天の仙人様

海沼偲

第193話

 あのあと、メーメル家は没落した。当然の出来事として、わずかな驚きもかき消えていくように、事件の騒がしさは消えていくのであった。いままで、彼らがいた地位にはほかの貴族があてがわれるだろう。それまでは空白であるが、それはいいとしよう。そして、屋敷を奪われてしまった彼女たちはバルドラン家の屋敷へと転がりこんできた。シャルルの兄たちはどうやら騎士として雇ってもらえることにはなったらしい。ルイス兄さんの計らいである。それに、彼らもまた優れた実力を持った人間であったというのもあるだろう。なんだかんだ言っても、メーメル家当主であった彼は優秀な人間であったということなのだ。だから、それは安心として、女性陣は何もないため、俺たちの家に居候することになっている。とはいえ、それを許すような世論ではない。だから、使用人として働いてもらうわけだが。シャルルの母親たちにも働かせている。当然であった。そこはしっかりしていないと、こちらの面子が終わる。彼女たちをこの家にいれているのは、使用人として雇ったからなのだと知らしめる必要があるのだ。とはいえ、王都の民衆には知られていないだろうけれども。それだけひっそりと連れてきたのだ。そういうところで、バルドラン家に迷惑はかけたくない。
 俺は金があったので、そうして雇うことが出来ているが、今まで使用人に家事を任せていた人たちでは難易度が高いようで、失敗ばかりをしているように見える。いずれはなれることだろうが。もし、嫌気がさして出て行くというのであれば、止めることはしない。俺は手を差し伸べただけであり、それを掴むかどうかは彼女たちの自由だ。今はまだ確かに手を掴んでいるようではあるわけだが。そして、これからも掴み続けていくとは思うのだけれども。なにせ、俺という希望を離してしまったら、次はどこになるかというわけなのだから。他に頼るところがあるならば、とっくに離しているに決まっているのだ。
 メーメル家に奉公していた使用人たちは他の貴族たちや豪商によって、新たな職場を与えられている。だから、俺たちが手助けをする必要がなくてほっとしている。そうでないと、この屋敷が手狭になるのだから。なにせ、今いる数の二倍の人を雇ったとすれば、敷地もそれなりの広さにしなくてはならないだろうから。それは非常に面倒なことだとは思っていたので、そういう流れになってくれてよかった。没落した貴族の使用人は縁起が悪いからと再就職が難しい事が多いのだ。王族でも雇ってくれたおかげで、そういう噂をたてられなくなったというのもある。それがいい方向へと向かったのだ。
 シャルルはぎこちないながらも一生懸命にこなしている。俺はその姿がほほえましく思えてくる。出来るだけ早く一人前になろうという意思を感じるのだ。これは大事だろう。出来れば、彼女には幸せになってほしい。その手助けであれば、俺は出来るだけ手伝いたいと思う。ただ、親が犯罪者だと知れば、男は寄ってこなくなるだろうから、結婚は出来ないだろうな。それ以外の方向で幸せを探してあげるとするか。

「ありがとうございます、アランさん。あなたのおかげで、私も母さまも路頭に迷うことなく、こうして温かな食事を食べることが出来ています。これ以上の幸せを願うというのもおこがましいでしょう。それに、私は、あなたと一緒に暮らしている、同じ家にいることが出来るというだけで、この上ない幸せですから」

