天の仙人様

海沼偲

第157話

 太陽が昇っている。雲一つない快晴である。気持ちのいい朝と言っていいだろう。俺たちは、森の中を歩いている。朝になって、朝食を食べようと思ったのだが、保管方法があまりによろしくないので、帰ってから食べればいいということになった。さすがに、虫が歩いている食べ物を食べようとは思わない。俺たちは貧乏人ではないのだから。忘れられる食べ物は、いずれ誰かの腹の中に納まるだろう。それが、人間かどうかは分からないが。だから、俺たちは食べ物を置いていくことに何も言うことはないのである。全てのものは無駄となることはない。いずれは巡り回って誰かの役に立つのだ。それがたとえ、ほんの小さな目に見えないような生き物であろうとも、彼らの役に立つことには変わりはないのである。
 キーリャは王城の中で無理やりに連れてこられているために、裸足であった。ベッドで寝転がっていたために、靴を脱いでいたそうである。だから、今もまだ裸足でいるのだ。そんな状態で森の中を歩かせるわけにはいかないだろう。だから、誰かが背負わなくてはならない。ならば、俺が背負うといったのだが、それではだめだと、許されるものではないというかのような形相で睨まれてしまったために、残りの三人のじゃんけんで決めることになる。キーリャはそれに不満そうな顔をしているが、自分が背負われる側なので、これ以上の我儘も言えずに、静かにしているのであった。
 真剣にじゃんけんが行われている。たしかに、いやいやであれば俺が運ぶという話に戻るわけだから、自分たちが運びたいのだという意思を全力で見せなくてはならないだろう。そのために、今までに見たこともない程に、全力で真剣にじゃんけんをしているのだ。まるで命を賭けているかのようだと思わずにはいられないほどである。実際はそうではないのだが、そう思えてくると、なぜだかと単にほほえましさが感じられてしまった。
 じゃんけんの結果でルクトルが背負うことになった。彼女は軽いために、二人分の体重で森の中を歩くことになっても、何の問題もないように進んでいく。しかも、無理に揺らさないように慎重である。そういう気づかいが大切なのだろう。女子にモテるというのも当然というわけである。それなのに、彼は俺を取ったわけではあるが。そのせいで女子生徒の何人かに張り手をされたことを思い出した。すと、手で頬に触れる。その感触は忘れ去られてしまったように何も感じることはない。ただ、今もまだあの時の感情の爆発をここに残しているのであろう。俺が感じ取れぬまで薄まってしまっただけで。とはいえ、それだけ彼女たちの意思が認められないというのであろうとも、決まってしまったことを大きく覆すだけの力を持ち合わせてはいないし、俺たちのだれもがそれを変えるつもりはない。特にルクトルはそうであろう。それでいいのかと思わなくもないが、彼自身が選んだことにこれ以上口を挟む意味はないだろう。
 門の前についたときには、まだまだ開いていなかったようなので少しだけ待たされてしまう。これは、たとえ待っている人物が王族であろうとも開くことはないのだ。前例を決して作らないことにより、どんな事態が起きようとも、時間通りに門の開閉が行われるようにしておけるのである。門の警備につく兵士には、宣誓書も書かせるらしい。それだけ、外敵の侵入を減らしていこうという考えなのである。

「町に着いたら、すぐにでも食事にありつけると思っていたけれど、そういえば、まだまだ門は開いていなかったわね。いつもはこんな時間に出歩くことはないものだから、忘れていたわ。どうも、ここの人たちは頑固だからね。仕方ないことなのは確かだけれども」
「そうだね、ハルちゃん。あたしはお腹が空いてきちゃったよ。もうすぐで手に入りそうなのに、それがお預けされているような状況だと、より深くそれを意識しちゃうよね。ああ、たくさんのご飯がもう目の前までに迫っているというのに、それを前にして待てと言われているんだよ。あたしたちは。見てごらんよハルちゃん。今まさに目をつむれば煌びやかにして豪勢な食事が広がっているんだ。いい匂いがしてこない? 中から漂ってきているよ。素敵な香辛料の香り。とっても綺麗……」
「あなた……わざと私たちにつらい思いをさせようとして、そんなに想像力を掻き立てて食事を思い浮かべさせようとしていますわよね。しかも、全てが抽象的で、想像しなければ少しも思い浮かばないようにしていますし。あなたは、どうせ少しも食事のことを考えていないでしょう。なんで、わざわざそんなにも面倒なことをしているのですかね。私に対する嫌がらせなのでしょうか?」

