天の仙人様

海沼偲

第210話

 半現実となっているこの世界での死は、現実世界にも影響を与えることであろう。ビクンビクンと彼の体は痙攣をしており、夢のみならず、現実の彼にも何かが起きていることを知らせてくれている。現実世界でもダメージが反映されているのかもしれない。死ぬほどのダメージというのはどれほどなのだろうか。そのショックで死んでしまうかもしれない。それは恐ろしい事であろう。自分の肉体には少しの外傷もなく、それでありながら、自身がもらった攻撃によって死ぬのだ。そんな相手が狂気の死の恐怖におびえているであろう間にも、しっかりとこの夢の中を現実へと改変していくわけだが、それと同時に空間を歪ませていく。
 歪んだ空間はどこかへとつながっている。現実へと変わりつつある世界では、俺の実力を完ぺきに引き出せる。そのおかげで、今まさに俺の望んだ世界へとつながっているのだとわかる。歪みの向こうから流れてきている。今まさに、死の淵に瀕しているかのような、か弱い力を感じる。それが目当てのものであるのだ。完全に根本から潰さなくては、平穏な未来など存在しない。そのためであれば、どれだけの人間が死のうとも、前に進むことを止めたりはしない。その意思が俺のうちに存在しているのだから。
 俺は手を突っ込んで、それを引きずりだす。すると、出てきた。今まさに目の前で息絶えた男と同じ姿かたちの男が。夢の中に現実を引き込むことに成功したわけである。しかも、彼は夢で負ったダメージを現実でも受けているために、息も絶え絶えといったところだろう。肩で呼吸をしているのだから。今すぐにでも、死んでしまうだろう。それほどまでに弱り切っているのだから。
 彼は驚いていることであろう。自分自身の肉体が、自分が生み出した妄言、妄執の世界に存在しているということを。現実と夢との壁が消え去ってしまっているのだ。現実に塗り替えていくことによって、この世界が実在してしまい、世界を超えれば、たどり着けてしまうようになっている。いづれ、この世界も壊すわけだが、今は、まだ必要である。彼をここに連れてこなくてはならないのだから。
 この中で唯一、俺だけは夢である。現実と融合しつつある中で俺は夢の存在なのだ。意識しか来ていない。彼が夢を見せることで誘っているのだから、俺の肉体はベッドに眠っていることだろう。だから、この世界を壊すことは容易である。壊すと同時に、意識を戻せばいいだけだ。肉体が世界をまたぐのとは難易度が大きく違うのだから。だが、その前にやることがあるという話だ。

「た、助けてくれ……二度としない。二度と仙人に手を出そうとはしない。だから、殺さないでくれ……」
「それが叶うような人間ではないだろう。俺も、お前も、同じくどちらが死んでも仕方のない。そういう世界でもって生きていたんだ。殺すにはそれと同じだけの覚悟がいるんだ。恐怖はあるだろう。死ぬことに対する恐怖がなくてはならない。だが、それと同じだけの覚悟でもって戦いの場には立っていなくてはならないのだ」
「あ、ああ……いやだ……いやだ……死にたくない、死にたくない……!」
「俺だって死にたくはないさ。だから、全力で抵抗するんだろう? それこそが生への執着と、生の懇願なのだからさ」

