天の仙人様

海沼偲

第155話

 どうやら、目の前にいる男は武器を持っているようで、背中から一本の剣を取り出した。先ほどまではそれらしきものを背負っているようには見えなかったので、もしかしたら、どこか別の時空から取り出している可能性もある。真緑に彩られている刀身から、何かしらの気配を感じている。まるで生きているかのように脈動しているのである。それに、今この部屋のなかで心臓の音かと思われる鼓動が響いているのだ。それも、あの剣が取り出されてからである。少なくとも、今まで見てきたようなそこいらにある剣とは別物として考えたほうが良いだろう。油断をしてしまえば、わけもわからず殺されることだってあり得るかもしれないのだから。
 男が一歩踏み出してきて、そこから剣を振り下ろす。真っ直ぐに振り下ろされた剣は空を斬っているだけなのだが、その直線状にいては危険なのではないかという勘のみを信じて、そこから外れるようにして避ける。一見すると、何の変りもない。地面も壁も斬られたような痕跡は存在しない。だが、何か一本の線のようなものがわずかに感じ取れるのである。剣の頭頂部から、まっすぐに伸びているのである。おそらく、あの線に当たってしまってはいけないのだろう。ピンと張られているその線が、ただ真っすぐにそこを通っているだけである。そして、今まさにそこを一匹のネズミが横切る。それは、細切れに刻まれてしまう。やはり、避けたほうが正解であった。彼が今、教えてくれたのである。命を犠牲にして。
 俺はすぐさま男の懐に入り込む。今振り下ろしたばかりのおかげで、隙だらけといえるのだ。そのまま袈裟切りで仕留めようとするが、なんと、剣が跳ね上がって、俺の攻撃を防いだのである。先ほどまでの腕に入っていた力では持ち上げる時に勢いはつかないはずなのだが、それを無視するかのように今は鍔迫り合いをしているのだ。しかも、無理やりに作り出した体勢とは思えないほどの怪力である。男の筋肉に入っている力からは考えられないのだ。まるで、二人以上の人間と押し合っているような感覚である。
 さすがにこのままでいてしまっては俺の方が劣勢になるだろうからと、離れる。再び振出しに戻る。出来る限り、手数を少なく一撃で葬りたいのだが、そうはいかないらしい。俺の技術力不足を嘆く暇などないのだ。それだけの緊張感に包まれてしまっている。視線の一つでも動かそうものなら、そこが隙となってしまうほどの緊迫した状況である。

「今この瞬間の油断をつくことが出来ない様では、まだまだ倒すことは出来なさそうですね。あなたも、私も。それでは駄目でしょう。無駄に時間を過ごすばかりになってしまいそうだ」
「こっちだって同じ気分だ。さっきの動きは人間には出来ないはずだからな。無理をすれば、筋肉を傷める。だが、先ほどの貴様は、無理をしていたのに、それが無理ではないかのようであった。一体どうなっているのか……」
「面白い冗談だ。だんだんと、あなたの思考の中で答えに近づいて言っているであろうというのに。わかっていないと口では言いながらも、思考が、顔がそうはいっていないではないですか」

