魔法少女 ゆうな・はーと!

巫夏希

前編


 夜の町を少女が走っていた。
 ピンク色のフリルがついたドレスを着た少女は、どちらかといえば幼いように思える。しかし表情だけ見れば、大人びた顔立ちになっている。まるで何度も修羅場を潜り抜けたような……。

「……見つけた」

 そこに居たのは、紛れも無く異形であった。
 鬱血したように黒い肌、尖った歯、それでいて着用しているのはタキシードスーツ。
 その恰好は普通の感性で見れば、理解不能。
或いは奇妙奇天烈。
 しかしその全容は百年近く昔に突如姿を見せ、それから人間を苦しめる大いなる存在。
 人は怪物なり化け物なり勝手に呼ぶが、彼女たちの中ではこう呼ばれている。


 ――吸血鬼ヴァンパイア、と。


「もう逃げられないわよ、吸血鬼」

 吸血鬼は何も言わず、少女のほうを見つめていた。
 彼女は右手に持っていたステッキを改めて構えた。
 ステッキの先頭にはハートとリングを組み合わせたようなマークがつけられていた。それが彼女のステッキであるという特徴を示している。
 そして今、そのステッキのハートが、ほのかにピンク色に輝いている。
 彼女の魔法が発動する予兆である。
 ステッキのハートに光が満ち溢れていく。ピンク色の光を放っており、それがどこか慈愛に満ちているようにも見える。間違っているのかもしれないが、それは紛れも無く、魔法少女による攻撃だった。
 魔法少女は吸血鬼に対する唯一の攻撃手段である。
 だから魔法少女は吸血鬼に負けることを許されない。許されることなど無い。
 光はステッキを中心にさらに増幅されていく。それを見て吸血鬼は苦しみ始める。当然だろう。その光は吸血鬼にとって絶望ともいえる光。対して人類にとっては希望の光ともいえる。
 吸血鬼は呻き始める。声と言葉と絶望と希望。それらが凡て混じり合い、そして溶け合っていく。
 そして吸血鬼はゆっくりとその姿を消した。
 それを見て、漸く少女は溜息を吐く。一息ついたとでも言えばいいだろうか。
 これは彼女の救いの物語である。


 ――だが、それを語る前に、先ず彼女がいかにして魔法少女の道を歩み始めたのか、それについて話さなくてはならない。



 琴沢市は海に面する大きな街である。海岸沿いには白い風車が海風により回転している。川を上っていくと琴沢駅がある。琴沢駅の周りには高層ビルが立ち並んでおり、川岸にも風車が幾つか存在している。そして、高層ビル群を抜けると高台があり、そこには住宅地が広がっている。
 そして、その住宅地のひとつに清白家がある。

「いってきます!」

 そう言って、元気に走り出した一人の少女が居た。
 ピンクの髪でシニヨンの髪型にした少女で、服は茶のカーディガンと濃紺のスカート――それが彼女の通う中学校の制服である――を着ていた。
 住宅地を抜け、高台を降りる。そして川沿いの道を歩いていると、目の前に二人の少女の姿が見えた。
 片方は青い髪の、前髪部分が二層に分かれていて、下の層は普通の長さなのだが、上の層の髪のボリュームがかなり多い。中央わけで大きく立ち上がって膨らんでいる。彼女いわく、「インテーク」というらしいが、それは少女にはよく解らないことだった。もう片方は黒のツインテールの少女であった。それぞれ制服は同じであるため、直ぐに彼女はそれが誰なのか理解できた。

「おはよう、陽香ちゃんに翔子さん」

 インテークの少女――蓮野陽香が柔らかに歯を出して笑う。

「おはよっ、優菜。今日も元気だね!」

 そう言われシニヨンの少女――清白優菜は照れ隠しに微笑む。

「おはようございます、優菜さん」

 優雅な笑みを浮かべツインテールの少女――五香玲奈が言った。

「……にしても、今日もいい天気だねぇ! もしかしたら、何かいいことあるかな?」

 陽香が言うと、玲奈が小さく微笑んで、「あら、それは昨日も言っていましたよ」と言った。それに対して陽香はそうだったっけか、と照れながら笑った。
 優菜たちが住む琴沢市は非常に暖かい気候である。それに最近新しく工場が出来たためか住民が増えている。
 そのためか、学校も新しく建てられ――彼女たちが属している第三中学校もその新設された中学校のひとつなのであった。
 川に沿った道を歩き、橋を渡る。
 不意に、陽香が話を始めた。

「そういえばさ、最近通り魔が流行っているんだって?」
「流行っている、という言い方はどうかは解りませんが、確かに多いですわね」

 陽香の言葉に、玲奈が微笑みながら応える。それに、優菜も頷いた。興味津々のご様子だった。
 最近、優菜たちの住む琴沢市では、通り魔による被害が続出している。それも、楯を持ち銃を持つ少女という奇天烈な目撃情報ばかりで警察は捕まえることも難しいらしい。

