TRICOLORE総務部ヒロインズ!〜もしも明日、会社が消滅するとしたら?!~
【2-11】人が人を許す刻
はらはらと、美しい花びらが、海空の前を通り、雪乃の腕を掠り、鈴子の頭にふわりと舞い降り――……そんな優雅な花びらも、激しい動きで吹っ飛ばされて行った。
「主任! ビニールシートはこれでいいんですかっ!」
「だめよ! 杭でしっかり打ちつけて! あ、食品業者の呼び出し。もしもし、渋滞に巻き込まれたァ?!」
トリコロール総務部の本日の仕事は青空の下。東京都の開花予報は、気象予報よりも良く当たる。
朝出社して、鞄を置いて、すぐに芝公園へとダッシュする。このSEASONは花見をする会社が多く、ましてや羽山カンパニーは品川・田町のオフィス天国港区の会社だ。東京タワーのお膝元、桜と東京タワーを同時に見ることができるという贅沢も味わえるためにライバルが多いが、今回ばかりは「接待花見」。予定した予算を大きく上廻ったが、それもゴルフハプニングのせいである。
無人の場所取り、当日以外の場所取りも厳禁! のなかなか厳しい局面だ。
通常のダンボールから酒取ってけ! とは行かない。それなりのレストランからのデリバリーや、ギリギリで予算を勝ち取ったローストビーフ切り分け(鰐は無理でした)、フルーツにワインのオードブル。最後に見応えのある桜。営業部希望のささやかな交渉場所。
テーブル業者はテーブルをセッティングして帰っていった。あとは事前にテーブルを飾って五時にはスタート。
もう二時間が経つから、あっという間だろう。
「ああ、風が邪魔しますぅ!」這いつくばってビニールシートを貼る鈴子の眼の前で、シートが持ち上がった。
たちまちずだん! なガーターの足。海空は爪先でシートを押さえながら、貸し出し許可の下りたモバイルPhoneに噛みついている。
「あ、ありです。いえ、ありがとうございますぅ」
「ほら、すぐ留めるから、鈴子、押さえてて」
充分な敷地と配置を確保したら、次はロープを張り巡らせ、最後に「羽山カンパニー」とでかでかと書かれた張り紙を垂らして、第一段階は終了。
しかし、広大な公園に蠢いているは、総務部のみである。
他の部署の代表は午後の合流。つまり慢性的な押しつけ業務。
「な、なんでなんでもかんでも、私たちだけなんですかぁ!」
「昨年他の会社と喧嘩したからだって! ほら、ロープやるわよ!」
「ふえええん、雑用ばっか~~~~」
「それが総務。鈴子、しょうがないでしょ。そのうち営業部隊が来てくれるわよ。あ、お酒届いた! こっちでーす!」
頭と手と足と口と耳が同時に違うことをやる総務部主任は大手を振って、酒屋の車を誘導し始めた。本当、何を食べればあんなに元気でいられるのだろう。
雪乃ははふ、と息を吐いて、むん、と拳を握り締めた。
海空とはいろいろなわだかまりがある。でも、それは社会人には当たり前の話で、味方を作るためには、苦労していい。
(あたしは苦労や、努力はしたら負けだと思ってたけど)
努力や苦労は誰だって嫌だろうと思っていた。しかし、海空や鈴子はどうだろう?
