TRICOLORE総務部ヒロインズ!〜もしも明日、会社が消滅するとしたら?!~

簗瀬 美梨架

【2-4】シュレッダーされた過去と写真


「よいしょっと」

 早朝の総務部は少し冷ややか。窓に結露が溜まっている。ちょっと今日は冷えるけど、換気をしようと窓を開けた。忽ち冷えた花冷えの風が吹き込んできた。都内の朝の青空はいつになく青く、気の早い梅もぽつぽつと蕾を膨らませている。

「おはようございます……って誰もいないね」

 海空の席にはいつも派手なタータンチェックのショールが置いてあって、鈴子の机には集めているらしい「りらっくす桃くま」のグッズと、「ほっこりにゃんず」のメモ立て。小物が好きではない雪乃のデスクは貧相に見えた。
 海空の机には書類はおろか、メモの類いも見当たらない。なのに、惑星のワンポイントの時計がお洒落に揺れていて高級感で負けた感じ――。
 なんでも、勝ちたがる雪乃の中の化け物は未だ健在。寿山との一件で懲りていないらしい。一緒にシュレッダーにかけられたらと、「シュレッダー」と書かれた箱を持ち上げた。

 取りあえず突っ込め! と言わんばかりの書類の山に悲鳴を上げた。

「ほとんど佐東主任のシュレッダーなんですけど!」

 しかし、二度も職場を脱走するという失態がある。早朝で誰もいない。シュレッダーをかけながら泣けとでも言いたいのか。シュレッダーの音は響くので、朝の内に済ませないと。

 雪乃は杜撰にファイルに綴じ込まれたままの書類を引き抜いて、シュレッダーに置いた。

「コー」と軽快な音で、紙が吸い込まれて行く。
 順調な作業だったが、雪乃は手を止めた。写真が混じっていた。
「あれ? これ……写真?」海空のシュレッダーの束から、写真が一枚。仲よさそうにグラスを構えているから、何かの飲み会。片方は海空だが、もう一人は面識がないが、会社のセキュリティ・タグを首から提げているから、社員だろう。Facilityと読めるから、総務部所属。

(誰だろ……あの佐東主任が恥ずかしそうに満面の笑みを見せてるなんて)

 まだ髪が短いから、数年前か。海空は今はふわふわのゆるカーラー。セミロングだ。

(困った。これ、シュレッダーなのかな……避けておこう)

 くるりと写真をひっくり返して、裏に海空の字を見つけた。

『2013年、東京ラブ肉牧場で、西郷係長と最後の晩餐』

 油性マジックは掠れていて、それだけでも写真が風化しているが判る。雪乃と鈴子
が知らない羽山カンパニーの時代の写真だ。シュレッダーに何故紛れてしまったのかと半ば不思議に感じつつ、次の書類を手にして、また手を止めた。

 履歴書が出て来た。これもまた古い。その上には、先日没になった花見の計算書。
(佐東主任……。一体どんな地層の変動が)とガー……ガー……ピーピーピー。さっそくゴミが一杯サイレンが鳴った。
「もうっ」シュレッダーの袋取替は、むしろばば抜きでJokerを引く感覚に近い。前日にかけるだけかけて、ゴミ回収は次の日にしてほくそ笑むヤツが必ずいる。
 ごそごそ、とボックスを引き出して、ビニールを広げた途端、紙片が舞い散った。雪乃の新品のカットソーと、シフォンスカートに紙吹雪が舞い降りた。
 紙ゴミ塗れで泣きたくなるを堪えて、袋を引き摺り、フロアの廊下に出して、戻ると「あれ? 篠山、早ぇな。お局に苛められた?」丁度尾城林が出社したところだった。

***

「いえ、すみませんでした……怒られて早朝の仕事を押しつけられても仕方がない有様ですから」
「なんの話?」と事情を知らないらしい尾城林はどすっと鞄を机に置くと、パソコンを開き始める。「篠山、フロアの開錠記録」と指摘されて、ソフトを開いた。
「うるっせえからな。まったく、営業は気楽だったと思い知るわ。おい、ネイルの除光液持ってない? お局のガムテープ攻撃が」

「ありますよ」とネイルの除光液を差し出しながら、ついでに写真と履歴書を添える。
「課長」と一緒に差し出した途端、尾城林は一瞬頬を引き締めて、「これ、どこで?」と問うて来た。

「シュレッダーに混じってたんです」
「あーあー、B型は書類なんぞ見ずに屑籠直行だからなァ。済まんね。それ、シュレッダーなハズねーんだわ。佐東の宝物」
(宝物がなぜにシュレッダーに……)
「誰なんですか?」
「篠山は知らんヤツだよ。お局を育てた係長。西郷美佳子……総務部のお局だった社員」
「佐東主任を育てたお局? それで、係長のポストがいないんですか? 変だと思ってたんです」

 総務部は上層部から見ると、人材は充分と見られてしまう。数字や人事考課がない分、成果も戦歴も出しにくい所以だ。それにしても、尾城林課長の下が、佐東主任。そう、ぽっかり空いていて、その下に雪乃、鈴子と続く。

