鏡張りの空間、真っ赤な私は叫んだ-20:48-
鏡張りの空間、真っ赤な私は叫んだ-20:48-
――醒めた意識に、直ぐ傍から鼻に衝く何かが腐った臭い。
目を開くと自分が床で寝ていることに気付き、床に浮かぶ液体と自分の服が濡れていることに気付く。
その視界に何も映らないことで、自分が真っ暗な場所にいるということだけが理解された。
まだ確りと働かない頭を、どうにか回そうとする。
あれ。
私、昨日何処で寝たんだっけ?
寝室? それとも居間?
そもそも、何で私の服は濡れているの?
だがそんな思考を直ぐに打ち消す。
どんな状態でもカーテン越しや隙間からの日光、冷蔵庫やレコーダーが発するランプが見えるはず。
光一つ無い完全な闇と、空調か何かが動いているような薄い低音のみが聞こえるという状況が、一層私を孤独に感じさせた。
だが、私は決して孤独ではなかった。
「……おや、お目覚めかい?」
その声は聞き覚えある、少し高めの声。
突然出したからかその声は何処か掠れていて、それでも頭の芯へと響いてきた。
一瞬その声の持ち主は誰だったかと考えれば、その当たり前な答えを出すことに逡巡する。
それは紛れもなく、人生を通して付き合ってきた私の声なのだから。
「どうしたの? そんな唖然とした、ふざけた顔をして」
「なに……、何処から……? 私じゃない、誰なの?」
「あら、暗くてよく見えなかったわね。それじゃあご対面といきましょう」
劈くような眩い光に目を瞑り、瞼を通して目を慣らした後ゆっくりと視界を広げる。
白い床と天井は所々塗装が剥げており、その先に錆びた金属の板を見せていた。
天井に見える円方の照明が暖かい色で部屋を映し出し、床には複数の大きな穴があった。
その先から気分の悪くなるような臭いが漂ってくる。
何かが腐ったような、その物体までは知りたくない。
そして正面、いや正六面体の四つの面にいるのは。
「わた、し?」
こちらを怯えるような目で見つめる私だった。
その白いワンピースには泥のような物が沢山付着しており、足にも付いていることから何処か引き摺られたのかもしれない。
そんなことを誰が、なんてことは考えたくなかった。
いや、考えるどころでは無かった。
私の視界に映る私は、とても見てられないものだったから。
「そうだよ、貴女は私。私は貴女」
鏡の向こうの私は、ニヤリと顔を歪めたままそう言った。
その表情は悲痛と怒りと喜びを混ぜた、顔の左右が合わない、バランスの取れないもの。
私は膝を曲げて女座りのまま、膝に乗せていた手を顔へと持っていく。
その動きに合わせて鏡の向こうの私も、逆の手を動かしていく。
その手が顔に辿りついたとき、私は厭に理解した。
――私自身が意思に反して、その表情を浮かべていることに。
「理解できたかい? 君の状況が」
「なんなの!? なんなのよこれ!? おかしい、絶対こんなの可笑しいわ!!」
「何が可笑しいのかな? まぁ確かにあんたの顔は面白可笑しいけど」
「誰なのよあなたは!? 私の頭に響くの、止めてよもう!」
「そりゃ頭に響くさ、君が喋ってるんだから。そのスッカラカンな骨を伝って、脂肪を括り付けた肉を伝って、君のその醜い肢体を伝って響くんだから」
鏡張りの空間で全ての方向から笑われる。
統一感のない様々な口調が、私の声で響き渡る。
思わず私も笑ってしまった。
いや、違う、私は笑いたくなんかない。
止めて、私の中に入ってこないで!
「僕達は君を断罪するために、ここにいるんだよ? いや、君をここに連れてきてもらったんだよ」
「どう、いうこと?」
「そういえば、貴女には彼氏さんがいるのね? 結構地味めな」
「なにを、いってるの?」
「えっと名前は、そうそう幸紀だったね」
彼氏? まさか私を此処に連れてきたのは、幸紀なの?
