妖印刻みし勇者よ、滅びゆく多元宇宙を救え (旧題:絶対無敵の聖剣使いが三千世界を救います)

日比野庵

ep2-006.ドゥーム・ドレイナー(1)

 
 翌日、キビエー村を後にしたツェスとイーリスは王都に向かって街道を歩いていた。先導するイーリスにツェスが続く。ツェスが荷物を持っているのは昨日と同じだ。違う点があるとすれば、昨日よりも、雲が多く、日射しを遮ってくれる機会が多いことだ。

 異形の魔物を退治した二人は、その日のうちにキビエー村を発つ積もりだったのだが、村長から是非お礼をさせて欲しいと引き留められ、そのまま一泊した。一方、『半腕の剣鬼』を名乗った偽物三人組は、村から叩き出された。

 村人は村を救ったツェスとイーリスを歓待した。村長の家で酒宴が設けられた。キビエー村の村長は異形の魔物を屠った報酬に金貨十枚を申し出たのだが、ツェスは固辞した。村長が村を荒らす怪物や魔物を『半腕の剣鬼』が討伐したと噂を流して、客を呼び込もうとしていると思ったからだ。

 有名人が現地で化け物退治した逸話をアピールに使うのはよくある話だ。ツェスは自分が『半腕の剣鬼』であることを別段隠す積もりはなかったのだが、おおっぴらに言い触らす積もりはもっとなかった。村の宣伝に使われるのは真っ平御免だ。

 ツェスは村長に『異形の魔物』を討伐した事は伏せておくよう口止めを依頼した。其の代償として報酬は断った。もし、何某かの報酬を貰えば、形の上ではクエストを受けたことになる。必然的に口止めも出来なくなる。

 あの現場に居合わせた人数は多くない。口止めしても、しばらくは大丈夫だろう。それでも、いずれは噂になるだろうが……。

 ――面倒になってなきゃいいが……

 ツェスは小さく溜息をついた。何せ『半腕の剣鬼』を名乗る偽物も出るくらいだ。その存在が、それなりに噂になっていることは容易に想像できた。自分が『半腕の剣鬼』だと知られようものなら、あちこちに引っ張り回されることは間違いない。無論、依頼を断ることも出来るが、それならそれで、良からぬ噂を流されることだって有り得る。世間は面倒なのだ、色々と。

「ツェス、躰は大丈夫?」
「あぁ、何ともない」

 イーリスの心配そうな眼差しにツェスは左腕の籠手を見せて答えた。以来、『異形の魔物』が近づくと左腕が震えるようになった。そして手首から肘が半透明となり、それ以外の部分は褐色の肌に変わる。なぜそんなことになってしまうのかツェスには分からなかった。唯一分かっているのは『半腕』になった時に『異形の魔物』を斃す力が得られるということだ。だが……。

 ――が何体も出てくると、王国も危ないかもしれない。

 ツェスは昨日の闘いを思い出していた。

 物理攻撃の七、八割がすり抜けてしまう『異形の魔物』。偶に当たる攻撃とて、ドラゴン並に硬い皮膚に阻まれる。ドラゴンのように炎こそ吐かないが、人を行動不能に追いやる『地獄の鳴き声』もある。その意味では、ドラゴンよりも厄介な相手だとツェスは思っていた。

「イーリス、『異形の魔物』に魔法が通じると思うか?」
「さぁ、私はやったことないから分からないわ。でも師匠なら魔法で仕留められるでしょ?」
養父おやじは特別だ。異形あいつらは、普段、滅多に出てこない。だが、今年になってもう四体目だ。もしも異形あいつらがそこら中に出てくるようになったら、そこらの剣では太刀打ちできない。王国騎士でも苦戦するだろうな。魔法が有効ならそっちを使った方がいい」

 ツェスは自分の懸念をイーリスに打ち明けた。イーリスはくるりと振り返ると栗色の瞳をツェスに向けた。昨日よりほんの少しだけ伸びた翠色の髪の先の銀が陽光を跳ね返し、ツェスの瞳を貫いた。

「ツェス、まさか精晶石が無限にあると思っているんじゃないでしょうね。昨日だって七つも使ったのよ」

 イーリスが腰の皮袋に手をやった。彼女の皮袋には特別な石が入っている。契約を交わした精霊を封じた宝石だ。

 この世界では精霊と契約を交わした人間だけが魔法を使うことが出来る。

『精霊使い』と呼ばれる彼らは、精霊の力を借りて魔法を顕現させる。精霊は光・闇・炎・水・雷・土・風の七属性のどれかに属し、顕現する魔法もその属性に沿ったものとなるのだが、一つの精霊は複数の属性を持つ事はできない。そして、精霊使いもまた、一度精霊と契約を結ぶと他の属性の精霊と契約を結ぶことはできない。畢竟、精霊使いは七属性の内、どれか一つの魔法だけを扱うことになるのだ。

