賀会はやらなくてもいいんだ。毎朝、行ってるらしいね。先方も困り果てるって」
「らしいです。それで、社内イジメに発展しちゃってて……」
「オレはその組織という檻が嫌いで、こんな生き様をしているからな。苛めも嫌いだな。見ているのもイヤだし、解決も面倒。そうそう。会社設立って簡単でね。株を100%占めればオーナー会社として登記できる。平成18年の新会社法で、最低資本金額が下がったんだ。3人で会社作ったら? トリコロール」

 雪乃は社長椅子にガーターをチラ見せして、バックのトリコロールの旗の前でふんぞり返る海空が「勝利はあたしに!」と告げると、営業たちが「勤怠終えました!」「ご苦労」……を瞬間で想像し、噴きそうになった。

「駄目ですよ。会社の中で会社作っちゃ」

 なごやかな雰囲気だ。このまま、会話が続けば何か聞き出せるかも知れない。

「ともかく、総務として何かしてあげなきゃって。でも、考えてるんですけど」

「接待じゃないかな。お詫びはされるも嫌なモノだ。特に、今回のようなゲームはね。こういう場合は、大抵専務の傍にいる手下が展開を悪くする。色んな人間がいるだろう。足を引っ張るやつ、足を引っ張ろうと手ぐすね引いてるヤツ、踊らされるヤツ、一皮剥けば、大抵のボスは気が弱いもんだ。だって、専務言っていたからな。「凄いなぁ」って。その傍の前歯が……」

 何を思い出したのか、鷺原はククっと笑いを零した。

「性格悪い笑いかたですね」

 肩を竦めて、「うん。こんな男だけど、宜しく」と手を握られた。答えは勿論、「はい」である――。


***


 程よく酔いが廻って来た。ところで、鷺原は雪乃を大胆にもホテルの部屋に誘った。しかし、雪乃は大慌てで断ろうとして、蹌踉けた。


(わ)

「危ないな。いいだろ、デート二回目……早い?」

〝デートDVは三度目から出るのよ〟またお局の言葉が酔いの邪魔をしたお陰で、雪乃は正気に戻って、営業スマイルになった。

 二度目でHは早いと思う。というか、雪乃はその先を知らない。あの大きな胸板に抱き締められて、キスして、下着……だめだ。相当酔っている。


「明日も加湿器の掃除がありますから」


 もっと断り文句はないのかと突っ込みを入れたところで、ホテルのドアが開いた。華やかな一陣が通り過ぎた。


「株主とぉ、総務の逢い引き。見―ちゃった★」の寿山桃加の声と共に雪乃の夜デートは終了した――。

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