天の仙人様

海沼偲

第192話

 彼らは俺が言った名前に対して驚きの表情を隠すことは出来ずにいた。なにせ、その家は由緒正しいことで有名であり、民衆に好かれているのだから。しかし、俺に対するあの表情ではとてもそうは思えなかった。おそらくは、オンとオフの切り替えが上手いのだろう。だから、人々に好かれる。であれば、もっとうまく隠しておくべきではないのかと思わないでもないが、そうすることすらも面倒なほどに、バルドランの家を嫌っているということかもしれない。なにせ、男爵家でしかなかったというのに、王家の人間とも関りを持ててしまっているのだから。どれだけの大出世というのだろう。これを恨まなければ、その人はこれからの人生で何も嫉妬も恨みもないことは間違いない。相当な聖人君主であると言える。そう考えれば、彼は非常に人間臭いと言えるのだろうな。ただ、俺の前で見せてしまうのはいけなかっただろうが。
 実行犯である彼がその家の名前を聞いた瞬間に隠しようのない動揺をわずかでものぞかせていたというのが大事なのである。まさか、俺の口からその家の名前が出てくるとは思わなかったということなのだから。それは大きな情報であろう。彼がその家とかかわりを持っているのだという証明でもある。そうでなければ、何でもないようにさらりと流すことの出来る話でしかない。しかし、それらは全て確信的な証拠としては弱い。だが、そこに的を絞れば、証拠は新たに出てくるはずなのだから。大事なことである。調べる範囲を狭めることが出来たというのは大きな功績であろう。
 俺はその他にも、メーメル家はキースの家との縁談をなかったことにされたことに対する不満があるという情報も伝えておく。すくなくとも、動機の部分では彼らが黒幕としてあり得るであろうということを確実にしておく。とはいえ、これですぐに逮捕することは難しい。それでも、しっかりと尻尾を掴み取ることが出来るようになったはずである。そうでなければならない。

「で、では……メーメル家周辺を捜査してみたいと思います。情報提供、ありがとうございました」

 彼は、いまだに信じられていないようで、声が詰まっていたが、そこは仕事であろう。切り替えてくれることを信じている。情に流されてしまっては、解決できる事件が解決出来なくなってしまうということもあり得てしまうのだから。それだけは、あってはならないのである。たとえ、どれほどまでに残酷で無残な真実が待ち受けていようとも。
 それから数日経ったころに、衛兵たちが家まで来ていて呼び出された。俺に連絡が来るようには言ったが、本来の被害者であるアリスたちに連絡することが第一なのではないだろうかと思わないでもない。そう思っていたら、呼ばれていたようで、詰め所にキースたちも来ていた。畏まった様子で座っている。別にそこまでする必要はないと思うのだが、ようやく黒幕が見つかるかもしれないということはそれだけ彼らに緊張感を与えるのかもしれない。
 そして、衛兵の口から発せられたその言葉が彼らに衝撃として走る。特にアリスは大きい。なにせ、そこの娘と友達であったらしいのだから。まさか、友達の家が自分を殺しに来るとは思わないだろう。ただ、俺が思うに、メーメル家当主が行ったことであり、その娘は全く関係ないのではないか。それはあり得ることだろう。少なくとも、俺と話しているときの対応は、相手の妹を殺そうと考えていた人間ではできないであろう対応なのだから。怒りを見せてはいたが、それはキースの方であろうし、それ以上に俺に対する想いの方が大きかったように見えた。もし、自分が黒幕でありながら、俺に対してあの態度であるのならば、気が狂っていることは間違いない。殺そうとした人間の兄にあそこまでの好意を向けられるだろうかという話なのだから。
 あの事件に触れなかったのも、あまり思い出したくはないだろうという気遣いからきているかもしれない。そういうところもあり、彼女は無実ではないだろうかと思っている。それ以上に、当主の恨みがあからさますぎるのだ。全ての可能性を無視して、彼のことを注視してしまうほどに。あれでは疑ってくれと言っているようなものである。
 どうやら、衛兵たちはメーメル家の誰が依頼をしたのかまでは分かっていないようであった。だが、それももうじきわかるだろう。なにせ、数日で裏を取ることが出来たのだから。ここまでくれば、時間の問題という奴である。それだけ、彼らが優秀ということであり、安心して任せることが出来るのであった。
 その話が終わって、俺たちは帰路につく。途中で別れて一人で歩いている途中に、誰かから声をかけられる。誰かと思い振り返れば、あの少女であった。名前はあえて聞いていなかったが、今話題のメーメル家の娘であるのだ。彼女は使用人を連れて歩いていたのである。どうやら、俺を見かけたから声をかけたらしいということはわかる。だが、俺は今まさに彼女と顔を合わせることが出来るのだろうかと、そう思えてならないのである。
 なにせ、今まさに、これから彼女の父親を逮捕しようと動いているのだから。俺たちが彼女と顔を合わせることに対して罪悪感を覚えてならない。俺が罪悪感を覚える必要はないのだが。なにせ、俺は悪いことをしていないのだから。しかし、彼女もまた、何も悪くはないのだ。たとえ、その父親が悪かろうとも彼女に何の罪はない。だが、親のせいで彼女の家はどうなることだろうか。もしかしたら、解体されてしまうかもしれない。没落してしまうかもしれない。それは、可能性でありながら確信でもあるのだ。そして、それがもうすぐ迫っている。何も知らない、何の罪もない少女までもを、不幸のどん底へ落そうと画策しているのだ。たとえ、俺たちが行っていることが正義であろうとも、これはあまりにも残酷すぎてならなかった。慈悲を、同情を、感情をふと湧き上がらせてしまったのだ。それだけは絶対にしてはならないというのに。被害者の家族と加害者の家族が、出会い、そこに情を持ち込むことは決してあってはならないというのに。
 彼女の笑顔がただまぶしくて、俺には見えなくなってしまう。目を合わせられないのだ。にこりと微笑んでいることによって、目を細めることに何のおかしさも持たせないことに成功してはいるが、この笑顔は罪悪感からくる笑みなのだと思うと、あまりにも残酷でしかない。妖怪であろう。死神であろう。悪魔であろう。そのどれもが、彼女の不幸を喜んでいるかのようだ。最悪だろう。これほどまでに不愉快極まる笑みを浮かべることがあっただろうか。ない。あるわけがない。なにせ、今まで女性を自らの意思によって地獄のどん底に落として来た事なんてなかったのだから。

