天の仙人様

海沼偲

第173話

 今日は何を隠そう、結婚式である。俺の結婚式だ。カイン兄さんと同じくらいの大きな教会で行われる。兄さんたちと同じような進行で厳かに進んでいることは変わりないが、四人の婚約者と、夫婦の誓いを交わしていく。それが少し新鮮に思えた。なにせ、今まで三人以上の妻と誓いを交わしている結婚式なんてものを見たことすらないのだから。俺は、彼女と誓いの言葉を交わしながら、その今まさに見せている笑顔を守ってあげたいと思っていた。それが心を埋めるように広がっていくわけである。
 時間がたつごとに、今まさに実感が湧いてくるわけである。俺たちは夫婦になっているのだと、なったのだと、より深く印象付けられる。今もまだ、ウエディングドレスを着たままで、そして式は終わっていないというのに、その気持ちだけがしっかりと固まりだしているわけである。まだあやふやに、どことなく飛ばされてしまいそうなものがあると思っていただけに、それは驚きと共に、嬉しさを伴っているわけであった。
 俺たち五人の結婚式も終わってしまって、これから先も何事もないかのような平穏とした時間が流れていた。俺たちはバルドラン家所有の屋敷に住んでいるわけであるが、父さんたちは、カイン兄さんと、その妻である二人を連れて領地に帰っていった。これから、カイン兄さんは、領主になるための修行を積むことだろう。俺はこの場所から応援しておくとしよう。カイン兄さんの手腕によって、これからのバルドラン領は滅びるのかどうかが決まるのだから。重大なことである。それに祈ることでしか貢献できないことは悲しいことだが、領地の運営に兄弟で参加するのはあまりよろしくないとされるのだから、俺は何も出来ないのである。
 一日中一緒に過ごすことが出来るというのは、どれほどまで前にさかのぼることか。王都に来てからは、そんなことはなかったはずである。それは仕方のないことではあったが、彼女たちはそれを受け入れてくれつつも、しかしやはり、ストレスとして溜まっていたことは間違いない。しかし、これからは、彼女たちと常に顔を合わせていられるのである。何か用事があればその限りではないだろうが、それさえ除いてしまえば、俺が領にいたころのような生活のままで過ごすことが出来るというわけである。俺たちが望んでいたことがこれから続くわけであった。
 とはいえ、今の俺は子供という扱いではないため、仕事をしなくてはならないわけであるのだが。ルイス兄さんの手伝いをしながら、何をしたものかと考えているところである。少なくとも、これから先ずっと兄さんと一緒に仕事をしているということはありえないのだろうから。自分で何かを見つけなければならないだろう。それが何かはわからないし、これから先も見つけられるかは怪しいが。俺は仙人なのだから、基本的な労働はたいていそこいらの人よりも効率よくできることは間違いない。魔力の量も、純粋な筋力の量も、持久力だってこちらが多いのだから。であれば、仙人の方がより優れた労働力となるわけだ。俺はそれをあまり好まないのである。発展の速度がわずかでも上がってしまう可能性を俺のせいで起こしたくはない。だから、出来る限り何の役にも立たなそうな仕事をしたいと思うわけである。いっそのこと、森の奥にでも引きこもって自給自足の生活でもするか。彼女たちが許してくれるとは全く思えないが。
 などと考えているわけだが、俺は歩いていて今、王城の目の前に到着した。今日が兄さんの仕事の手伝いの日である。一週間に一日。そのような簡単な日程で動いている。それ以外の日は、ハルたちと一緒に過ごしている。まるで、高等遊民であるかのような生活をしているが、実際にそうなのだから否定は出来ない。
 こうして何度も足を運んでいれば、慣れたものであり、王子殿下たちにも変な緊張をするということがなくなっている。たとえすれ違ったとしても余裕をもって挨拶を交わすことはなんてことはない。これは非常にいいことであろう。なにせ、一応は親戚なのだから。親戚同士でぎくしゃくとした関係というのは好ましくない。これは確実だろうから。俺はそんなことを考えながら、王城の廊下を歩いているのだ。とはいえ、めったなことでは王族の人間とすれ違うことはないが。基本的には使用人ばかりである。
 彼女たちとはすれ違っても会釈が基本だったりするが、たまに立ち止まって世間話を持ち掛けてくる人もいる。話好きなのだろうし、俺も別に嫌ではないので、付き合ったりする。それでも基本的には帰りの時間だけだが。それ以外では一言二言で済ませる。その時には、もっと話していたいというような視線を感じなくもないが、さすがに遅刻してしまうのはこちらとしても嫌なので、それを理由に離れるわけであった。
 すると、目の前から二人の騎士が歩いてきた。どうやら、近衛の騎士団に所属していることが、甲冑の模様からわかる。男性と女性の二人。どちらも歴戦の勇士であると一目見てわかってしまう程度には、数多くの戦場を渡り歩いているのだろう。ただ歩いているだけで、少しの隙というものを見せていないのである。それも、警戒心を全く周りに気づかせることなくである。王城という空間でありながらも警戒を忘れないというところでさえ、尋常ではないのに、それをまわりにはまるで隙があるかのように見せているというのだから称賛に値することであろう。たとえ、今この瞬間に背後から不意打ちをされたとしても、その者を見もしないで、斬り殺すことは余裕で出来るに違いない。少なくとも、数十年は近衛騎士団として生きていることは間違いないだろう。兵士の中でも選ばれ者だけが成れる騎士。そのさらに上に位置する近衛騎士。簡単な指標では図ることは難しい存在であった。
 俺は彼らとすれ違うと、唐突に背後から浴びせられる殺気を感じ取り、反撃をするように、腰に差している剣を抜いた。どうやら、相手は先ほどすれ違った騎士であるらしい。男性の方だ。女性の方は、呆れたような顔をして、溜息を吐きながら、頭を抱えているのである。どうやら、彼が勝手にやってきたことらしい。どうしたものかと、ふつふつとした怒りがこみ上げてくる。それを感じ取ったのか、すぐに飛び退くように離れる。彼女の方も剣に手をかけている。だが、それだけで終わらせている。出来ることならば抜きたくはないというような雰囲気である。当たり前だ。俺だって出来ることならばこの場で剣を抜きたくはなかった。だが、反撃しなければ無抵抗に殺される可能性だってあり得る。それは生物としてあり得ない。

