天の仙人様

海沼偲

第191話

 あまりにも突然に、意表を突かれるようにプロポーズをされてしまった。女性にさせてしまったというのは男としては悔しいところだが、そもそも、彼女と結婚するつもりなんてものは全くなかった。だから、不意を突かれてしまったというのは当然であっただろう。では、それに応えるかと言えばそうではない。何でもかんでも受け入れるほど、俺に余裕はないだろうし、そんなことをしてしまえば、ハルたちに殺されることは確実である。容易に想像できてしまう。だったら、出来るわけがない。少なくとも、彼女たちは自分たちとそれなりの仲でなければチャンスを与えることすらないわけなのだから。初対面の女性との結婚は天地がひっくり返ろうともありえないだろう。二人仲良く血まみれにして、磔となるに決まっている。
 それ以上に、彼女はどういうわけで俺と結婚しようと思ったのか。それがわからない。全くと言っていいほどに接点がないのに、突然に俺に惚れるわけがないのだから。であれば、どこかであっているはずなのだが、俺の記憶にはない。俺が女性の顔を忘れるわけがないわけであるから、あったことはないということは確実であり、それであればこそ、彼女がどうしてこのような行動に出るだけの好感度をためたのかがわからない。まさか、今顔を合わせた瞬間に一目惚れしてしまったということだろうか。まあ、それはありえないだろうが。だったら、俺をどうして監視していたのかというのがわからない。少なくとも、彼女は俺に好意を寄せていたから監視をしていたというのであれば納得は出来るわけなのだから。
 そういった疑問を解決するには、彼女に聞かなければならない。ただ、それはあまりにも失礼なことだ。一方的に向こうが知っているということよりも両方が知り合いであり、俺が忘れているというほうがあり得る可能性なのだから。そう考えると、今からすることがどれほどに、失礼極まることなのかと想像に難くない。だがしかし、聞かなければ、何もわからないというのも事実なのだ。俺が彼女から非難をされようとも、ここはやらなくてはならない場面であった。

「どこかであったかい? 申し訳ないのだが、俺には全くと言っていいほど覚えがない。だから、君が俺に惚れて、なおかつ結婚したいと思うだけの動機を与えられていないと思うんだよ。さすがに、惚れられるだけのことをしているのであれば、俺だって覚えているだろうしね。それをしたうえで、覚えていないのであれば、俺は相当な屑野郎ということになるわけだけれども。もし、そうだったのなら、君は大いに失望してしまうだろうね」
「……覚えていないのも無理はありません。むしろ、覚えているということはほとんど……いえ、確実に不可能なのですから。なにせ、初めて会った時にはお話ししておりませんから。むしろ、私がチラリとあなたの顔を拝見しただけで終わっております。ですが、それだけ、一目見ただけで私は運命を感じてしまったのです。とても素敵な殿方が私の近くを歩いている、会話をしている。それを見ているだけでドキドキと胸が高鳴ってしまい、今すぐにでも話しかけたかった。でも、それはとても難しい事でした。緊張で何を話せばいいのか全くと言っていいほど思い浮かぶことはありません。ですがら、それでも私の思いは日々大きくなってしまいます。ですから、こうして毎日あなたのことを観察することで満たされることにしたわけです。そうすれば、あなたと話をしなくても私の想いは満たされていくのですから。これほどまでに素敵なことはあるでしょうか?」