 明らかに誰かがいた、証拠になる。

「お局、係長にはなる気ねーみたいでね。俺の推薦なんかクソ喰らえって感じよ」

 尾城林の口調に陰りが見えた。履歴書の女性は、相当の経歴だが、一部が潰されていて読めなかった。

「スゲー女社員だったよ。そいつ。佐東はまんまリスペクトで引き継いでるな……篠山、指、どうした? キラキラの煌めきが見あたらなくない?」

 雪乃はさっと指を押さえた。寿山に奪われ流された可哀想なリングを思い出した。

「目ざといですよ。課長」
「営業の時の癖。指輪嵌めてる女は、ガードが堅いってね。いや、気にするな。振られたんだろ。な、そうだ、ゴルフ保険のバカ営業の件なんだが」

 基本的に女を凹ますが苦手らしい。典型的なB型営業の尾城林は、雪乃から見ると、決して悪人ではない。むしろ相談しやすいお兄さんだ。


 ――佐藤主任と尾城林課長に何があったんだろう。


 海空は言っていた。「尾城林、許すまじ」……係長が不在なことと関係がある? ああ、それより寿山に逢いたくない。
 鷺原にも連絡は出来なかった。寿山とのことを問いただしも出来ない。

「あんた、あたしほど強い女?」海空の言葉が今頃痛い。


 シュレッダーを「コー……」と動かしていると、「おはー」と鈴子が元気よくやって来た。

「おはようでしょ」「おはー」と課長が同じ挨拶をして台無し。「シュレッダーしてる~」と鈴子は慌ててやって来て、手伝いますと並んだ。
(あ)と思う間もなく、履歴書をシュレッダーに掛けてしまった。
「ん? このシュレッダー最新でいいですよねえ」
(本当だ、B型は中身みないでかける……ここはA型のあたしがしっかりしなきゃ駄目か)
 とシュレッダーの箱から書類を取り出して分別していると、「おはよう」とお局の陽気な声。振り返ると、アイスカフェラテを手にした海空が「結構結構」と言わんばかりに頷いて「今日もよろしく」と課長の前のデスクにどかっと鞄を置いたところで。

「おはようございます」
「おはです。あ、おっはようございます」
「はい、オハヨ。あ、尾城林」お局は1分で仕事モードに切り替わる。……ところで、写真に気がついた。

「これ……やだ! どこにあったの?! 探してたのよ!」

 雪乃は無言でシュレッダーの箱を指す。

「やっべ」と海空は独りごち、「この一枚きりなのよね」と嬉しそうに手に取った。
「あたしを育ててくれた恩人の女性社員でね……」

 懐かしそうに呟いて、「今頃元気かな」と写真を手にしたまま、課長の前へ行き、ばすっと書類を叩きつけた。

「あのさ、ゴルフ保険の件なんだけど。今後は全営業につっこんで置いた方がいいと思って。新入社員に義務づけるべきかと資料作成したから、営業にプレゼン行って」
「やな提案してくんなよ、お局。営業に文句言われんの、俺! 内示の後だろ!」
「課長は責任取って給与貰うんでしょ! 総務部舐めてんじゃないっての。あんたの古巣、ホラホラ、段取りしなさいよ。鈴子、保険会社に連絡するから、調べてちょうだい。こっちも出来ることをしよう」

 コー……シュレッダーを続けながら雪乃は海空を振り返った。

「連日連夜、謝っているらしいからねえ。今度の接待花見で何とかしてやらないと。全く銀行関連は怒らせると、上層部がうるさいのよねえ。佐々木が辞めなきゃいいけど」

「国際営業部長は降格だろうけどな」

「そうねえ。気が進まないけど、社員を陰から護るのも総務部の出来ること。その銀行の専務を中心にするしかないでしょ。鰐は無理だわ」

「わに」鈴子にくくっと笑って、「うるせえお局だ」と尾城林は「んじゃ営業部行ってくるわ、面倒は俺の仕事だし」とフロアを出て行った。

 ――総務は雑用ばかり。それなのに、海空は文句1つ言わず、ニコニコと(時にはブチ切れて)仕事に手を抜かない。

(あたしは、秘書になりたい。でも……)

 ――トリコロールしましょ! 

 カワイイ鈴子の言葉は嬉しかった。
「それが?」冷たい海空も暖かく感じる。
 青と赤に挟まれた真っ白の雪乃。

(おばあちゃんが、「白は何でも染まれるんだよ」と冬の蒼空を見てつけてくれた名前に恥じないようにしなきゃ)

「何かできることありますか。こっち、終わります」
「そうねえ~」海空は勿体ぶって告げた。
「給湯器のポット洗浄と、加湿器掃除」

***

「……」
(なんであたしがこんな端仕事を!)マスクして、ゴム手袋。シンクのお掃除スタイルでガリガリと加湿器に沈んだ石灰を落としていると、海空がそっとやって来た。

「鷺原に寿山の話したの?」
「……そんなに毎日連絡はしませんから」

「ま、あんたらしいわ」と海空は肩を竦めると、重曹を手に、マスク姿で寄り添った。「あんた、右ね」と二人でガリガリガリガリと石灰を落とすに夢中になる。
 マスクして加湿器掃除。全然美しくいられない。

「会社の備品だからね。風邪が流行る部署にそっと置いてやんのよ。総務部の伝統」

 ――いやな伝統だと思っていると、海空はふっと目を細めた。

「西郷係長が言ってた。社員の体調管理も総務部の仕事だって。でも、自分が体壊して辞めちゃった。あれが、あの写真の相手。――ねえ、雪乃。会社ってなんだろうね。一週間、一日、一年、一ヶ月……束縛されて、生活の大半が働きになってさ。あたしの仕事ってなんだろうって思うわよ」

 海空は唇を噛みしめて続けた。

「お金を貰って、生活して。――気がつきゃお局なんて呼ばれて三十路。でも」

 会話の途中。耳を劈くような警報器の凄まじい音が海空と雪乃の会話を遮断し、会社全体を走り抜けた。

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