アイニイキアイニシヌ

山本慎之介

アワイアイ

「はぁ……はぁ……はぁ……」
屍が山を作り、周りも自分も血に塗れながら、男は尚も歩みを止めない。

しかし、斬られた傷は存在を主張し続け、丸一日走り、闘い抜いた脚は悲鳴をあげる。
 次第に速度が落ちていき、遂に男は膝をつき、そのまま地面にうつ伏せに倒れてしまった。

「あと……少しなんだ……あと少し……」
もう一度己の身体に鞭を打つが最早男の命は風前の灯と化していた。

 

「ごめんなさい、行けそうになくなりました。でも……」

男はただ一人、ただ一人のことしか想うことが出来なかった。


初めてあの人を見たのはいつだっただろうか。





アイニイキアイニシヌ 1部  「アワイアイ」


  男は武士の家に生まれ、幼い頃から武士たるために、と厳しい指導を施されていた。しかし、男は武士というものが嫌いであった。
  男は優しかったのだ、何故罪もない見ず知らずの人を殺さなれればならないのか、男は元服するのが嫌で嫌で仕方なかった。


「父上、武士は何故人を殺めなければならないのですか?」
  十歳くらいのとき、1度だけ尋ねたことがあった。

──相手は全力で殺しにかかってくるのだ、それに全力で応えるのが礼儀であろう。

「では何故相手は私達を殺しに来るのですか?私達は死ななければならないようなことを何かしたでしょうか。」

父は答えなかった。

人間はなんて愚かなんだろう。その争いに何の意味もないのに。



 男は元服した。


 何度も戦に駆り出された。
 しかし、男は何度戦場に出ても刀を抜こうとはしなかった。人を殺すくらいなら自分が死んだ方がいいとさえ思っていた。しかし、その願いが成就するには男の家臣が優秀すぎた。
 男は刀を抜くことなく、戦場を生き続けていた。
  
 そうして何度も戦に行くうちに男は気づいた。

──自分は人が死ぬのが怖いのではない、自分が人を殺すのが怖いのだ。

男の周りでは何人も人が死んでいった。家臣も何人か男の盾となり死んだ。

それを男はどうこうしようとは思わなかった。見ていてひどく動揺することもなかった。
 それよりも誰かの命を自分が操る。それが何より怖かったのだ。

男の心は日に日に廃れていった。

そんな日々が続いていたときだ。

男は当主の娘に呼びたされた。


「それで、私めに何の御用でしょうか?」

男の目は死んでいた。

「あなたは戦で一度も刀を抜いたことがないそうではないですか。何か理由がおなりなのですか?」

本来ならば否定するなりなんなりして、取り繕うのが普通だろう。しかし、男はそれすらどうでもいいと思う程に廃人と化していた。

「怖いのです、私が人を殺すのが。私の手の中で見ず知らずの命が消えていくのを考えるとどうしても刀を抜くことが出来ません。」

これで打首になるならそれでいい、この世から逃げ出せるのならその方がいいのかもしれない。
 男はそんなことを期待していた。

それなのに

「実は私もそう考えていたのです。領土を広げるためと父は言いますが、それが何になるのでしょう?戦場で人が人を殺して何になるのでしょう?無駄に同族を殺すのは人間だけです。何て愚かなのでしょうか。無益な殺生は憎しみしか生まないのに……」

娘はそんなことを言い出したのだ。更には

「何故でしょう、貴方と話していると心が落ち着きます。またここに来て話をしてくれませんか?」

男は呆然とした。同じ考えの人がいた。それも、自分の主の娘。乾き果てた男の心に少し、潤いが戻っていた。



それから男は度々娘の元を訪ねるようになり、相談に乗ったり、乗ってもらったりするようになった。
 
 娘は落ち着きがあって、いつも穏やかだった。そして時折見せる笑顔がそれは魅力的であった。

 「ねえ?」

「どうしたのですか?」

「貴方にはいつも相談に乗って頂いてとても感謝しています。」

「それはもったいなきお言葉。」

「なので、一つお願いをします。」

「?」
お願い?普通は褒美ではないのだろうか。

「お願い、と申しますと?」

「私を他の人と同じように扱って欲しいのです。」

「それは難しいと存じ上げますが……」

「当主の家に生まれた、ただそれだけで特別扱いされるのが私は嫌なのです。皆同じ人間ではないですか。ですから、一番言葉を交わした貴方だけでも同じように扱って欲しいのです。」

この通り、と娘は頭を下げる。男はたじろいだ。自分の主の娘に頭を下げられてはひとたまりもない。溜息が自然と零れた。

「わかりました。他の人と同等に、ですね?」

「いいのですか!?ありがとうございます!」

「しかし、本当に変わった人ですね。」

「貴方もよ?武士が刀を抜かないのですから。」

そう言って彼女はフフフと笑う。

男はそれを幸せな心で見ていた。




男は相変わらず刀を抜かなかった。彼女は相変わらず男との面会を楽しみとしていた。





当主の家
彼女は一人、布団の中で泣いていた。
男の噂は領土の武士の中では有名になっていた。
彼女も「刀を抜かない腰抜けと仲の良い女」と後ろ指を指されることが増えてきた。

何故、何故、何故

あんなにいい人なのに、本当は優しい人なのに。
私は知っている、あの人が見せる笑顔を。あれほど優しく笑う人を私は見たことがない。人を殺すことはそんなに偉いことなのか?

彼女は誰にも見られないように泣いた。









その日は突然訪れた。

当主、その家族がいる城の周辺が隣国の奇襲にあったのだ。

男を始め、家臣の武士達は大急ぎで城下へ向かった。
町は、まさに地獄絵図だった。

男女、身分、敵味方関係なく死体が転がっていた。
戦いは一通り済んだらしく、生きた存在はほとんど見られなかった。

そう思っていた。しかし、

「城だ、城に敵が……!」

男はそれを聞き、最初に主ではなく、彼女のことが頭をよぎった。

「行かなければ……!」

気づけば男は城へ走り出していた。
何故なのか、それは本人すらわからない。否、本人だからこそこの淡い想いに気づかなかった。

城へ向かう途中、敵もいたが、男はいつも通りそれを素通り。ここで刀を抜いてしまえば、自分は自分でなくなる、そう思ったのかもしれない。
一心不乱に走る。走る。走る。

やがて、城が見え始めたとき



────────ザシュッ


男の背中を激しい痛みが走った。そしてそこから熱が逃げて行く。男は何度も傷を負ってきたが、今のそれはこれまでを凌駕する代物だった。

「はぁ……はぁ……はぁ……」
屍が山を作り、周りも自分も血に塗れながら、男は尚も歩みを止めない。

しかし、斬られた傷は存在を主張し続け、丸一日走り、闘い抜いた脚は悲鳴をあげる。
 次第に速度が落ちていき、遂に男は膝をつき、そのまま地面にうつ伏せに倒れてしまった。

「あと……少しなんだ……あと少し……」
もう一度己の身体に鞭を打つが最早男の命は風前の灯と化していた。

 

「ごめんなさい、行けそうになくなりました。でも……」

男はただ一人、ただ一人のことしか想うことが出来なかった。

「でも……私は……貴女を……」


男は自分の想いに気づくのに遅すぎたのかもしれない。

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