「ああ、そういえば……君の名前を聞いていなかった。こうして顔を合わせているというのに、俺だけが君の名前を知らないなんておかしな話だね。だから、名前を教えてはくれないかい?」
「あ、そういえばそうでした。私ばかりがアランさんのことを知っていても、公平ではありませんよね。私はシャルル=メーメルと申します。以後お見知りおきを。いいえ、見知る程度ではなく、愛してくださっても構いませんわ。これからの幸せな未来を想像し、創造するたんびに、私は嬉しくなってしまいますもの。晴れやかで美しく、永遠の輝きを失うことなく存在しておりますのよ」
「そうかい、ありがとう。俺も、君みたいな美しい女性に愛されているのだと知ることが出来てとても嬉しいよ。願わくば、あなたが、これから先の人生も幸せに過ごすことが出来るといい。そう思ってならない。俺のような人間が言えるようなものじゃあないけれどもね。…………もし、何かあったとしたら、俺の家に来てくれ。助けることが出来るかはわからないが、君が不幸にならないように全力を尽くしたいから。助けられること全てでもって、君のことを幸せにしたいのだから。出来ることなら、そんなことが起きてほしくはないと思っているけどね。俺は君が幸せでい続けることを祈っているのだからさ」
「アランさん……嬉しい。こうして私のことを想ってくれているなんて。これほど幸せな女はいま現在のこの世にはいないでしょう。いいえ、人類史上最も幸せであるかもしれませんわね。あはっ、アランさん……わたしは、今まさに幸せの渦に飲み込まれていて、死んでしまうかもしれません」