 彼は涙を流し、鼻水を垂らし、小便を漏らして生きたいと願っている。それはどれほどまでに美しいことだろうか。これほどまでに、自分の命の大切さと美しさを理解して、それを手放したくはないとわめいているのだ。これには醜悪な美しさを持っていると言わざるを得ないのである。その美しさをそのままにとどめておきたいと思ってしまうほどなのだから。だが、それが許されるような甘い世界ではなかった。残酷なほどに現実というのは、優しくはないのである。俺の甘さが許そうとも、自然の厳しさが許してはくれないのである。それを知っている。だから、せめて彼に対する愛だけは失ってはならない。
 さっそくとばかりに彼の現実を殺すことにしよう。このまま、生の懇願を続けさせても苦しいだけだろう。俺のやさしさだからこその決断なのである。首を掴んで、そのまま折る。これで彼は、死んだ。完全に息の根が止まっている。夢と現実、両方が死んだのだ。とはいえ、この世界は壊れることはないが。俺がのっとっているようなものだから。それが終われば、彼が元いた場所へと返してあげる。夢の世界で存在が消滅し、現実から何もかもがなくなったら、その者はどうなるというのか。考えたくはない。今までの全ての歴史が夢に閉じ込められて、消え去るなんて、考えたくはない。とはいえ、敵対している勢力は何も思うだろうか。恐ろしいだろう。夢に引きずり込んだら、現実で殺されているのだからな。俺であったなら、二度と関わろうとは思わない。
 それが終われば、この世界をさっさと破壊する。意識を持つ存在がいなくなれば、自然と世界は姿を保つことは出来ない。手を叩くことで、自分にかけられている睡眠であり、催眠を消し去るのであった。
 ぱちりと目を開いて、完全に覚醒する。現実世界に戻ってこれたのだとわかる。今目の前には普段見ている天井が存在するのだから。これ以上の現実というのはないだろう。懐かしくも感じてしまう。日は登っていなくとも、ぽかぽかとして晴れやかな気分であった。悪いものが取れたような感覚である。まるで、数日もの間眠り続けてしまっていたようななつかしさがこみ上げてしまうのだから。夢の世界はたった数時間前の出来事でしかないというのに。それだけ、夢という存在が、時間をゆがめているということが理解できることであった。現実と大きく乖離した危険な空間ということであろう。
 まだ薄く暗い世界である。日が昇るそぶりはない。世界はこの世のものではない悪鬼羅刹のものであり、彼らは、我が物顔であたりを歩いている。がらりと風景、景色が変わっている。俺が窓から顔を出すと、幽鬼が、こちらを振り向いて、ぺこりと一つ礼をする。俺も釣られるようにして挨拶を交わすのであった。とても礼儀正しい幽鬼である。確かに、幽霊だからと言ってそれが悪い存在というわけではないのだが。
 どうやら、花嫁行列の最中であるようだ。彼らは一列になって、どこかへとぽつりぽつりと歩いていた。その中央には籠に乗っている花嫁装束の女性。間違いはないだろう。幽霊というのも、結婚をするのだな。俺は、彼らから目を離すことが出来なかった。めったに見られるようなことではないし、彼らもまた、見せつけるためにしているのだから、問題はないだろうさ。どこの世界に幽霊の花嫁行列を見たことがある人間がいるというのか。俺が世界初の人間かもしれないのだ。それほどまでに、幽霊というものは見えないものである。
 と、ベッドに重みを感じて、そちらを振り向くと、ユウリが腰をかけている。いつの間にやら入ってきたそうだ。彼女もまた、元幽霊。何か思うところがあるのかもしれない。この光景に。彼女たちの花嫁行列というものに。

「あの人はね、僕がまだ地縛霊として、あそこにいたころに、よく一緒に遊んでくれた人なんだよ。だからね、こうして、お嫁に行くっていうのが決まったと知った時は、すごくうれしかったなあ。知り合いが幸せになるって決まって、喜ばない人はいないだろう。しかも、長者さんの、息子らしいしね。きっと幸せにしてくれると信じているよ」
「幽霊も、結婚をするのだな」
「僕みたいに、死んでも死にきれないで、残ってしまうような存在はそんなことをしないけれど、生まれながらに幽霊であれば、するんだってさ。実際に、僕の周りの幽霊には既婚者はたくさんいたよ。夜の世界でしか、この世を歩くことは出来ないけれど、それでも、一生懸命に幸せに生きているんだってね」

