~大神殿で突然の婚約?!~オベリスクの元で真実の愛を誓います。
オベリスクの結界
***
「イアさま、お怪我は。お腕を少々焼いたようですが」
「大したことはないわ。それより怪我人を運んであげて。結界を破られたの」
告げながら、ティティは髪を縛り上げていた髪針を外した。肩で踊っていたコブラのしっぽは背中の中央で跳ねている。はだけた肩に上掛けを羽織ったところで、金の頭巾を被ったテネヴェの王クフが再び姿を見せた。背が伸びたクフは出逢った時のイザークを思い出す。それほど、二人は似ていた。
クフは苦手だ。性格もさながら、顔を見ていると、嫌でも最愛の人を思い出すから。
唇を軽く咬んだティティに、クフがゆっくりと歩み寄った。
「結界は今すぐ張りに行くわよ。アケトアテン軍が押し寄せるなんて。ラムセスの差し金でしょうけど。いっそ、出陣してくれたらいいのにね」
クフがきろ、と眼を上げた。
「――兄に呪いをかけて、その上で、懲りない呪術師」低声にむっと言い返す。
「それとこれとは話が別だわ。あんたも懲りない。いいわよ、背中からぶすり、の前に諱を詠んでやるからね……!」
「兄は、勝手に裁かれたと言うに。いつまで、僕は怨まれるんでしょうねえ」
しゅっ。ティティはスカラベを握った拳をクフの前に振った。涙が横流れに流れる。
「兄に、逢いたいと書いてある」
「……結界を張ってくるわ。その短剣、仕舞って婚約者の膝にでも寝てればいい」
クフは肩を竦め、すいっと上半身を遠ざけた。
(まったく。事ある事に、わたしを殺そうとしないで。精一杯なのよ)
――イザークがいてくれたら。夜ごとからだを抱き締める。慣れ親しんだというには、あまりにも接触は少なかった。それでも、ティティは覚えている。
「一緒にいるっていったのに、嘘つき。いつも置いていくのよね」
ティティは空を見上げた。マアトの裁き以来、空は真紅の雲が渦撒いている。いつでも、神の雷が落ちそうな気配だ。どんよりと重く、罪を背負わされそうな重圧感のある気圧。――どこにも、愛おしい気配がない、世界。
神の裁きがない空は穏やかだが、飛んでいる生物がいない。光は漏れているが、昼も夜も崩壊し尽くされ。イザークが消えた世界は混沌としていて変わらない。
(また逢える。逢って、抱き締めて貰える。だから、信じて持つわ)
――聞こえる? 愛するイザークへ。
「世界を終わらせたいと貴方は告げた。意志は、わたしが継ぐ。オベリスクの呪を解き、マアト神にもう一度交渉するわ」
ティティはテネヴェにて、成人を迎えていた――。
***
オベリスクの側に立てられた呪術研究所がティティの今の住処である。
「マアトの文献は、やはりなさそう?」
「ええ。テネヴェの数十年の記録文献は全て破かれていて、解読しようにも、途中焼失したものが多く、オベリスクの解読も呪術師が持ちこたえられずにいます」
「過去に航るしかないか。こう、ひゅっとね。神さまみたいに」
驚く呪術師の卵たちに「冗談よ」と片眼を瞑って、炎の火影の前で、ティティは、きつく巻いていた眼帯を外した。
(最近また、眼が疼く。マアト神が世界に近づいているんだ……)
剥き出しの背中がちりちりと炎に焼ける。パサ、とフードを被ると、ティティは靜かに神殿最奥に向かって歩き始めた。
――クフに頼み込んで、オベリスクの周辺を呪術場に作り替えさせた。
(あの時も、呪を解いたと同時にマアト神が現れた。まるで引替の如く)
なら、繋がるなら、ここしかない。だが、ティティは呪を読めなかった。読もうとすると、イザークを思い出す。ティティが諱を詠む度、誰かが裁かれる気がして。
「あ……」また駄目だ。ティティはオベリスクの前の床に両手をついた。
逢えない。これでは、何億年かけても、イザークには逢えない。
「今日こそ、詠んでやる! すーはー……」
(こんな風に息を吸った覚えがある。ネフトとサアラの孤児院だ。告白しようとして、頭が真っ白になった。フフ、わたし、可愛い)
過去に浸っている場合か。ティティは育った胸に御守りの首飾りを下げた。イザークが贈ってくれた、青水晶の首飾りだ。イザークとの想い出は多すぎる。
心に笑顔が甦るたび、決心を鈍らせる。イザークはもういないのだと、その度に思い知らされ。
さわっと衣擦れの音がした。振り返ると、緑の瞳がティティを見ている。身重のテネヴェ国妃であるターナパトラ・オーブ・テネヴェだった。
(あのクフが人を愛せるとは思わないけど。愛は人を変えるのよね)
何故かターナはよくオベリスク前に現れる。
「ターナパトラ王妃。またいらしていたのですか。王が心配されますよ」
華やかなビーズの十連のネックレスに、長い手足をトーブに包み、クフとお揃いのコブラのティアラ。黒髪をきっちりと切りそろえている。
「ターナ王妃、近寄ってはなりません。クフ王が心配されます」
ティティは告げて、神殿をぶち抜いて平然と建っているオベリスクを睨んだ。
「離れてください。今日こそ繋げて見せますわ。負けず嫌いなんですの」
ティティは指に挟み込んだ六個のスカラベをオベリスクに翳した。
(イザークに再び逢うためなら、わたしは何でもする。心臓を神の元に引き摺り出されようと! だからいつも願うの。今こそ、イザークに逢いたいの……!)