「……でも、そんなのはおかしな話よね。大方、恐怖で想像を強めちゃったんじゃないかって思っちゃうよ」
「でも実際に居たらどうするの?」
「大丈夫でしょ、そんなの」

 そんなことを話しながら、彼女たちは学校の正門にたどり着いた。

「さーて、今日も学校だなあ」

 そう言って陽香はひとつ伸びをした。


◇◇◇

 
 琴沢市立第三中学校。
 その二年一組。
 優菜と陽香、それに玲奈が教室に入って、それぞれの椅子に座る。それと同時にチャイムがなり、先生が入ってきた。

「はーい、これから朝のホームルームはじめまーす」

 メガネをかけた茶髪のツインテールの先生、七草さえぐさあきはそう言って教壇に立つと、教卓を書類で軽く叩き、静かにするよう促す。

「今日は、転校生を紹介しますよ」

 そう言って、秋は「入ってもどうぞ」と入るよう促す。
 それと同時に、扉は開かれた。入ってきたのは、二人だった。
 一人目は、肩まで伸ばした黒髪が美しい少女だった。ホイップクリームのような弾力がありそうな肌に、睫毛が長く、目が沈み込んでいるようにも見える。睫毛が雪だとすれば、目は大方雪が積もって境界が見えない湖のような感じだろう。
 二人目はメガネをかけた男だった。髪は散切りで、だけども小奇麗に見えた。
 二人とも、教壇に登ると、秋が二人を指していった。

「えーと、左が御行篝さん。前は西京市に住んでいたそうです」

 発言の後、篝は頭を少し下げる。

「次が、矢代健吾さん。こちらは、北上市……少し遠いところですね。そちらから来られたそうです」
「どうも、よろしく」

 そう言って恭しい笑みを浮かべ、健吾は頭を下げた。
 ここで、優菜は既視感――デジャヴュを感じた。
 デジャヴュとは、一度も見たことがないものを、既に見たことがあると思わせる現象のことだ。実際、そういうのはありえなく、彼女もそう気には止めなかった。
 ただ、気になったこととすれば。
 ずっと、篝が優菜の方を見ていた――ということくらいだろうか。




 帰り道。
 学生の帰り道とは人それぞれだろう。寄り道して買い食いして帰る人たちもいれば、何にも興味を示さずにただまっすぐ帰る人だっている。
 清白優菜はその中でも後者に入る。
 別につまらないわけではない。かといって、親から厳しく言われているわけでもない。
 強いて言うなら、そういうのに興味を示さないだけ――というのが正しい考えだった。
 だからとはいえ、そういうことを考えても、彼女としてはあまり気にならなかった。
 彼女だって、帰りにショッピングをしたりするし、友達と喋ったりする。ただ今日はそういう都合がつかなかっただけのことだった。

「おっ、ゆーなっ!」

 目の前から聞き覚えのある声が聞こえたので、優菜は顔を上げた。そこに居たのは、蓮野陽香その人だった。

「優菜、今日一人? 一緒に帰んない?」
「いいよー」

 そんなやり取りを交わして、陽香は優菜のとなりを歩き出す。

「それにしてもさ」

 話を切り出したのは、陽香だった。

「あの転校生……なんだか不気味だとは思わない?」
「確かにそうかもしれないけれど……。あんまり、人を疑っちゃいけないと思うよ?」
「そんなことをいうのは、優菜だけだよ! たまにゃ、人を疑って疑って疑って疑わなくちゃ?」

 陽香の言うことも尤もだったが、かといってそれを鵜呑みにする必要もないのである。
 優菜はとぼとぼと歩いて、うんうんと陽香の話すことを頷いていた。
 ちょうど、そんな時だった。
 ドゴオオオン! と、目の前のビルが唐突に倒壊した。

「な、なんだ!?」

 それを見て、優菜は思わず駆け出した。
 なぜ駆け出したのかは、彼女には解らなかった。
 まるで、その先にあるものを予見しているような、感覚だった。
 そこには、二人の人間が居た。
 ビルの瓦礫に横たわるように、傷ついた男が居た。
 優菜は、その人間に見覚えがあった。

「矢代くん……?」

 そこにいた人間こそが、矢代健吾だった。

「動かないで、そして出来ればその人間に触らないで、優菜」

 そして、優菜の頭には銃が突きつけられた。
 カチャリ、と冷たい音と共に。
 その声の主は――御行篝だった。
 御行篝は右手で拳銃――ワルサーPPKを構え、ただ睨んでいた。

「もし、出来るのならここから立ち去って、そして今ここであったことを凡て忘れて頂戴」
「それは……矢代くんを見捨てるってこと!?」
「ええ、そうよ」

 直ぐに、篝は答えた。

「こいつなんて、死ねばいいのだから」

 そう言って、篝は銃弾を充填する。
 おそらくは、その拳銃で、矢代健吾を撃ったのだろう。
 それを考えると、とても恐ろしかった。今すぐここから逃げたかった。
 しかし、目の前には傷だらけの矢代健吾がいて、彼を放っておくことなど、彼女には出来ないのだった。

