~大神殿で突然の婚約?!~オベリスクの元で真実の愛を誓います。
月神ネフティスの最期
***
「出せえええええええええええええええ! 俺は鳥じゃねえぞ!」
イザークの叫びが木霊になって、業火の世界を飛び回っている。ティティと引き裂かれたイザークと、ネフトはマアトの手により、鳥籠に閉じ込められていた――。
どこもかしこも金の炎で編まれた檻の中。生きているのか、死んでいるのかも判らないほどの、空圧と熱が絶え間なく襲いかかる。
「お静かに! せいしゅくに! ここがどこだか、判っていますぅ? 罪人!」
イザークとネフトの眼の前では、お目付らしい子供が眼を光らせている。ふわふわの髪を両脇で縛り、トーブを着ている。人形のようだ。頭には月桂樹の冠。
ネフトがやんわりと答えた。
「マアトの居城でしょ。空間の捻れた場所。私たち神が〝炎の棘〟と呼ぶ場所。あたしも来た経験はなかった。もう、反響して耳が痛いから、叫ばないで頂戴。イザーク」
「そうですよぅ。マアト様お昼寝中ですぅ。叫んじゃだめですぅ。なんですぅ。人間のクセに。マアト様に言いつけちゃいますよぅ? 死んじゃいますよぅ。本当ぅ」
檻ごしに子供がぬー、と睨みを飛ばす。少女は鳥の羽に変わった腕をプンプンと振った。ツンツン尖った足で地団駄を踏む。
「貴方みたいな、横暴な人間のせいですぅ。マアト様は起きてくれないですぅ。それだけ裁く必要が多く、力を消耗するんですぅ。判りますぅ! 命、削れてるんですぅ!」
「うるせえ。ガキ。マアトのところへ案内……舌出しやがった! 斬っちまうぞ!」
「どうでもいいけど、術、融けてるわよ。身体、戻ってるけど?」ネフトの言葉に、
マアトの手下ははっと鳥のみっともない四肢を見下ろし、「マアトさまああああ」とツインテールを揺らして飛んで逃げた。首だけ少女の顔のままで。
「なんだ、ありゃ。神話の化け物か。鳥じゃねえか」
「マアトの鞘マアティ。マアトは過去に世界を吹っ飛ばしているから、懲りた様子で、マアティに力を分散してると見るわ」
――デカ過ぎて想像できない。世界が吹っ飛ぶ? 布団じゃあるまいし。
「ともかく、ネフト。ここから出せよ。あんたなら、できるだろ。神」
「神は信じないのではないの?」
「こうなった以上は」短いやりとりをこなして、ネフトは頷いた。強い眼をイザークに向けた。「いいわ」といつだって炎の滾る瞳が向く。
「ただし、我らを堕としたマアトを倒して。私も、貴方も、愛する相手を信じると誓い合えるならば、力を振り絞ろう。イザーク、あんたと私は海底で出逢ってる」
海底? イザークはそれに気づき、眼を瞠った。常識を疑うが、元々この世界に常識なんて通じやしない。分かっている。それでも、声が掠れた。
「堕とされた月と太陽……。海に沈んでいたほうがあんた? あれが太陽?」
「逆よ。私の神魂は貴方たちで言う月、サアラの神魂は太陽なの。天空の輝かしき身分が惨めにも地上の怨念に縛られた上、霊魂は人間に縫い付けられて動けない。同じ神でありながら、マアトの策略で、生き死にを繰り返す。もうどうしようもなかった。私たちは裁きにも負けない人間を幾星霜も探した」
「それが、俺とティティか?」
ネフトは女神の微笑みを浮かべた。ティティは良くネフティスを呼んでいた。助けてくれていた。ずっと……あと一度でいい。最期にティティに逢わせてやりたい。
「神の前でもいちゃつく不貞不貞しさ。でもね、世界の掟を理解しないし動じない。悪の強い想いは、神にも負けないかも知れないわよねぇ。貴方たちは、本当に嬉しそうにお互いを見て、名を、諱を呼び合っていた。口づけすると、ティティの魂がふわんと飛んで行くのよね――……」
げほ、とイザークは咳き込み、熱い頬を向けた。ネフトは微笑んで会話を止めると、辺りを伺った後、人差し指を唇に宛てた。
「マアトが目覚める様子。イホメト――ずっと待っていた。悪意に晒され、でも悪意に負けない人間を待っていた。人は、苦しんで強くなるから」
ネフトはにこりと笑った。(あ、母ちゃん)遠き母を思い出す笑顔だった。
「サアラが貴方たちを信じ、ティティを助けている。なら、私も貴方たちの愛を信じようと決めた。マアトが倒れれば、空も世界も戻るけれど――裁きはない。悪人は裁かれず、横行する。そんな世界でも、貴方はいいと言うのね」
