TRICOLORE総務部ヒロインズ!〜もしも明日、会社が消滅するとしたら?!~

簗瀬 美梨架

【2-6】「一度しか言わない。覚悟を持て」

「よし、選出完了! お疲れだった!」

 雪乃はへたりと椅子に座り込んだ。眼の前では鈴子が机に「おつおつ~」とへたばって見せた。元気な海空は三名の届け出をバシコン! と片手で叩いて任務完了の笑顔だ。

「誤魔化している営業は三名だな。安藤純一郞、佐々木充、本田……」

「あ、同期のじゅんじゅん! 綺麗な字を書くんです!」とは鈴子。どれどれ、と一緒に覗き込んで、確かな筆跡の美しさに圧倒された。
 ――安藤純一郞。字体は女性と見紛うような雰囲気がある。端折るところも丁寧に全部埋めているが、単に書き間違えた様子だ。

「もおお 駄馬のイケメンじゃん」
「ねえ あたしにも見せて」

 雪乃は佐々木の直行届を凝視した。
   佐々木充は、ゴルフの失敗営業だが、この、時間……。
 早朝、佐々木は五時に代々木の改札を通っていた。しかし、直行直帰には、八時に田町に着いて、その後に東京の営業に行ったとある。
 この距離の差分がエラーを起こしている様子で。Suicaのほうが正確だろう。

(これ……まさか……代々木?)

 東峰銀行も本社は代々木にある。五時と言えば、始発。それも12日の間、土日も改札に通った記録があった。
 接待ゴルフの失態からもう一週間が経つ。まだ何も問題は来ていないが、営業たちの物々しさは伝わってくる。雪乃の考えが正しいなら。
「佐東主任、あの」
「さ、貸して」海空は取り合わず、移動用のフォルダーに大切に三枚を収めて、小脇に抱えたところで、二人に向いた。

「さて、これを経理部に届けてくるから、あんたたちはお昼にして。悪かったわね。遅くなったから二人で食べに行っていいから」

「主任は食べないんですか~?」

 海空は顔を顰めた。

「経理部に顔を出して、その後例の保険の件で、営業部に用事。ついでに今日届いた郵便の届けと、営業部からの発送予定と郵便の数が合わないのよね、鈴子」

「あ、はい。何度数えても148通です。150通の報告が来ているのに」

「2つ、どっかに置き去りになっているのか、数え間違ったのか……問い詰める必要があるのよ」

(ああ……また営業部に振り回されるのか)

と三人は同じ境地で尾城林の前の「今日の郵便」と書かれた箱――を無視してどかんと置かれた書類の束を見詰めた。午後一番で「後納」、つまり会社の後払い郵便にするための入力を行い、全体の郵便代金を計算した計算書と控えを作成して、郵便局の集荷に判子を貰い、月末には経理部に届けるが総務部の日課だ。それが数が合わなければ、後ほど印鑑持参で郵便局に出向く話になる。

   しかし、さっきの直行直帰の事情が気になった。雪乃の考えが正しければ、佐々木は嘘はついていない。

 それは、負けず嫌いの雪乃だから、判る事情なのかも知れない。

 佐々木は、会社の前に、失態をおかした銀行に立ち寄っている。銀行の営業時間外に何をしているかは不明だ。海空が気付いていないはずはないのに。

「あたしも行きます。総務として」

「あたしも~。じゅんじゅん何やってんだか~。下っ端だから、すぐに揃えてくれるかも」

 海空は何やら勘づいたようだったが、ガムテープ片手に持ち前の強い口調で告げた。

「では、佐々木の悄気た顔でも見てくるか。課長の携帯、固定電話にしてからね」

(……)

 事ある事に見える、海空の尾城林への執拗な事務お局攻撃。「あんたには話さないわよ」聞かせて貰えなくなった元凶はなんだろう。

 ――秘書になりたい。夢を叶えたい。至極真っ当な生き様だと思う。それでは駄目なのだろうか。願い続ければ夢は叶う。では、いつまで願えば良い? 終わりはどこ?