「どうして矢代くんを殺す必要があるの!?」
「どうして、ですって? それは彼が――」
「やめるんだ、御行篝。これ以上『彼女』を巻き込むんじゃない」

 それを聞いた篝は笑みを浮かべて、倒れている矢代を眺める。

「へえ、何も知らない彼女の前ではただのクラスメイトを演じるつもり? ……それは大層なことね。でもあなたはクラスメイトなんていう平和な場所に戻ることは許されない。許すはずがない。……きっと彼女もあなたの正体を知れば、憐みの目を向けることなく、そのまま刃を振り翳すことでしょう」

 篝はそう言ってポケットから何かを取り出した。
 それはステッキだった。ステッキの先頭には星がついていた。まるで魔法少女のアニメに出てくるような……。

「魔法少女……?」
「魔法少女。ええ、確かにそういう人間よ。カテゴリ的にはそこに属する形になるかしら。けれどそれは間違っている。魔法少女という職業自体、そもそも煌びやかなものを想って居るのだけれど。魔法少女はアニメーションや漫画、小説のような創作で語られる、少女たちの憧れだとかそういう印象はもたない。寧ろ真逆。なってほしくない職業と言ってもいいかもしれない」
「何を……言っているの? 魔法少女と言えば憧れの職業。そんなわけが……」
「あなたが魔法少女の何を知っているの」

 篝は冷たく言い放った。

「え……」
「あなたは魔法少女の何を知っていると言っているのよ。魔法少女は吸血鬼を倒すための存在。吸血鬼を倒すことの出来る唯一の存在。吸血鬼というのは人間にとても近い存在であるから、それを殺す時……まるで人間を殺したような錯覚に陥る。それに耐えることが出来るのか? それが出来る度胸はあるのか?」

 優菜は何も言えなかった。

「吸血鬼……。それじゃ、矢代くんも吸血鬼」
「正確に言えば、僕は吸血鬼じゃないよ。魔法少女にするために契約媒体となる……半分吸血鬼で半分人間の存在だ。だから、強いて言うならば『吸血人間』とでも言えばいいだろうか。あ、僕は血を吸うことは無いからあしからず」
「あしからず……って。そもそも吸血鬼という言葉自体が間違っている。吸血鬼は血を吸わないのにどうしてああいうネーミングになっているのかしら。ネーミングセンスの塊もありゃしない。ひとかけらあればいい方よ」

 篝は溜息を吐きながらも、ステッキをしまった。

「殺さないのかい?」
「ここで殺せば彼女の精神衛生上宜しくないわ」

 踵を返し、篝は立ち去っていく。
 それを見て矢代は立ち上がる。制服についた埃を払って、彼は再び優菜の方を向きなおした。

「……彼女のことは気にしないほうがいいよ。気にしたら大変だからね。……それにしても彼女はやりすぎだよ。いくら吸血鬼に憎しみを抱いているから、って僕をここまで暴行する必要も無いだろうに」
「吸血鬼が嫌い?」
「彼女は吸血鬼が嫌いなのさ。聞いたことは……ないか。仕方ないよね。彼女は転校したばかりだし」
「あなたは彼女の事を知らなかったの?」
「ああ。知らなかったよ。まったくもって知らなかった。別に悪いことではないだろう。でも疑問に思うのは確かだ。彼女は吸血鬼を嫌っている。それは僕につけられた傷でも解ることだろう。……ならばなぜ契約したのか? せめて僕の事だけでも吸血鬼扱いしてほしくないものだよ。そうは思わないかい?」
「……と言われても……。システムが解らない以上、何も言えないのが現状だし」

 優菜はそう言って頭を掻いた。

「そう言われても、か……。確かにそうかもしれないね。それにしても最近の日本人って普通はイエスかノーって言いづらいタイプの人ばかりだよね。アンケートでもそうだろう? どちらでもいい、を言う人間ばかりだ。それが日本人の個性と言えばそれまでだけれど。さて、君はどっちだい?」
「あの……」

 話の内容を、てんで理解できない優菜。

「ああ、済まなかったね。つまりは、魔法少女は吸血鬼を倒すための唯一の手段。そして、それになることが出来る条件は第二次性徴期を過ぎたあたり。それでも十六歳を過ぎると合致しないから、そこまでになるのかな。そこまでを、僕たちは魔法少女の適性を持ったという」
「魔法少女の適性?」
「そう。魔法少女の適性。魔法少女は吸血鬼を殺すことが出来る。それゆえ、精神だとか身体だとかそういうものの条件が多数つけられる。こっちだって福利厚生はきちんとしないとね。今はそういうもので苦情が来たことともあるから。今はそんなこと有り得ないよ? 有り得ないようにしているのだから」

 そして矢代はゆっくりと立ち去っていく。
 それを優菜はただ見つめるだけだった。

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