妖印刻みし勇者よ、滅びゆく多元宇宙を救え (旧題:絶対無敵の聖剣使いが三千世界を救います)
ep3-014.王都の診療所(4)
八年前のあの日以来、ツェスは家族に会えないでいる。もちろん、異形の魔物から受けた傷が癒えて直ぐに王都や付近の村を探して回った。高名な大魔導士ラメルの連れということで、多くの人が協力してくれた。
宮廷顧問も勤めるラメルの口利きで王が触れを出し、捜索してくれたこともある。立ち入り禁止となっていたツェスの村への立ち入りも許された。だが、家族の行方は全く分からなかった。
ツェスはラメルに引き取られ、イーリス、アケリオン、シヴィ達と共に暮らし成長した。ツェスにとって彼らは第二の家族だ。
「ツェス……ツェス!」
忌まわしき過去を思い出していたツェスはアケリオンの声に反応するまで二呼吸程の時間を要した。
「半腕の調子はどうなんだ? 見せてみろ」
アケリオンが手を伸ばしていた。ツェスは素直に左腕をアケリオンに預ける。手首と肘の近くにある異形の魔物に咬まれた跡は、八年経った今でもくっきりと残っている。
「相変わらず白いな」
「日焼けすんのは嫌なんだよ」
ツェスにとって、褐色の肌は半腕になる証だ。忌まわしい八年前のあの日を嫌が応にも思い出させる。
――半腕。
化け物じみたスキルだ。異形の魔物を狩る力とは、それ自体が異形の力ではないのか。ツェスの心の片隅にずっと引っかかっている疑問だ。
アケリオンはツェスの腕を取って、触診を始める。しばらく触ってから肘の腱の辺りをギュッと押した。
「痛ッ! アケリオン」
ツェスが声を上げる。
「痛かったか、済まんな。腱も腕も大丈夫だ。奴に咬まれた跡もな。痛覚も問題ない。後はシヴィに診て貰おう」
「ずっとこのままなのか?」
ツェスの問いは、元の普通の腕に戻ることはないのかという諦めと、これから悪化して何某かの症状が出ることがないのかという懸念の入り交じったものだった。アケリオンは静かに首を振った。
「正直分からない。半腕になると色が抜けることも、それ以外の肌が褐色になることもな」
「要するに、経過観察ってことか」
「ツェス、お前が半腕のせいで、籠手を着けていることも、肌を焼くのを嫌がる気持ちも分からないではない。だが、お前の半腕は、世界で唯一つのスキルだ。異形の魔物をも斬り伏せるお前のスキルは、きっといつか大陸を、いやこの世を救うものになるぞ」
「養父みたいな事をいうんだな。アケリオン」
「お前も俺もラメル大導師の弟子だ。イーリスもシヴィもな。師匠に似たっておかしくないだろう」
「こんな腕、異形を斬る以外に役に立つとは思えないがな」
ツェスは吐き捨てるように言った。確かに半腕になれば、異形の魔物を切り伏せられる。だが、それだけの事だ。その場にいる者を助けることは出来るかもしれないが、それがこの世を救う程の力があるとは思えなかった。半腕になる以外は普通の腕だが、死ぬまでこれと付き合うことになるのかと思うと気が滅入るのだ。
「……ツェス。お前、半腕になったこと、運命だと思うか?」
アケリオンがツェスの顔を覗き込んでいた。
「運命って奴は、自分の影みたいなもんでな。切り離そうったって出来やしない。人によって濃い薄いはあるかもしれないが、いつでもどこでも自分にくっついてくる。でもな、その影を影で無くす事も出来るんだ」
「……」
「それは肩を組んで、抱きかかえて自分の仲間にしちまうことだ。影もお前なんだ。お前の一部なんだよ。決して運命なんかじゃない」
ツェスは、アケリオンの紺の瞳が、まるで自分の心の奥を覗き込んでいるかのように感じた。
「お前の半腕は、お前だけのスキルだ。それが本当にお前の一部になったとき影は影でなくなる。その時には、運命なんかどっかに逃げ出しているさ。命は自分で運ぶんだ。運ばれるもんじゃない」
「アケリオン……」
言葉を続けようとしたツェスを、金髪の美女が遮った。
「ツェス君、お久しぶりやねぇ。よぉ帰ってきたわ。元気そうで安心したわ」
シヴィがツェスとアケリオンの所にやってきた。イーリスの顔にパックして、手が空いたのだ。
「変わってないね。シヴィ、綺麗だよ」
「ほほほ。えろうお世辞が上手なったねぇ。ツェス君も大きゅうなって、随分とええ男になったわ。旅はどうやったかね」
「何とかね。色々あったけど、こうして生きてるさ」
「ほうか。先生にはもう会うたかね?」
「いや。これからさ、イーリスの準備待ちさ」
「イーリスちゃんのパックが終わるまでは、少し時間掛かるわぁ。もうちょっと待っとったって」
「シヴィ、ツェスの腕を看てやってくれないか。骨や筋肉には特に異常はないようだが」
アケリオンが目配せする。
「分かっとるよ。その積もりで来たんやろ。ツェス君。ちょっと見せたってくれる?」
シヴィがしゃがみ込んで、ツェスの左腕を取る。彼女の金の瞳が少し赤みを帯びた。
シヴィは光の精霊使いだ。余人に見えることはないが、光の精霊ヴァーロはいつも彼女の側にいるという。彼女が言うには普通の精霊使いでは有り得ないことなのだそうだ。
