あなたと咲かせる恋の花。

しっちぃ

ドラセナ―『幸せな恋』

 邑先生から呼ばれた、「智恵」って名前。その響きだけで、心臓が高鳴るのを止められない。
 もっと近づきたいって気持ちを、期待してしまうくらいに。これまでだって、そう思ってくれてるのは分かってたけど、私から何かしらのアプローチをしてたからで、……こうやって、邑先生が積極的に近づいてくれたのは初めて。
 もっと、恋人らしいことしたい。そんな欲望が、頭の中で見え隠れする。今だって、十分幸せなはずなのに。邑先生にまだ片思いしてたときに見ていた夢が、今更また出てくるようになる。恋人同士じゃないと、絶対できないことをしてる夢。キスの感触も、甘い言葉も優しさも知ってしまってるせいで、その夢は、前に見ていたときよりももっと本当のことみたいに思えてきて。

「んっ……、もっと教えてください、邑先生のこと」
「いいぞ、智恵ぇ……、はぁ、ぁあっ」
 唇の触れる音も、荒い息遣いも、全部本当みたいで。でも夢だとわかるのは、それを何度も見てるから。
 もっと先を知りたい、目覚ましの音でそれすらも壊されて、気分はまた重くなる。私が生徒会に入ってから初めての大きなイベントである林間&臨海学校ももうすぐに迫っていて、その重圧も重くのしかかる。

「はぁ……、嫌じゃないけど、ちょっと疲れるな……」

 夏休みだっていうのに、落ち着くこともなかなかできない、仕事が立て込んでるせいで、寮が点検で使えなくなる三日間しか実家にも帰れないし。
 姫奏先輩たちから段取りは聞いているし、会長室にあった、代々の生徒会長に受け継がれている資料にも、段取りは書かれている。でも、ちょっと自信ないや。姫奏先輩はあまりにも偉大で、あの人みたいにできるなんて、到底思えない。
 いつも通りに朝ごはんを食べて、ミーティングをして、鍵を返して、……夏休みになってから、毎日のような日々。今日もまた、用務員室に足が向かう。誰かに甘えたい気分で、その「誰か」は、私の中ではたった一人のだけ。
 ドアをノックすると、一瞬仏頂面だった邑先生が、優しい微笑を浮かべる。そんな顔を見せてくれるようになったのは、私と『恋人』になったときから。

「今日は、どうしたんだ」

 優しい声も言葉も、聞いてしまったとたんに、頭に浮かんでた衝動が、切り離せなくなる。
 頭の中、真っ白になって、気が付いたら、邑先生に思いきり抱きついていた。

「邑、先生………っ」
「お、おい、智恵……?」

 慌ててドアを閉めるバタン、という大きな音が鳴って、そのまま抱き返される。その温もりも、「智恵」と呼ぶ声も、アクセルにはなっても、ブレーキにはならない。

「ちょっとだけ、甘えさせてください」

 その雰囲気に、怯えたように邑先生が後ずさる。私を抱いてるのを忘れたのか、そのまま私も前に進んで、……邑先生の背中が、壁にぶつかる。

「別にいいぞ、……智恵だって、ずっと頑張ってたもんな」
「ありがとうございます、邑……先生」

 邑先生だって、私の距離を近づけてくれて、……もっと、私からも近づけたい。
 邑さん、そう言いたいけど、まだ心の中は躊躇してしまう。夏休みが過ぎたら、『先生と生徒』でいる時間のほうがずっと長くなってしまうから、……その前に、一回でも言えるようになりたいな。できれば、何度でも。きっと、それを自然に言えるようになったときが、お互いを愛せるようになった瞬間になるから。
 邑先生の肩に顎を乗せて、髪の香りと形のいい耳たぶを堪能する。何度でも、邑先生のことを好きになれる。それだけ、邑先生と一緒にいられる。それはもう、何事にも代えられないくらいの幸せ。

「邑先生、あったかいです」
「そうか、……智恵も、あったかいな」
「へへ……、そう、ですか……?」
「……ああ」

 そっか、邑先生は、人の温もりを、十何年も忘れてたんだ。
 噛みしめるような言葉に、今更のようにそれを思い出す。
 好きな人に、私の温もりでそれを思い出させた。それだけで、優越感と高揚感と幸福感が頭の中でかき混ぜられて、笑う声が、勝手に漏れてしまう。どうしようもなく、緩んだ笑みも。

「何か、おかしいか?」

 むっとしたような声に、その声は自然と止まる。言い訳なら、ちゃんと頭の中で浮かんでるけど、口に出すとなるとちょっと恥ずかしい。

「嬉しいんです、……邑先生に、私の温もりを感じてもらえて」
「……そうか」

 その声は、一気に優しいものに変わる。あんまり感情を出してくれない人だけど、お付き合いするようになってから、まだちょっとだけどわかるようになった。私と邑先生がお付き合いをする前から、私に優しくしてくれたときにくれた声と一緒だ。……私に優しくしてくれるのは、特別だったんだ。気づいたそのことに、胸の奥がまた高く鳴る。

「智恵のこと、好きになれてよかった」

 そこに、さらに追い打ちをかけるような言葉。ずるいですよ、邑先生。……そんなこと、簡単に言うなんて。

「私も、……邑先生のこと、好きになれてよかったです」
「そうか」

 その言葉はそっけなかったけど、軽く抱いてくれる手は、何よりも優しかった。

「あなたと咲かせる恋の花。」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く