そして僕は君を探す旅に出た~無力な僕の異世界放浪記~
そして僕は旅に出る決意をした
「うわぁああ――はぁはぁ……」
夢を見ているようだった。そして、頭がパンクしそうな感じがする。僕は絋だ。でも、今目が覚めるまでのルカーシュと言う名前で過ごしているこの世界での記憶も持っている。僕はまだ幼い。産まれてから五年しか経ってないんだ。
「大丈夫かい? ルカ」
「だ、大丈夫だよお婆ちゃん」
「本当に大丈夫なんだね? すごい汗だ。すぐに着替えを持って来てやるからね。熱があるんだから寝てなくちゃ駄目だよ」
お婆ちゃんが僕を心配するように声を掛けてくれたから、大丈夫だよと言って安心してもらおうと思って声を出した。
そんな僕の様子を見て安心したような顔でお婆ちゃんは僕の部屋から出ていった。
そう。あの人は僕のお婆ちゃんだ。お母さんはもういない。記憶に残ってる。お父さんも戦争に行ったきりだ。お母さんが死んでしまった事も知らないんじゃないだろうか。もしかするとお父さんも……
「友加里……」
友加里の笑顔が僕の頭に浮かぶ。夢のように朧気にしか覚えていないのにハッキリと事実であったと認識できるあの出来事。
世界の意志が言っていた事が正しければ友加里もこの世界で生を受けているはずだ。もしかすると何もかも忘れてしまった方が楽なのかもしれないけど、僕は忘れる事は出来ないと思うし、友加里も僕の事を覚えてくれているかもしれない。でも、記憶を失っていたら……
「入るよ」
思考の海に呑まれそうになった時、お婆ちゃんが戻ってきた。我に帰った僕は入室を了承し、お婆ちゃんが入って来るのを待つ。
「ほら持って来たよ。自分で着替えは出来るかえ?」
「ありがとう。お婆ちゃん! 僕、自分で出来るよ」
服を脱ごうとボタンに手をかけるけど、僕の小さな手は思い通りに動いてはくれなかった。きちんと動くのだけど、どうしてももたついてしまう。服を脱ぎ終わって替えの服をお婆ちゃんから受け取り服を着る。お婆ちゃんが持ってきた服はボタンが付いていなかったので少し安心出来た。
「それじゃあ夕飯を作ってくるからルカは大人しく寝ておくんだよ」
「うん。わかったよ。お婆ちゃん」
お婆ちゃんが部屋から出ていくのを見届けた僕は外の景色を見た。淡いオレンジの空と暗い空がグラデーションを作ったかのように混ざり合い綺麗に調和を保っていた。
季節はこれから春に向かおうと気温が暖かくなっていく時期だ。燭台に立てられたロウソクには僕が寝ている間にお婆ちゃんが火を着けたのだろう。火が柔らかく揺らめき踊っているように見えた。
僕はこの世界の事をよく分かっていない。外で同世代の子と遊んだりした記憶はあるけど、それが夢じゃないのかと思うようなくらい朧気で儚い記憶だ。
もちろん身近な人の記憶やお父さんやお母さんと過ごした記憶は鮮明で無いけれど残ってる。でも、僕が僕として認識をした瞬間からルカーシュとして今まで過ごして来た記憶が曖昧になって行くような。そんな感じだ。
僕が僕でなくなるんじゃないかと言う不安感で胸がいっぱいになってしまう。これが物心がつくと言うことなのかも知れないとも思ったりもする。
「あー……暑い」
深く考え込んでしまったからなのか、僕は無意識に声を出していた。そして、急激に身体が怠くなって行き、睡魔が襲って来て意識を保つ事も叶わずに深い眠りについてしまった。
目を覚ました僕はすっかりと元気になっていた。おでこを触っても熱くは感じないし、身体の怠さも無い。昨日感じた不安感すらも何処かへ吹き飛ばしたのでは無いかと思うくらいに清々しい気持ちだった。