イザークはにっと笑った。
「あんたたちは生きて行くための、個々の存在、諱をこの世界に遺してくれた。俺たちは、愛を持って呼び合う奇跡を噛み締める。それだけで何とかなる気がするからな」
(そうだろ、ティティ。俺はティティと名を口にする度、嬉しくなる。生きているんだと、一緒に生きると確信を抱ける。一番優しくなれる言葉、ティティインカ)
「覚悟を決めるのよ。世界をどうするかは、あんたの原罪に委ねられる。逃げて来た罪。――肉親、殺しの〝憤怒〟などに負けないで。約束」
「どうして、それを……」
ふいっと唇を掠らせて、ネフトは、悪戯っぽく眼を細めた。
「約束を唇で交わすのでしょ。ティティに、宜しく。わたし、貴方たちが好きだった」
ネフトはゆらりと立ち上がると、獣の声を出して、自ら全身を炎に包んだ。
黒い炎は冥府の炎。ネフトの呼び込んだ炎と、マアトの炎の檻が衝突した。
「マアトの炎とわたしの炎は相反する。反発して、磁場を変える。わたしの命と引き替えだ! 覚えておいて。古代には、人間を好きな神もいたのだと!」
女神ネフティスの最期だった。マアトの檻は焼け付き、蒸発して消えた。マアティたちが右往左往で騒ぎ出す中、イザークは一歩歩き出す。神への路だ。棘だらけの、真実への路。生きていると実感しながら、神に抗うために、歩き出す。
人間は悪魔。誇りは間違わない。世界を変えるためには悪役で結構。ぶすぶすと黒い煙が立ち上る。イザークはサアラの剣を振り回した。
「悪魔でも、罪人でも、何とでも呼べ。……さあ、神をぶっ叩きに行くぜ!」
「ま、マアトさまああああああ。た、大変ですううううぅ!」
(月神ネフティス。あんたの願いは必ず叶える。俺とティティがあんたたちを必ず空へ還す。混沌の世界に、安らぎと光を与えられるは、あんたたちだ)
左眼が熱い。イザークはサアラの光剣を握りしめた。涙目にネフトの髪飾りが映る。しゃらんと遺された環が、イザークの爪先に触れた。
「出せえええええええええええええええ! 俺は鳥じゃねえぞ!」
イザークの叫びが木霊になって、業火の世界を飛び回っている。ティティと引き裂かれたイザークと、ネフトはマアトの手により、鳥籠に閉じ込められていた――。
どこもかしこも金の炎で編まれた檻の中。生きているのか、死んでいるのかも判らないほどの、空圧と熱が絶え間なく襲いかかる。
「お静かに! せいしゅくに! ここがどこだか、判っていますぅ? 罪人!」
イザークとネフトの眼の前では、お目付らしい子供が眼を光らせている。ふわふわの髪を両脇で縛り、トーブを着ている。人形のようだ。頭には月桂樹の冠。
ネフトがやんわりと答えた。
「マアトの居城でしょ。空間の捻れた場所。私たち神が〝炎の棘〟と呼ぶ場所。あたしも来た経験はなかった。もう、反響して耳が痛いから、叫ばないで頂戴。イザーク」
「そうですよぅ。マアト様お昼寝中ですぅ。叫んじゃだめですぅ。なんですぅ。人間のクセに。マアト様に言いつけちゃいますよぅ? 死んじゃいますよぅ。本当ぅ」
檻ごしに子供がぬー、と睨みを飛ばす。少女は鳥の羽に変わった腕をプンプンと振った。ツンツン尖った足で地団駄を踏む。
「貴方みたいな、横暴な人間のせいですぅ。マアト様は起きてくれないですぅ。それだけ裁く必要が多く、力を消耗するんですぅ。判りますぅ! 命、削れてるんですぅ!」
「うるせえ。ガキ。マアトのところへ案内……舌出しやがった! 斬っちまうぞ!」
「どうでもいいけど、術、融けてるわよ。身体、戻ってるけど?」ネフトの言葉に、
マアトの手下ははっと鳥のみっともない四肢を見下ろし、「マアトさまああああ」とツインテールを揺らして飛んで逃げた。首だけ少女の顔のままで。
「なんだ、ありゃ。神話の化け物か。鳥じゃねえか」
「マアトの鞘マアティ。マアトは過去に世界を吹っ飛ばしているから、懲りた様子で、マアティに力を分散してると見るわ」
――デカ過ぎて想像できない。世界が吹っ飛ぶ? 布団じゃあるまいし。
「ともかく、ネフト。ここから出せよ。あんたなら、できるだろ。神」
