僕と最強幼女と狂った世界

土佐 牛乳

プロローグという名の自己紹介


 あたたかな日差しが、春だというのに、昨日は春らしからぬ大雪が降っていた。その雪たちを溶かしていく太陽は、節雪日との合間に、日差しがある日があり、顔を出しては地表をやさしく温め、転びやすくもある雪の道を作る。雪の間を縫うようにして春の準備をしようと、雑草たちが温かい気温に合わせて、小さな青々としたかわいらしい草たちが春というパーティーを開催しようと準備を初めていた。冬と春の、季節の変わり目の気温は、手のひらがくるくる回るような発言をしている政治家のようでもあるかのように、更地ではない地面でジェンガを立てているような、グラグラで、地震ですぐに崩れ落ちそうな、柱たちボロボロの老築のアパートのような、一貫性の無い俺の心のようにその気温は、移り目が激しい。

 高校一年の春、僕にとってそれは、運命の出会い、いや昔から魂レベルの循環された仕組み『運命』、地球規模で、いや宇宙規模で全てが決まっていたことで、生物が自らの生命維持のために栄養を補給するように、俺にとってその物語のプロローグのような特別な出来事はあたりまえであり、必然にして、当然にして、何の変哲もなく、僕が僕であるがゆえに彼女と出会った。

 出会った当時は知らないが、彼女は最強で、最凶で、最狂で、最恐。

 その最四字が、そろっているような彼女の容姿、言動、仕草、行動、そのすべてが何か変わらない決定的な軸、この地球上の中心である軸と言ってもいい、いや宇宙全ての軸を持っていそうな彼女は、この空っぽで軸も何もない、骨だけを抜かれた生物のようにちゃらんぽらんに生きてきた僕を虜にして、そんなどうしようもない僕は、非日常にあこがれていたため、その特別で、格別で、特段で、一際輝いていて、異例で、違例で、並外れていて、桁外れであり、至極で、機体であり、異様であり、突飛していて、一種異様であり、怪態であり、特異であり、特殊であり、破格であり、極々なその存在を見せつけられた。

 僕の目は特別な彼女を追っていた。それから僕にとって常識的であった非日常の知識は、彼女と出会うことにより改めて格段にハードである日に異常な難易度に僕が認識していた非日常の僕の中ではありきたりであった、それらすべての変換を余儀なくされる。

 全ての難易度がレベルアップをしたような錯覚に陥ってしまった。もちろん妄想の非日常なのであるが、彼女と出会ってから、本当の、文字通りであり、意味通りでもある、身を切るような体験を、週刊雑誌に載っている漫画の主人公のようなエクスペリエンスをすることとなり、ライトノベルの主人公のような、物語の主人公のプロローグを俺の人生に無理矢理に力技でねじ込まれたような、彼女自身とそれに表裏一体な、全ての彼女の事柄は、今までの俺の妄想だけで人生を消費しているような、何も変わらないことを他人にも自分にも望む、その俺が彼女のそのすべてに魅惑をされるのは前も説明したが当たり前であり、一分、一秒が絶対的に変わらないように、僕もまた彼女に地球の重力のように惹きつけられたのは、自然であったと、物語の始まりとして、僕の人生のストーリーとして当たり前であったと言える。

 もういい加減に、そうだな。

 こんなライトノベルで読んで何度も経験したような、こんなプロローグを、うんざりとした気持ちになりながらも、俺は、その出会いに安心的な、疑心的な期待をしていた。すべては、心の反対がままに、俺の認識している世界、そしてこの心、そしてこの体が、正反対に動く天邪鬼のような俺と、世界と、人生と、環境が全てが俺の心を映し出すかのようにある一定のラインを行ったり来たりしているのが示されているような、自らの心を映し出されているような、羞恥心に似た感情が駆け巡るわけだが、いい加減にこの道、人生を歩くには、この目をかっ開いて直視をしなければならなかったりするものなので、このなんとも言えない気持ちと戦っている。

 俺がこうなってしまったのは育った環境が悪かったから、俺がこうなってしまった原因を一々、考えるのはよそうと、もういいんだと、諦めているというよりも無理矢理にゲームをしている最中、コンセントを抜いたように思考を止めている僕なのだが、また考えてしまっているのはいい加減に、あきらめが悪いなと自覚する。

 それがこの天野路 夜久⦅あまのじ やく⦆という名前をした男の、いや俺の物語である。






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