空は薄く紫掛かっていて、これから太陽が登る準備をしているように見える。窓を開けると冷たい風が顔を撫でるように舞い、部屋の空気を循環させていく。
「気持ちいいなぁ」
空を見上げていると鶏が大きな声を出して鳴いた。太陽は山から顔を覗かせて世界を光で包んでいく。
「おや。もう起きていたのかい。こっちへおいで」
お婆ちゃんは僕の様子を見に来たのだろうか。僕は素直にお婆ちゃんの元へと向かった。白髪交じりの赤茶色のウェーブ掛かった髪の毛は短く切り揃えられたショートカットだ。細身ではあるけれど背筋はしゃんと伸びている。
「そんなにジロジロ見てどうしたんだい?」
「何でもないよ! お婆ちゃん美人だなって」
「この子はどこでそんな言葉を覚えたのかしら」
笑って誤魔化しながら僕は子どもらしくしなければならないと思った。身体は子どもなんだ。昨日まで子どもらしかった孫が突然大人びた発言をすると驚くだろう。事実、今の発言でお婆ちゃんは面食らったようにも見えた。僕は気をつけようと心の帯を締める。
「熱はもう下がったようだね。もうすぐ食事の準備が出来るからね」
食事という単語を聞いてお腹の虫が鳴き出した。昨日、夕食の頃には僕は寝ていたし、熱を出して寝込んでいる間、温かいスープを飲んだ記憶しか残っていない。
「はーい」
僕が食卓につくと、タイミングを見計らったようにお婆ちゃんがお粥のような物を持ってくる。見た目はお粥に似ているがその匂いは全く違う。僕の中にある記憶でもいつもこれと同じ物を食べていた。
「栄養満点だ。しっかり食べて元気になるんだよ」
絋として生きていた時とは全く違う環境にも関わらず、僕は嫌悪感などまるで無かった。僕が目覚める前の生活が身体に馴染んでいるんだろうと思う。このお粥のような物も美味しいと感じる事が出来ている。これは恐らくオートミールのような食べ物だと思う。そんな事を思いながら黙々と食を進め完食した。
「外に行ってもいい?」
「大丈夫なのかい? まだ熱が下がったばかりだろうに」
「大丈夫だよ! 昨日たくさん寝たからすっかり元気になっちゃった」
お婆ちゃんの了承を得て、僕は堂々と外に出る。暖かい太陽の陽射しと冷たい風が世界を覆っていた。辺りを見回しながら散策をはじめ、考えながら歩く。僕が考えるのは友加里の事だ。この世界のどこに友加里がいるかも分からない。
手掛かりも何も無い状態でどうやって友加里を探すのか。そもそも昨日頭によぎったように友加里が記憶を持って産まれていない可能性。友加里を探したいと言う気持ちと何もかも忘れてこの村で一生を過ごしたほうが良いのではと言う気持ちが僕の心に葛藤を生む。
「あっ。ごめんなさい」
「おう。しっかり前見て歩かないと危ないぞ。坊主」
色々と考えているうちに前が見えなくなっていたらしい。僕は大きな男とぶつかった。男は顔に髭をたくわえ一言でワイルドと現した方が早いと思う。そして、この男が村の人間でも無い事が分かる。僕の記憶にはこの男達の顔なんて無いし、外套に身を包んだ姿からどこか遠くから来たのだろう。
「おじさん誰?」
「おう坊主! 気になるのか? グッ……ガッハッハ!」
「う、うん」
「俺は世界を旅して周っているただの流れ者よ」
男は僕の目線に合わせるようにしゃがんで名前を名乗った。しゃがんだ状態でも僕は見上げるようにしかこの男の顔を見る事が出来ない。しっかりと見る事は出来なかったけど、顔が一瞬歪んだのが気になってしまう。
「いきなりで悪いんだが、どこか飯の食える場所を知らないか? 腹が減って仕方が無いんだ」