少なくとも、楽しそうに見える。上ばかり見て、何も掴めていなかった。
ハラハラと落ちる桜に雪乃は語りかけた。
「あたしから抜け落ちたモノ……見つからないな」
鷺原との交際も、あまり奨励されていないであろう事実は、先日の「社内監査室」の一件で身に染みた。だから、今日まで逢っていない。
その後の総務の仕事は多忙を極めた。この数日の仕事はよくは覚えていなくて。
「よーっしゃ! あんた頑張ったねえ!」の海空の笑顔は覚えているけれど。
「綺麗ですねえ。役得かも?」と鈴子が雪乃に寄り添ってきた。ふにゃんとした笑顔で、笑顔を塗り被せた。
「役得?」
「だって、会社にいたら、こんなお花見出来ませんもん。あたし、主任と雪乃さんと食べようと思って、お菓子つくって来たんです。お昼ないといやだなあって」
鈴子は足を伸ばすと、真上に広がる桜の世界を嬉しそうに見詰め始めた。
「役得、かもね」
「デショ? あ、雪乃さん、なんか変わりましたね」
鈴子はくすっと笑って、ひとさし指をちょいちょいと動かすと「これ以上は教えませんケド~」と海空の手伝いに駆けて行った。手を翳すと、新しいリングの煌めきが視界に飛び込んだ。
――眞守さんに、ちゃんと聞かなきゃ落ち着かないな。
社内で噂にならなかったのは、幸運だったのかも知れない。それは海空や監査部のお陰で……。
「総務部、頑張ってるねえ!」思考の最中で、社内有志たちが到着した。
「あ、お疲れさまです。佐東主任は、今お酒のほうで采配してます」
「――うーす……」
(あ、佐々木さん)と思っていたら、眼の前で、営業たちが気に入らなそうに佐々木の頭を小突いた。
「当然手伝わせようと思って。こいつが全部やるから。元はこいつのせいなんだから。あんたらは帰っていいよ。なあ、佐々木、やるよなぁ! 俺らの書類も、計算も全部!」
(それって……)雪乃の脳裏に嫌な風が吹き始めた。寿山と雪乃のタイマン喧嘩も醜悪だが、営業部の苛めはもっと劣悪だと聞く。
「オラ、さっさとやれよ! 佐東主任の運んでいる酒の箱、持ってやれ、役立たず」
どんと背中をどつかれた佐々木は唇を噛みしめていたが、大人しく海空の元へ行った。
雪乃の内部で、鷺原の言葉が甦った。
〝色んな人間がいるだろう。足を引っ張るやつ、足を引っ張ろうと手ぐすね引いてるヤツ、踊らされるヤツ、一皮剥けば、大抵のボスは気が弱いもんだ〟
東峰銀行の担当の佐々木は成績が良かったのかも知れない。嫌々でも総務にいれば見抜けてくる。きっと、そう。
営業には「ノルマ」の他に「歩合」があって、銀行株を扱う佐々木の給与は高い。それが営業部の苛めの火付け役になると判っていたなら、鷺原は悪魔だ。
何時間も束縛される会社の人間関係が地獄なら、毎日が地獄になる。
(やっぱり、ウチの会社に恨みがあるの……)思う前で、営業たちがククっと笑っているに気付いた。
「みろよ、あのへっぴり腰」
「ウケケ。あいつ、毎朝東峰に何しに行ってんだろうなぁ? 勤怠まで誤魔化して」
「謝りに行ってるんじゃないかと思いますけど」
談笑が止んだ。後で、営業たちはまた笑いを漏らし始めた。
「おいおい、総務ちゃん、そうそう簡単に専務にゃ逢えないんだぜ? 精々名刺をちょこんとドアに挟んでくるが精一杯だって。もし、個人で謝ってたらそれはそれで問題だろうがよ」
「そうですけど! あの、あまりにも」
雪乃はスカートを握り締めた。こんな原因を作った鷺原を信じて良いのか、怨めば良いのか、他人事だなどと思えない。陰に鷺原が潜んでいるならば尚更だろう。
指輪を受け取るより、信頼を受け取るほうが大変で、崩れた信頼は2度と戻らないかも知れない。
そこまで判っていて、鷺原は嗾けた――?
