俺が転生した世界はどうやら男女比がおかしいらしい

めんたま

ご主人様とは

「ん。迷惑を掛けた」

「ううん、大丈夫だよ。目眩はもうない?」

「問題ない」

 ソフィが鼻血を噴き出してから数分後。俺たちはなんとか出血を止めることに成功した。
 今彼女は、両鼻の穴にティッシュを詰め込みながら床に広がった血を拭いている最中だ。俯瞰的に見れば嘸かし滑稽に見える構図だが、実はこの出血量を見ればあまり笑える状況ではない。
 人間は、血液量の5分の1を失えばショック症状が出始め、3分の1を失えば命の危機に陥ると聞く。

 俺は、手元の、血が染み込み真っ赤に染まっている雑巾にチラリと目を向ける。

 …うん。これもう少し対処が遅れてたら、下手したらショック症状とか出てたんじゃないか…?
 あ、危ねえ。ソフィとはまだ知り合ったばかりだけど、多分この子はアホの子だ。いや、年上に対して失礼な言動なのは分かってるんだけどそうとしか言いようがない。
 
 心配だ。
 何というか、危なっかしい。
 誰かがきちんと見ててあげないと。

「ソフィはまだ貧血だと思うから手伝わなくていいよ?向こうのソファにでも座って休んでて」

 そう言って、俺はテレビの前のカウチソファを指差す。母さん達も『うんうん』と頻りに頷いており、同じ意見のようだ。

「…ん、心配無用。ご主人様にやらせて、私がやらないわけにはいかない」

 しかし、一旦作業を止めたソフィは眉尻を上げ、引き締まった表情でそう言い放つ。いたって真剣な様子だ。ティッシュが鼻の穴に詰まっている事は気にしないでおこう。

 …?
 ご主人様、とは?

「えっと、ご主人様って?」

 前触れなくいきなり登場した単語に当惑した俺は問う。

 ご主人様って…、あのご主人様だよな?
 前世で行ったことはないけど、メイド喫茶なる店でメイドの格好をした可愛い女の子店員さんが客をそう呼んでくれるらしい。俺も一応2次元創作物オタクの1人として、いつかは訪れたいと思っていた。まあ、機会に恵まれないまま人生を終えてしまったわけだけど。もしこの世界にもあるのなら行ってみたいものだ。
 …いや、待てよ。この世界にもし存在しているとしても、そこの店員さんって十中八九『男』だよな。…やっぱり行くのやめよ。

 話が逸れてしまった。
 『ご主人様』なんて、現実で耳にしたのは初めての体験だったため動揺していた。
 えっと、ご主人様って…、誰だ?

「自分が仕える相手のことは敬意を持って『ご主人様』と呼ぶと聞いた。ご主人様は私が身を挺して守る対象で、出来るだけ近くにいる必要がある。これは仕えていると言っても過言じゃない。だから、ご主人様。そう考えた」

 眠たげな目を真っ直ぐに俺に向けてソフィは告げた。鮮やかな菫色すみれいろの瞳が妖しく輝いている。

 いや、誰から聞いたんだよその知識。偏りすぎでしょう。主従関係が成立したらご主人様と呼ぶって、そんなご主人様が蔓延る世界1度行ってみたいわ。

 まあ疑問は色々あるが一旦置いといて、…やっぱり、ご主人様っていうのは俺か。

 そんな単語を実際に聞いたのも初めてなのに、それが向けられている相手がまさか俺とは。…とても、とても背中がむず痒い。

 そもそも俺はご主人様なんて大それた呼び方をされる程人間が出来ていないのだ。まさてや、この子はエリート中のエリート。

 何だかとても申し訳なくなってくる。


 まあそれはそれとして、小柄な銀髪の美少女がいち高校生である俺の事をご主人様、か。

 ……。

 うん。

 
 イイネ!

 背中がむず痒い?
 ご主人様と呼ばれる程の人間じゃない?
 この子はエリート中のエリート?

 はっはっは。
 可愛い女の子が俺をそう呼ぶと言ってくれている。それだけで充分だ!その事実の前では良心の呵責など無意味!可愛いは正義!存分に呼んでくださいお願いします!!

「そっか。じゃあこれから僕のことはご主人様って呼んでね」

 俺はつい先程までの葛藤などなかったかのように、にこやかにそう伝えた。

「むぅ…」

 すると、何故か心愛が恨みがましそうに俺を見てきた。頬がぷくっと膨らんでおり、ハムスターを想起させる。
 …んーもしかしたら、ソフィと心愛は体格が殆ど同じなので、ポジションを取られるとでも思っているのかもしれない。合っているかは分からないが、あながち的外れな予想でもないと思う。
 しょうがない妹だ。

 俺はサッと素早く心愛の両頬を、両手のひらで挟み圧縮した。

『ぷすっ』

 その結果、何とも間抜けな高音で、頬にためられた空気が心愛の口から一気に押し出される。

 少し前、母さんとデートした時にも母さんに似たようなことをした覚えがある。

「〜〜ッ!」

「心愛は笑ってる顔が可愛いんだから、そんな顔しないの」

 言葉も出ないほど恥ずかしかったのか、顔を正しく真紅の如く染める心愛に、優しく言い聞かせるように言う。
 俺はこの子の兄だからな。妹の面倒は兄が見るもので、この子の笑顔を守るのは俺の仕事だ。愛菜ちゃんや、ののちゃん、ねねちゃんもね。…あと、ついでにののちゃんねねちゃんのお母さんも。