 彼女の言葉には、柔らかさがあった。幸福を祝福し、そして自分も望んでいるような、羨んでいるような、そんな色を持っていた。ただ、それを押し殺しているかのようで、今はただ、彼女の幸せを願うばかりであろう、そう見せているのである。
 そして、幽霊というのはどうやらまた別の世界で生きているらしい。夜の間は世界がつながってこちらにも見えているというだけでしかない。昼間の間は世界の歪みがなくなってしまい、安定して、二つの世界は別れているのだ。彼女のたったすこしの言葉でそれがわかるわけである。どこかに存在するのか。わかりはしない。地獄ですら、どこにあるのかわからないのだ。他の世界の存在なんて、気づいていようが発見することは出来ないというのも当然なわけである。
 するすると、彼女は近づいてきて、俺の手に触れる。温かな感触であった。幽霊であったとは思えないほどに、熱を持っているのだ。半人半霊であるから、当然かもしれないが、その当然が、彼女には特別なものなのだ。どうやら、幽霊仲間も、体温を持つということを羨ましがっている人はいるらしい。そうだろうな。そうすることで、昼間であろうとも、誰かにとり憑く必要もなく肉体を保持できるという絶対なメリットもあるわけだし、何より、抱きしめ合う時に、温かさを感じることが出来る。幽霊の唯一の弱点ともいえるところだろう。抱きしめ合っても、愛し合っても、温かくないというのは。
 彼女は、さらに近づいてきて、密着してくる。腕を抱き寄せている。柔らかな胸の感触を感じる。前から、そういうことはしていたのだが、前に自分の本音をぶちまけてからというものの、より堂々とするようになってきた。意識のかすかな問題でしかないだろうが、それは大きなことである。そのわずかな違いで、彼女が俺に接する態度に、ぎこちなさと呼べるところが全くといっていいほどに、なくなってしまったのだから。
 行列は朝近くまで続いていた。彼女たちは王都を飛び出して、どこか遠くへといなくなるようにしながら、すうと消えていってしまう。どこへ行ったのだろうか。この世界と、また別の世界。その二つが綺麗に混ざり合って、融合していた神秘的であり、美しいさと儚さを持ち合わせていた時間は消えてしまったのである。今は何もなく、ただこの世があるのみであった。
 朝となれば、段々と人の時間へと変わっていく。起き始め、顔を出してくる。ひょこりと出された顔はまだ寝ぼけ眼であり、朝の光によって完全に目を覚ますのだ。その様子を見ながら、なんとなく、この風景を目に焼き付けているのであった。
 とてつもなく美しい時間なわけである。世界が起き上がってくるのだから。だんだんと人の息吹が活発となり、それだけではない、草木までもが背伸びをして、一日の活動を開始しているのである。全ての生物が、これからの一日を満喫しようと、体を伸ばして柔軟をしているわけであるのだ。それと同時に、世界が目を覚ましていくのだから、たまらないというわけであった。世界が起き上がる瞬間というのはそうそう見れるものではない。たまの夜更かしというのも悪くはない。特に、今日のように一つの厄介ごとが終わった後の夜更かしというのは。
 もぞもぞとアオが起き上がる。先ほどまで気持ちよさそうに寝ていたのだが、起きるときはそれを一切感じさせないほど、しっかりとした目つきである。そして、俺の顔をみて、その隣を見る。夜にはいなかった、ユウリがいるのだから。目つきがわずかに鋭くなり、それも一瞬のことで、すぐにそれは解かれてしまう。アオにはなんて思われているのか、不安になりそうな、そんな視線の変化である。もしかしたら、日替わりで女を侍らしている男だとでも思われていそうだ。実際間違いと言い切ることは出来ないところに、悲しさがこみ上げてくる。
 彼女は、これ以上いて、喧嘩の種を作りたくないからと、窓から出て行った。すうと消えていくように、姿が希薄になっていく。やはり、肉体を持とうとも、幽霊であるのだと真に気づかされる光景であった。アオもまた、その瞬間を見ていて、ポカンとしたような口を開けている。人間であったと思った存在が、大きな異常を見せてしまえば、そんな表情をするのも仕方がないということである。

「あの人、消えちゃった。……もしかして、幻だったの?」
「いいや、そうじゃあない。世界にはいろんな人がいるんだ。その中には、透明になり、俺たちから見えなくなるような、そんな技術を持っている人だっているだろうさ。彼女もまた、同じだということ」

 アオは、彼女が消えていった先を目を凝らすようにしながら見続けているのだ。それをしたところで、何か新たな発見があるとは思えない。完全に幽体となってしまえば、気によって感知することも出来ないのだから。ただ、それでも彼女の進んだ先を見つめてしまうのである。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品