この男は食べ物を持ち合わせていないようだった。よくよく顔を見ると目の下にはくまが出来ていた。寝ずにこの村まで辿り着いたのか、眠る事を許されない何かがあったのだろうか。しかし、空腹だからと言ってあのように顔を歪める事なんてあるのだろうか。
「く……」
歯を食いしばるように突然呻き声を出した男。僕がどうしたのか声を掛けようとした時、僕の後ろからお婆ちゃんの怒ったような声が耳に届く。
「あんた何者だい? この子に何かしようってんなら容赦しないよ」
「く……すまねぇ……どうこうしようってんじゃないんだ」
「ちょっとあんた大丈夫かい?」
「あ、あぁ。大した事じゃないんだ」
男は蹌踉めきながら立ち上がる。
「何が大丈夫なもんかね! 血が出てるじゃないか」
僕は気が付かなかったけど、お婆ちゃんは男が怪我を負っていると気付いたらしい。暗い色の外套で分かり辛いが、腹の部分が血で滲んでいるように見えた。
「す、すまねぇ」
お婆ちゃんは男を支えながら家に戻る。僕もこの二人の後を追うように家に戻り、男の様子を覗く。男は既に使われていない両親のベッドに寝かされていた。
「ルカは待っていなさい」
「はい」
お婆ちゃんが男を治療してから数日が過ぎた。男の顔色は良くなってきているが、身体を動かす事自体は辛そうにも思える。僕はこの男に食事を運んだりちょっとした世話をしているうちによく会話するようになる。
男はバルトロメイと言った。本当に世界を旅して周っていたようだ。孤独な一人旅だそうだ。怪我を負った日は大した怪我では無いと思ったらしいが思いの外魔物の牙が刺さった箇所が深かったらしい。お婆ちゃんは「よくこんな怪我をして平気な顔をしていられたね」と呆れていた。
「バルおじさんおはよう」
「おう。ルカか。おはよう」
「もう大丈夫なの?」
「俺は頑丈さだけが取り柄だからな」
バルおじさんはベッドに腰掛けて水を飲んでいた。水は家の近くに湧き水が湧いておりそこから汲んで来ている。この村では湧き水がいたる所から湧いており水に困る事は無い。
「バルおじさんはどうして旅をしているの?」
「そうだな。宝物を探しているんだよ」
「それはどんな宝物なの?」
「ガッハッハ。宝物ってもそれは形なんて無いものだ。ルカも男なら分かる時がくるさ」
バルおじさんは豪快に笑いながら僕の頭を乱雑に撫でる。心は大人である僕は照れ臭く思うもとても嬉しく感じた。僕は目覚めた時から心は大人であるにも関わらず、年相応な行動を無意識に取る事がある。僕が大人の姿をしていたらこんな男に頭を撫でられても嬉しくもなんともないと思う。僕が大人だったらそもそも僕の頭を撫でたりなんて事はしないだろうけど。
「世界って広いの?」
「あぁ。すごく広いぞ」
「楽しい?」
「辛い事の方が多いかもしれないな。旅が辛くて辞める奴もいる。怪我だってするし命を落とす事もある。俺も始めは仲間がいたんだが一人、また一人と抜けていって今旅を続けているのは俺だけになってしまったな」
バルおじさんは昔の事を思い出しているのだろうか。遠くを見つめるように語っていた。そんなバルおじさんを見ていると僕も友加里の事を思い出す。幸せにするはずだった。幸せにしたかった。そして……幸せは僕の手から溢れ落ちていった。
「ルカくらいの年じゃわからねぇか。ガッハッハ」
「わかるよ! 僕も旅をしてみたい!」
僕は友加里を探さなければならない気がする。それは運命なんだと思う。このままこののどかな村で暮らすのも幸せなのかもしれない。それでも僕は絋としての記憶を持ったままこの世界に生を受けた。