「神は信じないのではないの?」
「こうなった以上は」短いやりとりをこなして、ネフトは頷いた。強い眼をイザークに向けた。「いいわ」といつだって炎の滾る瞳が向く。
「ただし、我らを堕としたマアトを倒して。私も、貴方も、愛する相手を信じると誓い合えるならば、力を振り絞ろう。イザーク、あんたと私は海底で出逢ってる」
海底? イザークはそれに気づき、眼を瞠った。常識を疑うが、元々この世界に常識なんて通じやしない。分かっている。それでも、声が掠れた。
「堕とされた月と太陽……。海に沈んでいたほうがあんた? あれが太陽?」
「逆よ。私の神魂は貴方たちで言う月、サアラの神魂は太陽なの。天空の輝かしき身分が惨めにも地上の怨念に縛られた上、霊魂は人間に縫い付けられて動けない。同じ神でありながら、マアトの策略で、生き死にを繰り返す。もうどうしようもなかった。私たちは裁きにも負けない人間を幾星霜も探した」
「それが、俺とティティか?」
ネフトは女神の微笑みを浮かべた。ティティは良くネフティスを呼んでいた。助けてくれていた。ずっと……あと一度でいい。最期にティティに逢わせてやりたい。
「神の前でもいちゃつく不貞不貞しさ。でもね、世界の掟を理解しないし動じない。悪の強い想いは、神にも負けないかも知れないわよねぇ。貴方たちは、本当に嬉しそうにお互いを見て、名を、諱を呼び合っていた。口づけすると、ティティの魂がふわんと飛んで行くのよね――……」
げほ、とイザークは咳き込み、熱い頬を向けた。ネフトは微笑んで会話を止めると、辺りを伺った後、人差し指を唇に宛てた。
「マアトが目覚める様子。イホメト――ずっと待っていた。悪意に晒され、でも悪意に負けない人間を待っていた。人は、苦しんで強くなるから」
ネフトはにこりと笑った。(あ、母ちゃん)遠き母を思い出す笑顔だった。
「サアラが貴方たちを信じ、ティティを助けている。なら、私も貴方たちの愛を信じようと決めた。マアトが倒れれば、空も世界も戻るけれど――裁きはない。悪人は裁かれず、横行する。そんな世界でも、貴方はいいと言うのね」
イザークはにっと笑った。
「あんたたちは生きて行くための、個々の存在、諱をこの世界に遺してくれた。俺たちは、愛を持って呼び合う奇跡を噛み締める。それだけで何とかなる気がするからな」
(そうだろ、ティティ。俺はティティと名を口にする度、嬉しくなる。生きているんだと、一緒に生きると確信を抱ける。一番優しくなれる言葉、ティティインカ)
「覚悟を決めるのよ。世界をどうするかは、あんたの原罪に委ねられる。逃げて来た罪。――肉親、殺しの〝憤怒〟などに負けないで。約束」
「どうして、それを……」
ふいっと唇を掠らせて、ネフトは、悪戯っぽく眼を細めた。
「約束を唇で交わすのでしょ。ティティに、宜しく。わたし、貴方たちが好きだった」
ネフトはゆらりと立ち上がると、獣の声を出して、自ら全身を炎に包んだ。
黒い炎は冥府の炎。ネフトの呼び込んだ炎と、マアトの炎の檻が衝突した。
「マアトの炎とわたしの炎は相反する。反発して、磁場を変える。わたしの命と引き替えだ! 覚えておいて。古代には、人間を好きな神もいたのだと!」
女神ネフティスの最期だった。マアトの檻は焼け付き、蒸発して消えた。マアティたちが右往左往で騒ぎ出す中、イザークは一歩歩き出す。神への路だ。棘だらけの、真実への路。生きていると実感しながら、神に抗うために、歩き出す。
人間は悪魔。誇りは間違わない。世界を変えるためには悪役で結構。ぶすぶすと黒い煙が立ち上る。イザークはサアラの剣を振り回した。
「悪魔でも、罪人でも、何とでも呼べ。……さあ、神をぶっ叩きに行くぜ!」
「ま、マアトさまああああああ。た、大変ですううううぅ!」
(月神ネフティス。あんたの願いは必ず叶える。俺とティティがあんたたちを必ず空へ還す。混沌の世界に、安らぎと光を与えられるは、あんたたちだ)
左眼が熱い。イザークはサアラの光剣を握りしめた。涙目にネフトの髪飾りが映る。しゃらんと遺された環が、イザークの爪先に触れた。
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