TRICOLORE総務部ヒロインズ!〜もしも明日、会社が消滅するとしたら?!~

簗瀬 美梨架

【2-2】大会社への楔、それは総務部に他為らず

 港区田町のランチタイムはそこかしこには会社員たちの姿が見える、ビルの庭園。もう少し歩けば「臨空公園」があり、眺めが最高だが、雪乃の会社からは遠すぎた。「雪乃」鷺原に声を掛けられた篠山雪乃の黒髪がふわりと揺れる。篠山雪乃の黒髪はまさに大和撫子、さぞかし着物が映えるだろう容姿である。

「眞守さん」可愛らしいポーチを抱え、雪乃は鷺原を見つけると嬉しそうに片手を挙げた。

「ごめんなさい、待った?」
「いや。取引先の都合で、さっき着いたところだから。何にする?」

 フリータイムの鷺原と違って、雪乃の休憩はきっちり一時間。少しでも手早くと注文を入れてやると、雪乃はほ、と頬を緩めて「やんなっちゃう、総務部」と早速の愚痴を零し始めた。
 改めて見ると、手抜きのない女子だと思う。爪から髪から、見える部分全てに手を抜かない。そこはかとなく漂う自戒のオーラ。トイレから出て来た瞬間に「綺麗だな」と思ったのだから間違いはない。……として。

「お局主任に何か言われた?」

「んー」と雪乃は口元に手を当てて、何度も瞬きを繰り返して見せる、ふと指輪が消えているに気付いた。職場では外せとでも言われたのだろうか。

 ……少々、寂しい。

「……指輪は? 僕といるときくらいは、嵌めて欲しいな。早過ぎる気もするが、早いに越した話はないだろう」

「持ってます」と雪乃はあせあせと指輪のケースを取り出した。少しでも「男」をみせるとあたふたする。間違いなく(処女だな)と鷺原は可笑しくなりながら、雪乃の動向を見守る判断をした。

「お局主任に怒られたかな」

「ううん、そうだ。眞守さん、接待ゴルフに参加したでしょう? ウチの佐々木って営業が貴方の名前を出していた。ねえ、ゴルフ保険に未加入って大変なの? 佐東主任が机叩いて怒り魔神中」

〝佐東主任が机を叩いて怒り魔神中〟

 先日挨拶をした佐東海空の勝ち気さが目に見えるようだ。鷺原は意地悪い笑声を漏らした。

 そう、佐々木の失態は、羽山カンパニーを揺らがす。それほどの相手によくもゴルフ接待を思いついたものだ。東峰銀行のメタボ専務と前歯がゴルフクラブを買った情報を何処から聞いたのか。羽山カンパニーの情報網は時に侮れない。外部には判らせないブラックボックスが必ずや、存在する。

 ――情報操作する証券・株取引に於いては謂わんをや。峰山は何をやっている?

(敵を潰すには、外側からでは駄目だ。固い鎧を壊すは至難の業。しかし、内部に入れば問題は無い。柔らかい部分からまるで神経に貼り付くウイルスのように、じわりじわりだ。大会社の楔。それは、〝総務部〟の他ならず――)

 ただの雑用と思っていては、計画は崩れる。俺に油断はないぞ。

「眞守さん?」

 せっかくの総務部レディとのデートだ。鷺原は一瞬で深慮を浅はかに戻し、軽口を叩いて見せた。

「うーん、僕はアドバイスをしただけなんだけどなァ。佐々木くんのコントロールが抜群でね。風を読めるのかなというくらい、すーっとカップインして驚いたよ」
「その祝賀会の費用で揉めてる」
「相手が相手だからな」

 タコのように真っ赤に膨れたメタボ専務と、するめのように青ざめた前歯。ひたすら頭を下げていた営業部長に、人生初めてのホールインワンの感動どころか、多額の請求書を渡される佐々木の姿は正直見物だった。まさか、そんな子供の喧嘩を理由に、取引を引き上げるような小者ではないだろうが、羽山カンパニーが揺れているなら、八割方、成功と言えるだろう。
(それは大いにいい結果だ)と口端を上げた前で、ずっ、とアイスコーヒーを啜りながら、雪乃は僅かな時間も会社色に染めた会話を繰り広げてきた。

