妖印刻みし勇者よ、滅びゆく多元宇宙を救え (旧題:絶対無敵の聖剣使いが三千世界を救います)

日比野庵

ep6-028.カズン・モンスター(5)

 
――藩王国。

 落日が山の奥に消え、漆黒の天を煌めく星々が彩る。

 王宮に灯された火が、静かに地を照らし始めた。

 藩王宮殿の一角にある小部屋。粗末な石組みの部屋だ。壁には藩王の武威を誇るが如く、槍や弓、剣に楯がこれ見よがしに飾られている。

 武具はよく手入れされており、ピカピカに磨き上げられていた。柄や持ち手には何の装飾もなく、黒い革紐が巻かれているだけだ。このまま実戦に使われても、何の違和感もない。実用本位の拵えだ。

 床には、数々のモンスターの毛皮が敷かれ、頑丈な木のテーブルと椅子が置かれている。

 部屋の四隅には、小さな土を固めた土瓶が置かれていた。そこから微かに見える程度の煙が立ち上り、甘い香りを漂わせては、毛皮に残る獣の匂いを消している。

 一人の男が足を組んで椅子に腰掛けていた。男の名はラ=ファス。数ヶ月前、ふらりとこの地に現れた彼は、自らを異世界からの使者と名乗り、不可思議な魔法を披露した。それが藩王メオ・ガラルのレシーバーの目に止まり、それ以来、藩王国の食客として迎えられていた。

 ラ=ファスの視線は宙に注がれていた。テーブルの上に置かれた小さな丸い円盤から、半透明の板のようなものが浮かび上がっている。

 は、絹のように薄く、霧のように触ることのできない何かだ。そのには、モンスター達が、ガラムに向かう馬竜車隊を襲い、引き上げるまでの映像が映し出されていた。

 ラ=ファスは、が上首尾に終わったことを確認すると静かに呟いた。

「まずまずといったところか……」

 モンスターを思いのままに操る。それがラ=ファスの実験の中身だ。彼が藩王メオ・ガラルに提案した『死を恐れぬ大軍』とは、モンスターだけで構成した軍のことだ。

 強力なモンスター達を集め、軍として使うことが出来れば、強大な戦力になる。それは、この世界で軍を率いる者であれば、誰しも一度は夢見る程の魅力に満ちていた。そして、それを試みる者も後を絶たなかった。

 しかし、それには大きな課題があった。モンスターを如何に制御するかという問題だ。

 馬竜のように大陸各地では、動物やモンスターを人間が使役することはある。だが、それは飼い慣らした上で、ようやく命じたことだけを行わせるだけに過ぎなかった。

 過去、幾多の魔導士がモンスターを戦争に投入しようと試みたことがあった。しかし、モンスターを傀儡くぐつとして使うのが精一杯で、モンスターの傍に傀儡くぐつ士が常についていなければならなかった。

 実際、局地戦で極少数のモンスターが投入されたことはあったのだが、傀儡くぐつ士が仕留められたら、それきり終わりになったし、傀儡くぐつ士を失ったモンスター達が暴走することも度々あり、大した戦果をあげることは叶わなかった。

 今では、モンスターに統一行動を取らせることは不可能だと結論づけられている。

 しかし、ラ=ファスは傀儡くぐつのようにモンスターを外からコントロールするのではなく、モンスターにあるものを植え付けることで、それを可能とした。モンスター達は人語を解し、疑似意志を持つようになった。最初にごく簡単な命令を与えておけば、あとはモンスターが命令に沿って、個別に判断して行動するのだ。それは傀儡くぐつ士を必要としないモンスター兵の創造を意味していた。