 顔を真っ赤に染め上げて、茹で上げられているのかと思えるほどである。それほどの思いで俺に対しての好意を語ってくれるというのは嬉しい。だが、その結果として俺を監視することにしたのは、少し突飛だとは思わないでもないが。とはいえ、ハルたちも彼女と同じ状況に置かれたら、そういうことをするのではないだろうかと思えば、あまり強くは言えない。もしかしたら、この国の女性はそういうところがあるのかもしれない。偏見だろうか。そうかもしれない。だが、あまりにも似たような価値観を持っている人が多いと思うので、スタンダードであったとしても驚きはないだろう。それだけ前例というものが俺の周囲に転がっているわけなのだ。
 しかし、彼女はどこで俺のことを見たのだろうか。少なくとも同学年ではない。同学年の貴族は全員覚えているのだから、その中に彼女がいないということは、そうではない。であれば、学校内のどこかですれ違ったということなのだろうか。いや、それも難しいだろう。俺は、あまり他の学年のクラスへは行かなかった。あったとしても、上の学年である。だから、下の学年である彼女とは会う可能性は本当にないと言っていい。であれば、どこがあり得るだろうか。難しいところである。
 罪悪感が沸き上がってくる。とても綺麗な女性が俺に好意を抱いているというのに、全く気付くことはなく今まで生きていたのだから。どうして、気づいてあげられなかったのかと、視界に入らなかったのかと思わずにはいられない。ハルたちの努力によって、今まで視界に入ることがないように生かされてきた可能性もなくはないが、それだとしても、彼女の恋心、愛を放置していたのだ。許されることだろうか。許せるだろうか。俺は自分自身を許せる気にはなれなかった。俺は悪いことはしていないというのに、そう思えてならないのである。
 しかし、考えてもわからないものはわからないので、聞いてみることにしたのだが、どうやらアリスの結婚式の時に参列していたらしい。友人として呼ばれていたのだそうだ。知らなかった。アリスの友達に彼女がいたとは思わなかった。彼女も、アリスが結婚するということを知って、友達だし、祝いに行ってあげようと思って来ていたらしい。招待状も貰っていたそうだ。それを聞いてほっとする。つい最近のことであったから。彼女の心を、数年もの間、残酷に放置していたわけではないのだと、理解できたのだから。利己的であろう。醜くあろう。所詮は人なのだ。それを突きつけられるようだった。

「最初はアリスちゃんを祝うつもりでいたのですけど、相手がキース様だと知った時は、愕然としましたよ。なにせ、私も彼と見合いをしていましたからね。たしかに、アリスちゃんも可愛らしですけど、私の方がもっともっとかわいいと思いますよね。ですから、どうしてあの女を選んだろうって思っていて、怒りがこみあげてきていて。それでも、その最中にあなたと出会うことが出来たのでチャラになっていますけどね。アリスちゃんには感謝しています。こんな素敵な人との出会いの機会を与えてくれたことに」
「君も、キースとの見合いをしていた一人なんだね」
「ええ、そうです。とても素敵な方でしたし、結婚することが出来たらいいなと思っていましたのに、断られてしまったのですよ。その後に、キース様が結婚するという情報をえまして、羨ましさと共に殺意を覚えましたわ。なにせ、私と結婚してくれるだろうと思っていましたので。それだけ、順調に見えましたのよ。とても、私の話を楽しそうに聞いてくれました。笑顔を常に向けてくれていました。私のことを綺麗だと言ってくれました。それを見て、聞いて、触れて、順調だと思わない方がおかしいと思いませんか?」

 彼女からふつふつと怒りが沸き上がってきている。思い出しただけでそれほどなのだから、実際にその場にいた時はどれほどのものであったのか。想像することは出来ない。ただ、それを俺は感じ取ることが出来なかった。わずかな殺気ですら感じ取れるというのに。もしかしたら、彼女は殺気を内に抑え込んだままに吐き出していたということなのだろうか。それが実際に出来るのかどうかは考えないこととしてあるが。とはいえ、そうでなければ、彼女のこれほどまでの怒りの感情を感じ取れなかったというのがあり得ないわけである。外に漏れなきゃ感じ取れないのだから、うちに溜め込んでいたと思うのが普通なわけであった。
 だが、その彼女の感情とは真逆であるかのように、俺の気持ちはすうと冷え切っていく。冷静に研ぎ澄まされていくかのようであった。感覚は鋭敏に進化しているのだ。先ほどまで思っていた彼女に対する罪悪感すらも完全に消え去ってしまっている。それほどの熱を持たない感情が俺を支配しているようになっているわけであった。ここまでの感覚は初めてといってもいいだろう。感情が消える、表情が消えるということはそういうことなのかと、理解できてしまいそうなほどなのだ。
 なにせ、それだけの怒りがあればアリスへの殺意が本物のものとして変化して、刺客に襲わせるということも有り得るのではないかと、思い至ってしまったのだから。彼女が犯人なのではないだろうかと。ただ、これを突きつけるわけにはいかない。今突き付けてしまうと、何をするかわからない。少しでも怒りが収まってからにしたほうが良い。彼女の怒りが爆発しないように、今は慎重に扱わねばならないだろう。静かに、そしておとなしくなってから突きつけなくてはならない。それか、衛兵で家を囲んでからか。
 とりあえず、先ほどまでされていた結婚の話は保留としておくこととして部屋を出る。すぐに結論は出せないとしておく。それではほとんど断っているみたいなものだが、もう一度家に来る理由付けと、彼女が変に不機嫌にならないようにという配慮である。あとは、衛兵を集めて、事情聴取というところだろう。出来れば、彼女が犯人ではないといいのだが、実際のところはどうなるかわからない。現実は非常になることが出来るのだから。
 その時、部屋から出た俺と中年の男性がすれ違う。服装の質から見ても、この家の当主と言ったところだろう。そして、俺の顔を見るとバルドラン家の人間だということに気づいたようで、悪態をつくかのように舌打ちをする。ここまで露骨にされるとは思わなかった。俺たちの家にいい思いをしていない貴族家はいるだろうとは思っていたが、ここまで露骨にしてくるとは思うまい。それだけ、彼の反応というのは新鮮に映るわけである。別に、もう何度も見たいとは思わないが、こういう反応を現に見ることで、自分たちの家が喜ばれているわけではないのだと、気を引き締められる。そういう面では、必要な人であるのだろう。

