天の仙人様

海沼偲

第149話

 休みの日にはカイン兄さんに連れられて町の外へと出る。町の中で模擬戦などをできる場所はあるにはあるのだが、人がいるために、あまり長い時間を使えないのだ。だからこそ、こうして外で訓練をする人はいるにはいる。少ない人数でしかないが。だが、外での鍛錬は室内で行う鍛錬よりもより有意義なものだと思っている。だから、俺たちは毎回のように外に出るのだ。
 兄さんはつい最近まで眠っていたために、体がなまっていることだろう。と、兄さん自身が訴えてくる。俺はそうでもないと思うのだが、兄さんが不安げに相談してきたものだから、その手助けという名目もある。

「ふう……夢の中だったら恐ろしい程に体を動かして多くの敵を斬り殺していたんだけど、実際に体を動かしていたわけじゃないからな。なんとかして、すぐにでも遅れを取り戻したいところだ……」
「そうはいっているけど、全く持って兄さんの身体能力が劣化しているとは思えないけどね。むしろ、今までよりもより鋭くなっているように見えるよ」

 と、何度も言っているのだが、どうも信じていないようである。どこまで心配性なのだか。自分自身の身体能力を、自分自身が信じてあげなくてどうするというのだ。俺は呆れたように頭を抱える。これ以上は話すだけ無駄なのだろう。
 剣を構える。ゆっくりと、お互いの間合いに近づくように。兄さんから漏れ出す気迫というものは、明らかに今までとは大きく違っているのだ。それは、今回見学をしているルイス兄さんも感じていることだろう。むしろ、カイン兄さん自身がわかっているはずだ。自分自身から漏れ出す力ばかりは兄さん自身の、想像を裏切るかのように漏れ出している。これを心のほんのどこかで感じていたのだろうか。あれほどまでに自分自身の力を疑っていたというのに。だからこそ、俺と戦うことを選択したのだろうか。ルイス兄さんではおそらく、実力のほんのわずかすらも出すことが出来ないと気づいているのだろうから。
 体に力が入っているとは思えないほどに、軽やかに構えている。筋肉の緊張が見えない。剣を手にしており、その重みに逆らうための力すらも使っているのかと疑問に思うほどなのである。だが、その不気味さがあるからこそ、俺の警戒心は高まっていく。少しの油断も許されない。もしかしたら、一撃で勝敗が決まるかもしれない。そんな予想までもがよぎってしまうのである。
 試合が始まる。兄さんが手を振り下ろしたと同時に、もう目の前にいる。あまりにも速すぎる。攻撃が届く前に、距離をとる。余裕が欲しい。その表れであったのだろう。あまりにも、冷静に、懐にまで入ってこられてしまった。瞬間の隙間に入り込まれたかのような恐怖がそこにはある。少しの油断というレベルではない。緊張の隙間に入り込んでくる。これではたとえどれだけの警戒をしようとも、入ってこられてしまうだろう。後手に回ってしまってはならないことは確かであった。
 ならばと、俺から仕掛ける。横に払う。わずかに後ろに下がって、そのまま勢いを逆に持っていくことで、俺に反撃してくる。それは読めている。その軌道から外れるように体を曲げながら、もう一段階踏み込んだ。その位置から、剣を振り上げる。動きの流れに沿うことが出来れば、兄さんに必ず当たる。だが、あまりにも突然に、兄さんの体がピタリと止まった。そのために、剣はただ虚しく空を斬る。上に持ち上がった剣はそれと同時に俺の体を無防備にさらしている。このままでは、攻撃をもらってしまうことは確実だろう。それでも、その体勢から無理やりに足を出して、兄さんに蹴りを入れる。動きを止めたら、そこに攻撃を当てればいい。簡単なことである。だが、それすらも、一切の準備の必要もなく、跳ねるように避けられる。そのまま軽やかに俺の背後へと回ると同時に、蹴りを入れられる。だが、当たる瞬間に何とか自分で飛んだことで、ダメージはない。
 再び構えをとる。兄さんは元から、動きが少しばかり変則的な部分はあった。だが、かろうじて人間らしさを残していたが、今はそれすらもなくなってしまったようである。緊張から、さらに緊張させて飛び上がるとはどういう仕組みなのか。魔法を爆発させて飛んだというほうが納得できる。そして、恐ろしい程に、軽く、重い。軽く振っているようで、一撃は恐ろしく重いのだ。振りの見た感覚で惑わされてはならない。俺の直観でしかないが、当たれば、確実に負ける。
 今度は、真っ直ぐに突っ込んでくる。だが、あまりにもゆったりとした動きだ。俺が目に負えないような動きではない。少し怪しい。そして、間合いにはいる瞬間に攻撃が繰り出される。それに合わせるように、俺も剣を突き出すと、兄さんの体がぶれる。風が鳴る。大きな音を鳴らして左へと向かっていった。それと同時に、俺もすぐさま、急な方向転換で、左に剣を振る。木をぶつけ合わせたような音が響いて、そこには、兄さんの剣と俺の剣とが交錯していた。少し遅れていれば、一撃が入っている。俺は冷や汗をかいているのだが、それとは逆に、兄さんは確認しているかのように冷静である。今の自分の肉体で、どの程度のことが可能なのかを確認しているに違いない。俺は、そのための実験台なのかもしれない。だが、そうなっても仕方ない程に、実力差が開いていることだろう。少なくとも、俺はかろうじて兄さんと戦えているだけなのだから。