神さま、と続けようとして思い留まった。敵に命乞いはしたくない。
「おお、震えておるぞえ。オベリスクの呪いかのう」
ゴゴゴゴゴ……震撼したオベリスクから、赤は消えず。術の反動を喰らってティティは崩れ落ち、膝をついた。残されたイザークの諱の呪いが強固なせいだ。
(理由さえ分かれば呪は解ける。しかし、どうしてイザークの諱が呪われたか判明する術はない。それに、こんなに無数の彫り込みがあったら、真実は見えなくなる)
「ティティ、わらわ、お水を持って来る」
王妃はねっとりと告げ、蛇の頭の水差しを抱えて戻って来た。
ぺたりとついた手にターナ王妃の手が触れた。目前に見えたターナ王妃の腹は膨らんでいた。
(いいなあ……子供がいるのね)ティティはそっと立ち上がった。
それにしても、ターナ王妃は必ずティティがオベリスクを訪れるとやってくる。
ティティは転がったスカラベを手にした。スカラベは白い塊になり、指先で粉々になって霧散して消えた。
(呪が強すぎる。また、媒介のスカラベを作って、イチからやり直し……)
「ティティ、これ以上ここにおる必要はのうて、わらわ、お腹が……」
ターナ王妃はティティの腕を取ろうとした。
「お腹、屈んではいけませんわ。あちらへ参りましょう」
ティティは王妃を庇い、頑固なオベリスクに唇を噛んだ。
――イザークを閉じ込めて! わたしは、必ず夫を取り返すんだから!
「イアさま、お怪我は。お腕を少々焼いたようですが」
「大したことはないわ。それより怪我人を運んであげて。結界を破られたの」
告げながら、ティティは髪を縛り上げていた髪針を外した。肩で踊っていたコブラのしっぽは背中の中央で跳ねている。はだけた肩に上掛けを羽織ったところで、金の頭巾を被ったテネヴェの王クフが再び姿を見せた。背が伸びたクフは出逢った時のイザークを思い出す。それほど、二人は似ていた。
クフは苦手だ。性格もさながら、顔を見ていると、嫌でも最愛の人を思い出すから。
唇を軽く咬んだティティに、クフがゆっくりと歩み寄った。
「結界は今すぐ張りに行くわよ。アケトアテン軍が押し寄せるなんて。ラムセスの差し金でしょうけど。いっそ、出陣してくれたらいいのにね」
クフがきろ、と眼を上げた。
「――兄に呪いをかけて、その上で、懲りない呪術師」低声にむっと言い返す。
「それとこれとは話が別だわ。あんたも懲りない。いいわよ、背中からぶすり、の前に諱を詠んでやるからね……!」
「兄は、勝手に裁かれたと言うに。いつまで、僕は怨まれるんでしょうねえ」
しゅっ。ティティはスカラベを握った拳をクフの前に振った。涙が横流れに流れる。
「兄に、逢いたいと書いてある」
「……結界を張ってくるわ。その短剣、仕舞って婚約者の膝にでも寝てればいい」
クフは肩を竦め、すいっと上半身を遠ざけた。
(まったく。事ある事に、わたしを殺そうとしないで。精一杯なのよ)
――イザークがいてくれたら。夜ごとからだを抱き締める。慣れ親しんだというには、あまりにも接触は少なかった。それでも、ティティは覚えている。
「一緒にいるっていったのに、嘘つき。いつも置いていくのよね」
ティティは空を見上げた。マアトの裁き以来、空は真紅の雲が渦撒いている。いつでも、神の雷が落ちそうな気配だ。どんよりと重く、罪を背負わされそうな重圧感のある気圧。――どこにも、愛おしい気配がない、世界。
神の裁きがない空は穏やかだが、飛んでいる生物がいない。光は漏れているが、昼も夜も崩壊し尽くされ。イザークが消えた世界は混沌としていて変わらない。
(また逢える。逢って、抱き締めて貰える。だから、信じて持つわ)
――聞こえる? 愛するイザークへ。
「世界を終わらせたいと貴方は告げた。意志は、わたしが継ぐ。オベリスクの呪を解き、マアト神にもう一度交渉するわ」
ティティはテネヴェにて、成人を迎えていた――。
***
オベリスクの側に立てられた呪術研究所がティティの今の住処である。
「マアトの文献は、やはりなさそう?」
