TRICOLORE総務部ヒロインズ!〜もしも明日、会社が消滅するとしたら?!~

簗瀬 美梨架

【1-7】大丈夫だよ ちゃんとあなたは努力してる!

「あら? 雪乃は」

 海空が戻ると、雪乃の姿はなく、机にははずしたばかりのリングが輝いていた。
(お灸据えすぎたかしらね)と半ば心桜こころを痛めながら、海空は一人でホチキスをパチパチやっている鈴子をうかがった。

「雪乃さんなら、しょぼんとして廊下に出て行きましたけど。かちょお~、この全部今日中ですかぁ?」
「そぉ~」とまた息がピッタリのB型コンビを差し置き、海空はファイルを片手に肩を上下させる。

 数分前に、雪乃に「オンライン」と「オフライン」の在り方を滔々《とうとう》と説教を噛まし、野暮用を片付けて戻れば、雪乃の姿はなかった――と。

「お、お局が探しに行くぞ。珍しいな、佐東海空ともあろう御方がへこんでいるのか」
「言いすぎたとは思わないけどね。まあ、謝る必要はあるでしょ!」ニヤニヤ顔の尾城林の表情かおをファイルでブッ叩いて消し去りたくなりながらも、海空は時計を見上げた。
 お花見会議まで27分。お昼はなし……と。

 篠山雪乃はむっつりと黙り込み、怒りをうちに溜めるタイプだ。課長の机を両手で叩く総務主任のお局と違って、巧いガス抜きを知らない様子。

「連れ戻して来ます。ガキじゃないんだから、少しは分別つけて」
「違うと思いまーす」鈴子がひょいと手を挙げた。
「鈴子?」鈴子はやれやれ、と立ち上がって、「新入社員がナマ言いまーす」と前置きを入れて、ちら、と置かれたリングに視線を注いだ。

「雪乃さんは、きっと悔しいんだと思いまーす。だって、主任の言うこと、正論だしぃ。あたしにも判りますよ? だから、泣きながらも指輪外すしかなくって」
「悔しい?」
「わかんないんだぁ……お二人って、真逆なんですよねぇ、かちょ~」
「そうそう。お局の説教が良かれと思って聞いてるとは限らないってね~」
「ね~……雪乃さんのプライドも護ってあげてくださーい」

(雪乃のプライド……)

「でも、言い過ぎたとは」
「言い過ぎてはないでーす。でも、もっと言いたいことを訊いてあげて、きゃっちぼーる、できるんでーす」
 鈴子の履歴書を思い出した。新入社員ではあるが、大卒。サークル活動も盛んにやってきたらしい。
 海外留学を売りにした雪乃と、交流を売りにした鈴子もまた対称的だ。

「わかった。ありがと。……そうね、そこは謝るわ」

 海空は置き去りになった雪乃のリングをがつっと手の中に押し込めた。(おっと)と自分のバッグから化粧ポーチを探して、常備。どうせあの泣き虫は泣いているから、化粧くらいは気を遣ってやらないと。

「探してくる。鈴子、他の課の仕事はホイホイ引き受けないこと。あんたは外面そとづら良すぎ。なんでもかんでも引き受けて、お返しするのはあたしなのよ」
「りょ」「承知しましたでしょ」ぴっと敬礼をする後ろで、尾城林は海空を見て、ヒュウ、と口笛を吹いていた。

***


『雪乃、ちょっとこっちへ』
 呼びつけられた途端、雪乃は気分ぶちこわしだと呟いた。海空はため息を導いて、主任口調になった。
『鷺原に会社の話なんかしてないだろうね?』と念を押す。
 雪乃は何のハナシか判っていない顔になり、海空の怒りは高まる一方。「仕事とプライベートは分ける以上に、総務部は」「希望してないんですけど」……雪乃の思考は手に取るように判った。
 つまり、無関係だろうと反論している。結果、海空の逆鱗に触れた。
『あんた、それでもお給料貰っているでしょうが! 鷺原との交際は個人の問題ですが、鷺原に会社について聞かれても会話しないように』