 ルーシィは何も言わず、ただ静かに、にいと笑う。それだけである。それがなにも意味するのかは分からないが、ただ、キーリャはその表情に不満を持っているようで、むすっとふくれた面をしているのだが。全くそれを意に介するつもりはないようでひょうひょうとしているのであった。だが、俺たちは出来る限り常に会話を絶やさないようにしながら、この時間を過ごしている。静まってしまうと、考えてしまうからだ。夜から何も口にしていないということがこれほどまでに、俺たちにじわじわと締め付けてきている。
 門が開いたら、中へと入り、すぐに王城へと向かう。おそらく、みんな心配していることだろう。今すぐにでも無事な姿を見せてあげたいのである。俺たちの歩く速度がだんだんと早まっていっているのであった。抑えきれないばかりのこの気持ちがあふれ出てしまっているのだ。仕方あるまい。
 王城の中に入ると、外でキーリャの父親であるキリマ氏が外で待っていた。そわそわとしていて落ち着きが全くない。たしかに、娘が連れ去られてしまったとなれば、そう落ち着いてはいられないものか。真っ直ぐに彼の前へと進み、笑顔を向ける。俺たちの存在に気づいたようで、彼は手を振っている。しかも、途中でルクトルの背中にキーリャが背負われているとわかると、喜びの声を上げながらこちらへと走って近寄ってくるのであった。そして、ルクトルの隣に立つと、キーリャが怪我を負っていないかを確認しているようである。だが、そんなものは一つもない。敵も、主な目的が俺を呼び出すことであったおかげか、少しの傷もつけられていないのである。それは不幸中の幸いというものであった。だが、俺はそれを口に出したりはしない。
 仮のものとして靴を渡されると、それを履いて、使用人に連れられるようにしてキーリャは王城の中へと入っていく。キリマ氏もそれについていくようである。これで一段落といったところだろう。何とかゆっくりと出来る。だが、リラックスしていてもいいのだろうが、それ以上にどうやって王城に侵入できたのかということの方が気になっている。俺は休みたがっている体に鞭を入れるようにして立ち上がると、王城の中へと入っていく。
 俺は、ルイス兄さんの弟ということもあってか、王城に入るにはそこまでの重々とした許可が必要ない。とりあえず、名簿に自分の名前を書いて、来訪したということを記入しておけばいいのだ。それが終わると、キーリャの部屋がある方向へと向かう。しばらく歩いていると、ハルたちもどこへ向かっているのかわかったようで、服を引っ張られてしまう。何故そっちに向かうのかと疑問を込めているような目を向けている。それとわずかに、怒りも見える。

「今回の事件は、王城に侵入されるという事態が起きていなければ、起こらなかった話だろう。この国の王城は相当な警備で固められているのだから、易々と侵入できるようなことはない。でも、実際にされている。ならば、俺たちから見て、どうして侵入されてしまったのかというものを考えてみなくちゃだめだと思わないかい?」
「ふーん……なるほどね。確かに、それなら、キーリャの部屋に行くのは納得がいくわ。なにせ、その部屋に入ってきているのだと確実にわかっているのだからね。でも、女性の部屋に入ってほしくはないわ。しかも、キーリャの部屋なんかにはね。きっと、キーリャのことだから、無理やりに誘惑してくるに違いないわ。汚らわしい」