 だが、俺が喜ぶべきことは、恐ろしく高い兄さんの身体能力と、今まで磨いてきた武術のみを相手に戦っているということである。それ以外の技能を使われてしまえば、おそらく、負けることだろう。だが、今戦っている様子から考えてみると、今までの兄さんを相手にするのと同じように戦えば今のところは問題ない。大神之御子様から頂いたであろう驚異的な超常能力さえ使われなければ何とかなると思うわけであった。
 俺たちは再び距離をとる。少なくとも、この間に心に余裕を作っておかなくてはならない。それがなくなってしまえば、圧倒的な身体能力の差に屈してしまうことだろう。確かな緊張と、それ以上の余裕。その二つのうち、どちらかがなくなってしまってはならないのである。俺は兄さんのことを正面に据える。絶対に逃がしてはならないというように。
 思い切りよく腕が振られる。あまりに隙の大きく、反撃をしてくれといわんばかりの攻撃である。さすがに、それに手を出すのは気が引けるために、大きく飛んで距離を取る。確かに隠すようにもう片方の拳が俺の腹あたりを狙っていた。しかし、それもまた露骨なのである。全てが何かしらの伏線に思えてならないわけである。変に警戒しているだけかもしれないが、全ての能力を知らないために、大きく殴りこむことに少しばかり恐怖を覚えてしまうというわけであった。
 その感覚を兄さんは気づいているらしく、より積極的に攻め立てているわけだが、その勢いの激しさにただ避けるばかりではいられない。全てがあまりにも大振りで素人臭くあるわけだが、試しにとカウンター気味に一撃を入れてみる。すると、圧倒的な反射速度で受け止められてしまった。やはりそうであったか。そして、一撃を入れられる。逃げられるものではない。ガツンと大きな衝撃が俺に襲い掛かってきて、吹き飛ばされる。逃げることは出来なかった。だが、拳をぶち込まれるときに、俺の腕を掴んでいる兄さんの手をひねったため無理やり外す。
 すぐにでも俺の体からは痛みが引いてくるために、焦ることはないだろうが、それでも食らった直後は死を覚悟してもおかしくはない一撃であった。俺が死ぬことはないと確信しているからこその攻撃だろうが、そのおかげで、冷や汗をかく羽目になるのだから、少しぐらいは手加減をしてほしいものである。兄さんも腕を抑えながらそう思っていそうではあるが。
 それからも何度か打ち合いをしていくが、そのたびに俺の体は、兄さんの力に慣れていく。少しだけだが、余裕が生まれてくる。この差は大きい。それがあるだけで、今まで以上にしっかりと兄さんに対処できているのだから。だが、ここで挑発をすることはない。そして、本気でも出されてしまえば、すぐに負ける。だからこそ、今もまだ必死に戦っているのだという雰囲気を出していく。負けてもいいのだが、こういう機会は出来るだけ大事にしていきたいのである。
 いまだに、兄さんは身体能力だけで戦っている。というか、それしかないみたいである。御子様の試練を乗り越えたのだから、何かしらの新たな力をもらっているのかとも思っていたのだが、どうやら、それを使おうというつもりはないらしい。ならば、恐れる必要はない。この力の強さに慣れるだけでいいのだ。気をこの場で巡らせていく。周囲が自然にあふれているとは言い切れないが、それでも、あたり一面草花で覆われている。これでも十分な力となるだろう。そのたんびに、俺と兄さんの力の差は埋まっていく。一撃をもらうたんびに、それに合わせて、自然が手助けしてくれるようになる。最初はそうするが、段々と、時間がたつたんびに助けは減っていく。超速の適応能力である。仙人としての種族の力は、人間を圧倒していなくてはならない。これもまた、仙術の一つであるが、身体能力程度であれば、すぐに、追いつくことは出来る。とはいえ、それは一時的なものでしかない。この戦いが終わってしまえば、それはどこかへと消えてしまう。所詮自然の手助けによる一時的なものだから。真の力とは、努力が必要なのだ。
 最後には引き分けに終わる。どれだけの時間を費やそうとも、勝敗がつくことはない。そうルイス兄さんが判断したためである。確かに、まだまだ俺たちは戦い続けることが出来るだろう。むしろ、見ているだけの兄さんが先に倒れてしまうかもしれない。だからこそ、もうやめにするのだろう。
 俺たちは地面に座り込んで息を吐き出した。恐ろしいまでの緊張感の中に浸り続けていれば、それだけでも相当な疲労がたまってしまう。精神的に疲れるわけである。ゆっくりと深く呼吸をしていき、精神を落ち着かせていくわけである。肉体的な疲労はすぐさまに消えるわけだが、精神的なものはそう簡単ではない。それは仙人であろうとも同じである。汗がたらたらと流れているのを感じながらであった。