「わたし、保険とか知らなかったから、驚いたの。ゴルフにも保険があるんだーって」
「あるよ。賠償とか、器物破損、傷害とかね。でも未加入なら悪いことをしてしまったな。普通ゴルフプレイ前には加入しておくモノなんだが。生命保険と同じ。病気になったら加入できないからね、だからプレイ前に入っておくものなんだ」

 ゴルフ保険は特に任意ではないが、入るときには必ず「個人賠償」を義務づけられる。それほど、賠償の可能性が大きいスポーツを、何故に接待に使うのかは首を傾げるところだ。

 ――男のメンツへの考えは、正直判りにくい。時折馬鹿かと思ったりする。
 女の雪乃には理解しにくいだろう。あの男勝りな佐東海空ならともかく。

「面倒なのねえ。しかも、接待の相手が東峰銀行の専務さま? うちのお給料の管轄の」

 さすがに喋りすぎだと気付いたらしい。しかし、羽山カンパニーの内部の情報は、「清掃のおばちゃんが重役出勤で偉そうなんだけど」こんな些細な情報でも欲しい。
 羽山カンパニーは巨大過ぎる。だから内部に楔を打ち込むしかない。

 鷺原は、雪乃の手に手を重ねた。「ぴゃ」と雪乃がオモシロ声音で反応する。

「心に溜めるのは良くない。知っている? 会社のストレスの最大の解消方法は「会社以外の人物に打ち明ける」きみと僕は伴侶だろ」
「眞守さん……ありがと」
「それに、あんな強いお局に首掴まれていたら、大変だろうに」

 聞いた途端、雪乃は眉を僅かに上げ、鷺原に反論をぶつけてきた。

「佐東主任は厳しいけど、それは全部……」従来の負けず嫌いが顔を出したか。雪乃は俯いて続きを紡ぐ。

 篠山雪乃は何だかんだで、佐東海空を慕っている。情報を引き出そうとしても、「佐東の鍵」がかかっていて、巧く引き出せず。

「判ってるんだけど……佐東主任との差を感じて素直になれない。変だよね。眞守さんには何でも話せるのに……ね」

 鷺原は肉食である。横に座った肩を引き寄せるかどうか決めかねたところで、ランチプレートがやって来た。

「お腹ぺこぺこ」と雪乃は照れ笑いをして、フォークを手にすると、また呟いた。
「素直になるって、難しいね」
「あの佐東海空には特に、だろ。ああいう女性はやりにくいんだ。仕事ができて、男気が強く、全てを蓄積して、確実に未来に繋いでいる。「何よ、総務部なんて雑用」と言いつつ、誇りを持って突き進む。天の邪鬼とも、馬鹿正直とも取れるからな。厄介だよ」

 最後の言葉には、しばし私情が含まれたと思う。

(そう、〝佐東海空は厄介〟だ――……)

 雪乃を見れば判るだろう。佐東海空の悪口を許さない。ともすれば、「教育」の通りに雪乃は会社の情報を心に仕舞い込む。
 雪乃は好きだ。そうでなければ、ワザワザ池袋の自宅から来たりしない。

 ――作戦を変えるか。来たるXデーがため。……ありふれている表現だ。ブラッディ・マンデーのようなインパクトのある言葉はないものか。

「あ、そろそろ戻って化粧直し。眞守さん、ま、またね」

 鷺原の思惑はいざ知らず、雪乃は千円を置いて会社に戻って行った。
 時間に縛られるOLは、今日もお局の元、苦労している様子だった。

***

 雪乃が戻ると、海空は課長の机に何やら「細工」を施している最中だった。見ればビジネスフォンの受話器にはスマートフォンが画面を下に、ガムテープでぐるぐる巻きにされている。

「いくら言っても携帯しないから、固定電話にしてやったのよ」としてやったりで告げた前で、バイブレーションが激しく受話器をガタガタさせた。
 固定電話にされた携帯が暴れ狂っている様を見て、海空が鼻の頭にシワを寄せた。
「うるさいわねえ」
「かちょおに怒られます」とは鈴子。「いいのよ、馬鹿営業が」海空と尾城林の溝は深そうだ。雪乃は「今日は経理進めますね」とデスクに歩み寄ったところで、海空の手が伸びた。
 雪乃の手をぐいと掴みあげると、海空は唸った。

「あたしの話、聞いてないな? リングは外して」
「いやです」
「酷い目に遭うわよ。いや、あんたは酷い目に遭いなさい。尾城林の電話線切っちゃおうかな」
「かちょおが仕事できなくなりますっ! 阻止っ」
 単なる嫌がらせお局に変貌した海空は「嘘よ」とハサミを戻し、「鈴子、内線」と偉そうに(偉いのだが)指示を飛ばした。