まるで抜け出せない迷宮のようだった。

***

 さて、経理部は人事部と同じフロアにある。収納サービスを請け負っているから、別会社の扱いになるが、先だっての停電の影響はないようだった。

「ウチはね、大丈夫だったの。どうやらハッキングの可能性もあるって。さっき部内コードが変わったって上長に伝言廻ったはずだけど、佐東」

「ええ~? 知らないわよ。ウチの課長、何やってんのよ」

 馴染みらしい、経理部長補佐の女性は海空ににこやかに話しかけ、「一人増えた?」と鈴子に気付いた。

「あ、うん。あたしが海空で青、篠山が雪で白、鴻鈴子はリンゴ読みで赤。トリコロールになっちゃって」

 ぷ、と経理部長補佐が微笑んだ。

「失礼。並び順もその通りだなって。ご苦労様。あ、ついでにこれ、頼まれてくれない? 営業がこっちに書類をまとめて届けて来たんだけど、どうやら違う封筒が紛れてて」

あっさりと営業部の封筒を回収できた。

「……預かるわ。それを探してたんだけど」

 物事は必然とは良く言ったものだ。

  まるでロールプレイングゲームの気分で足りなかった二通を手に入れたが、海空はそのまま3Fで降りた。

「修整のサインを貰うのよ。覚えておいて。来月に添付して提出。それがそのまま人事考課の査定になるのよね。そりゃ睨まれるわ」

 営業部の規模は大きい。人材派遣の営業部は三課に分かれている。オープンフロアは国際営業部と同じだが、国内営業部のほうは規模が違う。従って出たり入ったりの入社退社の動きも激しい。総勢50人の大所帯である。

「ここに、かちょおがいたんですねぇ……見たかったなあ、営業のかちょお」

 鈴子はまるで過去を視るが如くうっとりと課長席を見詰めた。

「そうね、あの辺に座ってたわよ。あいつ、あたしが入社したちょっと前は派遣だったくせに、頭角を現して伸びてったわねえ。年収なんか4桁だったって聞いてる。トレーダーと一緒に動くアシスト営業は、その会社の株に左右される。例えば、鷺原のような一流バイナリー・オプションの元締めに当たれば、その恩恵は大きいのよ。ただし、ガセもある。潰しや、ライバル会社。クライアントの裏切り。そういったことがないように「契約」を進めるも営業部の立派な職。だから接待で失敗したとなるとねえ……」

 海空の神妙な口調には理由があった。
「あれみて」海空は弱ったと頭を振って見せた。

 オープンスペースの隅っこで、佐々木充が一人で項垂れていた。
 たった一回の接待ゴルフに失敗した営業の末路だった。立場を失っているであろうことは容易に想像がつく。

「どうしたもんだか。直行直帰の修整のサイン貰わなきゃならんし声掛けにくいな」

「あたし、行ってきます。お二人は別の社員を」雪乃は素早く言って、フロアに踏み込んだ。

(総務部や秘書課とは違う、男の世界だわ)

 基本、営業部は男が殆どを占める。女性にはまだまだ生きにくい世界だろうことは肌で感じた。 例えば棚が全て高いとか、携帯の応対が時折ヒートアップするとか。壁のノルマの張り出しだとか。

(この数字が全ての社会から、どうして尾城林課長は――……佐東主任のあの写真に、西郷と呼ばれた女性……気になることがいっぱいだな)

「佐々木さん。総務の篠山です」

「あー、総務部トリコロール……の白さんか」むかっと来たが、鈴子の「トリコロールしましょ!」の言葉を思い出して、雪乃はすうと息を吸った。

 総務部よりは秘書課がいい。女性の頂点に行きたい。たかが24歳の小娘が! と海空には言われるかも知れない。それでも、醜悪な自分に総務は相応しくない――。

 しかし、眼の前の佐々木充をみていると、何だか「総務として」何かしてあげたいなどと、血迷った感情がわき上がってきた。

『なんとかしてやらないと』『あんたあたしから距離取ってる』全て海空の言葉だ。

(取るに決まってる。ここはあたしの居場所じゃない。馴れ合いは駄目。秘書になるのよ)
(ううん、居心地いいなら、此処、総務部にいたい。化け物はもうたくさん)

 2つの思考は天使と悪魔のように雪乃の胸中をかき乱した。どちらが天使でどちらが悪魔かは不明だった。

「お疲れですね。直行直帰の件」言いかけたところで、佐々木は眼鏡を引き抜くように外して、両拳で机を打った。びくっと肩を震わせた前で、「置いて帰ってくれ」と横柄な対応。

「そういうわけには行かないんです。失敗は失敗でしょ!」

 まるで自分に言い聞かせている心地になりながら、雪乃は続けた。

「また、やり直そうとしてるんですよね。……この、直行直帰の時間、本当は正しいんじゃないんですか?」
「なんで」
「わたしは気付きます。負けず嫌いだから。でも、一人では無理なんです。相手が大きすぎると思う。意地で、どうにかできるわけじゃない」