 ハルはそう言っているが、ルーシィはそこまで反対していないらしい。ならば、多数決で入ってもいいだろう。あとで何かしらの埋め合わせをしておくべきだろうが、今は、入らせてもらうということで決まる。その間も部屋までは近づいているために、もうたどり着いたのである。そして、扉の前にはルクトルが立っている。どうしたのかと気になった。
 どうやら、今、キーリャが部屋の中で着替えをしているらしい。で、その間男性陣が入ってこないように監視をしているそうだ。ならば仕方ない。着替え終わるまで待っているとしよう。すぐに終わるだろう。キーリャの服装は、特別豪華に、そして派手というわけではないのだ。特別に装飾がついてないドレスを着る場合は、あまり時間がかからずに済むだろう。
 扉が開いた。中からキーリャが出てくる。笑顔を浮かべながら、服装を見せるようにその場でくるりと回る。とても綺麗な姿であると思う。そして、俺は感想を素直に述べると、嬉しそうに身をくねらせながら、腕を絡ませてくるのである。そして、そのまま部屋に招待される。引っ張られるように中へと入るのである。それに続くようにハルたちも入ってくる。どうやら、俺と二人きりになる算段だったようで、彼女は頬を膨らませて不機嫌な顔を作っているのであった。どう考えても成功しない作戦は逆に立てないほうが精神衛生上よろしいと思うのだが、彼女たちはどうなのだろう。
 だが、許可をもらわなくても入ることが出来たおかげで、スムーズに進んでいる。俺は周囲をざっと見渡してみると、何か気になるものを発見した。一見するとただの壁のシミでしかないのだが、そこに気の巡りが見られるのである。ハルたちも呼んでみて、確認をさせてみると、確かにあるという。俺の勘違いというわけではないのだ。つまりは、このシミは何かしら今回の事件と関係があるとみても間違いではないだろう。なにせ、生き物の気の巡りが、壁から発生していることなんて普段ではありえないことなのだから。壁が生きているということは決してあり得ない。であればこその話なのだ。
 俺は、そのシミをなぞってみると、まるですす埃かのようにさらさらと崩れ落ちてしまう。指先に汚れがついている。少なくとも液体ではない。塵か何かであろう。そして、それは、ゆっくりと空中へと飛んで行って、窓の外へと逃げていくのであった。意志を持っているかのようささとであった。俺はその様子を眺めているだけであった。あまりにも唖然としてしまって、捕まえようとはつゆほども思えなかった。前にも、煙のようなものが逃げていったことがあったな。俺はそんなことを思い出した。……そう考えていくと、ずいぶん前に自分自身の体を期待に変化させることの出来る人物がいたということを思い出す。お師匠様ですら取り逃がしてしまった相手であった。その時の人物が、こうしてキーリャの部屋に侵入して、誘拐したのだとしたら、何のためになのだろうか。全くわからない。知らないことが多すぎるのだ。知っていることを考えてみても、全くピースのないパズルを組み立てているようなものでしかない。頭を悩ませているだけ無駄なのかもしれない。

「裏なのか、奥なのか、何かが糸を引いているようで、決してそうは思えない。何者かが黒幕であり、そしてそれがすべて全くの嘘でありほらであるか」
「なにかわかったの?」
「いいや、わからない。わからないということだけしか、わからない。わざと迷宮に誘い込まれているようで気持ちが悪くて仕方がない。今すぐに彼らを全員捕まえて、全てを吐き出させれば楽なのだろうが、そんなことは出来ないって知っているからこうももどかしく感じているのだろうな。どうにかしたいのだが……」
「あまり考えすぎないほうが、上手くいくこともあるかもしれないわよ」

 彼女の発言に従うように、頭を落ち着かせることとしよう。静かに何も思わずに、ぼっと立つままである。あらゆる思考が止まって、気持ちが落ち着いていくようであった。それだけで冷静になり、再び思考が生まれる。
 ……少なくとも、彼らは俺のことを狙っているようでもあるのだ。だが、その理由もわからない。あの時一度しか会っていなかった俺を相手にして何かメリットでもあるのだろうか。あるのだろう。でなければ俺を相手にすることなどないのだから。ハルやルーシィではなく俺である理由が。
 頭を悩ませるだけこれは時間の無駄である。ここから先新たな情報が入ってくることは確実だろう。なにせ、これから先も彼らが俺たちにちょっかいをかけてくるであろうという想像は難しいことではないのだから。ならば、その時になってまた考えればいい。
 だが、それとは別に彼女たちが俺のせいで誘拐されてしまったり、ということになってはならない。しかし、相手は煙のようなものである。つかまえることは難しい。侵入されないように警備を強化しようとも、それをあざ笑うかのように潜り抜けてしまうのだ。どうしたものかと考えてはいるが、一向にいい考えが思い浮かぶわけなどない。本当に、あの時に、捕獲しておければよかったのだ。出来なかったから、今こうして頭を悩ませているわけでもあるが。
 仕方あるまい。この件は一旦保留としよう。あとでお師匠様と再会した時に、彼らのことについて何かわかったことがあったのかを教えてもらうとしよう。無ければ無いでまた考え直せばいい。
 俺は、キーリャに部屋に入れてもらった礼を言うと、部屋から出る。ゆっくりとした足取りの中で、段々と心を落ち着かせていくようにしていく。ハルたちが、手をつないでくれる。俺は誓うのだ。彼女たちに決して恐怖に陥れるような災難に合わせてはならないのだと、不幸な目にあわせないのだと。

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