Abalone〜舞姫と影の少年〜

川島晴斗

第七話:夢に映る自分

 俺が風呂を出て、十数分後。

「こーへいこーへいこーへいぃい!!!」
「…………」

 またしても全裸で俺の元へ現れた妖怪らしからぬ女の子。丁度トイレから出たところを捕まり、引き剥がしても裸を見ることになるし、剥がさなくてもなんか変な感触するし、近くに居られるととても困惑した。

「今度はなんだよ……?」
「シャワーから熱い水が出る! 無理! 死んじゃう!」
「あっそう……」

 どうやら、海暮らしの彼女にはお湯が無理らしい。
 こんな所を母さんに見つかるわけにもいかないので、俺は着ているシャツを脱いで俺より頭1つ分小さい神楽にそれを着るように言い、風呂場に行ってガスを切る。我が家のガス給油機は頭が悪いので、ガスを切らないと冷たい水が出ないのだ。

 こんな事でいいのだろうか。妖怪に逆らうと怖いからこうするしかないのだが、見た目が可愛い女の子というのはなんとかして欲しい。

 いらないものを拾ってしまった。いや、摑まされたものなのだし、手放すこともできなかったから現状に至るのだ。
 俺は部屋に戻って別のシャツを着用し、スマフォを手に取って綾に電話を掛けた。ワンコール、ツーコールと時間が経って、画面の向こうから凛とした美しい声が返ってくる。

《もしもし? こんな時間にどうしたのかしら?》
「妖怪の対処法が聞きたい」
《そう? なら教えてあげるけど、磯女は泳げないらしいわ。陸に上がった時点で弱点がないわね》
「それつまり、俺を見捨てるってことだよな」

 綾から聞いた弱点は無意味で、俺はため息を吐いて床に倒れこんだ。泳げないのが弱点? アイツ、海上を歩くから関係ないだろ。しかも海からやってきたんだし、泳げないとか絶対嘘だろ。

《ああ……それと、あやかしには塩が効くらしいわ》
「海とかいう、塩分含んだ海水の塊からやってきたのに?」
《塩は白くて、清めるためのものとして昔から使われてるわ。海水とは違う……効くかもしれないわよ?》
「ほーん、じゃあヤバくなったら試してみるわ」

 悪い情報しかないと思ったら、良い情報が手に入ったので俺は塩を取りに行こうと立ち上がる。
 部屋から出ようとして、綾の声が俺を止めた。

《待ちなさい。公平くん――貴方まだ、彼女に何かされたわけじゃないんでしょう? 声が平然としてる……危機が訪れたわけでもないのに、嫌がらせをするなんて、かえって危険なことだわ》
「ヤバくなったらって言ったろ? 今すぐ投げつけるわけじゃない。備えあれば憂いなし、だろ?」
《そうだけど、私には海原さんが貴方を殺すようには思えないわ。大丈夫、私を信用しなさい》
「なんでそう言い切れる? 理由はなんだ?」

 俺が問い詰めると、返答はすぐに返ってきた。
 いつも通りの冷たく、凛々しい綾の声が。

《――それは貴方にだけは教えられないわ》

 冷徹な拒絶の声と共に、プツリと通話は途絶えてしまった――。





 ************





 暗い暗い深淵の底に俺は居た。妙な浮遊感が体を蝕み、移動しようにも、水を蹴っているような感覚しかなくて、進んでいるようには思えない。

 口を開くと、ゴポリという音がして泡が出て上へ登っていく。ここは深い深い海の底だったらしい。

「――やぁ」

 そこに聞こえた、馴れ馴れしい男の声。声に導かれるまま振り返ると――そこには俺が居た。

「――え?」

 なんで自分がそこにいるのか、その疑問からくる"え?"だった。学生服に身を包み、空虚な瞳で俺を見つめている。

 不思議だった。その男を見た瞬間から、本来なら思うはずがない考えが頭を離れないのだから。

 ――この男が、もう死んでいるだなんて――

「初めましてだな、"俺"。"オレ"はお前の影だ」

 そうやって、なんでもないように、当たり前のように自己紹介をしてくる"オレ"。俺の影というが、この深海に影などない。俺から影が分離して、話までしてくるというのか――?