 じっと海空が二人をみているのに気付いた。

「佐東主任は「どうにかしてやらないと」って言ったんです。総務部として、何か出来ることをやろうねって。――お花見の接待……東峰銀行さまをお呼びしようって」

 営業部がザワついた。
 眼の前で、佐々木が唇を噛んで俯いている。男泣きなど初めて見た。それほどに追い詰められていたのだろう。寿山に追い詰められ、御守りを取られた雪乃のように。

 雪乃はにっこり微笑んだ。「トリコロール……」と佐々木が小さく呟いた。

「ゴルフゲームの攻略本のコピー代、請求すっからね!」とは既に一人の修整署名入りの書類をヒラヒラさせた海空だ。

「お局」「フランス料理はどうしたのよ。どんどん釣り上がるわよ」と変わらずのヒールで椅子を蹴飛ばして、海空も座った。

「はい、おとなしく署名。負けず嫌いはね、損するよ。あんたらは既に負けてんのよ。負けず嫌いって言った瞬間。勝てない勝負に負けてんの」

 借金の証文取りの仕草で、「ここと。ここ」と海空は静かに告げ、「努力と成果は別もん。でも、あんたの気が済むまで、やればいい。なんのための会社? あんた一人に責任背負わせてたら、会社なんか終わってしまうわ。そこに楔を打ち込んだ相手を引き摺り出してこそ、勝ったと言えるのよ。穴が在るから全部塞ぐんじゃなくて、1つ残せ。1つだけ残しておけば、瀕死で出て来るもんよ。水面下の蠢くヤツほど、引っ張り出されると狼狽すんのよ」

「お局、俺、全く意味がわかんねーんだけど」

 海空はにーっこり笑うと、雪乃の肩を叩き、「おつかれ」と笑顔を向けてくれた。

「だーから! ここ、間違ってるって言ってんじゃん! じゅんじゅん、ここは書いちゃだめなの! 意外とだめぽ」と戦っている鈴子の救援に行った。

 ――楔を打ち込んだ人物……。消えた指輪を思い出す。海空の言う水面下で蠢く人物は1人しかいない。

 鷺原眞守だ。佐々木にホールインワンを導き、ゴルフ保険の未加入の盲点を突いてきた。

(やだ、なんか、恐くなって来た。そうだ、寿山にも同じリングを渡していた。……恐いけど、聞かなきゃいけない)

 ヒトとヒトが歩み寄るまではそれ相当の覚悟がいるんだ。騙しダマされて、確かめ、否定して、ヒトの絆は深く、揺るぎないものになる。

 ――あたしには、そのヒトに飛び込む覚悟がなかった。その覚悟こそ、秘書になるために必要で、寿山や海空にはその覚悟が最初から備わっている。

 寿山は真っ正面からぶつかってきた。たった1人で。

(あたしは、そこに圧倒された……! だから、強いんだ。負けず嫌いなんか何の役にも立たない。その覚悟を持たなきゃ、誰もあたしになんかついて来ないわ)

「よし、3人分回収! トリコロール戻るわよ。営業のみなさま、失礼しました。が! 郵便二通が経理部に紛れていた事実については、以降しっかりと、管理をお願いします。それから、勤怠の漏れが多いので、これも合わせて確認してください。新入社員! ゴルフ保険に入ってください。つーか、これは総務部並びに会社からのお願いです」

 しーんとなった後で、佐々木だけが頭を下げていた。

***

「――佐々木は嵌められたのかも知れないわね」

 帰りのエレベーターで海空が強い口調で呟き、雪乃に向いた。

「ウチと、先方が混乱するって見抜いてた可能性がある。あたしは峰山周辺を探る。鈴子と一緒に鷺原に話を聞いてくれない?」
「えっ?」
「どうも怪しいのよね。最初は佐々木に恨みがあるのではと思った。でも、相手が相手。鷺原にもリスクはあったはず。そのリスクを背負ってまで、1人で戦う理由は何?」

「ついでに、指輪チョーダイって言えばいいんじゃないですかあ?」

「お、名案! おねだりしながら聞き出すのは、いい女だからこそよねえ」

 ――いい女、おねだり!

「やります! ウチに恨みが無いかを訊けばいいんですね? でも事業をちゃんと持ち込んでいるし」


「雪乃」海空はまた背中を向けた。



「一度しか言わない。覚悟を持て」

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