蛆神様
第30話《禁忌》
あたしの名前は小島ハツナ。
お母さんとつまらないケンカをしてしまい、腹が立った勢いで近くのコンビニに逃げこんだ高校一年生だ。
ほんとうに、つまらないケンカだ。
買い物に頼まれて買ってきた醤油のメーカーが違うというだけで、ねちねち説教をされた。それだけだ。
どのメーカーを買ってほしいっていったいわないの水掛け論に発展した後、最終的に「あんたに頼んだのが間違いだった」吐き捨てられた。
たまたま間が悪かっただけで、お母さんに悪気がないのはわかっている。
わかっているけど、正直ムカついた。
だけど、ムカついたからといって逆ギレしても大人気ないのもわかっている。
クールダウンだ。
とにかく頭を冷やそう。
ちょっとコンビニで立ち読みしてアイス買ったら帰ろう。そう思った。
「ったく、なーにが【蛆神様】だぁ?」
コンビニで雑誌を立ち読みしていると、ガラス越しに酔っ払いのおじさんがコンビニの駐車場で吠えているのが見えた。
「なんでも願いを叶えるだとぉ? へ! だったら、別れた女房とより戻せるように叶えやがれ!」
顔真っ赤の千鳥足。
おじさんの足元には、くしゃくしゃになった蛆神様のポスターが捨てられていた。
「あ?! 聞こえてるのか? クソ野郎!」
地面に捨ててある蛆神様ポスターに向かって、酔っ払いのおじさんは唾を飛ばして怒鳴り散らしている。
うわぁ、嫌だな。
酔っ払いってなんであんなタチが悪いんだろう。
絡まれると厄介だし、とにかく気づかないフリを徹底しないと。
「なーに見てやがるんだクソガキィ」
酔っ払いがあたしの存在に気づき、コンビニの中に入ってきた。
ぞわっと鳥肌が立つ。
やば。
こっちくるよ、あいつ。
「あー? なんだよ。何がいいてぇんだよ?」
う。
反射的にあたしは自分の口を抑えた。
きつい。口臭なのか体臭なのか。あるいはそれ全部混ざっているのか。なんとも形容しがたいおじさんの臭いが鼻をついた。
「てめぇ、大人なめてんだろ。ちがうか?」
咄嗟にあたしは店員に視線を向けた。
小太りのコンビニ店員は、明らかにこちらの様子に気づいているはず。
だけど、面倒ごとに巻き込まれたくないみたいで、レジの清算をして気づいていないフリをしている。
「てめぇもそうか? 近頃のガキはなんでもかんでも【蛆神様】にお願いするんだろ? お金持ちになりたいとか美人になりたいとか。都合良すぎるんだよ! そんな上手くいくわけねぇんだよ! 大人をなめるな!」
興奮して支離滅裂なことをあたしの耳元で怒鳴った。
きーんと耳鳴りがする。
やばい。これ冗談抜きで警察呼ばないとダメなパターンかも。
「【蛆神様】なんてクソなんだよ! こんなクソ! 《さっさと世の中から消えやがれ》ってん……」
ぴたっと、酔っ払いの動きが止まった。
「なんだ? なんだ?」
きょろきょろとあたりを見渡し、ぼりぼりと頬を掻きむしった。
「おい、なんだ。なんだよ!」
酔っ払いが宙に向かって威嚇している。さっきからこの人、誰と会話しているの?
こわい。
なんだか嫌な予感がする。
「うるせぇぞ! なんだってんだ! はぁ? ざけんな! ボケナス! ちきしょお!」
酔っ払いが所構わず悪態を吐きまくる。
すると。
悪態を吐くのが止まった。
「か、かゆい」
ぼそっと酔っ払いがつぶやいた。
片目を手で抑え、「かゆい」とまたつぶやく。
「かゆい……かゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかかゆいさゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆい! かゆい! かゆい!」
ぼりぼりぼりぼりぼり。
酔っ払いは片目を掻き毟る。
まぶたが破れた。
人差し指と中指を眼窩に突っ込んだ。
にちゃにちゃと潰れた眼球と肉が捏ねくり混ざる音が聞こえる。
「ひぃいい! かゆい! かゆいよぉぉ!!」
酔っ払いの足元に血が滴り落ちた。
滴り落ちた血溜まりの中に、うねうねと動く白い物体があった。
これ。
まさか。
蛆?
「助けてくれぇ! ひぃいいい!」
悲鳴を上げながら、酔っ払いはコンビニの外に逃げ出した。
コンビニの駐車場で、酔っ払いは倒れた。
呻き声を上げると、そのまま動かなくなった。
「け、警察に電話……」
顔を真っ青にしたコンビニの店員が、おろおろしながら事務室に引っ込んだ。
あたしは胸を手に抑え、その場で立ち尽くした。
どん。
ガラス壁に何かがぶつかった。
びくっと肩が跳ね上がる。
振り向くと、くしゃくしゃになった黄色いポスターがガラス壁にへばりついていた。
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※注意※
この近辺での願いごとはご遠慮お願いします。
願いごとによる事故等につきましては一切責任を負いません。
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毛むくじゃらの丸記号が、あたしをじっと見ているような気がした。
帰ろう。
とにかく家に帰ろう。
あたしはコンビニから出ると、全速力で走って家に帰った。
終
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