 彼女は、これほどまでに健気なのである。そのたんびに、彼女がただただ一生懸命に頑張っているというだけで、愛らしさと、それ以上の苦しみを味わうわけであるのだ。俺の心に楔でも打ち込まれてしまったかのように、心が引き裂かれるわけである。この痛みを癒すことなど出来るわけがないのだ。俺が背負ってしまった十字架なのである。たった一人の男のせいで、彼のみが背負うべきであった十字架を、俺までもが背負うのである。彼女という心優しく健気な女性をこれほどまでの生活に貶めたという罪でもって。
 どれほどの懺悔も意味を成すことなどない。源の罪として不覚に刻まれるのだから。決して逃れられはしない。永遠に背中にい続けることであろう、重くのしかかってくるであろう。受け入れることが最善であり最悪なのだ。それ以外の道を用意されていないというのも、また俺を苦しめる。いっそのこと、悪人であればよかったと思わないこともないのであった。
 そんな日の流れの中で、だんだんとその騒ぎが収まってきているということを感じている。今までは人々の噂の内容と言えば、メーメル家の没落というのが基本であったというのに、さすがにこれ以上の話を掘り下げることは難しくなったのか、沈静化してきているわけである。いずれは忘れられることだろう。そうすれば、シャルルも往来を堂々と歩けるようになるだろうか。そうなってほしい。今は、ひどい言葉を浴びせられないように彼女たちには家の中で過ごしてもらっているわけなのだから。それはストレスだろうから、すぐにでも、噂が消えることを祈る。俺が願うことの出来るわずかな幸せというのはそういうのに限られてしまうのである。それぐらい、何もすることはない。何も出来ないのだ。
 そう思っていたのだが、俺の顔を見ると、何やらひそひそと話している。何かを思い出さしてしまったのだろうか。さすがに、俺の家に彼女たちを入れたという噂はあった。だが、あれは見ている人は少なかったために、そこまで大きな噂として広まってはいない。せいぜい、酒の席でなんとなく話されて、そして勝手に消えていってしまうような、鮮度も力も持たないものでしかなかった。誰も次の日には覚えていないようなくだらない話の一つとしてあげて消える。だから、気にしてはいなかったのだが、もしかしたら、何かがきっかけとして、復活してしまったのだろうか。それは困ったことである。忘れ去られたいことが、形づいて色づいてしまえば、それはしっかりと残る。そうなれば、消えるのに時間がかかることは確かなのだから。
 どうしたものかと頭を悩ませながら家に帰ると、ニコニコと笑みを浮かべてハルが待っていてくれた。俺も同じように笑顔を返す。と、そこまでして気づいた。彼女は別に笑ってはいないと。彼女の笑みは、無理やりに怒りを収めるために張り付けているだけに過ぎない仮面なのだと。そうすることでしか怒りを抑えることは出来ないのだと。それに気づいてしまったのだ。一体、何を怒らせてしまったのか。少なくとも、シャルルたちを使用人にすると言ったときは、全くそんな反応を見せなかった。だから、何でもないこととして処理してくれたのだと思ったのに。そうではなかったということだろうか。であれば、今さら過ぎるのではないか。もっと前に言ってくれればよかったではないか。どうしてこうも時間が過ぎ去ってからになるのかと思わずにはいられない。だが、そこまで前のことを掘り返すような性格ではないはず。であれば、シャルルに関する話ではないかもしれない。
 腕を掴まれて、引きずられるかのような力で引っ張られる。俺はそれに抵抗することなんて出来るわけがなく、おとなしくついていく。そうすれば、俺たちの部屋へと連れてこられて、中へと入った。扉を閉めて、鍵をかけて。完全な密室へとなってしまった。誰も入れたくはないと、完全に二人のみで話をしたいのだという空気をそれだけで醸し出しているのである。それと同時に、睨み付けられるかのようなそんな表情でもって俺のことを見てくるわけである。肝が冷えてしまうほどの力を持っている。常人であれば、その前に立つことすら難しいであろう圧力をかけられるわけだ。
 俺は全くもってこのような目にあう理由がわからなかった。ただわけもわからずに、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返すのみである。彼女の顔はだんだんと赤くなっているようでもあるが、それは怒りからくる赤みかもしれないと思えば、ロマンチックには思えないであろう。

「噂を聞いたわ。あり得ないようなね。決してあり得ないと信じようとしているわ。なにせ、所詮は噂と片付けられるのだから。アランに限ってそんなことはないだろうって信じているから。でもね、アランならありえるだろうということも一概には否定できないのよ。そんな曖昧でどちらに転んでも、驚きはしないような噂を聞いたの。私は最低かもしれないわ。自分の夫がありもしない噂をたてられているなんて思っているのに、夫を信用しきれていないのだから」
「……そうかい。まあ、ハルだって俺について疑うこと、信用できないことがあったっていいと思う。俺はそれぐらいで嫌いになることは、失望することはないからね。……で、その噂の内容はなんて言うんだい? さすがに、知りもしない噂では真実か嘘かを判定できやしないからね」
「……あなたが、シャルルと結婚しようとしているという噂よ。聞いてきたわ。町の人間、特に女性は話していたわ。メーメル家の娘と結婚しようとしている。結婚する為に、家に上がらせた。もう妊娠までさせている、なんてものまであったわ。さすがにそれは嘘だってわかるけれども。でも、今勢いに乗っている、バルドラン家の三男が没落した家の娘と結婚するなんて、絶対にあってはならないの。これは、私だけの我儘ではなく、バルドランの家のためを思っていっているわ。だから、それが嘘だって言ってくれないかしら?」

