TRICOLORE総務部ヒロインズ!〜もしも明日、会社が消滅するとしたら?!~
【2-#】ラインを保てば上手くいくから
「海空ちゃん、会社でイヤなこと、あったでしょ」
上掛けに潜った海空は、自身の格好からぼんやりとイモムシなんぞを思い浮かべて、またモゾモゾと布団に潜り込んだ。
カレのマンションは海空のマンションから二駅。電車ももどかしく、タクシーで乗り付けた。インターホンを連続で鳴らして、出た相手を押しのけて、すぐに見えるベッドに潜り込んで15分が経過する。
 のしっとベッドが軋んで、丸まったイモムシの頭に手が乗せられる感覚がした。
「知ってるよ。だいたい会社で言い過ぎた時に、オレのとこに来るんだから。さてはバイト休みだって知ってたね」
「うるさいわね、考えてたら眠れなくなったの。ここで寝る」
一言言ってやって、また背中を丸めた。忽ち部屋にはパンケーキのバニラエッセンスの香りがぷーんと漂い始めた。
「試作中なんだけど……あーっと!」
パティシェ見習いは、凹んで逃げ込んできたイモムシカノジョより、焦げそうなパンケーキのほうが大切らしい。
いいわね、みんな、夢いっぱいで。パティシェでも、秘書でもさっさとなれば?
いじけ虫を詰め込んだ海空はまさに巨大イモムシだ。綺麗なネイルも、今は白々しいだけだし、出来る女のテクも全部丸めて生ゴミに出してやりたい。
――覚悟を持て。
(決して雪乃を追い詰めるつもりはなかった)しかし、聞いた瞬間の雪乃の表情は、なんと表現すれば良いだろう。
驚いているようでもあり、怯えているようでもあり、海空自身は雪乃にエールを贈ったつもりが、まるで意図は伝わらなかった様子だった。
 そう いつも雪乃には上手く伝わらない。
「お、名案! おねだりしながら聞き出すのは、いい女だからこそよねえ」
良く言うよ。雪乃の恋心を利用する詭辯のくせにね。
時折、雪乃と衝突する。別に雪乃の人生を侮蔑するつもりはないし、口を出すつもりもないのに、あのお嬢様はすぐに疑う。
まして、シュレッダーの中から過去を見つけたりして!
(あー、もう! 考えたくない)
あの時の鈴子はどうだっただろう? 明るく振る舞って、ランチに出て行ったような。一番年下の子に気を遣わせたかも知れないと思うだけで、ああ、滅入る。
「ホットチョコレート、淹れたよ。マシュマロ付き」
コトン、とガラスのテーブルにマグカップが置かれた音。海空はカレとの出会いの追憶を想い描いた。
(やっぱり西郷係長に言い過ぎて、見放されて、結局誰も頼れずに仕事をカフェに持ち込んだ。注文を取りに来たウエイターに注文する余裕もなく、涙目でパソコン叩いていたら、マシュマロ浮かべたココアが出されて来て、あたしは顔を上げた。雪乃の意地の張り方は、あたしを思い出すからいやなのよ)
『頼んでないんですけど』
『なにか、いやなこと、あったみたいですから。甘いものがいいですよね』
――甘い魔法にかかった一瞬。まさに同じ甘さが、甘酸っぱい想い出と共に海空を誘惑している。
「凹み海空ちゃんにはこれが一番でしょ」
「いい加減忘れてよ。もう暖かいのに、ホットドリンクはないでしょ」
 
つい、と男らしい指(パン粉つき)が目元の窪みを優しくさする。濡れた指を見せながらカレは告げた。
「また泣いてる。あの時も泣いていたよね。男泣きするOLなんか、世界中探しても海空ちゃんくらいだよ」
「うるさいわね。声を上げて泣くなんて出来るわけないでしょ、このあたしが」
「それより、マシュマロをみてよ」
……それよりって何よ。他人事だと思って。マシュマロ? フワフワしてなさいよ。力も抜けるわ。
(他人事よね……確かに。戴こうかな)と頬が緩むを感じて、海空は起き上がった。
草食男子は相変わらずのニコニコの癒やしの笑顔を浮かべて、「冷めないうちに飲んで」と眼の前に腰を下ろす。
 ハート型のマシュマロ.....。
もう暖かくなって来ているのに。ホットドリンクが美味しいと思うほど、海空の心は冷えているのだろうか。
一口含むと、ふわっと凝り固まった心が解れる感覚がした。どんより雨雲が緩んだ隙間から、ほっと太陽が顔を見せる。あの瞬間と同じ。海空はようやく笑顔になった。
「うん……あったかい。面白いね、このマシュマロの形」
「お店のバレンタインデー・メニューの残りを店長がくれたんだよ。この溶けたところ、バニラクリームみたいで美味しいよ、あと、ドーナツ作り過ぎちゃったからお土産だよ」
年下だからか、カレは海空の事情に立ち入らない。海空が話を始めると、興味津々で聞いてくれるが、自分からヒトの心には入ろうとしない。
事情が判っていても、口にはしない。顔色も窺わず、気を紛らわせようと四苦八苦する。
多分、ひとりでもっともっと辛いことを乗り越えてきたんだと思う。