「これほどの上物はなかなかに初めてだぜ。もしかしたらとは思ったが、攻撃を見ないで、受け止めやがったからな。しかも、スラムにいるようなガキどもじゃあなく、この俺の攻撃をだぜ。こんな逸材は、どれだけの月日を生きようとも拝めるものじゃあない」
「……楽しそうに話しているところ悪いが、彼は王子殿下の親戚であるということをわかっているのだろうな。貴様は物忘れが激しいから、王家の親戚の顔を誰一人として覚えていないということにだれも疑いはしないだろうが。しかも、つい最近に新たに親戚となったものだから、より覚えているかを聞くのは野暮かもしれないが。それであったとしても、その者に手を出しておいて、後で処分が軽くなることは決してないということを、心のわずか隅にでも覚えているのであれば、この行動に関しては私は関与しないとしよう。ただ、今すぐにこの場から離れさせてもらうがな。気が狂った男と一緒に罰を受けるのは私としては好ましくないのだから」

 それだけを言うと、女性の方は廊下の向こうへと歩いて行ってしまった。出来ることであるならば、このバカみたいな男も連れて行って欲しかったのだが。彼女もまた同罪にしか見えないのだが。おそらくは、この男があまりにもいうことを聞かないような阿呆であるから、連れていくことは不可能なのだろうということが圧倒的なまでに理解できてしまうことであるが。なぜ、このような人格の人間が近衛騎士団になれるのかを問いただしてみたいものである。そして、男の方は、にやりとした笑みを浮かべてこちらを見たままだ。この場所が王城の廊下だということを理解しているのだろうか。なにせ、今まさにばったりとばかりにこの場面を見てしまった使用人が悲鳴を上げてどこかへと逃げてしまったのである。この時点で、俺の目標は彼の攻撃を全て避け続け、誰かが来るのを待つということになった。反撃なんてしてみたら、俺も同罪なのだから。
 彼は獣人らしく、獣のような野性的な剣の構えを見せている。攻撃は避けて、その隙を攻撃するというようなスタイルとでも言えばいいだろうか。少なくとも、鉄の塊を片手で楽々と振り回せるような身体能力だからこそできる構えである。獣人というのは、ここまでバカではないはずなのだが、どうして彼はこうも短絡的な考えで今俺に剣を向けているのだろうか。
 速度が乗っている一撃は恐ろしく速いが、それだけである。さらりと避けることは可能である。避けることに集中しているならばなおさらである。少しのホコリもたてないようにと身長に体を動かす。避ける時に出てしまう音は完全に消えたことは確かだが。ついでだから、彼の攻撃を相手に訓練でもするとしようか。無音で避け続けることにする。
 彼は一応は、この場所がどこなのかということはわかっているようで、剣が壁や床に当たらないようにと細心の注意を払ってはいるようだ。普通であれば、そんな注意を払う必要はないという指摘もできるが。そして、剣を動かすことの出来る範囲が狭まっている中でも、縦横無尽という形容がふさわしい程に、前後左右どこからでも、狂気の凶器が飛び出してくる。油断せずに済みそうであるというのは非常に大きな事実だ。そうでなければ、訓練としては意味をなさない。彼は、立ち向かって剣を構えてくることを望んでいるようで、何度もそのことを指摘していることは確かだが、俺がそれをすることはないということがわからないらしい。まあ、だからこんなことしているのだろうけれども。