「貴様らの家のせいで、娘の結婚話がなくなったのだ。どう責任を取ってくれるというのだね。ああ、責任を取って娘を嫁にするなどと世迷言を言う必要はないからな。なにせ、貴様のような家の人間に娘をやる気はさらさらないのだからな。血が穢れるからな。下級貴族の血をこの家にいれてしまうということは、我々のご先祖様に申し訳がないことこの上ない」

 まさかである。ここまでの悪態をついてくるとは。どれだけこらえきれなかったのだろうか。貴族であれば、もう少し隠してくるかと思ったのだが、直球出来ているのだ。我慢しきれなかったと言わんばかりの表情なのである。俺はあっけにとられるように口を開けてしまった。まるで間抜けである。しかし、それでありながら、頭は別のことをちゃんと考えていたのだ。
 彼が、メーメル家当主であるこの男が、アリス殺害未遂事件の首謀者なのではないかということである。それほどまでに確信めいている。もしかしたら、自分は気づかれるわけないと思っているかもしれないが、ここまで怒りを漏らしていれば、変に勘ぐってしまうのはあり得るだろうに。それだけ、頭に血が上っていて、冷静な判断が出来ていないか、相当な間抜けか。どちらにせよ、俺の中では彼が、完全に黒幕ではないだろうかと決めつけてしまっている。それはあってはならないというのに、そうであるかのように本能の決めつけを行ってしまったのだ。
 俺は屋敷を出ると、すぐさま衛兵の詰め所へと向かった。それを解いてもらうために。そうではないのだと、俺を納得させるために。今もまだ尋問をしているそうで、何かしらの情報が出ているそうではない。確かに、彼は口が堅いだろう。いくらで雇われたか知らないが、それだけの義をもって動いているということだろう。依頼人の情報は漏らさないというのは、これからの仕事でも大事だろうからな。まあ、その仕事がもう一度できるようになるのかという話であるが。
 俺は彼と面会してもらうことにした。衛兵は俺の実力を知ってくれているのか、素直に申請は通る。一応、クジラオオツバメを討伐した実績があるからな。それを知っていれば、死ぬようなことにはならないだろうと思えることだろう。
 そして、中へと入ると、男は俺を睨んだ目で見ている。恨まれるようなことではないだろう。いずれはそうなるかもしれない道を進んだのは彼だ。であれば、そこで目くじらを立ててはならないと思う。手足の骨をへし折ったことで、恨みがあるのであればわからないでもないが。それも、言い訳をしたいところではあるが。今はそれを全て置いておくわけである。

「久しぶりだね。で、君の依頼主を教えてくれる気分になったかい? …………。……まあ、話すつもりはないだろうね。じゃあ、これから世間話をしよう。そうだなあ……今日ね、メーメル家の屋敷にお邪魔させてもらったんだ。用があってね。そこで、少しだけ、お嬢さんとお話しさせてもらったよ――」

 などと、他愛のないことを話したが、彼は『メーメル家』という単語に反応していた。意識的なものではなく無意識的なものとして。人間が抑えきれる限界を超えたところで、彼は真実を表情によって漏らしたわけである。そして、そのわずかな表情の動きを見逃すわけはない。一言別れを告げて、部屋を出る。そして、衛兵たちに教えるのだ、黒幕は誰なのかということを。

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