 ラ=ファスは、これまで不可能とされていたモンスター達による統一行動が出来るのかの実験を行ったのだ。ツェス達を襲ったカズン・モンスター達がそれだ。

 まだまだ精度をあげる必要はあるが、モンスター同士で意志疎通を行い、個別に判断して行動することが確認できた。実験は成功したと言っていい。

 ――これで、目処が立った。

 ラ=ファスは満足を覚えた。それは藩王メオ・ガラルのレシーバーに提案した『死を恐れぬ軍隊』を作り出せたことだけではなかったのだが、彼の心の内を知るものはこの世界には存在しない。

 映像を一通りチェックしたラ=ファスが円盤の縁を撫でた。途端に半透明の板が消え失せる。ラ=ファスは、円盤をしばし指先で弄んでから、上着の胸元内側に縫いつけられた袋状の隙間に仕舞った。

 椅子の背もたれに体を預け、目を閉じる。

 ラ=ファスにとって、創造物に富んだこの世界は非常に魅力的だ。

「科学が発達しすぎた故の衰退か……皮肉なものだ」

 しばらくして瞼を開けたラ=ファスは、自分の右の掌を開け、視線を送る。

 ――我らの世界を再び蘇らせる、か。

 ラ=ファスは自らの使命の重さに身震いした。無理もない。彼が持ち帰るものが命運を握っているのだから。今は、まだまだ準備段階に過ぎない。やるべきことは山積みなのだ。

 ――コンコン。

 固い木の扉を外からノックする音が響いた。ラ=ファスが顔を向け、入室の許可を出した。

「ラ=ファス様。お飲みものをお持ちしました」

 扉を開け、一人の長身女性が姿を表した。二十歳を少し過ぎたくらいだろうか。胸元の大きく開いた袖無しの赤い服を纏い、グラマラスな肢体を晒している。膝まで届く燃えるような深紅の髪。頭の両側を無数の細い花弁を持った白い華で飾っている。両の手首には、赤地に白の二本線が入った皮のバンドが填められていた。

 剥き出しの手足は長く、透き通るように白い。彼女の体は筋肉で引き締まっていたが、女性らしさは失われていなかった。それよりも目を引くのは彼女の美貌だ。

 切れ長の目の奥には、少し憂いを帯びた瞳が赤く輝いている。真っ直ぐな鼻筋と程良い形の艶のある唇が完璧な位置に配置され、一分の隙もない。出会った者は一人残らず彼女に魅了されるに違いない。こんな山奥でなく、三王国のどれかの王都にでも居たならば、きっと絶世の美女として評判になっていただろう。

 巨人族の血を引く彼女は、長身のラ=ファスよりも更に頭半分ほど背が高かった。尤も彼女に言わせれば、巨人族の中では全然小さいのだそうだが。

「アングルボーザ、中々、素敵な部屋ですね」
「気に入っていただけましたか?」

 アングルボーザと呼びかけられた女は、酒の入った陶器瓶と銀杯の乗った盆をテーブルに置きながら、ラ=ファスに微笑み掛けた。アングルボーザは香水の類は一切付けていなかったが、女性特有の甘い香りがうなじから流れ、部屋に焚かれた香と混ざっていった。

「えぇ、とても。ところでアングルボーザ、この剣や楯は?」

 ラ=ファスは、壁に掛けられた武具を指さした。

「歴代の藩王が実際に使われたものだそうです。一番奥から、初代藩王メオ・ガラルのバンダール、ニ代藩王メオ・ガラルのゴーリッジ、続いて……」

 アングルボーザが一つ一つ説明していくのをラ=ファスは軽く頷きながら目で追った。

「そんな大事なものを飾っている部屋を私に使わせてよいのですか?」
「藩王様はラ=ファス様を最高の賓客として迎えておいでです。この部屋をお与えになったのはその証……」

 アングルボーザは藩王メオ・ガラルのレシーバーお気に入りの妾の一人だ。およそ百年前、初代メオ・ガラルは大陸北端を住処としていた巨人族を討伐した。苦戦の末、巨人族に勝利した初代メオ・ガラルは、巨人族に恭順の盟約を結ばせ、彼らの娘達を何人か連れ帰り側妻とした。