「りょ……かいっと」と幾分社会人風味の「りょ」の後で、鈴子は受話し、辿々しくも、「篠山副主任……ですか」とチラチラと雪乃に視線を向けて来た。
「あたし?」
「秘書課からですけど、副主任にお願いしたい仕事があるって」
「そんなもん、総務部はどこにもないと言って切ればいい」は海空である。全ては尾城林のなりっぱなしの携帯が悪い。
「行くわ。……主任、総務部がなくなったら困ります」しっかり言い返して席を立った。
「かちょおの携帯、取ってあげていいですか」まだ仕事が少ない鈴子は仕事を探している。マイデスクに座った海空はじろりと雪乃を睨んだ。元々海空は目が大きくて、一重の雪乃の努力など不要な美人不可欠な部分は一通り持っている。それも雪乃のコンプレックスだった。

「雪乃、リングを外せ。いい? もう言わないからね。注意されているうちが花だと、あんた泣くわよ」

「これは、御守りなんです。あたしは絶対に泣きません」
「嘘つき。個室でカラカラやってるくせに」

 戻って来た尾城林の「あ! なんってことしやがる! お局ェ!」の声に追い出されるように、雪乃は再びエレベーターに向かうのだった。

***

 ――秘書課がわたしだけを呼んだ……僅かな光明を信じながら、エレベーターの推移していくフロアランプをそっと見送る。

 ドアが開いて、ガラス一面から射し込む光に手を翳す前で、きゃぴきゃぴの声。寿山桃加がいる。寿山の声は特徴的で、アニメ声だからすぐに判る。

「やっとぉ来たぁ。おっそいよぉ」

 寿山はすい、と腕を持ち上げて時計を見せた。雪乃はサーチライトのように寿山を睨め付けだ。新作のレディース・ウオッチ。カルティエのネックレス。ブルガリの香水。……高級美容室のゆるカーラーに、「勝ち組」の証の秘書の証明タグ。
 高級色したシェルネイル。カルティエのブレスレット。フェラガモの靴。
 一般社員と違って、秘書課は私服。総合職扱いで、役員クラスと同じ。

「あたしぃ、今夜には戻って来る重役さんを迎えに行くからあ、話は手短にするねっ☆」

 寿山の何もかもが眩しく見える。悔しい、悔しい……!

(あたしだって、秘書になれれば。眞守さんとも釣り合いが取れるのに!)
 総務をしている自分の姿を思い出すだけで、惨めになった。こんな制服も似合わない。唇を噛みしめてズタズタにしても、仕事に支障がないがイヤだ。

「……用件を済ませたいので」
「つれないなあ。女子同士の話がしたいのぉ。あ、そだ、オトイレ行きましょ、ね?」
「いえ、用はないので」
 ぶすり、と爪が雪乃の腕を刺激した。
「いいじゃない。仲良くしてよぉ? 雪乃さぁん」
 正直寿山とは余り面識がない。海空ほど会社も長くないから、寿山がどのくらい勤務しているかも判らないし、接点がない。
 敵の陣地だ。なのに、情けない、憧れの廊下を歩くだけで込み上げてゆるゆるになる。ここを毎日歩きたい。どれだけ勉強して来たと思っているのだろう。
 総務部では、スキルが生かせない。スキルも使わなければ、腐るのに。

「ここねえ、おばけ出るんだってえ。だからあ、桃加、絶対電気消さないの。この間も電気消した馬鹿がいてねえ、即日追いだしてやったわ。あたしの言うこと聞けってのよ」

 寿山の口調が突如として低くなった。声も。目線も、甘えたな声音はどこにもない。振り返った寿山の表情は冷酷で、此の世の憎悪を詰め込んだような冷酷無比としか喩えようがなかった。
 佐東海空と同じ、威厳のある目。数年以上の格差を意地で生き抜いた女の目が其処に在った。

「あの、総務部も忙しいので。わたしより佐東主任のほうが」
「はっきり言おうかぁ?」と寿山はにこりと笑い、坐り目になった。

「おまえ、ムカツクんだよ……イイコちゃん?」

 ――遠慮会釈無い寿山桃加のあまりの憎悪に、雪乃の足元がピシリとひび割れた。

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