「ええ。テネヴェの数十年の記録文献は全て破かれていて、解読しようにも、途中焼失したものが多く、オベリスクの解読も呪術師が持ちこたえられずにいます」
「過去に航るしかないか。こう、ひゅっとね。神さまみたいに」
驚く呪術師の卵たちに「冗談よ」と片眼を瞑って、炎の火影の前で、ティティは、きつく巻いていた眼帯を外した。
(最近また、眼が疼く。マアト神が世界に近づいているんだ……)
剥き出しの背中がちりちりと炎に焼ける。パサ、とフードを被ると、ティティは靜かに神殿最奥に向かって歩き始めた。
――クフに頼み込んで、オベリスクの周辺を呪術場に作り替えさせた。
(あの時も、呪を解いたと同時にマアト神が現れた。まるで引替の如く)
なら、繋がるなら、ここしかない。だが、ティティは呪を読めなかった。読もうとすると、イザークを思い出す。ティティが諱を詠む度、誰かが裁かれる気がして。
「あ……」また駄目だ。ティティはオベリスクの前の床に両手をついた。
逢えない。これでは、何億年かけても、イザークには逢えない。
「今日こそ、詠んでやる! すーはー……」
(こんな風に息を吸った覚えがある。ネフトとサアラの孤児院だ。告白しようとして、頭が真っ白になった。フフ、わたし、可愛い)
過去に浸っている場合か。ティティは育った胸に御守りの首飾りを下げた。イザークが贈ってくれた、青水晶の首飾りだ。イザークとの想い出は多すぎる。
心に笑顔が甦るたび、決心を鈍らせる。イザークはもういないのだと、その度に思い知らされ。
さわっと衣擦れの音がした。振り返ると、緑の瞳がティティを見ている。身重のテネヴェ国妃であるターナパトラ・オーブ・テネヴェだった。
(あのクフが人を愛せるとは思わないけど。愛は人を変えるのよね)
何故かターナはよくオベリスク前に現れる。
「ターナパトラ王妃。またいらしていたのですか。王が心配されますよ」
華やかなビーズの十連のネックレスに、長い手足をトーブに包み、クフとお揃いのコブラのティアラ。黒髪をきっちりと切りそろえている。
「ターナ王妃、近寄ってはなりません。クフ王が心配されます」
ティティは告げて、神殿をぶち抜いて平然と建っているオベリスクを睨んだ。
「離れてください。今日こそ繋げて見せますわ。負けず嫌いなんですの」
ティティは指に挟み込んだ六個のスカラベをオベリスクに翳した。
(イザークに再び逢うためなら、わたしは何でもする。心臓を神の元に引き摺り出されようと! だからいつも願うの。今こそ、イザークに逢いたいの……!)
神さま、と続けようとして思い留まった。敵に命乞いはしたくない。
「おお、震えておるぞえ。オベリスクの呪いかのう」
ゴゴゴゴゴ……震撼したオベリスクから、赤は消えず。術の反動を喰らってティティは崩れ落ち、膝をついた。残されたイザークの諱の呪いが強固なせいだ。
(理由さえ分かれば呪は解ける。しかし、どうしてイザークの諱が呪われたか判明する術はない。それに、こんなに無数の彫り込みがあったら、真実は見えなくなる)
「ティティ、わらわ、お水を持って来る」
王妃はねっとりと告げ、蛇の頭の水差しを抱えて戻って来た。
ぺたりとついた手にターナ王妃の手が触れた。目前に見えたターナ王妃の腹は膨らんでいた。
(いいなあ……子供がいるのね)ティティはそっと立ち上がった。
それにしても、ターナ王妃は必ずティティがオベリスクを訪れるとやってくる。
ティティは転がったスカラベを手にした。スカラベは白い塊になり、指先で粉々になって霧散して消えた。
(呪が強すぎる。また、媒介のスカラベを作って、イチからやり直し……)
「ティティ、これ以上ここにおる必要はのうて、わらわ、お腹が……」
ターナ王妃はティティの腕を取ろうとした。
「お腹、屈んではいけませんわ。あちらへ参りましょう」
ティティは王妃を庇い、頑固なオベリスクに唇を噛んだ。
――イザークを閉じ込めて! わたしは、必ず夫を取り返すんだから!
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