天の仙人様

海沼偲

第152話

 学校から寮に帰るまでの道中のことである。普段通りの集団で帰っているわけであるが、少し先に馬車が待っている。最近はよく見たことがある形だ。共和国のデザインの馬車である。俺が近くを素通りしようと試みるが、それはダメなようで、待ち構えていた使用人に止められてしまう。まさかとは思ったが、確かに俺を待っていたことは間違いではないらしい。それに、ハルは不快感を見せている。確かに、邪魔をされてしまったわけだからな。とはいえ、声をかけただけで睨まれてしまうというのも可哀そうだろう。ただ、それに対して何か言うことは出来ないわけであるが。
 どうやら、キーリャが王城で待っているらしい。なにやら、俺に用事があるということで。それを聞いた彼女たちは、その少女の名前を聞いた直後にどういうことかと質問を求めるかのようにぎろりと睨んでくる。とはいえ、俺はどう答えればいいものか。一応、彼女と出会った経緯を伝える。それを聞いたら、当然のように自分たちもついていくと言い出したのだ。

「当り前じゃない。変なメスがくっついているのだから、出来る限り排除しないと。それが、私たちの役目なのだから」
「もちろんです。アラン様にすり寄ってくる意地汚い虫は一刻も早く消し去ってしまうのが最も効率的で素晴らしことでしょう。そうすることで、アラン様はより深くわたしたちとの愛を育んでくださいますから」

 あまりにも過激なことを言っており、使用人は大丈夫なのかとこちらへ恐れるかのような視線を向けている。たしかに、そのような目を向けているというのもわからないではないが、彼女たちはそこまで過激なことを実際にすることはないと信じている。あえて、そう言うことで、精神的に負けないようにと意識づけているという名目の方が強いのかもしれないのだから。まあ、ルクトルがユウリに対する反応は本心丸々であるけれども。
 そういうことを、使用人に伝えれば、少しばかり訝し気な視線を向けてはいるが、納得してくれたのである。ほっと一息つく。これで、彼女たちを置いていかなくてはならないということになれば、どうなるのかわかったものではない。本当にキーリャのことを消し炭にしてしまってもおかしくはない。というわけで、四人で馬車に乗ることになり、王城へと向かった。ルイも一緒に帰っていたら、置いていかなくてはならなかったから、そうはならなくて安心した。だが、それ以上にいらいらとした空気が馬車の中に充満しているので、息苦しく感じているが。どうにかしてこの空気を変えたいのだが、どうにも、変えようがない気がしてならないのであった。
 俺たちは、キーリャたちが待っていると言われる部屋に案内されると、ゆっくりと落ち着いて部屋の中へと入っていく。そこには、キツネ耳の親子がいる。そのどちらも、顔までしっかりとキツネ顔であった。座ってお茶でも飲んでいたらしい。そして、対面に座るように促されるため、俺はお言葉に甘えて席に着く。その両側には、ハルとルーシィが座って腕を組んだ。牽制しているかのようである。
 ピリピリとした空気感がこの部屋一帯を包み込んでしまっており、その被害は向かってこないようにと使用人はさっさと出て行ってしまった。バタバタと駆けている音が聞こえている。もう少しばかり静かに歩けないものだろうか。俺たちに気づかれないように配慮してほしいところだ。

「アランさん、この方たちはどちら様なのでしょうか? アランさんにベタベタとくっついていて、身の程を知らないみたいですね。アランさまほどの方にたいして、間の抜けたような平民ごときが、触れることを許されるわけがないというのに」
「ああ、いえ。彼女たちは俺の婚約者です。後しばらく経てば、結婚することになるでしょう。ですから、この程度のスキンシップはよくあることなのですよ。自分の妻となる人と、愛し合わない男はいないでしょう?」