「総務は黙って俺らの給与、割高に計算してればいいんでしょ? 人の世話してお給料貰えるなら、あー、俺も総務やりてーっ。尾城林さん、天下り? ギャハハハハ」
(な、なんっつ……卑下にも限度が……殴っていいのかな、殴りたい)
拳を作ったところで、海空がやって来た。
「――あんたの言動、パワハラとして監査に査定願い出す。総務部舐めるなよ」
一言で黙らせて、スタスタと戻って行った。
「恐……」営業たちは大人しくなり、「オンナはいいよな」と今度は女性全体の愚痴にシフトした。
「電車でも、痴漢に間違われないように苦労させておいて、のんびり乗ってんだもんな。俺らはあんたらに「痴漢された」と言われたら、駅員に股間探られて、勃起してたら「黒」……ところで、佐東に睨まれるのヤダ」
「おい、行こうぜ」と役立たずの営業は引き下がったところで、海空がまたやって来た。
「ボサボサしてるなら、あの箱、あんたたちも運んで」
「えっ?」
「査定かけるよ」
印篭のような二文字に営業たちもまた佐々木と同じ作業に移った。呆然と見ていると、アリガト」と海空が雪乃の肩を叩いてくれた。
「総務部をコケにしたあいつらを殴ろうとしてたでしょ。人の世話してお給料。確かにね。でも、あたしたちにはこの仕事の誇りがある。会社の土台はウチらだよ」
「誇りですか」
「探せばそこら中にあるでしょ。埃も誇りも」
話の途中で、立派な車が通りがかった。芝公園のとば口に乗り付けてきた黒塗りのリムジンはどうみてもどこぞのお偉いさんの車である。直ぐさま海空が心底呆れてぼやき始めた。
「やあねえ、時間間違えて来たんだわ。たまにあるのよ」
すー、と窓が開いて「すぇんむ~」と前歯を剥き出しにした男の顔が見えた。
「やあ、ここにいたのかね」と半ドアにしたシートからは、メタボリックな顔が見えた。「東峰銀行の金凰専務!」と慌てて佐々木が箱を投げて、走って来て、ズザァ、と土下座の姿勢になった。
「し、失礼をしまして申し訳ございません! 大層ご立腹であるとお聞きして、なんとか、謝罪をと……しかし、お逢いにはならないと」
「うん?」とメタボ専務は首を傾げ、ぬっと立ち上がった。金融系の太った中年の威圧感をひけらかして、佐々木の前にむにゅっと屈み込む。
「通算15日。半月かな。毎日の通勤お疲れだったなぁ。皆勤賞だ」
誰もの顔に「?」が浮かぶ中、佐々木にメタボ専務は語り続けた。
「残念だがねえ、わたしの朝は早いんでねえ。車で五時には会社に来ていたから、始発では元々間に合わなかったんだ。しかし、きっちり六時に現れるきみを観てねえ、営業時代を思い出した。どうしても落としたかった相手に、わたしもまた通ったもんだ。
雨が降っても、槍が降っても。――人はそういうところに心動くものなんだよ」
営業たちがシンとなった。
「しかし君はぁ。すぇんむに恥をかかせたんだぞぉ。それでも、許すといってらっしゃるんだぞ!」
「前田くん」
(前歯で前田。笑っちゃいけない)と堪える前で、専務は「また是非接待してくれたまえ」と一言残して、ゆっくりと桜の中を歩き始めた。
「よろしく! お願い……します!」と佐々木は頭を地面に擦り付けた。
「立派な桜だ。少し歩きますかねえ」気まぐれに桜の下に足を踏み出し、慌てた営業たちがついていき、佐々木も走ってお供のように桜道を歩き出した。
後ろで仁王立ちになった海空と鈴子が満面の笑みになった。
「ふうん、やっぱりお偉いさんは人格がいいって本当ね。尾城林には無理だわ」
「良かったですねえ……佐々木さん、毎朝逢いに行ってたって主任の勘、当たりましたね」