世界の意志が僕をこの世界に送った理由は分からない。同情してくれただけかもしれない。僕は友加里が好きだ。愛している。生まれ変わった今でもそれは変わらない。死んでも、生まれ変わっても幸せにするって約束したんだ。僕は友加里を探し出す。
「そんなに睨むなよ。そうか。ルカは旅に出たいのか」
「うん! どうすれば旅に出られるの?」
「そうだな。まずは文字を覚えるんだ。そして身体を鍛える。自らを守る術を身につける」
「俺が色々教えてやるよ!」
「いいの?」
「あぁ。ルカがいなければ野垂れ死んでたかもしれねぇ。あの時ルカがぶつかってなけりゃ怪我の治療なんかして貰えなかったかもしれねぇ。もしかすると別の誰かに助けて貰えたかもしれねぇが俺が助かったのはルカのおかげだ。神様がきっとルカと巡り合わせてくれたんだ。ルカが何も知らずに旅に出て死んじまったらルカの婆ちゃんに何を言われるか分かったものじゃねぇしな。それにルカは俺が探している宝物の一つだ。俺達の出会いは偶然だ。それでもこの偶然は運命だ。神様がくれた宝物だ。人との出会いは宝物なんだ。神様がくれた宝物で命の恩人のルカが旅をする術を教えて欲しいと言う。それは俺に課せられた使命なんだって思うんだよ。大丈夫だ。俺の旅は終わらねぇ。絶対だ」
バルおじさんは自分に言い聞かせるかの如く、独白するように言葉を紡いだ。僕は自分も旅をしてみたいと言っただけなのにバルおじさんがここまで熱くなった理由が分からなかった。
出会って数日しか経っていない、しかもまだ幼い子どもである僕に普通の子どもなら理解は出来ないような難しい事を言う。僕はそんなバルおじさんを見つめる事しか出来なかった。
バルおじさんが何を思って僕と接しているのかは分からないけど、僕はバルおじさんから色々な事を教わる事が出来ると言うのは確かな事だ。
僕は誰にも吐露出来ない決意を胸に旅に出るきっかけを掴んだんだ。
夢を見ているようだった。そして、頭がパンクしそうな感じがする。僕は絋だ。でも、今目が覚めるまでのルカーシュと言う名前で過ごしているこの世界での記憶も持っている。僕はまだ幼い。産まれてから五年しか経ってないんだ。
「大丈夫かい? ルカ」
「だ、大丈夫だよお婆ちゃん」
「本当に大丈夫なんだね? すごい汗だ。すぐに着替えを持って来てやるからね。熱があるんだから寝てなくちゃ駄目だよ」
お婆ちゃんが僕を心配するように声を掛けてくれたから、大丈夫だよと言って安心してもらおうと思って声を出した。
そんな僕の様子を見て安心したような顔でお婆ちゃんは僕の部屋から出ていった。
そう。あの人は僕のお婆ちゃんだ。お母さんはもういない。記憶に残ってる。お父さんも戦争に行ったきりだ。お母さんが死んでしまった事も知らないんじゃないだろうか。もしかするとお父さんも……
「友加里……」
友加里の笑顔が僕の頭に浮かぶ。夢のように朧気にしか覚えていないのにハッキリと事実であったと認識できるあの出来事。
世界の意志が言っていた事が正しければ友加里もこの世界で生を受けているはずだ。もしかすると何もかも忘れてしまった方が楽なのかもしれないけど、僕は忘れる事は出来ないと思うし、友加里も僕の事を覚えてくれているかもしれない。でも、記憶を失っていたら……
「入るよ」
思考の海に呑まれそうになった時、お婆ちゃんが戻ってきた。我に帰った僕は入室を了承し、お婆ちゃんが入って来るのを待つ。
「ほら持って来たよ。自分で着替えは出来るかえ?」
「ありがとう。お婆ちゃん! 僕、自分で出来るよ」
服を脱ごうとボタンに手をかけるけど、僕の小さな手は思い通りに動いてはくれなかった。きちんと動くのだけど、どうしてももたついてしまう。服を脱ぎ終わって替えの服をお婆ちゃんから受け取り服を着る。お婆ちゃんが持ってきた服はボタンが付いていなかったので少し安心出来た。