 確かに、俺はわからないような口調をしてはいるが、それとは真逆の表情である。少しずつだが、パズルのピースが組み合わされるように、答えが見えてくるような気がしているのである。だからこそ、そんな余裕を持った表情を男に向けられることが出来るのだろう。そうでなければ、出来はしない。
 そして、どうにかあの剣の正体を掴むことが出来たかもしれない。一度打ち合ったおかげである。それと、彼は待ってくれるようにして、時間が止まったかのように睨み合っているだけのおかげでもある。時間が俺の味方をしてくれるのだ。あの剣は付喪神の一つだろう。長年使い古された剣に命が宿ってしまったといったところだろうか。それなら、剣自体が経年劣化によってボロボロになっていてもおかしくはないが、あの緑の金属はラクラマイトではないだろうか。疲労しない金属である。それは、壊れることも劣化することもない製品を生み出すことの出来る優れた金属の名をほしいままにしている。ただ、そのせいか恐ろしく加工難易度が高いために、一世紀に一人でもラクラマイトを扱える人間が出てくればいいとまで言われるほどなのだ。ただ、その代わり、ラクラマイトで出来た製品は万年は壊れることがないといわれている。
 そして、その剣を今まさに、目の前の男が手に持っているわけだが、現存するラクラマイト製品は全て国有財産として厳重に保管されているはずだ。数多くの国に散らばってはいるが、そのどれもが、入手するのに相当な難易度がいる。盗賊の頭みたいな立ち位置にいる人間が手に入れることは出来まい。そして、それが盗まれたという話を聞いたことがない。
 だが、実際に目の前で手に持っている人間がいるのだから、そこで、あり得ないなどと言う議論は全て無駄ということになってしまう。今は、どうにかして彼を倒さなくてはならないということなのだから。もしかしたら、俺たちが知らないところで隠されたラクラマイト製品があるのかもしれないが、それを議論に持ち出すこともまた無意味である。今理解する必要があることは、目の前に、それで出来た剣を持った、男がいるということである。そして、彼を倒すための障害がさらに一つ増えてしまったということである。どうしたものだろうか。悩ましい。
 もう一度、確認のためを込めて、剣を横に切り払う。少しの予備動作を見せることなく、剣のみが俺の剣とぶつかる。そして、圧倒的な力に押さえつけるように加えられていく。だが、その間にハルたちが攻撃を行おうとすると、空いている片手で、液体を飛ばしてきて、邪魔されないようにしているのだ。俺はこのままでは押し負けるからと、膝を蹴るようにしながら飛び退く。
 再び構え直して、戦いは振出しに戻るだろうという気持ちのゆるみに付け込むように、俺は再び攻撃を開始する。少しでも体勢が整う前に、仕留めてやろうという気持ちの早まりもあることは確かだが、それでも、確実に一太刀入れるためにはこれが最適に思えた。だが、当然この場において最も冷静である剣の付喪神が受け止める。直前になって太刀筋を変えたとしても、それにすぐさま対応してくるのだ。どれだけ斬り合いをしようとも、斬れる気がしない。ただ、彼は一人しか相手にできないということはわかった。ハルたちを近づけさせないようにと、男が常に警戒しているのだから。ただ、複数人で同時にかかることがどれだけ難しいのか。
 それからも、何度か打ち合ってみるが、男のわずかに拙い技術を付喪神が手助けしているようで、俺以上の技術で受け流されてしまっている。これでは、剣で戦っている間は、彼に敵う可能性はないかもしれない。彼が反応する速度を超えて、剣の方が早く動いてしまっているのだ。しかも、それに振り回されてバランスでも崩せばいいものを、体幹がしっかりとしているせいか、一切崩れることはない。
 ならばと四人で攻め立ててみるが、それでも、元からある身体能力と片腕の酸性だか、腐食性だかの液体。そして、もう片腕の付喪神のおかげで、上手く攻めることが出来ずにいるのである。片手で操ることは確かに出来るわけだが、両手で操っている俺たちの攻撃を難なく受け止めることが出来るというのはなかなかに反則であろう。だが、実際出来てしまっている。ここで、駄々をこねても意味がないのだ。そうしたらからといって唐突に彼が弱くなってくれるわけではないのだから。
 この部屋は狭い。五人が戦える程度の広さは確かにあるのだが、室内というせいでより大きく場所を取ることが出来ない。そのせいで、大きな魔法を放つこともできない。それが原因でキーリャに傷がついてしまうほうがダメなのだから。一番大きな魔法をうつことが出来るのはアオなのだが、彼は時たま水流を刃状に変化させた魔法を放って、男を攻撃するだけでしかない。それが限界の大きさであった。男は、キーリャの前から動こうとはしないために、救出をすることが出来ずにいるというのも、また確かなのである。どうにかしないといけないのだが、それで焦ってしまえば、すぐに倒されてしまうことは確実である。だからといって慎重になりすぎても無駄に時間を浪費するだけだろう。その調整が非常に難しいところではある。
 もう何度目かの突撃で、ルクトルが横に払うようにして斬る。そこから少しだけ間合いを避けるように後ろに下がっている男の足を払うように、ルーシィが足元に蹴りを入れる。それでも、気合で飛び上がっているために避けられるが、空中にいる間に体を動かすことは出来ないだろう。だから、ハルの剣が斬りあげられる。だが、空いているほうの手で、剣先が掴まれてしまうため、そこから剣がボロボロと崩れ始めてしまう。どうやら、腐食性の液体であったらしい。だが、俺も反対側から剣を振り下ろす。と、付喪神が受け止める。だが、俺には足がある。思い切り蹴り上げるのだ。それと同時に、気をぶつける。足に巡らせていた気を全力でぶつけたためにか、骨がいくつも折れる音を響かせながら天井へとぶつかる。その衝撃でうっかり剣を手放してしまったようで、俺がすぐさまつかむ。剣を持っていたほうの手では、腐食性の液体を出していなかったおかげで、俺の手がぼろぼろと溶け始めることがなくて少しは安心した。
 何度か攻め方を変えてみたのだが、どうやらこの方法でどうにかダメージを与えることが出来るらしい。だが、次からは通用しないだろう。同じ手を何度も繰り返して、それが通用するような相手ではないはずだ。だからこそ、俺たちは一撃で仕留めることを心掛けてきたわけなのだから。攻撃のパターンを見られるほどに攻めづらくなることは間違いないのだから。
 男が落下の衝撃を和らげることなく落ちてくる。床が石で出来ているために、その衝撃はどれほどのものだろうか。そして、男はピクリとも動かなく、床に倒れたままでいるのである。もしかしたら、あの一撃で倒すことが出来たのだろうか。予想以上に強力な一撃となっていたのかもしれない。それなら嬉しいことではある。
 だが、俺たちは彼に近づこうとはしない。死んだふりで心臓すら止めることが出来る技術を持った人間もいるのだと知っているからである。少なくとも、お師匠様はそれをすることが出来る。勝つためにはどんな手段でも使えるようになたないといけないからと、俺に教えてくれた。心臓を止めても、気の巡りだけで、命をつなぎ止めておくらしい。俺にはまだまだ、そのレベルで仙術を扱えないから、修行が必要なのは言うまでもない。
 どうやら、死んだふりは効果がないようだとわかったようで、ピクリと指先が動き出す。だんだんと体に活力を取り戻していくように、ゆっくりと起き上がっていく。その間、攻撃してもいいかもしれないが、当然あれも演技である。わざとまだ万全な状態で動けないと伝えるような体の動かし方をしているのだ。そうして油断をさせる作戦なのである。仮面の奥底で、罠にひっかかる俺たちを待っていることだろう。だからこそ、油断をせずに剣を構えたまま男を見続けているのである。