「勘は経験から導く間違いのない結果の布石。さ、こっちもはりきって行きましょ!」
雪乃は1度だけ桜の中、ヘコヘコしている営業と、背筋を伸ばしている佐々木を振り返った。専務は佐々木を認めたのだろう。海空が雪乃を認めたように。
だから、嬉しさが判るし、あの時佐々木を何とかしてやりたかったのかも知れない。
「人が人を認める瞬間……感動しました。主任」
海空はやはり微笑みを浮かべて、不敵に笑う。桜がゆっくりと揺れて、ガンバル社会人を応援しているかのようで。
(夜、眞守さんにちゃんと聞こう。寿山のことも、会社をどう思っているのかも)
  もし、鷺原が雪乃から何かを引き出そうとしているのなら、夢と恋のどちらかを捨てなければならないのだから。
「1度しか言わない。覚悟を持て」
いつかの海空の言葉が今こそ生きる気がした――。
「主任! ビニールシートはこれでいいんですかっ!」
「だめよ! 杭でしっかり打ちつけて! あ、食品業者の呼び出し。もしもし、渋滞に巻き込まれたァ?!」
トリコロール総務部の本日の仕事は青空の下。東京都の開花予報は、気象予報よりも良く当たる。
朝出社して、鞄を置いて、すぐに芝公園へとダッシュする。このSEASONは花見をする会社が多く、ましてや羽山カンパニーは品川・田町のオフィス天国港区の会社だ。東京タワーのお膝元、桜と東京タワーを同時に見ることができるという贅沢も味わえるためにライバルが多いが、今回ばかりは「接待花見」。予定した予算を大きく上廻ったが、それもゴルフハプニングのせいである。
無人の場所取り、当日以外の場所取りも厳禁! のなかなか厳しい局面だ。
通常のダンボールから酒取ってけ! とは行かない。それなりのレストランからのデリバリーや、ギリギリで予算を勝ち取ったローストビーフ切り分け(鰐は無理でした)、フルーツにワインのオードブル。最後に見応えのある桜。営業部希望のささやかな交渉場所。
テーブル業者はテーブルをセッティングして帰っていった。あとは事前にテーブルを飾って五時にはスタート。
もう二時間が経つから、あっという間だろう。
「ああ、風が邪魔しますぅ!」這いつくばってビニールシートを貼る鈴子の眼の前で、シートが持ち上がった。
たちまちずだん! なガーターの足。海空は爪先でシートを押さえながら、貸し出し許可の下りたモバイルPhoneに噛みついている。
「あ、ありです。いえ、ありがとうございますぅ」
「ほら、すぐ留めるから、鈴子、押さえてて」
充分な敷地と配置を確保したら、次はロープを張り巡らせ、最後に「羽山カンパニー」とでかでかと書かれた張り紙を垂らして、第一段階は終了。
しかし、広大な公園に蠢いているは、総務部のみである。
他の部署の代表は午後の合流。つまり慢性的な押しつけ業務。
「な、なんでなんでもかんでも、私たちだけなんですかぁ!」
「昨年他の会社と喧嘩したからだって! ほら、ロープやるわよ!」
「ふえええん、雑用ばっか~~~~」
「それが総務。鈴子、しょうがないでしょ。そのうち営業部隊が来てくれるわよ。あ、お酒届いた! こっちでーす!」
頭と手と足と口と耳が同時に違うことをやる総務部主任は大手を振って、酒屋の車を誘導し始めた。本当、何を食べればあんなに元気でいられるのだろう。
雪乃ははふ、と息を吐いて、むん、と拳を握り締めた。
海空とはいろいろなわだかまりがある。でも、それは社会人には当たり前の話で、味方を作るためには、苦労していい。
(あたしは苦労や、努力はしたら負けだと思ってたけど)
努力や苦労は誰だって嫌だろうと思っていた。しかし、海空や鈴子はどうだろう?