そのお陰で彼女は、精霊はおろかこの世成らざる者の姿を視るスキル『インビジブル・スコープ』を持っている。このスキルは余程、光の精霊に気に入られないと顕現することはないという。
アケリオンの診療所には色んな患者がやってくるのだが、大抵の場合は、肉体に原因がある事が殆どだ。しかし、ごく稀に肉体次元を越えた原因を抱えた患者が来ることがある。例えば呪いといった類のものだ。
シヴィはこの『インビジブル・スコープ』のスキルで、呪いのような目に見えないモノを視ることが出来る。呪いを解くのは主に、リーファ神殿の神官に依頼することになるのだが、呪いかどうか分からないまま解呪を行っても空振りになることがある。
自分が呪われたと思った患者は、幾許かの寄進と引き替えに解呪の儀を行いにリーファ神殿へ直ぐに行ってしまうのが通例だ。たとえ呪われていなかった場合でも寄進を納めればそれで済むからだ。
しかし、中には、本当に呪いなのかどうかまず確かめてからだと、アケリオンを訪ねてくる者もいる。アケリオンやシヴィに診てもらう費用は決して安くはないのだが、肉体もそれ以外も診てくれるアケリオンの診療所は人気があった。
もっとも、その人気の殆どは、ハンサムなアケリオンと、シヴィの美貌に寄る所が大きいのだが。
「うん。前と変わっとらんね。大丈夫やよ」
シヴィはほっとした表情を見せた。シヴィに言わせれば、ツェスの左腕は、精霊が憑いている訳でもなく、呪いでもないのだそうだ。ただ普通の人の腕とは違って見えるという。原因は分からない。分かっているのは、八年前、異形の魔物に咬まれたことが切っ掛けになっている事だけだ。
「異形が近くに来ん限り、半腕にはならんと思うわぁ。心配せんでええよ。あとは久々やけど、血を採らせたってくれる?」
ツェスとイーリスはラメルの下に来てから、定期的に少量の血を採っている。異常がないか観察すると同時にラメルが研究に使うためだ。血を抜くのは手先が器用なシヴィの役目だ。
シヴィは親指程の小さなガラス瓶を持ってくると、底をランプで熱し始めた。
「ツェス君。ちょっと袖捲ったって」
ツェスが肩口まで袖を捲ると、シヴィは小さなナイフで肩口に傷を付けた。じわりと血が滲むのを確認すると、底を熱したガラス瓶の口を、傷口に覆い被せた。しばらくすると、傷口からジワジワと血が吸い出されていく。痛みは殆どない。採血は直ぐに終わった。
「終わったわぁ、ありがとねぇ」
シヴィはツェスの血が入ったガラス瓶の蓋を締め、蝋で密封すると、ツェスの隣の椅子に置かれた、籠手を取って左腕に着けてやった。仄かなローズの香りは昔のままだ。
「ツェス君。余計なお世話かもしれへんけどねぇ、半腕と日焼けは関係あらへんよ。そんなに心配することないわぁ」
「ありがとう。シヴィ。でも、もう慣れたよ。大丈夫だ」
「ほうかね。なら、ええけど」
心配するシヴィの背中に、イーリスがまだかと声を掛ける。
「シヴィおばさん、そろそろパックいいんじゃない?」
「ほうやね。今行くからちょっと待っとって。パック終わったら、イーリスちゃんの血も抜くでね」
シヴィが立ち上がり、イーリスの元に駆け寄っていく。
「ツェス、何にせよ無事戻ってきたんだ。暫くは王都に居れるんだろ?」
「まぁな、でもそれは養父に会ってから決めるよ」
「ん?」
「一蓮前に養父から呼び出しを受けたんだ。直ぐに戻ってこいってな。こういう時、風使いは便利だな。ものの二日あれば届いちまう」
「風通信か……」
同じ属性の精霊使い同士は精霊を介して会話を伝えることが出来る。特に風使い同士の連絡は『風通信』と呼ばれ、重宝される。同じ事は他の属性の精霊使い同士でも可能なのだが、属性毎にそれぞれ制約があった。例えば、光の精霊使い同士の通信は、最も速いのだが、途中で光を遮るものがあったり、地平線の向こうには届ける事が出来ない。
また、雷使いは雲がないと通信できないし、水使いは河や海伝いでしか連絡出来ないという制約がある。土使いは気象や地形の制約は殆ど受けない代わりに、通信に時間が掛かりすぎて論外だ。『風通信』は、多少は気象の影響を受けるものの、安定して通信できるという意味で使い勝手がよいのだ。
『風通信』は大陸内であればどこでも大体七日あれば連絡可能とされている。風使いの中には、仲間内で『風通信』ネットワークを構築している者達もいる。それは国同士でも同じで、ほぼ全ての国は風使いを召し抱え、国家間でも通信を行っている。だが風使いになって一年にも満たないイーリスは『風通信』のネットワークには入っていなかった。
「ツェス、どう? 綺麗になった?」
パックを終えたイーリスがツェスの前に立っていた。艶のあるグリーンの髪に掌を添えてポーズを取る。
「シヴィの次くらいには」
「ふんだ。どうせあたしはブスですよ~」
その場に居た全員が笑った。ツェスはようやく王都に帰ってきたんだなと目を細めた。
 
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