「それじゃあ夕飯を作ってくるからルカは大人しく寝ておくんだよ」
「うん。わかったよ。お婆ちゃん」
お婆ちゃんが部屋から出ていくのを見届けた僕は外の景色を見た。淡いオレンジの空と暗い空がグラデーションを作ったかのように混ざり合い綺麗に調和を保っていた。
季節はこれから春に向かおうと気温が暖かくなっていく時期だ。燭台に立てられたロウソクには僕が寝ている間にお婆ちゃんが火を着けたのだろう。火が柔らかく揺らめき踊っているように見えた。
僕はこの世界の事をよく分かっていない。外で同世代の子と遊んだりした記憶はあるけど、それが夢じゃないのかと思うようなくらい朧気で儚い記憶だ。
もちろん身近な人の記憶やお父さんやお母さんと過ごした記憶は鮮明で無いけれど残ってる。でも、僕が僕として認識をした瞬間からルカーシュとして今まで過ごして来た記憶が曖昧になって行くような。そんな感じだ。
僕が僕でなくなるんじゃないかと言う不安感で胸がいっぱいになってしまう。これが物心がつくと言うことなのかも知れないとも思ったりもする。
「あー……暑い」
深く考え込んでしまったからなのか、僕は無意識に声を出していた。そして、急激に身体が怠くなって行き、睡魔が襲って来て意識を保つ事も叶わずに深い眠りについてしまった。
目を覚ました僕はすっかりと元気になっていた。おでこを触っても熱くは感じないし、身体の怠さも無い。昨日感じた不安感すらも何処かへ吹き飛ばしたのでは無いかと思うくらいに清々しい気持ちだった。
空は薄く紫掛かっていて、これから太陽が登る準備をしているように見える。窓を開けると冷たい風が顔を撫でるように舞い、部屋の空気を循環させていく。
「気持ちいいなぁ」
空を見上げていると鶏が大きな声を出して鳴いた。太陽は山から顔を覗かせて世界を光で包んでいく。
「おや。もう起きていたのかい。こっちへおいで」
お婆ちゃんは僕の様子を見に来たのだろうか。僕は素直にお婆ちゃんの元へと向かった。白髪交じりの赤茶色のウェーブ掛かった髪の毛は短く切り揃えられたショートカットだ。細身ではあるけれど背筋はしゃんと伸びている。
「そんなにジロジロ見てどうしたんだい?」
「何でもないよ! お婆ちゃん美人だなって」
「この子はどこでそんな言葉を覚えたのかしら」
笑って誤魔化しながら僕は子どもらしくしなければならないと思った。身体は子どもなんだ。昨日まで子どもらしかった孫が突然大人びた発言をすると驚くだろう。事実、今の発言でお婆ちゃんは面食らったようにも見えた。僕は気をつけようと心の帯を締める。
「熱はもう下がったようだね。もうすぐ食事の準備が出来るからね」
食事という単語を聞いてお腹の虫が鳴き出した。昨日、夕食の頃には僕は寝ていたし、熱を出して寝込んでいる間、温かいスープを飲んだ記憶しか残っていない。
「はーい」
僕が食卓につくと、タイミングを見計らったようにお婆ちゃんがお粥のような物を持ってくる。見た目はお粥に似ているがその匂いは全く違う。僕の中にある記憶でもいつもこれと同じ物を食べていた。
「栄養満点だ。しっかり食べて元気になるんだよ」
絋として生きていた時とは全く違う環境にも関わらず、僕は嫌悪感などまるで無かった。僕が目覚める前の生活が身体に馴染んでいるんだろうと思う。このお粥のような物も美味しいと感じる事が出来ている。これは恐らくオートミールのような食べ物だと思う。そんな事を思いながら黙々と食を進め完食した。
「外に行ってもいい?」