『でも、聞いてくれましたよ? 良くやってるねって』

 ――褒められるほど、雪乃は総務部の詳細を話していると見た。海空は段々面倒になって「ファイル1つ片付けられないのにいい気なモンね」……謝るはここだ。

〝おまえら、ファイル1つ出来ないくせに、俺の足引っ張ってんじゃねえ。あー、だから総務部なのか〟

 かつての尾城林に投げつけられた暴言をそっくり、後輩の雪乃にぶつけた。当の尾城林は気付いていない様子だったが。まだくすぶりは消えていない。
 もう辞めた係長とよく喧嘩をしていて――……。
 海空は首を振った。回想は辞めたい。もともと、そんなセンチメンタルにはなれない。


「雪乃、いるの?」

 回廊のどん詰まりの女子トイレをのぞいたが、気配はない――と思いきや。「すん」とはなを啜る音にカラカラカラとトイレットペーパーが廻る音が耳に届いた。

「――そこにいるじゃない」

「いません」頑固な雪乃らしい答だ。一番奥で何をしているのかは明確だった。海空は頭をゴリゴリ掻くと、丁度いい按配あんばいのガーターストッキングに包んだ足を少し開いた。

「言い過ぎたなんて言わないわよ。……でも、ごめん」

「別に謝られても困るんですけど」またカラカラカラ……会社のトイレットペーパーはゴワゴワで痛いだろうに。また「スン」と啜る音の後、雪乃は個室で一気にまくし立てた。

「佐東主任には判らないと思います。誰もが、主任みたいに、独身を謳歌おうかして、ぼっち強いわけじゃないです」
「失礼ね。いるわよ、彼氏くらい。カワイイのが」

 カラカラが止んだ。個室の向こうで、雪乃が驚いているが判って、海空はふっと笑う。

「売れない年下のパティシェ。……身になるのかならんのか判らないけど、一生懸命ケーキを」

「ずるい」またカラカラカラ。

「海空さんはずるい! 彼氏がいて、会社にも必要とされてて。総務部なんてつまんないって言いつつ、いつも認められる何かがあって! あたしにはないんです。だから、仕方ないんです!」

 ――仕方ない、ね……。海空はガツンとドアを殴った。仕方ないと言って仕舞えたらどんなにラクだろう? 雪乃の思考は、海空を困惑させていた。

「謝るから、出て来て。じゃないと、これ、捨てちゃうわよ。鷺原から貰ったリング」

 鍵が開いた。隙間から見えた雪乃の顔は化粧が崩れてしまっていて、美人も努力している様が判った。

「あんた、一重だったの?」
 雪乃は言葉に詰まって、コクンと頷いた。

「――地味顔だから、努力してるんです! でも、泣くと全部台無しになる」
「あたしの化粧品持って来たけど? 使う?」

 雪乃がきょとんとした顔で、海空は前髪を掴んだ。

「すこし、昔話しようか。――あと9分しかないけどさ。ほら、このトイレ混合栓で綺麗だし、鏡も大きいし、ささっと直して戻ってよ」
「……指輪、返してくれればいいです。恋なんです。お互いに」

(あーあーあーあー結婚詐欺のお約束かよ。あの詐欺腹め)

 海空は頭を抱えたくなったが、先程の「尾城林の言葉」を八つ当たりにした部分は謝らなければならない。 
 鷺原の不明な部分は、雪乃を通しても伝わってくる。それはかつて、尾城林に海空が感じた不信感ふしんかんそのものだったからかも知れない。

「あんたが総務部に入る前の話。尾城林はね――」


 雪乃がバシャバシャ立てる水音にせて、海空はゆっくりと唇を開いた――。

 振り返るのは嫌いだ。
でも、それで雪乃が一緒に前に進めるなら、いいと思った。

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