「そうそう、君の想像通りだよ」
「そんなの嘘よ! 幸紀が私を裏切るわけ!」
「へぇ、よく言うねぇ」
その言葉に私の背筋はこれ以上にない位に冷えた。
何故知っているの?
あ、そうか。
「そりゃそうだよねぇ、今になってはあたしも君なんだから」
「止めて、止めて、やめ」
「なぁ、昨日会っていた男の人は、誰なんだ?」
声は私のままでも何故か理解できた。
今喋っている私は、確かに幸紀なんだと。
「信じられなかったよ、結婚の約束までしていたのに」
「ちが、違うの、あれは!」
「もう誰も信じられなくなったよ。もうやっていけない」
もう一人の男の人と付き合い始めてから、ずっと夢に見て魘されていたことが現実に起きている。
いや、そもそもこれは現実?
こんな現実があり得る訳がない。
「お願い聞いて幸紀! 待って、待ってよ」
「君は裏切らないって信じてたのに」
「謝るから謝るから!! 聞いてよ!」
「謝って許されると思ってるの?」
鏡の向こうの私は凍てつくような目線で睨んでくる。
その目がまるで幸紀の目のような錯覚を受け、私は歯をガチガチと打ち鳴らした。
それでも何とか声を絞り出して、懇願するように叫ぶ。
「そんなの思ってないから、お願い! 私の話を聞いてよ!」
「じゃあ、俺のお願いを聞いてくれたら許すよ」
その厳しい言葉から一転して投げかけらた、優しげな言葉に私は飛びついた。
地獄に垂れ下がった一本の糸に、必死に手を伸ばすように。
「俺のお願いはね、……あの男を殺せ」
「……え?」
「聞こえなかったの? じゃあもう一回言うね。あの男を殺せよ」
顔から全ての血が流れ落ちていくような、そんな感覚。
もしも出来るならば、このまま意識を失くして倒れてしまいたい。
「嫌、そんなの私に」
「出来ないの?」
まるでそれが当然と言うような。
人が人の命を奪うことが、当たり前のような。
丸っきり冷めた声で。
「出来る訳ないじゃない!! 私に人を殺せって言ってるのよ!? 犯罪者になれって言ってるのよ!?」
「何を言ってるんだ君は」
「何って」
「君はもう既に、俺を裏切るという犯罪を犯してるんだよ?」
はは、ははは、もう訳わかんない。
もう何も考えたくない。
これは夢よ。
とっても嫌な、最悪の夢。
寝れば醒めるのかしら。
「どうしても殺したくないんだね?」
「……」
「そうか、分かったよ。じゃあ殺さなくていいよ」
「……本当に?」
「勿論だよ、俺が君に嘘を言ったことがあるかい?」
幸紀はいつだって私に優しくしてくれて、私の為に行動してくれた。
そんな幸紀を、私は裏切った。
「な」
「ないよね。君はあるのに」
「……ごめ」
「まぁその男を殺せないのなら仕方ないよね」
私はその言葉へ疑問を投げかけようとした。
でも、声が出ない。
視界が言う事を聞かない。
自分の指が顔の皮膚を掻き毟る感覚だけが広がる。
目の奥が針に突き刺されたような、抉り取られるよな痛みが全身を貫いていく。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
いた、い
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。いたい。痛い。痛い。痛い。いたい。いたい。いたい。いたい。いたい。いたい。いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいいたたたいいいたいいいいい
――醒めた意識に、直ぐ傍から鼻に衝く何かが腐った臭い。
目を開くと自分が床で寝ていることに気付き、床に浮かぶ液体と自分の服が濡れていることに気付く。
そして視線を上げると。
腹に無数の穴を明かし、大口を開けた所に床まで刺さるような形で喉を、真っ赤に染まった包丁が貫いていた。
流れ出る赤い水は留まることを知らず、フローリングの床を余す所なく敷き詰めていく。
怯えるように私を見たまま固まっている瞳に映ったのは、私とは逆の手を顔に翳して不気味に笑う女の子。
決して怯えた表情なんて浮かべず、いつか見た歪んだ笑みを浮かべて。
彼女は私に、こう言った。
「――俺が殺してあげたよ? 加奈」
目を開くと自分が床で寝ていることに気付き、床に浮かぶ液体と自分の服が濡れていることに気付く。
その視界に何も映らないことで、自分が真っ暗な場所にいるということだけが理解された。
まだ確りと働かない頭を、どうにか回そうとする。
あれ。
私、昨日何処で寝たんだっけ?