 それ以来、代々の藩王メオ・ガラルは、巨人族の娘を妻あるいは妾として迎え、巨人族と友好関係を保っている。北部の一盆地を支配するに過ぎなかったメオ氏族が藩王として大陸北部に勢力を伸ばし得たのは巨人族の助力を得ることが出来た部分も大きく影響している。アングルボーザもそうして迎え入れられた巨人族族長の娘だ。

「それほど買い被られても困りますがね」

 ラ=ファスの返事にアングルボーザは、妖艶な笑みを浮かべた。空いた椅子をラ=ファスの隣に引き寄せて座ると、ラ=ファスにしなだれかかるように身を寄せる。

「いいえ、ラ=ファス様は、神の世界から来られた御方。是非その力の一端を私達にお与えくださいませ」

 アングルボーザはラ=ファスの耳元で囁くと、テーブルに向き直って手を伸ばした。陶器瓶の丸い取っ手を持って、底をもう片方の手で支える形で持ち上げる。

「お一つどうぞ。今日は極上の葡萄酒を御用意させていただきました」
「いや、今は止めておきましょう。まだもう少しやることがあるのでね。貴方と酒を共にできる機会は楽しみにとっておきましょう」
「……釣れないお方」

 アングルボーザは笑みを崩さなかった。酒を断られたことに気分を害した様子は微塵も見られない。

「では、楽しみはまたの機会に。お茶でもお持ちしましょうか?」
「お願いしましょう」
「畏まりました」

 アングルボーザは妖しく美しい表情を見せ立ち上がる。くるりと踵を返すと、艶やかな足取りを残して静かに退室した。


◇◇◇


 ――藩王の寝所。

 高い天井を持つ広い部屋だ。壁に掛けられた黒塗りの軍配を覗けば、装飾の類など一切ない閑散とした部屋だ。中央の大きなベッドがなければ、会議か何かに使われる部屋だと思うだろう。

 初代藩王メオ・ガラルのバンダールは戦で深手を負った時、この部屋に重臣達を集め、病床から戦の指示を出していたと伝えられている。壁に掛かる軍配は初代藩王が使っていたものだ。

 それ以来、歴代の藩王達は片時も戦を忘れぬようにと、この部屋に初代藩王の軍配を掲げている。五代目となった藩王メオ・ガラルのレシーバーにも、その伝統と精神は受け継がれていた。

「お前の色香でも堕ちぬか」

 藩王メオ・ガラルのレシーバーは、上半身を起こしヘッドボードに背を預けていた。鋼の如き筋骨隆々の体躯を誇る藩王は、正面に見える漆黒の軍配を睨んだまま、そういった。

「いいえ。もう少しお時間をいただければきっと」

 藩王の横に寄り添うのはアングルボーザ。レシーバーの左肩に両手を乗せ自信あり気に囁く。

「レシーバー様、本気であの者を藩王国に迎えるお積もりですか?」
「気に入らぬか?」
「どれほど優れた魔法使いといえど、所詮は異界のともがら。何を考えているのか分かりません」

 アングルボーザは左手を上げると無造作に下に振った。彼女が手首につけている皮バンドが、シュンと軽い音を立てたかと思うと次の瞬間、鋭い針が壁に刺さった。

「御命令いただければ、始末するなど造作もないこと」
「まだその時ではない、アングルボーザ。異界人の心の臓が左にあるとは限らぬぞ」
「レシーバー様?」
「そのためにお前を寄越したのだ。あ奴を隅の隅まで探るのだ。肌を重ねる程になれば隙も出来よう」

 レシーバーは正面に掲げられた軍配に向かって右の拳を突き上げた。 

「メオ・ガラムのドートス。レーベに平伏ひれふした屈辱の父藩王よ。俺はあんたとは違う。見ているがよい」

 五代目藩王メオ・ガラムのレシーバーは不敵に笑った。

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