~大神殿で突然の婚約?!~オベリスクの元で真実の愛を誓います。

簗瀬 美梨架

心の真実(マアート)

*1*

 テネヴェを出て、国境フレヴェを越えた。テネヴェと隣国を繋ぐ道は裁きで埋まってしまったので、サアラと共に、テネヴェの西から迂回するルートを取った。

「ねえ、どこへ向かっているの?」ティティを振り向かず、サアラは告げた。

「ネメト・ヴァデル」

 ――ネメト・ヴァデル。またの名を、国境なき孤児院。


(懐かしい。青い湖沼の畔にあった入り江。数年前がこんなにも鮮やか)

 入り江が見えて来た。白木の海樹。翠の水面が銀光りした美しい絶景だ。

「でも、ネフトさまがいないと、子供たちの生活は」
「――心配には及ばない。戻ったよ。ルウはいるかい」

「ルウなら、物干し場で見たよ~。サアラさま。ああ、噂をすれば、ルウだ」

 背の小さな少女が、洗濯籠を抱えて歩いて来る。首にはスカラベが揺れていた。
(まさか)ティティにサアラは頷いた。

「覚えているかい。汝が、マアト除けを渡したルウだ。ネフトの代理をしてくれている。きみが数年テネヴェにいる間にも、時間は流れているがお分かりか」

 短かった髪は美しくたなびき、泥だらけだった顔には泥の代わりにほんのりとした白粉。すっかり大人びた表情で、ルウは涙目になって、ティティに微笑んだ。

「ティティさま……! ようこそ、ネメト・ヴァデルへ!」

 思わぬ再会に胸が熱くなった。目頭を指先で押さえ、嗚咽を堪え、御礼を口にした。

「ありがとう、サアラ、さま……! 連れてきてくれて。……嬉しい、嬉しいの……!」

(わたしのした事は無駄じゃない。呪うだけじゃなかったの……! 誰かを護っていた。思い出したわ。絶望のわたしを救ってくれるのは、いつでもわたしの歩んだ道だ)

 ティティは声も出せず、ルウを抱き締めた。顔を押しつける前で、ルウが笑った。

「仲間の子がもうじき産まれるのです。ティティさま、赤子に祝福をさしあげて欲しいのです。わたしのように、強く生きる力をあげて欲しいの」
「――え? 赤子?」
「我らの孤児院の子が、初めて子を孕んだ。今日が出産予定日だ」
「それで、ここに連れてきたの? サアラ様……」

 ティティは袖の中で転がっているスカラベを握りしめた。テネヴェでティティはたくさんの諱を引き千切った。今更、護符スカラベの念など赦されない。

「だめ……。わたしは貴方たちに護りの術はかけられなくなった」

 ティティは俯いた。テネヴェでの日々をルウには言えない。

(諱を利用し、いい気になって術をかけた挙げ句、神から呪いを受けた。夫も呪われ、罪人アザエルの世界に攫われた。幾度も人を怨んだ――もう、わたしは綺麗じゃないの――)

「ティティインカ。贖罪は、ルウと赤ん坊を立派に取り上げることだ。我が妻ネフトの言葉を見せて欲しい。人は生きて、有限を噛み締め、償えるのだと」

 サアラはさらりと告げ、背中を向けた。

「そろそろ私を解放しても良い頃だ。きみが、そうなのだろう、ティティインカ」

(神さまのお考え、わかりません。私を解放? これではまるで――……)

 ――人は、生きて償える。生きるために、愛するために、諱が、名前がある。

「ティティインカさま、お手伝いいただけますか?」ルウの声に強く頷く。

 ――この親子が幸せでありますように。

 念を丁寧に込めた紅玉は美しい碧に輝いた。
 赤子を抱いた母親までを護りの光が覆ってゆく光景は誰もが息を飲んだ。
 サアラも顔に驚きを見せた。

「大丈夫。ティティさまは、ちゃんと、他人の幸せを願えるのですわ」

 ルウの言葉――。封じられていた熱い感情が心からじわりと滲み出てくる。

(大切なのは、正しく己と向き合うこと。それこそが、真の理で、ねじ曲がった世界を変えるのだと、そうよ。胸を張ってイザークに逢うために、わたしは前を向く)

「ありが……と」声にならなかった。愛おしいと想う気持ち。(思い出したわ)ティティはそっと涙を拭った。

「クフとの長い心の憎しみの競り合いは、わたしから思いやりを奪っていた。いま、取り返したの。足りなかったもの……これで、いいのね、サアラさま」

 涙を拭って振り返ったサアラの顔は、穏やかさに満ちていた。


***


「ご苦労だった。ティティインカ。赤ん坊を取り上げたは初か」
「サアラさま。わたしに命の暖かさを思い出させようと仕組んだのでしょ」

(あ、微笑み……サアラさま、笑った?)

「なにか言いたいことでも?」サアラはまた、鉄仮面に戻った。

「笑った……と思って。ご、ごめんなさい。サアラさま、いつも何考えているか分かりにくいので。ああ、嬉しそうって初めて感じて」
「神を理解できるは、神だけだ。同じく、人を理解できるも、人だけなのだろう」
「でも、わたしは、ネフトさまと、サアラさま、好きです」

 サアラは僅かに眼を見開き、無言になった。視線の先には烈火の神殿、カルナヴァル。物語の始まりの場所だ。

 色々、あった。悪魔にも出逢ったし、夫も亡くした。神に裁かれて、神に助けられた。家族を取り戻したいと願い、道も間違った。


(だけど、わたしはこの呪いを受けて、良かったとすら思う)


 ――真実マアートに近づく気配に身震いがした。
 イザークの心の真実マアートへの距離と共に。

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