「兄さん、ずっと大きく跳ね上がった身体能力だけを試しているみたいに戦っていたけど、それは御子様から頂いた力なんだよね。なら、なんで他の力を使わなかったんだい? もし、俺に遠慮しているからなんだとしたら嬉しいけど、もしかして、他に理由があるのかい? 例えば、そんな力をそもそももらっていないとかね。ああ、後は、大きく増えてしまった身体能力をまずは体に慣らしていくところから始めないといけないからとか? どちらにしても、使える力は早いうちから使っていかないと慣れていかないと思うけれど」

 俺は、真っ直ぐ兄さんのことを見つめている。その視線を浴びている兄さんは、頭をポリポリと掻いて、少しだけ恥ずかしそうにしている。出来ることなら、話したくないとでもいうかのようであった。だが、それでも、最後には諦めたかのように、口を開いてくれるのであった。

「確かに、オレは御子様からの試練を乗り越えた。そして、新しく力をもらった。だが、それはこの身体能力が先ほど見せた通りの程度まで引き上げるというものだったんだ。もしかしたら、超常の力でももらえたかもしれないなんて思っていたものだから、確かに、少しは残念に思った。だけど、それでも、努力をしないで自分の身体能力が二倍以上になったんだ。それはみんなが欲しいと思ってもらえるようなものではないだろう。だから、とてもありがたいことだと思う。オレはとても感謝をしているんだ。たしかに、アラン達はもっとすごい力を期待していたかもしれないが、そんなことはなかった。だが、オレにとってみれば、変に考えることのない純粋な力でよかったと思っているんだよ」

 兄さんの顔は晴れ晴れとしている。だが、その様子を見ていて疑問に思っている人が一人いた。それはルイス兄さんである。どうやら、その説明に納得がいっていないらしい。まあ、確かに俺もそれには引っかかる。カイン兄さんはあまり本を読むことが好きではないため、そんなものかと思っているのかもしれないが、そうではない俺たちには、あまりにも納得しずらいしこりのようなものが残ってしまっている。だが、それはどんなものだったかと今この場では思い出せない。もやもやとしたものが、心に残っている。だが、俺はそれでも、兄さんが満足しているのならば、下手にこれ以上追求しなくてもいいかと思っているのである。ルイス兄さんにもその意思を伝える。そこで、兄さんもまた、呆れたように笑った。

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