 彼女は真剣であった。真っ直ぐに俺のことを見ているのだ。それがたまらなくうれしかった。ただ、自分の思いだけが先行しているわけではないのだと、俺のことも、ひいては家のことまでもを考えてくれているのだと、それが実感できるのだから。それを喜ばない男はいない。なにせ、俺のためを思っているのだと真に伝わってくるのだから。であれば、彼女をすぐにでも安心させたいと思うのは当然の話であった。
 俺はそんなことはないと伝える。本当にただの噂でしかないと。彼女はただ何の罪もないから、俺たちの家で使用人として働かせているのだと。それをちゃんと伝えられれば、彼女はふうと息をつく。安心が漏れている。俺の真剣な顔つきが彼女に安心を与えられたのであった。俺も同じようにして息をついた。変に亀裂が入ってしまうことはなくなったのだから。
 どうせ、そんな噂はすぐにでも消えてしまうだろうと思った。なにせ、人々の関心はいろいろなところへと飛んでいくのだから。俺たちばかりにかまっているわけではない。だから、気にすることはないと。しかし、そうそう消えてなくなることはない。消えてなるものかと誰かが風を起こして、火を燃え上がらせているのかと思うほどに、消えることはない。沈静化するものがしなければ、俺にとっては困惑を生むしかないわけだ。そしてそれは、シャルルに向けられる。もしかしたら、彼女が既成事実を作ろうとして、誰かを雇って噂を流しているのではと。
 しかし、それはありえないだろうというのもまた事実。彼女は俺に恩義を感じているであろうことは確かであり、確かに、あからさまな好意を伝えてきてはいるが、それ以上に俺に迷惑をかけたくはないと思っているようで、直接的に結婚であったりとかの話をしてくることはない。だから、彼女がそのような噂を流すために画策するとは思えないのだ。それは甘いだろうか。いや、甘くなくてはならないだろう。むしろ、彼女をわざわざ厳しい目で見る必要がないのだ。そうでなくても、周りからは厳しい目で見られるというのに、俺までそうすれば、彼女は真によりどころを見失うのではないだろうか。それは許せないことである。
 あっさりと犯人は見つかった。まさかと思ったが、そのまさかである。シャルルの母親が、庭の端の方で男と話しているのを見つけたのだ。俺は気配を殺して近づけば、なんと、男は金をもらって、噂を流していたのである。その噂は当然、俺とシャルルが結婚するという噂である。噂は噂でしかないが、その力は事実ですら覆い隠すほどなのだ。それを狙っているのだろう。娘が貴族の妻になれば、自分もそれなりの地位になれるのではと画策しているのだろう。それは、甘すぎる話だ。
 俺は彼女に声をかける。驚きたように肩をびくりと震わせて、こちらを見つめる。とぼけたように、話しかけてくる。ごまかすつもりなのだろう。だが、そうはさせない。しっかりと問い詰める。さすがに彼女も、往生際が悪いわけではないので、指摘されればしゅんと肩を落として、申し訳なさそうにしている。悪いことをしているとは思っているらしい。だが、それ以上に自分たちの地位をあげたいという思いが強すぎたのだろう。
 少なくとも、それが出来ることは自分たちの代では不可能だと伝えておく。それもわかっているらしい。静かに頷いている。俺はなぜだか悪いことをしているような気がしないでもないが、それ以上に、今ここで伝えなければ、噂が止まないということの方が問題だと思っている。だからこそである。
 そして、それからというもの、その噂が話されることは一切なくなった。彼女はその噂を流させるのを止めてくれたのである。これで、俺はほっと一息つくことが出来たのであった。

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