「それは大判振る舞いしたな」
「ツェス、魔物が棘を発射する前にあんたが片づけていたら、精晶石は一つで済んだのよ」

 イーリスは少しむくれた様に言った。

「でも、精宿石は回収したんだろう?」
「当たり前よ、ほら」

 イーリスは皮袋に手を突っ込んでいくつか石を取り出して見せた。精晶石のように透き通ってはいない。ただの石だ。

 精晶石は一度使うと、封じられていた精霊が解放され、離れてしまう。透明な輝きは失われ、ただの石に戻る。再び精晶石として使うには、リーファ神殿に赴き、大神官の神域魔法で精霊を再び召喚・封印しなければならない。

 精霊を失い、唯の石となった精晶石を精霊使い達は『精宿石』と呼ぶ。イーリスは昨日の闘いで使い、精晶石で無くなった精宿石をすべて拾っていた。もちろん、精霊を宿して再び精晶石として使えるようにする為だ。イーリスだけではない、他の精霊使いもそれは同じだ。

「どうせ王都に行くんだ。そこで精晶石にして貰えばいいだろう」
「あのね。ただで出来ると思わないでね。寄進のお金はどうするの?」
「ん、足りないのか?」

 ツェスは懐を探り、黒の皮袋を取り出した。口を開けて中身を確認する。金貨が三枚と銀貨が五枚、銅貨がそこそこ。王都までの道のりを考えると、決して余裕があるとはいえない。

「どう、足りるの?」

 イーリスが挑発的に言い放つ。彼女の顔には、ツェスが金を払うのが当然だと書いてあった。

「全部は無理そうだな」

 精宿石に精霊を宿して精晶石にするには、石一個あたり金貨一枚が相場だ。それはツェスも知っている。神官とて霞を喰って生きているわけではない。王国の主立った都市にはリーファ神殿があるが、建てるにも維持するにも、それなりの金は必要だ。王の資金援助と信徒の奉仕業があるとはいえ、それだけでは限界がある。

 それでも金貨一枚で精晶石にして貰えるのは良心的な方だ。ツェスは王都から遠く離れたある街の道具屋で、精晶石一個を金貨四枚で売っているのを見たことがある。道具屋の親父は貴重なものですから、と平然としていた。それほど高価な品物なのだ。

 いくら異形の魔物を倒す為だとしても、気軽に何個も使えるものではない。

「ほら、だからキビエー村で報酬を貰っておけば良かったのよ」

 イーリスがツェスを詰る。ツェスは肩を竦めて誤魔化す他なかった。

 いつしか街道は山間に入った。梢がさわさわと揺れ、心地の良い風が二人の間を吹き抜ける。暑い日射しも周りの木々が防いでくれた。風の精霊と契約を結んでいる風使いだからだろうか。さっきまでとは打って変わってイーリスも気分が良さそうだ。時折立ち止まっては深呼吸している。

 ともあれ日射しが遮られるのは助かる。日焼けしなくて済む。

 しばらく進むと、視界が開けた。一面に草地が広がる。山間の丘陵地帯に入ったのだ。緩やかな斜面一杯に青緑の芝が覆い、その奥に林が点在している。

「夜明かしの草原ね」

 イーリスが片目を瞑って見せる。王都から二日の位置にあるこの草原は、旅人にとっての絶好の野宿ポイントだ。王国の軍も、この草原で野営する事がある。奥には針葉樹の林が広がり、薪に困ることもない。

 見晴らしもよい上に、モンスターも出現しない。そのお陰で野生の牛や馬が現れては、ここの草を喰む。旅人達は、牛馬が綺麗に草を取り除いて、剥き出しとなった地面を見つけては石を積み、焚き火をして一晩を明かす。

 確かダーネル草原という名がついていた筈だが、ここを通る冒険者や旅人は皆「夜明かしの草原」と呼ぶ。

 ここを抜けるとまた山を越えなくてはならない。ここで一晩明かす手もなくはないが、まだ日は高い。山の麓までいければ、王都まで一日半だ。流石に昼日中ひるひなかからここで野宿を決め込む輩はいない。夕方迄には麓に行けるだろう。あそこにも野宿出来る場所はあるし、小さな村もあった筈だ。

「ツェス。キャンプがあるわよ」

 イーリスが遠くを指さす。ツェスが日射しを遮るように額に手をかざして、イーリスが示した方角に眼を凝らす。十台程の幌馬竜車と、いくつかの天幕。何人かの人影が見えた。人影は天幕を張る作業をしているようだ。

「妙だな。まだ日はある」

 天幕を張るのは、ここで夜を明かすという印だ。少しの休憩ごときで、天幕を設置することはない。時間が掛かるからだ。

 太陽はやっと中天に差し掛かったばかりだ。日の出と共にキビエー村を出たが、幌馬竜車には出会わなかった。おそらく王都から来た連中だろう。馬竜車なら、夕方になる前には余裕でキビエー村に着ける筈だ。

「何かあったか?」

 ツェスの言葉にイーリスは知らないとばかり首を振った。

「休憩がてら、ちょっと寄ってみるか」

 ツェスとイーリスは幌馬竜車のキャンプに向かった。
 

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