「大丈夫なのかい? まだ熱が下がったばかりだろうに」
「大丈夫だよ! 昨日たくさん寝たからすっかり元気になっちゃった」
お婆ちゃんの了承を得て、僕は堂々と外に出る。暖かい太陽の陽射しと冷たい風が世界を覆っていた。辺りを見回しながら散策をはじめ、考えながら歩く。僕が考えるのは友加里の事だ。この世界のどこに友加里がいるかも分からない。
手掛かりも何も無い状態でどうやって友加里を探すのか。そもそも昨日頭によぎったように友加里が記憶を持って産まれていない可能性。友加里を探したいと言う気持ちと何もかも忘れてこの村で一生を過ごしたほうが良いのではと言う気持ちが僕の心に葛藤を生む。
「あっ。ごめんなさい」
「おう。しっかり前見て歩かないと危ないぞ。坊主」
色々と考えているうちに前が見えなくなっていたらしい。僕は大きな男とぶつかった。男は顔に髭をたくわえ一言でワイルドと現した方が早いと思う。そして、この男が村の人間でも無い事が分かる。僕の記憶にはこの男達の顔なんて無いし、外套に身を包んだ姿からどこか遠くから来たのだろう。
「おじさん誰?」
「おう坊主! 気になるのか? グッ……ガッハッハ!」
「う、うん」
「俺は世界を旅して周っているただの流れ者よ」
男は僕の目線に合わせるようにしゃがんで名前を名乗った。しゃがんだ状態でも僕は見上げるようにしかこの男の顔を見る事が出来ない。しっかりと見る事は出来なかったけど、顔が一瞬歪んだのが気になってしまう。
「いきなりで悪いんだが、どこか飯の食える場所を知らないか? 腹が減って仕方が無いんだ」
この男は食べ物を持ち合わせていないようだった。よくよく顔を見ると目の下にはくまが出来ていた。寝ずにこの村まで辿り着いたのか、眠る事を許されない何かがあったのだろうか。しかし、空腹だからと言ってあのように顔を歪める事なんてあるのだろうか。
「く……」
歯を食いしばるように突然呻き声を出した男。僕がどうしたのか声を掛けようとした時、僕の後ろからお婆ちゃんの怒ったような声が耳に届く。
「あんた何者だい? この子に何かしようってんなら容赦しないよ」
「く……すまねぇ……どうこうしようってんじゃないんだ」
「ちょっとあんた大丈夫かい?」
「あ、あぁ。大した事じゃないんだ」
男は蹌踉めきながら立ち上がる。
「何が大丈夫なもんかね! 血が出てるじゃないか」
僕は気が付かなかったけど、お婆ちゃんは男が怪我を負っていると気付いたらしい。暗い色の外套で分かり辛いが、腹の部分が血で滲んでいるように見えた。
「す、すまねぇ」
お婆ちゃんは男を支えながら家に戻る。僕もこの二人の後を追うように家に戻り、男の様子を覗く。男は既に使われていない両親のベッドに寝かされていた。
「ルカは待っていなさい」
「はい」
お婆ちゃんが男を治療してから数日が過ぎた。男の顔色は良くなってきているが、身体を動かす事自体は辛そうにも思える。僕はこの男に食事を運んだりちょっとした世話をしているうちによく会話するようになる。
男はバルトロメイと言った。本当に世界を旅して周っていたようだ。孤独な一人旅だそうだ。怪我を負った日は大した怪我では無いと思ったらしいが思いの外魔物の牙が刺さった箇所が深かったらしい。お婆ちゃんは「よくこんな怪我をして平気な顔をしていられたね」と呆れていた。
「バルおじさんおはよう」
「おう。ルカか。おはよう」
「もう大丈夫なの?」
「俺は頑丈さだけが取り柄だからな」
バルおじさんはベッドに腰掛けて水を飲んでいた。水は家の近くに湧き水が湧いておりそこから汲んで来ている。この村では湧き水がいたる所から湧いており水に困る事は無い。