少なくとも、楽しそうに見える。上ばかり見て、何も掴めていなかった。
ハラハラと落ちる桜に雪乃は語りかけた。
「あたしから抜け落ちたモノ……見つからないな」
鷺原との交際も、あまり奨励されていないであろう事実は、先日の「社内監査室」の一件で身に染みた。だから、今日まで逢っていない。
その後の総務の仕事は多忙を極めた。この数日の仕事はよくは覚えていなくて。
「よーっしゃ! あんた頑張ったねえ!」の海空の笑顔は覚えているけれど。
「綺麗ですねえ。役得かも?」と鈴子が雪乃に寄り添ってきた。ふにゃんとした笑顔で、笑顔を塗り被せた。
「役得?」
「だって、会社にいたら、こんなお花見出来ませんもん。あたし、主任と雪乃さんと食べようと思って、お菓子つくって来たんです。お昼ないといやだなあって」
鈴子は足を伸ばすと、真上に広がる桜の世界を嬉しそうに見詰め始めた。
「役得、かもね」
「デショ? あ、雪乃さん、なんか変わりましたね」
鈴子はくすっと笑って、ひとさし指をちょいちょいと動かすと「これ以上は教えませんケド~」と海空の手伝いに駆けて行った。手を翳すと、新しいリングの煌めきが視界に飛び込んだ。
――眞守さんに、ちゃんと聞かなきゃ落ち着かないな。
社内で噂にならなかったのは、幸運だったのかも知れない。それは海空や監査部のお陰で……。
「総務部、頑張ってるねえ!」思考の最中で、社内有志たちが到着した。
「あ、お疲れさまです。佐東主任は、今お酒のほうで采配してます」
「――うーす……」
(あ、佐々木さん)と思っていたら、眼の前で、営業たちが気に入らなそうに佐々木の頭を小突いた。
「当然手伝わせようと思って。こいつが全部やるから。元はこいつのせいなんだから。あんたらは帰っていいよ。なあ、佐々木、やるよなぁ! 俺らの書類も、計算も全部!」
(それって……)雪乃の脳裏に嫌な風が吹き始めた。寿山と雪乃のタイマン喧嘩も醜悪だが、営業部の苛めはもっと劣悪だと聞く。
「オラ、さっさとやれよ! 佐東主任の運んでいる酒の箱、持ってやれ、役立たず」
どんと背中をどつかれた佐々木は唇を噛みしめていたが、大人しく海空の元へ行った。
雪乃の内部で、鷺原の言葉が甦った。
〝色んな人間がいるだろう。足を引っ張るやつ、足を引っ張ろうと手ぐすね引いてるヤツ、踊らされるヤツ、一皮剥けば、大抵のボスは気が弱いもんだ〟
東峰銀行の担当の佐々木は成績が良かったのかも知れない。嫌々でも総務にいれば見抜けてくる。きっと、そう。
営業には「ノルマ」の他に「歩合」があって、銀行株を扱う佐々木の給与は高い。それが営業部の苛めの火付け役になると判っていたなら、鷺原は悪魔だ。
何時間も束縛される会社の人間関係が地獄なら、毎日が地獄になる。
(やっぱり、ウチの会社に恨みがあるの……)思う前で、営業たちがククっと笑っているに気付いた。
「みろよ、あのへっぴり腰」
「ウケケ。あいつ、毎朝東峰に何しに行ってんだろうなぁ? 勤怠まで誤魔化して」
「謝りに行ってるんじゃないかと思いますけど」
談笑が止んだ。後で、営業たちはまた笑いを漏らし始めた。
「おいおい、総務ちゃん、そうそう簡単に専務にゃ逢えないんだぜ? 精々名刺をちょこんとドアに挟んでくるが精一杯だって。もし、個人で謝ってたらそれはそれで問題だろうがよ」
「そうですけど! あの、あまりにも」
雪乃はスカートを握り締めた。こんな原因を作った鷺原を信じて良いのか、怨めば良いのか、他人事だなどと思えない。陰に鷺原が潜んでいるならば尚更だろう。
指輪を受け取るより、信頼を受け取るほうが大変で、崩れた信頼は2度と戻らないかも知れない。
そこまで判っていて、鷺原は嗾けた――?