「相当に慎重な人ですね、あなたは。たいていの人間であれば、攻め時だといって一斉に襲い掛かってもおかしくはないのですが。しかも、もう少しで倒せるからと、少しだけ力が緩むんですよ。ゴール間際の人間は全力を出せなくなってしまうという心理でしょうかね。だからこそ、その瞬間は非常に殺しやすい。だからこそ、あえてやられる振りをするというものではありますが、それが効かないようでしたら、あまり意味はありませんね。それに、大体のあなたの実力というものを知ることが出来ました。少し物足りなくはありますが、これ以上戦えば、私が死んでしまうかもしれない。それではいけませんからね。さっさと、逃げさせてもらいますよ。ああ、そうそう。その剣は返してもらいますから」

 ぶつぶつとつぶやくように俺たちに語り掛けながら、窓に手をかけて、そのまま飛び降りてしまった。いつの間にか俺の手にあったラクラマイトの剣が彼の元へと戻った状態で。どうしてかは理解できないが、あれが再び彼のもとに戻らないようにと、俺たちはすぐにでも追いかけようとするが、窓にたどり着く前に止まることが出来た。確実に、相手はここでも罠を仕掛けているはずである。窓から顔を出してしまえば、その瞬間にアウトだ。首を掴まれるだろうことは間違いない。なにせ、窓の下付近に気の流れをわずかに感じるのだから。今までの男からは考えられないほどに微弱ではあるが、確かにそこに何かがいる。むしろ、彼も気を操ることが出来るのかと驚いているほどである。まあ、俺に見つかってしまうのだから、そこまで上手ではないということはわかるが。
 そして、それからしばらくの間睨み合うかのように動かなかった俺たちであったが、俺の剣に魔力を巡らしていき硬度を高めていくと、そのまま彼が隠れているであろう壁に突き刺すのだ。しかし、まるでなにも存在していなかったかのように、外にある気の流れはどこかへと消え失せてしまったのであった。どうやら、完全にいなくなってしまった。俺が用心深く外を確認しても、何の存在も確認できなかったのである。逃げられてしまったのである。俺の判断ミスだろうか。ただ悔しさばかりが残るのであった。

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