天の仙人様

海沼偲

第187話

 衛兵がやってきたところで、下敷きにしている男を彼らに引き渡す。どんな罪があるのかということを伝えることで、彼らもスムーズに受け取ることが出来たわけである。だが、彼は恐ろしい程の実力者であるということは理解できる。そのためか、彼らの後をついていって、何事もなく終わることを見届けさせてもらうわけだ。衛兵たちもそれについては何も言うことはなく、俺がついていくことに否定的な感情は見られなかった。
 なにせ、パーティという警戒心を作り出しにくい状況ではあったといえ、あの場にいた数多くの実力者にわずかな殺気すらも読み取らせることはせずに、アリスを射ろうとしていたわけであり、そして俺がいなければそれは成功していたのだから。そんな相手が、逃げ出せないわけがない。俺が目を離したすきにでも、逃げてしまうことはあり得るだろう。骨が折れていても逃げる方法はある。魔法は、肉体的欠損をそのままの評価で判断することが出来なくさせているのであるから。それが、魔法の優れているところであり、困ったところである。人の評価を肉体的な格好で判断できなくさせるのだから。細身の体で、岩を持ち上げるほどの怪力を出せるようになってしまう、それが魔法なのである。
 みんなして、恐ろしい程の警戒心でもって男のことを見ている。わずかな魔力の乱れを感じれば、すぐさま警棒を突き出して、そこから電気を流し、一時的に麻痺させる。そうすることで、魔法を発現させられないようにするわけである。ただ、その反応が少しでも遅れれば、逃げ出せてしまう。それが起きないようにという最後の壁として、俺が存在するのであった。妹を恐怖に陥れた、大罪人を逃がすようなへまはしない。してはならない。そんな意思でもって俺はついていくのである。
 そして、留置所に入れられるところまでをしっかりと監視する。あの中は、魔法を扱えないように壁中に模様が掛かれている。そのせいで、脱獄することは考えるだけ無駄だといえるだろう。ここまでくれば、骨が折れている人間には逃げようがない。それどころか、五体満足であっても逃げ出すことは出来ないだろうが。それだけ魔法、魔力というのが欠かせないものであるのだ。ここまでくれば、ようやく安心することが出来るだろう。俺は、男が何か情報を吐き出してくれたら、その時にまたうかがうということで話をつけて帰路についた。
 パーティ会場へと戻るのだが、まだパーティは続いていた。とはいっても、盛り上がっているわけではなく、アリスを守るように、一人にさせないようにという意味合いの方が強そうではあるが。なにせ、今まさに命を狙われてしまったのだから。そんな彼女を置いて、どこかへといなくなることは出来まい。俺が帰ってきたことに気づいたようで、ぞろぞろと、近づいてくる。その誰もが、なにがあったのかを説明してほしいという意思を目の中から伝えてくるわけであった。
 それは当然の反応であるだろう。先ほどまで楽しんでいたというのに、突然にして俺が矢を止めて現れたのだから。その反応がなくてはならない。だから、俺は全てを丁寧に話すのである。それが彼らが最も簡単に納得させることが出来るのだから。それで安心できるわけではないが、ただもやもやと心の隅に残ったままにしておくことはよろしくないと思った次第であるのだ。

「アリスを殺そうとしていた男は捕まって今は留置所にいる。絶対に逃げることは出来ないように、体を壊しておいたから、物理的な手段でアリスに手を出してこようとは出来ないだろうとは思う。少なくとも、あの男を使って何かしようとはしないだろうね。不可能な状況なのだからさ」
「もしかして……あの男の他に犯人がいるということなのかい? 例えば、誰か主犯格の人間がいるとかさ。そういうことを考えているということなのかい?」
「ああ、そう思っているよ。なにせ、今つかまえた男は、明らかにアリスから見て、十数歳以上は年上なんだ。普通に考えれば、彼の個人的な私怨だろうと想像するほうが難しいことは間違いない。一応質問するけど、アリスはそんな男の知り合いはいるかい? 身内以外の中から思い浮かべてみてほしい」
「い、いえ……お兄さま。そんな人は身内以外にはいません。一応先生でしたらいますけれど、その男の人は先生ではなかったのでしょう? でしたら、いないということは確実です」