   だから、無理矢理聞かず、癒やしてくれる。海空が突然尋ねてもいいように、マグカップを揃えてくれるし、パティシェならではの心遣いもくれて……お局のトゲトゲした愚痴もまあるくしてしまう不思議な人物だった。名前はこの際「カレ」で充分。
「ふうん。そっか。バレンタイン、儲かった?」
「うん。凄かったよ。コック帽が飛ぶくらい。――で、何かあった?」
「うん……ちょっとね。後輩に言い過ぎちゃって。いや、言い過ぎてはないのよ? 歯がゆかったの。ねえ、聞いてもいい?」
カレは「どうぞ?」とテーブルにしなやかな腕を載せた。
「もしも、もしもよ? もしも、もしも。好きな相手が自分の会社を憎んでいると知ったら、どうする?」
「どうもしない」
――へ? 海空はすっぴん心で素で驚いて、目を瞠った。「どうもしない」とカレは繰り返し、「海空ちゃんが頑張り過ぎだとは判る」と告げてきた。
「あたしの話はいいのよ」
「オレにとっては、海空ちゃんのほうが重要。オレと海空ちゃんが第一優先。そんな話題はどうもしなくていいよ」
唖然とした海空の頭を、少し甘めの香りのついた手が撫でた。
「頑張り過ぎちゃうと、いつの間にか「超えちゃいけないライン」を超えちゃうから。ヒトが傷付く時は、そのラインを超えられた時じゃないかな。例えば、お店でケーキを出すとするね。いつもくるお客さまがいつもと違う小さな安いケーキを頼んだとする。海空ちゃんどうする?」
逆に質問されて、海空は「気にしないけど」と答えた。
「でしょ? お客様にはお客様の事情があるわけ。オレが、「いつもと違うケーキですね」って言えると思う? それが超えちゃいけないライン。ヒトとヒトを保つラインがあるんだよ。それを飛び越えると、二度とわかり合えないよ……って店長の受け売り」
「素敵な店長に育てられてんのね」
癒やしのコミュニケーションに浸されて、緩んだ頬と心が嬉しい。また、ヒトを大切にしていける気がする。
「ありがと。ラクになったよ」
癒やされるなり、海空は雪乃の心境を思い、如何に軽率だったかを思い知った。
――寿山に指輪を取られたと言ったとき、私はお局でなければと思った。でも、あの時、「酷いわね」と言ってあげたかった。それほど、わたしは会社が大切か。気付いた事項を雪乃に伝えてやれば良かった。
海空は、推理小説が好きだ。すると、イロイロな想像力や発想力が育ってくる。寿山の性格も、雪乃の性格も知っている。あの状況においても、雪乃は冷静に物事を受け止めていた。
「カラララン」の後に水音。これがそもそもおかしい。もし、水がいっぱいの便器に指輪を落として流したなら、「カラララン」とは聞こえない。寿山は多分、ブラフを立てたのだ。落としたように見せかけただけ。
本当の悪魔は、自ら首は絞めないだろう。雪乃の指輪を持っている可能性がある。どうしてそんな経緯になったかは何となく判る。
鷺原を狙っての三角関係だ。
(頭が痛い。職場恋愛など理解できない。出来ないけれど、雪乃の負担を減らすことは出来るわよね……総務部主任として)
「額、すごいシワだよ。海空ちゃん」
額の皺を伸ばしながら、海空は悪戯な目になった。
〝ヒトとヒトを保つラインがあるんだよ。飛び越えると、二度とわかり合えないよ〟
――超えちゃいけないラインか。でも、雪乃のほうこそ、ラインを超えていないだろうか。西郷係長の一件は、もう、忘れたいのに。今後はシュレッダーは確認して箱に入れようと決めた。しかし、見せた以上は、雪乃に事情を説明しても良いかも知れない。
「ココアもらうわ」
気づけば小さなドーナツも添えられていた。
***
帰宅して、お土産のドーナツを腹に詰めて、一眠りできた。
  出勤前の身支度を調える頃には、いじけ虫は総出で彼方に飛び散ったようで、いつになく、空気がすがすがしく思えた。
「おはよう」と今日も会社に向かう。心持ちは「今日も働いてやるか!」くらいがいい。
接待花見の計算書、勤怠のまとめ、プライバシーマークの資料準備、開錠確認、接客、会議室の取り合いの牽制、新入社員のお世話に、保険事業、年金に社会労務。
仕事は山盛り。わんこそばはともかく、わんこ仕事なんて聞いた覚えもない。
  うん 今日も頑張れる。
  電車の中で浮き浮きした。大丈夫。今日も頑張れる。
「おはよう、雪乃、鈴子。後で話を聞かせて貰うからね。いい女気取れた?」
雪乃は恥ずかしそうに手を翳して、違う指輪を見せてきたが、全く以て、そうではない。
いい女の武器を間違えた方向に使い、がっちりと報酬を得たらしい。
「全部話します! やっぱり、鷺原さんは、真面目にあたしを好きみたいです!」
「あたしも! ごはんおごって貰えました!」
――仕事追加。新人教育。悪い男に騙されてんじゃない。一緒にいい女になろうぜ、と。
――話は半日前。雪乃・鈴子と鷺原に戻る_____........
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