寝室? それとも居間?
そもそも、何で私の服は濡れているの?
だがそんな思考を直ぐに打ち消す。
どんな状態でもカーテン越しや隙間からの日光、冷蔵庫やレコーダーが発するランプが見えるはず。
光一つ無い完全な闇と、空調か何かが動いているような薄い低音のみが聞こえるという状況が、一層私を孤独に感じさせた。
だが、私は決して孤独ではなかった。
「……おや、お目覚めかい?」
その声は聞き覚えある、少し高めの声。
突然出したからかその声は何処か掠れていて、それでも頭の芯へと響いてきた。
一瞬その声の持ち主は誰だったかと考えれば、その当たり前な答えを出すことに逡巡する。
それは紛れもなく、人生を通して付き合ってきた私の声なのだから。
「どうしたの? そんな唖然とした、ふざけた顔をして」
「なに……、何処から……? 私じゃない、誰なの?」
「あら、暗くてよく見えなかったわね。それじゃあご対面といきましょう」
劈くような眩い光に目を瞑り、瞼を通して目を慣らした後ゆっくりと視界を広げる。
白い床と天井は所々塗装が剥げており、その先に錆びた金属の板を見せていた。
天井に見える円方の照明が暖かい色で部屋を映し出し、床には複数の大きな穴があった。
その先から気分の悪くなるような臭いが漂ってくる。
何かが腐ったような、その物体までは知りたくない。
そして正面、いや正六面体の四つの面にいるのは。
「わた、し?」
こちらを怯えるような目で見つめる私だった。
その白いワンピースには泥のような物が沢山付着しており、足にも付いていることから何処か引き摺られたのかもしれない。
そんなことを誰が、なんてことは考えたくなかった。
いや、考えるどころでは無かった。
私の視界に映る私は、とても見てられないものだったから。
「そうだよ、貴女は私。私は貴女」
鏡の向こうの私は、ニヤリと顔を歪めたままそう言った。
その表情は悲痛と怒りと喜びを混ぜた、顔の左右が合わない、バランスの取れないもの。
私は膝を曲げて女座りのまま、膝に乗せていた手を顔へと持っていく。
その動きに合わせて鏡の向こうの私も、逆の手を動かしていく。
その手が顔に辿りついたとき、私は厭に理解した。
――私自身が意思に反して、その表情を浮かべていることに。
「理解できたかい? 君の状況が」
「なんなの!? なんなのよこれ!? おかしい、絶対こんなの可笑しいわ!!」
「何が可笑しいのかな? まぁ確かにあんたの顔は面白可笑しいけど」
「誰なのよあなたは!? 私の頭に響くの、止めてよもう!」
「そりゃ頭に響くさ、君が喋ってるんだから。そのスッカラカンな骨を伝って、脂肪を括り付けた肉を伝って、君のその醜い肢体を伝って響くんだから」
鏡張りの空間で全ての方向から笑われる。
統一感のない様々な口調が、私の声で響き渡る。
思わず私も笑ってしまった。
いや、違う、私は笑いたくなんかない。
止めて、私の中に入ってこないで!
「僕達は君を断罪するために、ここにいるんだよ? いや、君をここに連れてきてもらったんだよ」
「どう、いうこと?」
「そういえば、貴女には彼氏さんがいるのね? 結構地味めな」
「なにを、いってるの?」
「えっと名前は、そうそう幸紀だったね」
彼氏? まさか私を此処に連れてきたのは、幸紀なの?
「そうそう、君の想像通りだよ」
「そんなの嘘よ! 幸紀が私を裏切るわけ!」
「へぇ、よく言うねぇ」
その言葉に私の背筋はこれ以上にない位に冷えた。
何故知っているの?