「…うん。分かった」

 何とか納得してくれたみたいだ。
 妹の、ニヤつく口角を隠し切れていない様子からは、兄としての役割をきちんと果たせた事が窺える。

 うん、もう大丈夫かな。

 心愛の機嫌が直ったことを確信した俺は、今一度ソフィに向き直る。

 すると、すぐにソフィが口を開いた。

「…んっ。ご主人様の言うことには絶対服従。何でも命令してくれていい」

 …なん、だと!?

 此処に来て、先程心の隅で少し期待した言葉が本当に顕現された。ご主人様という単語から、所謂そっち系を連想してしまうのは仕方ないと思う。本気というよりは、あわよくば、という気持ちの方が強かったのだが、まさか現実になるとは。

「そ、そっか。その時はよろしくね」

「待ってる」

 いつか、ご主人様の権限を行使してやるぜ!
 俺はこの燃え盛るような熱いパトスをそっと胸にしまった。

「じゃあ、ということでソフィはソファに座っててね?」

 少し話し込んでしまったが、先刻の焼き直しをするかのように同じセリフをもう一度俺は笑顔で言った。

「…」

 その言葉を聞き、彼女はポカンとらしくない表情で放心した。まあ、ほんの少し前に言われた内容をもう一度言われれば誰でもこんな反応をするだろう。

「…さっきも言った通りご主人様にやらせて、私がやらな───」

「ソフィ」

 そして、ソフィも又同じ返答を繰り返しかけたが、其処で俺は被せるように呼名した。

「…ん、なに?」

 彼女は不思議そうに頭を可愛らしく傾ける。その拍子に宝石のような銀髪も佳麗かれいに揺れた。

 そんな彼女に、俺は悪戯っぽく笑いながらこう言う。

「ご主人様の言うことには?」

 語尾の音程を少し上げ疑問形にし、ソフィに続きを促す。彼女はそれを聞いて数秒程固まった後、『ハッ』と何かに気付いたかのように少し顔を上げた。

「…絶対服従」

 してやられた、といったような少し悔しそうな顔をしながらソフィは呟く。自分でも、こういった形でさっきの自らの文言が利用されるなんて考えてなかったのだろう。

「そうだね。じゃあソファへ行こう」

「…ん。了解した」

 渋々といった様子ではあるが、彼女は、幾重にも羽毛を重ねたかのような柔らかさの生地で心休まるであろうカウチソファへと向かっていった。

 ふふふ。絶対服従なんていう、強制力のある言葉を使ったのは悪手だったようだな。
 今回は俺の勝ちだ。
 存分に休養させてやるぞ…!いくらソフィが嫌がったとしても、ご主人様である俺は決して許さない。絶対に心ゆくまでくつろがせる!

 はっはっは!

 そんな訳のわからない思考を脳内で回転させながら、俺は掃除の作業へと戻るのだった。



 15分後、俺たちは綺麗に輝くフローリングを満足気に眺めていた。

「終わった終わったー」

 体をめいいっぱい伸ばす。鼻血の掃除は以前経験したことがあったため、2回目ともなれば手際よく出来た。また、前回は俺1人で全てこなしたのだ。今回は俺に加えてあと3人もいるのでかなり楽だった。

「…私のせい。謝る」

 『鼻血処理が上手くなるってなんか嫌だな…』なんてことを考えていると、いつの間にかソフィが近付いておりそんなことを言う。

 まったくこの子は。本当に真面目で、優しいんだな。

「こういう時は謝るんじゃなくて、『ありがとう』って言うんだよ?」

 そう諭しながら、ソファの頭を撫で───たらまた鼻血が出てしまうかもしれないので、中腰になり目線を合わせるだけにする。

 危ない。また癖で頭を撫でそうになってしまった。

 というか、今考えたら女の子の頭を撫でることが癖って中々ヤバイな。もし前世でそんな男がいたら、ドン引きしてしまいそうだ。こういう行為は気心の知れた仲同士でないとな。
 まあこの世界の常識ではセーフなんだと思う。だからもう気にしないことにする。

「…ん。ありがとう」

 何処か恥ずかし気にソフィはそう俺に言ってくれた後、母さんや姉さん、心愛にも1人ずつお礼を言った。


「じゃあ、ひと段落ついたし、ご飯にしよっか!」

 『パンッ』と手を合わせて皆の注目を惹きつけた母さんが提案した。
 そういえば、夜ご飯をまだ食べていなかった。その事実に気付いた途端、俺の胃も思い出したかのように空腹を訴えてくる。

「うんそうだね。僕お腹すいちゃった」

「私もペコペコ〜!」

「そうね。ソフィさんの歓迎会ってことで、少し豪華な料理を母さんと私で作ったから楽しみにしてて」

「…ん。楽しみ」

 その後、母さんと姉さんが腕によりをかけて作ったという手料理に俺たちは舌鼓を打つのだった。
 


 


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