 アリスの目は真っすぐとこちらを向いていて、そして、嘘をついていないと、真実を語っていると伝えてくれる。それを理解できれば十分である。より強く俺の考えが確かなものなのだろうということがはっきりとするのだから。それは、周りの皆にも理解できたことであるはずだ。それと共に、すうと血の気が引いていくように青ざめていく。まるで死んでいるかのようであり、あまりにも不気味で仕方がない程であった。だが、それも仕方のないことなのだと思う。なにせ、今まさに幸せに足を踏み入れた女性が、不幸のどん底へと落ちてしまいそう、いいや、もう片足を浸けているのだ。それが理解できればこそ、哀れに思い、同情し、悲しむのだ。彼女のあまりの不幸を呪うのだ。その結果がこの光景なのだろう。
 では、なぜアリスは襲われる羽目にあうのだろうか。そういう考えが全員の頭の中に浮かぶのは当然のことであった。そこで、今まで何か恨みを買うようなことがあっただろうかという、事を思い出してもらおうとするわけだが、おそらくはないだろう。アリスには、なにも思い当たることはないだろう。彼女がそういう性格だから、思い至ることはないということではない。ただ、彼女が悪いのだというのは、その個人にしか理解できない様な価値観で動いているということである。ほとんど思い当たっている。なにせ、今まで成人するまで生きてきて、今になって襲われたということなのだから。それが、全てを物語ってくれているといっても過言ではないのだ。
 キースは気づいてくれたようだ。ただでさえ弱々しい肌が、さらに白く染まり、今にも倒れてしまうのではないだろうかと不安になる。それと同時に、突然に自分のことを責め始める。そうなるだろうとは思った。ボロボロと涙を流して、自分が自分のことを恨めしく思えてくるのである。アリスはすぐに、それを止めさせようとして動くわけだが、それで止まるような浅いものではない。深く深く心の奥底にまで突き刺さったかのような、大きな杭なわけであるのだ。
 これは、キースと見合いをしてきた家の中の誰かということなわけであるだろう。なにせ、俺と彼の二人が同じ答えにたどり着いたのだから。おそらく、放っておいても、誰もがそれかもしれないと気づくはずだ。ただ、それに至るまでの情報がないだけである。それを知っているからこそ、彼は悩んでいるわけである。アリスが危険な目にあったのは、自分と結婚したからだと。自分とアリスとの結婚に納得していない、どこかの家の人間が刺客を放ったのだと。そこまでたどり着ければ、彼がここまで落ち込み悩み、自分を責め立てるというのもわからないではないだろう。ただ、理解は出来ても、それは納得してはならない。
 彼はこの場にいられないと、いきなり走り出してしまう。あまりにも突然のことであったが、アリスはすぐに駆け出そうと動き出した瞬間、俺が腕を掴んで止める。行ってはならない。確かに、アリス自身が行ってもいいかもしれない。だが、ああいうタイプはアリスからの言葉ではダメだろう。出来る限り第三者に近くなくてはならない。それでなおかつ、この状況に対して理解を持っている必要もあった。俺しかいなかった。
 アリスをこの場において、俺も駆け出し、キースの後を追いかける。すぐに追いつくことは出来る。大して遠くまで入っていなかったのだから。だが、彼の視線は虚空をとらえていて離すことはなかった。俺が目の前で手を振ってみても、意識を失ってしまったかのように反応を見せたりはしない。今まさに、彼は逃避を行っているのだということが全身でもって伝えているのだ。それを理解してしまった。自らの殻の中に閉じこもってしまっている。それを無理矢理引っ張りだすのは骨の折れることである。だが、しなくてはならないというのもまた事実。ここで彼が逃げたままということはあってはならない。それに向き合い乗り越えなくてはならない。それが絶対条件なのだから。
 俺は、彼の意識を戻すために、平手で叩いた。あまりにも突然のことだろうから、周囲はしんと静まり返って、一切の音が消えてしまった。近くで談笑している人たちが皆一斉にこちらを見ているのである。それほど響いたのだろう。それは申し訳ない。それに、わずかに恥ずかしいという思いもあった。ただ、そのおかげで、彼は放心したように、動きを止めているのだ。ただ、それにはもうろうとした感じではなく、目の意思がしっかりと存在しているのである。力強く感じるような、それでいて今にも崩れ去りそうなほどのもろさがあった。ゆっくりとこちらを向いてきている。何故そんなことをしたのかと問い詰めるつもりなのだろうか。そうであろうな。そうでなければならないだろう。なにせ、彼が自己嫌悪中にそれを無理やりに引き戻すような衝撃を与えたわけなのだから。