「バルおじさんはどうして旅をしているの?」
「そうだな。宝物を探しているんだよ」
「それはどんな宝物なの?」
「ガッハッハ。宝物ってもそれは形なんて無いものだ。ルカも男なら分かる時がくるさ」
バルおじさんは豪快に笑いながら僕の頭を乱雑に撫でる。心は大人である僕は照れ臭く思うもとても嬉しく感じた。僕は目覚めた時から心は大人であるにも関わらず、年相応な行動を無意識に取る事がある。僕が大人の姿をしていたらこんな男に頭を撫でられても嬉しくもなんともないと思う。僕が大人だったらそもそも僕の頭を撫でたりなんて事はしないだろうけど。
「世界って広いの?」
「あぁ。すごく広いぞ」
「楽しい?」
「辛い事の方が多いかもしれないな。旅が辛くて辞める奴もいる。怪我だってするし命を落とす事もある。俺も始めは仲間がいたんだが一人、また一人と抜けていって今旅を続けているのは俺だけになってしまったな」
バルおじさんは昔の事を思い出しているのだろうか。遠くを見つめるように語っていた。そんなバルおじさんを見ていると僕も友加里の事を思い出す。幸せにするはずだった。幸せにしたかった。そして……幸せは僕の手から溢れ落ちていった。
「ルカくらいの年じゃわからねぇか。ガッハッハ」
「わかるよ! 僕も旅をしてみたい!」
僕は友加里を探さなければならない気がする。それは運命なんだと思う。このままこののどかな村で暮らすのも幸せなのかもしれない。それでも僕は絋としての記憶を持ったままこの世界に生を受けた。
世界の意志が僕をこの世界に送った理由は分からない。同情してくれただけかもしれない。僕は友加里が好きだ。愛している。生まれ変わった今でもそれは変わらない。死んでも、生まれ変わっても幸せにするって約束したんだ。僕は友加里を探し出す。
「そんなに睨むなよ。そうか。ルカは旅に出たいのか」
「うん! どうすれば旅に出られるの?」
「そうだな。まずは文字を覚えるんだ。そして身体を鍛える。自らを守る術を身につける」
「俺が色々教えてやるよ!」
「いいの?」
「あぁ。ルカがいなければ野垂れ死んでたかもしれねぇ。あの時ルカがぶつかってなけりゃ怪我の治療なんかして貰えなかったかもしれねぇ。もしかすると別の誰かに助けて貰えたかもしれねぇが俺が助かったのはルカのおかげだ。神様がきっとルカと巡り合わせてくれたんだ。ルカが何も知らずに旅に出て死んじまったらルカの婆ちゃんに何を言われるか分かったものじゃねぇしな。それにルカは俺が探している宝物の一つだ。俺達の出会いは偶然だ。それでもこの偶然は運命だ。神様がくれた宝物だ。人との出会いは宝物なんだ。神様がくれた宝物で命の恩人のルカが旅をする術を教えて欲しいと言う。それは俺に課せられた使命なんだって思うんだよ。大丈夫だ。俺の旅は終わらねぇ。絶対だ」
バルおじさんは自分に言い聞かせるかの如く、独白するように言葉を紡いだ。僕は自分も旅をしてみたいと言っただけなのにバルおじさんがここまで熱くなった理由が分からなかった。
出会って数日しか経っていない、しかもまだ幼い子どもである僕に普通の子どもなら理解は出来ないような難しい事を言う。僕はそんなバルおじさんを見つめる事しか出来なかった。
バルおじさんが何を思って僕と接しているのかは分からないけど、僕はバルおじさんから色々な事を教わる事が出来ると言うのは確かな事だ。
僕は誰にも吐露出来ない決意を胸に旅に出るきっかけを掴んだんだ。
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