「総務は黙って俺らの給与、割高に計算してればいいんでしょ? 人の世話してお給料貰えるなら、あー、俺も総務やりてーっ。尾城林さん、天下り? ギャハハハハ」
(な、なんっつ……卑下にも限度が……殴っていいのかな、殴りたい)
拳を作ったところで、海空がやって来た。
「――あんたの言動、パワハラとして監査に査定願い出す。総務部舐めるなよ」
一言で黙らせて、スタスタと戻って行った。
「恐……」営業たちは大人しくなり、「オンナはいいよな」と今度は女性全体の愚痴にシフトした。
「電車でも、痴漢に間違われないように苦労させておいて、のんびり乗ってんだもんな。俺らはあんたらに「痴漢された」と言われたら、駅員に股間探られて、勃起してたら「黒」……ところで、佐東に睨まれるのヤダ」
「おい、行こうぜ」と役立たずの営業は引き下がったところで、海空がまたやって来た。
「ボサボサしてるなら、あの箱、あんたたちも運んで」
「えっ?」
「査定かけるよ」
印篭のような二文字に営業たちもまた佐々木と同じ作業に移った。呆然と見ていると、アリガト」と海空が雪乃の肩を叩いてくれた。
「総務部をコケにしたあいつらを殴ろうとしてたでしょ。人の世話してお給料。確かにね。でも、あたしたちにはこの仕事の誇りがある。会社の土台はウチらだよ」
「誇りですか」
「探せばそこら中にあるでしょ。埃も誇りも」
話の途中で、立派な車が通りがかった。芝公園のとば口に乗り付けてきた黒塗りのリムジンはどうみてもどこぞのお偉いさんの車である。直ぐさま海空が心底呆れてぼやき始めた。
「やあねえ、時間間違えて来たんだわ。たまにあるのよ」
すー、と窓が開いて「すぇんむ~」と前歯を剥き出しにした男の顔が見えた。
「やあ、ここにいたのかね」と半ドアにしたシートからは、メタボリックな顔が見えた。「東峰銀行の金凰専務!」と慌てて佐々木が箱を投げて、走って来て、ズザァ、と土下座の姿勢になった。
「し、失礼をしまして申し訳ございません! 大層ご立腹であるとお聞きして、なんとか、謝罪をと……しかし、お逢いにはならないと」
「うん?」とメタボ専務は首を傾げ、ぬっと立ち上がった。金融系の太った中年の威圧感をひけらかして、佐々木の前にむにゅっと屈み込む。
「通算15日。半月かな。毎日の通勤お疲れだったなぁ。皆勤賞だ」
誰もの顔に「?」が浮かぶ中、佐々木にメタボ専務は語り続けた。
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雨が降っても、槍が降っても。――人はそういうところに心動くものなんだよ」
営業たちがシンとなった。
「しかし君はぁ。すぇんむに恥をかかせたんだぞぉ。それでも、許すといってらっしゃるんだぞ!」
「前田くん」
(前歯で前田。笑っちゃいけない)と堪える前で、専務は「また是非接待してくれたまえ」と一言残して、ゆっくりと桜の中を歩き始めた。
「よろしく! お願い……します!」と佐々木は頭を地面に擦り付けた。
「立派な桜だ。少し歩きますかねえ」気まぐれに桜の下に足を踏み出し、慌てた営業たちがついていき、佐々木も走ってお供のように桜道を歩き出した。
後ろで仁王立ちになった海空と鈴子が満面の笑みになった。
「ふうん、やっぱりお偉いさんは人格がいいって本当ね。尾城林には無理だわ」
「良かったですねえ……佐々木さん、毎朝逢いに行ってたって主任の勘、当たりましたね」
「勘は経験から導く間違いのない結果の布石。さ、こっちもはりきって行きましょ!」
雪乃は1度だけ桜の中、ヘコヘコしている営業と、背筋を伸ばしている佐々木を振り返った。専務は佐々木を認めたのだろう。海空が雪乃を認めたように。
だから、嬉しさが判るし、あの時佐々木を何とかしてやりたかったのかも知れない。
「人が人を認める瞬間……感動しました。主任」
海空はやはり微笑みを浮かべて、不敵に笑う。桜がゆっくりと揺れて、ガンバル社会人を応援しているかのようで。
(夜、眞守さんにちゃんと聞こう。寿山のことも、会社をどう思っているのかも)
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