「キースは、アリスと結婚したことを失敗だったと思うか?」
「な、何を突然言っているんだい。もしかして、なぞなぞか何かかい?」
「そのままの意味だろう? それ以上の文脈は存在しないし、深読みもとんちでもない。それそのものをそのままに理解すればいいというだけの話だ。簡単だろう。俺はただ、キースは、アリスと結婚したことを失敗していると思っているのかと聞いているんだ。これにはちゃんと答えてもらわなければならない。そういう問いかけなんだ。で、どうなんだ? 失敗したと思っているのか、そうではないのか。これは、少しの世辞もいらないからな。ちゃんと、自分の言葉で伝えてほしい」
「そんなの……失敗しているわけがないじゃないか。成功だよ。大成功。これほど幸せなことなんて人生にあと何回あるのだろうね。いいや、もう二度とないかもしれない。それほどの幸福感に包まれることを成功って呼ばないんだったら、この世には成功なんてものは存在しないよ。むしろ、これを成功だなんて安直な表現にすることすら恥じらうべきことだよ。そんな陳腐なものじゃあないんだから」
「じゃあ……なんで嫌悪する必要があるんだ? 幸せなんだろう? 成功なんだろう? だったら、そのせいで、アリスに危険があろうとも、お前は嫌悪しちゃダメだろうが。絶対に、彼女のことを守り切ってやるって意思を見せなきゃダメだろうが。これから迫り来るであろう障害を全て叩き壊す気概を見せなくちゃあだめだろう。俺は怒っているんだ。そうしてくれないことを。恐怖して、恐れて、逃げてしまったことを。だから、そうしてくれ。アリスのために、俺の妹のために、そして、自分自身のために、立ち上がってくれ」

 彼はじっと俺の言葉に耳を傾けてくれていた。静かに聞いてくれたわけである。ゆっくりと心の奥深くへと潜り込んでいくように、溶けていくようにであった。それだけ、考える時間を与えれば十分だろう。なにせ、彼の目つきはそれまでとは大きく違うのだから。しっかりと意志を感じるのだから。これだけの力を持った目を持つことが出来るのであれば、もう間違うことはないだろう。自分が何をすればいいのかを分かっているはずだ。俺は、友人として、彼を救うことが出来ただろうか。出来たのだと思いたい。そうでなければ、俺も、また彼も意味のない生を送ることになる。それだけは許されるべきではないのだから。
 パンと乾いた音がして、そしてその音の先にはキースがいる。頬を思いきり叩いたようで、真っ赤に色づいている。痛そうな赤さだ。だが、それが彼の意志の強さを伝えているようにも思える。であれば、それは美しい赤色だろう。いつまでだって見ていられる、強い色の象徴なのだから。もう大丈夫なのだと理解できるのだ。全員が納得してくれているだろう。もう、アリスにはどんな危険も近寄ることすらできないだろうと。それだけの絶対的な力を感じ取ることが出来るわけであるから。
 力強い足取りで、俺たちは会場へと戻る。その時のキースの姿を見ただけで、この場の皆は全てを理解し納得してくれるのである。それほどの意思を感じるのだ。圧倒的であろう。意識が変わったのだと、芯がひと際強くなっているのだと無意識的に感じ取ることが出来るのだから。これほどまでに、頼もしい人間はいないというほどであった。先ほどまでとはまるで別人なのだ。
 パーティは解散する。そして、先ほどまでの陰鬱として雰囲気ではなく、晴れ晴れとした空気の中で解散することが出来た。最後に、新郎が、強さを出すことが出来たからだ。これからの彼らの生活に幸があることを見ることが出来たのだから。皆が皆、にこやかに終わることが出来たのであった。

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