「――深く考える必要はない。ここは夢の中だから」

 "オレ"はそう語り掛けて俺の思考を止める。夢の中――確かにそうだ。こんな現実ではあり得ない光景、夢じゃなかったら俺は死んでることになる。

 昨夜はテキトーに神楽の相手をして、それから寝たはずだ。そしてまだ、朝に目覚めた記憶はなく、これが今日の夢なのだと理解する。

 変な夢だ、鏡写しの自分を見るなんて。声も立ち姿も俺そっくり――本来なら、気持ち悪いと思うはず。なのに俺は"オレ"を気持ち悪く思わない。それはきっと、話し方が"俺"と違うからなんだろう。"俺"はこんなまどろっこしい、落ち着いた話し方をしない。もっとズバッと、ザックリと言う。
 彼のセリフを俺が言うならば、
「これ夢だから、何も考えず沈んどけ」
 とでも言うのだろう。

 しかしそうではない。彼は俺の影なのに、俺らしくない――つまりは"他人"だった。

「俺の姿をした怪しい奴め。昨日今日で色々あったからゆっくり休みたいのに、夢にまで変なのが出やがったか」
「変なのって、"オレ"はお前だろう?」
「嘘つくんじゃねーよ。お前が"俺"なら質問してやる。今日の晩飯はなんだ?」
「焼きそば」
「昨日見逃した番組は?」
「【新人類!ウホウホゴリラカーニバル!】」
「パソコンで閲覧したサイトは?」
「それはお前のために言わないでおこう」
「クッ……!」

 2つの質問は正解で、俺は奥歯を噛み締めて悔しさを抑える。最後の質問はアレだ、思春期の男子ならば仕方ないだろう。
 とはいえ、コイツは確かに"俺"の影だ。そうじゃなきゃ、俺の事をストーキングしてる変態のどちらかだろう。ストーカーなんて俺には居ないから、影である説の方が有力だが。

「……まぁ、ひとまずは"俺"の影って事で納得しておいてやるよ。それで? 何の用なの?」
「何、大した事じゃないさ」
「……?」

 "オレ"は水をかき分けるでもなく、水中を歩いて俺の方に近付いてくる。自分の姿をしたモノが近付いてくるなんて気味が悪いけど、俺はこの水中を動くことができなくて、影がこっちに来るのを、ただ待っていた。
 そして――影の伸ばした右腕が、俺の肩へと触れる。

「――"代われ"」

 その一言を耳にすると、急な眠気に襲われた。俺は目を閉じると、鉛のように重い頭から、さらに深く海に沈んで――





「おはよう!!!」
「…………」

 消え入りそうな意識は、煩い女の声で覚醒する。
 目を開けると、そこには神楽が居た。俺の上に馬乗りになっている。着ているのは俺の古着で、ちっこいこの女にはフィットしていた。

「……なんで俺の部屋にいるわけ?」

 まず頭についた疑問をそのまま投げかけてみる。家には物置――本来、妹に与えるはずだった個室――があるからそこで寝てもらってたはずだ。なのに、この女は何故俺の部屋にいるのだろう?
 俺の質問に、少女はにんまり笑って答える。

「暇だったの」

 腹の立つ理由だったので、押し退けてさっさと脱出することにした。

「ひゃーっ」

 楽しそうに悲鳴をあげて畳に倒れこむ神楽。子供かおのれは。

「うわーっ、こーへいの匂いがする」
「そりゃ俺の部屋だからな」
「こーへいの匂い、なんか気持ち悪い匂いだよね。どうしてこんな匂いになっちゃったの?」
「出て行け」

 思ったより軽い神楽を引き擦り、部屋から追い出すのであった。

コメント

コメントを書く

「現代ドラマ」の人気作品

書籍化作品