 彼女の言葉で、怒り狂うことがないように、すぐさま俺が訂正する。そのおかげでか、怒りが少しばかりか、治まったようで落ち着いてニコニコと笑みを浮かべている。明らかに、自分たちの方が優位に立てているのだと勝ち誇っているようにも見えてしまうわけではあるが。
 キーリャは俺に婚約者がいるということに驚いているのか、目をまん丸に見開いている。それを彼女の父親らしき、男性は慰めるように背中をさすっているのであった。もしかしたら、これがきっかけで諦めてしまうかもしれない。それならそれで、俺としては構わない。むしろ、彼女たちは大喜びすることだろう。なにせ、その結果が欲しいがために、このようにベタベタとしているところがあるのだから。だからだろうか、普段以上にベタベタとしているように思えてならない。
 少しばかり、キーリャが落ち着くまで彼女の父親と自己紹介をする。キリマさんというらしい。どうやら、あの時の馬車には彼も乗っていたようで、その時のお礼を言ってくださった。彼女からずいぶんお礼の言葉はもらったので、大丈夫だとは言ったのだが、それでも、自分の口から言いたいのだということだそうで。どうやら、彼には息子はたくさんいるらしいが、娘は彼女しかいないそうだ。だから、愛する娘が生きていること、そして自分たちを助けてくれた俺には感謝しかしていないということで。さすがに、これ以上謙遜するだけ意味がないだろうから、ありがたくその言葉をいただいておく。謙遜はしすぎると、相手の不興をかうだけで一切の意味などないのだから。感謝しているのであれば、素直にもらうというのもまた必要なことであった。
 というところで、キーリャが回復したようであった。先ほどまでのように、微笑んでいるかのような目つきへと変わる。そして何事もないかのように軽く雑談を始める。どうやら、この町で見た店舗や雰囲気のことについていろいろと話している。確かに、王都は美しい。壁一つとってもそうだし、人々も明るく賑やかである。そういうのを褒めてくれるというのは、別に王族でもないのだが、むず痒くて、それでいて嬉しいものであった。
 その話が終わったら次は本題だというばかりに空気が変わる。ぴりりとして引き締まるかのような思いになる。彼女たちはとても真剣なようだ。もしかしたら、俺は予想以上に甘く見ていたのかもしれないとすら思えるほどなのである。だが、出来ることならば、今そんなことは言わないでほしいと思わずにはいられない。なにせ、ハルたちを俺一人で押さえつけておくことは相当な難易度なのだから。

「ええ、ここにアランさんを呼んでもらったのは他でもありません。雑談をしていても楽しくはあるのですが、そのことを話すために呼んでもらったわけではないのです。これから話すことはしっかりと耳に入れてほしいのです。それは、あなたたち婚約者の方々にも聞いてもらうとしましょう。全くかかわりのない話というわけではありませんので」

 真剣な目つきに、先ほどまでの険悪そうな雰囲気というものは消えている。であったら、しっかりと彼女が俺たちになにを願うのかというのを聞かねばならないだろう。もしかしたら、彼女たちにとってみれば、予想を超えるほどに重要な事態になっているかもしれないのだから。例えば、身内に不幸なことが起きようとしているとか、起きてしまったとか。そう言うことだってあり得る。
 だから、ハルたちも、ふざけることなく、睨むことなく、彼女のその真摯な視線に対して何も言うことはしないのだから。俺は彼女たちのそういうところは好きである。愛しているのである。だからこそ、婚約者として、彼女たちを愛しているのだろう。

「いいわ。さっさとどんな話を聞いてもらいたいのか言ってごらんなさいよ」
「ええ、ありがとうございますわ。…………私……アランさんのことが好きなのですわ。ですから、アランさん……あなたと結婚したいと思っておりますの」

 もしかしたら、自分の母親が不治の病にかかってしまったから、どうにかして助けてくれないかとでもお願いしてくれると思っていた。いいや、出来ることならそうして欲しかった。それならば喜んで頷けたというのに、なぜこんなことを言ってしまうのか。今この場で言ってしまえば、俺の婚約者たちがどんな反応を示すのかが容易にわかってしまうだろう。しかも、彼女たちもまた俺と同じように思っていたのだ。だからこそ、裏切られたように感じてしまうことはほぼ間違いないといってもおかしくはないのである。だからこそ、俺は恐れたのである。どうしようもないこの状況をただひたすらに。
 プルプルと肩を震わせながらハルは必死にこらえているようである。おかげで助かっている。何とか大惨事にならずに済んでいる。下手したら、今この瞬間に彼女の首が吹き飛んでしまってもおかしくはなかったのだから。そんなことになってしまえば、友好的な関係を続けている二つの国家間に二度と治ることのない傷が生まれるであろう。だから、そうはならないということにひとまず、俺は心の隅でほっと一息ついた。
 では、解決したのかといえば、そんなことはない。奇跡的に最悪な展開にはなっていないというだけなのだから。ハルたちも、キーリャ相手に暴力をふるうことがどれだけ危険であろうかということをしっかりと理解しているからこそ、最後の一歩を踏み出さなくて済んでいるわけなのである。