あ、そうか。
「そりゃそうだよねぇ、今になってはあたしも君なんだから」
「止めて、止めて、やめ」
「なぁ、昨日会っていた男の人は、誰なんだ?」
声は私のままでも何故か理解できた。
今喋っている私は、確かに幸紀なんだと。
「信じられなかったよ、結婚の約束までしていたのに」
「ちが、違うの、あれは!」
「もう誰も信じられなくなったよ。もうやっていけない」
もう一人の男の人と付き合い始めてから、ずっと夢に見て魘されていたことが現実に起きている。
いや、そもそもこれは現実?
こんな現実があり得る訳がない。
「お願い聞いて幸紀! 待って、待ってよ」
「君は裏切らないって信じてたのに」
「謝るから謝るから!! 聞いてよ!」
「謝って許されると思ってるの?」
鏡の向こうの私は凍てつくような目線で睨んでくる。
その目がまるで幸紀の目のような錯覚を受け、私は歯をガチガチと打ち鳴らした。
それでも何とか声を絞り出して、懇願するように叫ぶ。
「そんなの思ってないから、お願い! 私の話を聞いてよ!」
「じゃあ、俺のお願いを聞いてくれたら許すよ」
その厳しい言葉から一転して投げかけらた、優しげな言葉に私は飛びついた。
地獄に垂れ下がった一本の糸に、必死に手を伸ばすように。
「俺のお願いはね、……あの男を殺せ」
「……え?」
「聞こえなかったの? じゃあもう一回言うね。あの男を殺せよ」
顔から全ての血が流れ落ちていくような、そんな感覚。
もしも出来るならば、このまま意識を失くして倒れてしまいたい。
「嫌、そんなの私に」
「出来ないの?」
まるでそれが当然と言うような。
人が人の命を奪うことが、当たり前のような。
丸っきり冷めた声で。
「出来る訳ないじゃない!! 私に人を殺せって言ってるのよ!? 犯罪者になれって言ってるのよ!?」
「何を言ってるんだ君は」
「何って」
「君はもう既に、俺を裏切るという犯罪を犯してるんだよ?」
はは、ははは、もう訳わかんない。
もう何も考えたくない。
これは夢よ。
とっても嫌な、最悪の夢。
寝れば醒めるのかしら。
「どうしても殺したくないんだね?」
「……」
「そうか、分かったよ。じゃあ殺さなくていいよ」
「……本当に?」
「勿論だよ、俺が君に嘘を言ったことがあるかい?」
幸紀はいつだって私に優しくしてくれて、私の為に行動してくれた。
そんな幸紀を、私は裏切った。
「な」
「ないよね。君はあるのに」
「……ごめ」
「まぁその男を殺せないのなら仕方ないよね」
私はその言葉へ疑問を投げかけようとした。
でも、声が出ない。
視界が言う事を聞かない。
自分の指が顔の皮膚を掻き毟る感覚だけが広がる。
目の奥が針に突き刺されたような、抉り取られるよな痛みが全身を貫いていく。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
いた、い
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。いたい。痛い。痛い。痛い。いたい。いたい。いたい。いたい。いたい。いたい。いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいいたたたいいいたいいいいい
――醒めた意識に、直ぐ傍から鼻に衝く何かが腐った臭い。
目を開くと自分が床で寝ていることに気付き、床に浮かぶ液体と自分の服が濡れていることに気付く。
そして視線を上げると。
腹に無数の穴を明かし、大口を開けた所に床まで刺さるような形で喉を、真っ赤に染まった包丁が貫いていた。
流れ出る赤い水は留まることを知らず、フローリングの床を余す所なく敷き詰めていく。
怯えるように私を見たまま固まっている瞳に映ったのは、私とは逆の手を顔に翳して不気味に笑う女の子。
決して怯えた表情なんて浮かべず、いつか見た歪んだ笑みを浮かべて。
彼女は私に、こう言った。
「――俺が殺してあげたよ? 加奈」
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コメント
ノベルバユーザー602658
鏡張りの部屋がよけいに恐怖を感じ、読めました。