 それがしばらく続いていると、一陣の風が吹き抜けて、男の動きが止まった。あまりにも唐突に白目をむいて倒れてしまったのである。反応を見る限り気絶しているようだ。しかも、彼の前には一人の男性が立っている。初老の男性である。彼もまた甲冑を身に付けていることと、その模様から近衛騎士団に所属していることがわかる。さらに、先ほどまで戦っていた男とは全くの別格だということがわかるほどに気の巡りの力強さがある。気迫だけで、たいていの人間は戦うことを諦めてしまうだろう。なにせ、戦いになることはない。蹂躙なのだから。そんな存在である。
 白髪が生えていて、皴深い顔であるから、人の老人だろうと思っていたが、目を開いたら爬虫類かと見間違う目つきをしているではないか。どうやら、俺とは違う種族であったらしい。人かと思っていたら、そうではないというのはそれなりの驚きではある。他の種族は俺たちとは少し違う姿なのだから。目にしか出ていないというのは珍しい。

「すまんの。二度とこのようなバカが君のような青年に喧嘩を売らないように躾けておくから、今回のことは許してやってはくれんかの? もし、許せないのだとしたら、こいつをぼこぼこにする権利をつけてやる」
「ああ、大丈夫ですよ。なにせ、彼には一つの傷もつけられてはいませんからね。たしかに、素早い攻撃をしてくる相手ではありましたが、回避に集中していれば、掠ることすらもあり得ないであろう程に、とろとろとした動きでしたので。むしろ、そのような実力でしかない相手に、怒りを湧くわけがないでしょう? 俺を怒らせたいのであれば、もっとまともな剣の腕を身に付けてからにしてほしいところですね」

 俺は、少しの反撃として、今気絶している男の技術をバカにしたわけである。騎士団であれば、自分の力を否定されてしまうことは何よりの屈辱であることは間違いない。だからこそ、あえてするのだ。彼もそれはわかっているようなので、何も言ってこない。俺は騎士団ではなく今寝そべっている男を侮辱しただけでしかないのだから。これが騎士団に対する侮辱であれば、今すぐにでもこの老人も剣を抜いて襲い掛かってきたことだろう。
 まあ、王族の人間がこちらの様子を伺っているので、そう簡単に剣が抜けるかどうかはわからないが。なにせ、彼はそれなりに重要な役職をもらっているだろうことは、言うまでもなくわかってしまうのだ。それだけの実力が漏れ出している。
 俺たちは別れて、こちらを見ている彼らの方へと歩き出した。そこにはルイス兄さんもいるのだ。何の仕事があるのかはわからないが、とりあえずは兄さんの元へと行かなくてはならないだろう。一歩一歩ゆっくりと歩くのである。
 その途中ですれ違う使用人には、近衛騎士団の攻撃を何でもないかのように避け続けていた異常な人だと思われていそうだが。実際に怯えた目をされることも少ない数ある。悲しいことだが、力を持つ人間であればこれぐらいは仕方ないのかなとも諦めるわけであった。

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