「あー……最近では他国の人間同士、しかもそれなりの地位を持っている人間同士が、結婚や、婚約をするということは一切ないということはわかっていますよね。それに、お互いに地位を持ってしまっているのだから、この婚約にも我が国ならば、国王陛下の許可がいるということもわかっていますよね。そして、あなたは基本的にめったなことでは故郷に帰ることも出来なくなってしまうということもわかっていますよね? 俺たちの婚約になると、非常に障害が多いと思うわけです。ですから、一時の恩で婚約、結婚をしたいというのは考え直した方がいいと思いますよ」

 おそらく、俺は初めて断ったかもしれない。だが、この断り方は真剣であるならば、受け入れると言っているようなものである。なにせ、考え直しても俺と結婚したいのであれば、拒絶はしないというようなものなのだから。むしろ、この程度の弱い力でもってでも彼女の求婚を断るということは俺にとってはかなりの苦痛である。だが、それ以上に彼女が俺と結婚することによる苦痛を味わってしまうほうが嫌である。だからこそ、このようなあやふやな言葉を使っているのだから。
 その時、ぎいと扉が開いて二人の男が入ってくる。一人はよく見たことがある。国王陛下だ。そして、もう片方はムルーシェア共和国の国家元首なのだろう。彼の種族はオークのようであるらしい。強靭な牙が、力強さを証明しているかのようだ。そして、この二人が、入ってきたということは、もしかしたら、先ほどの話に関係することかもしれない。なにせ、タイミングが良すぎるのだから。この訪問の目的の一つに、彼女の婚約の許可を取り付けることが入っているのかもしれない。
 そして、彼らの口から発せられたのは、婚約を許可するということであった。どうやら、彼女の家も共和国の立場的には、男爵家相当の家柄らしい。だから、男爵家同士の人間が結婚することで、一々反対したりはしないということだそうだ。しかも、久しぶりの国をまたいでの婚約だからと張り切っている節がある。それならば、すんなりと許可を出されてしまうことにも納得がいく。楽しそうに彼らはニコニコと笑顔を浮かべているのだが、こちら側といえば、もろ手を挙げて喜べるようなことではない。
 だが、その決定に納得がいかないようで、ハルはギリギリと歯をこすり合わせているのである。確かに、これ以上婚約者を増やしたくはないだろう。だからこそ、この決定には異議を唱えたいのだろう。とはいえ、彼女がキーリャを拒否してしまえば、そこで終了になると思うわけだが。いや、出来ないか。なにせ、国家元首が許可をしたのだ。そこで、自分の我儘を言うことは難しい。ここで、拒否をしてしまえば、二人のトップの顔に泥を塗ることになってしまうだろう。だから、拒否したいのを無理やりにこらえているのかもしれない。
 とりあえずは、一旦保留としてもらいこの場は解散となった。そして、四人して歩いている。帰りの道を静かに歩いている。ハルは、俺の前に出てきていきなり俺の顔を殴りつけた。あまりにも唐突のことだったために、俺は何の抵抗も出来ずに倒れてしまった。頬が痛い。彼女は泣きそうな顔で、俺のことを見ていた。いいや、もう泣いているのだ。表面に出てきていないだけで、涙を流しているのだ。俺は、それがなんだかうれしく感じた。すぐに立ち上がって、ハルをしっかりと抱きしめる。俺は嬉しく思った。だから、愛情を伝えるように、しっかりと抱きしめるのである。彼女も、それに甘えるように俺の背中に腕を回してくれるのである。

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