 彼女は何も知らないのだろう。それを深く思い知ってしまう。そうであればこそ、今すぐにでも彼女をメーメルの家から救い出してあげたいと思えてならない。なにせ、俺と知り合った女性なのだから。俺が知り合っている女性はみな幸せになってほしい。そう思って当然だ。彼女もまた同じ。だが、その幸せを俺は確実に壊そうとしている。確信的なものでもって。だからこそ、矛盾しているのだ。彼女のためにはならない。だが、そうでもしないと、のさばらせてはならない。彼をこのまま放置することは許されない。醜い正義感が、邪魔をするのだ。愛の邪魔を。どちらともつかない、最低の男である。これでは、幸せにすることは出来ないのではないだろうか。愛すことも、愛されることもあってはならないように思えてならない。
 俺はこの世界で最も残虐な男なのだと彼女を見ていると思ってしまうのである。どれだけあがこうとも否定しようとも、正義感という皮をかぶることによって偽装して、嘘を吐いて、偽善を語って、幸せを望んで、不幸へと叩き落しているわけなのだから。これほどの極悪人がどうしてこの世を闊歩することが出来るのか。今すぐにでも天獄の罰にあってしまうべきであろうよ。そう思えてならないわけである。だが、これが自分自身であるということで、どうも言い訳ばかりが思い浮かぶのだ。自分は正しいことをしているのだと、擁護しているのだ。それがまたしても、俺の怒りを増長させているように思えてならなかった。
 一週間ほどだろう。それだけの期間が空いた。出来ればもっとでよかった。だが、世界はそれを許しはしなかった。新聞が配達される。何気なく読んだその一面には書かれていた。メーメル家から犯罪者が見つかったと。逮捕されたと。そして、それは当主であったと。予想では、家が解体されるだろうということも。メーメル家が没落するだろうと。つまりは、シャルルはどうなるか。まず貴族ではなくなる。犯罪者の娘として、どこかの働き口で雇ってもらえることもないだろう。後ろ盾がすべてなくなるのだ。その不幸が今この瞬間に訪れた。前触れもなくだ。彼女にとってはそうだろう。俺たちには違うとはいっても、彼女にとってはそうにしか見えないわけなのだから。
 俺はすぐに家を飛び出して、メーメル家まで向かう。野次馬がいないことを祈る。周囲には誰もいない。まだ追い出されていないだろう。なにせ、このニュースは今朝のなのだから。数日は安心していいことは間違いない。安心という言葉の意味まんまではないが。だが、その数日しかないのも事実。俺は急いでドアを叩いた。すると、彼女が出てきた。涙で赤くはらした目を見せて。ぼさぼさとしていて、眠れていないことはすぐさま理解できた。昨日の夜に捕まって、それからなのだろう。俺の手によって、今まさに一人の少女を地獄に叩き落したわけである。無実の少女を。

「アランさん。新聞を読みましたか? もう、私たちの家は終わりです。なにせ、お父さんが捕まったのですからね。しかも、友達のアリスちゃんを殺そうとして。その殺し屋に依頼を出したということがわかったそうですね。私の友達に……。許せませんよ。あんな人は、父親として……親として思いたくありません。でも、そう思っていても、私に被害が来ないことはないんです。私はこれから……犯罪者の娘として生きていくんです。惨めですよね。つい最近まではあなたの妻になることを夢見てきたのに、それはもう叶いそうもないのです……。それどころか、女として平均的な幸せを求めることですら、みじめで浅はかな願いとなったのです。どこの誰が犯罪者の娘を嫁にもらってくれるのでしょうか? それどころか、働き口だってありはしませんよ……」

 ぽっかりと、抜け落ちたかのような、感情が欠落したような顔で、言うのである。呟いているのである。俺はそれを見て、手を伸ばさずにはいられないわけである。今の彼女に差し伸べるべき手を俺は持っているのだと、信じたかったのである。

「……どうして、君は俺の家まで助けに来なかった? 俺は言っただろう? 助けてほしい時は来てくれと。救ってやると。まずは、俺の家に来てくれ。いずれ家が没収されることは確実なんだ。だったら、その前に俺の家に引っ越せばいい。使用人たちも連れてさ。君の家で雇っていた人間も合わせて、バルドランで面倒を見てやるよ」

 俺の言葉は、彼女の役に経っただろうか。ただ、感極まったように、泣き喚いて、そこから先は話すことすらできなかったわけなのだから。
 そうなのだ。俺は再び、彼女の前にいて悪魔となって囁いているわけであった。恐ろしい自作自演なのだ。これを真にわかってしまったとき、理解した時、俺は彼女に殺されるだろうか。恨まれるだろうか。全くあり得ないことではない。それは、俺が受け入れなくてはならない業であるのだった。

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