天の仙人様

海沼偲

第142話

 闘技場と呼ばれる、数多くの余興で使われる舞台がある。主に決闘で使われることを目的とされているが、他にも多くの大会において、会場として選ばれることが多い。むしろ、最近では、決闘というもの自体の回数が少なくなっているために、国内で規模の大きい大会の舞台として使われることがほとんどである。
 だが、そうして多くの大会において、会場として選ばれるだけの規模の建造物である。万の規模で人を収容できるのだ。そのような舞台は王国内ではこことあと一つしか存在しない。当然、その二つの中ではこちらの方が大きい。だからこそ、権威ある大会だとこちらが多く使われる。王都に建てられているというのも大きな要因であろう。
 貴族の決闘というだけあってか、闘技場の周囲には多くの屋台が並んでいる。濃い味付けをされているであろう料理が並んでいることだろう。イベントで屋台が並ぶのはよくあることだ。腹ごしらえにか行列がいくつも出来ているのだ。それを横目に見ながら俺たちは使用人の後に続いていく。
 俺たちはルイス兄さんの身内だということで、それ専用の特別室へと通される。VIP待遇とでも言うべきだろうか。国王陛下が観戦するための部屋の一つ下に設置された部屋である。他の貴族階級の人はここよりももう一つ下の部屋で観戦をするのだそうだ。それでも、野外に設置された観客席に比べれば、非常に観戦しやすい。平民の座っているところでは砂埃がたまに襲ってくることがあるから、試合を観るのに向いていないのだ。ちなみに、ハルたちはまだ婚約者という段階なために入ることは出来ない。彼女たちは残念がっていたが決まりなのだから仕方がなかった。
 ケイト母さんが心配そうに舞台の方へと視線を向けている。まだ、決闘は始まっていないため、ルイス兄さんたちは控室にいるだろう。だから、今から、そちらを見ていても、整備をしている人たちの姿が映るばかりである。しかし、自分の息子が決闘をするとなると、居ても立っても居られないのだろう。だからか、誰もそれについて落ち着くようにと説得することはしなかった。
 そわそわと視線は外に向けながらも部屋の端から端へと歩いている。そして、ことあるごとに不安からのため息が漏れている。

「ああ、あなた……。どうしましょう。ルイスに何かあったら。決闘では死者が出ることは珍しくないと聞きます。ああ、それでルイスが死んでしまったらと考えると……ここでのんきに見てなんていられないわ。気が狂ってしまいそう……。ああ、神様。私たちの息子をお救いください」
「大丈夫だよ、ケイト。ルイスは強いんだからさ。なにせ、学年主席を六年間守り続けていたんだよ。彼が負けることなんてあるはずがないんだからさ。信じてあげればいいのさ。自分の息子をさ」
「そうだけれど……ああ、不安で仕方がないわ。どうして、ルイスばかりがこんな目にあわなくちゃいけないのかしら……」

 ケイト母さんはただただ、神に祈るかのように父さんにすがっている。少なくとも俺は、母さんたちをあんなに心配させるような愚行だけは起こさないようにしようと心に誓うのである。
 父さんは静かに、背中をさするだけである。むしろ、それ以上のことは出来ない。どんな言葉も、今は深く奥底まで入り込んではくれないのだから。先ほどの会話でそれを理解できたからこそ、そばにいることだけにとどめるのであった。
 俺たち兄弟は、この部屋に置かれている、料理を口にしながら決闘が始まるまでの時間をつぶしていた。さすがの好待遇というべきか、今まで食べた、どの料理よりも、美味しいかもしれない。もう二度と、庶民が食べるような料理を口には出来ないかもしれない。そう思えてしまうほどである。味付けの繊細な性格がとにかくも俺の心を鷲掴みにしてしまっているのであった。俺は、夢中で料理を口にしているのであった。もしかしたら、俺も緊張しているのかもしれない。だから、料理に気を逸らして紛らわしているだけなのだろうか。兄さんと目が合う。兄さんも緊張しているらしく、ゆっくりと顎を動かして出来る限りの時間を使って食べているようであった。お腹が空いていないのだろう。
 だんだんと、外の観客席にも人が入ってきている。貴族の決闘なんてものはそうそう見れるものではない。だから、こうして人が入ってくるのだろうが、それだけではないことも俺は知っている。どうも、民衆としてはルイス兄さんはなかなかに人気があるらしいのだ。容姿も整っており、魔法の才もあり、そして王立学校で六年間主席を守り通したという歴代でも数えきれる程の天才である。そういうこともあり、若い女性たちからの人気が非常に高い。前に、見ず知らずの女性から求婚されたと言っていた。兄さんはそんなよくわからない嘘をつくはずがないのだから、事実なのだろう。ちなみに、男からの人気は知らない。
 たしかに、今もよく観察してみると若い女性の観客が多いように見える。アイドル的な人気があるのだろう。兄さんは、あまりそういうのが得意ではないから、気恥ずかしく思っていそうだが。
 少なくとも、今こうしてみている限り、観客はルイス兄さん一色に思えてならない。公爵家と男爵家という違いはあるだろうが、民衆にとってみれば貴族というくくりでしか分けることはない。だからこそ、よりその個人そのものが優れていると感じたほうを応援するのだろう。
 整備が終わった会場では決闘までの時間、余興として大道芸人たちが芸を繰り広げる。会場入りから、決闘の開始まで数時間以上の空きをあえて作ることで、こうして芸人たちに仕事を与えているのだそうだ。国としては、これらを完全に娯楽として昇華させるための工夫とでも言うべきだろう。他の国では、決闘に娯楽性など必要ないという価値観をところもあるが、この国では殺伐としてしまうと、血なまぐささが出てしまうということで、そういうことを嫌うところがある。国民性とでも言うべきか。
 なんとなく、芸人たちの姿を見ていると、ずいぶん昔に俺たちの村へ足を運んでくれた芸人も呼ばれていたようで、いくつかの芸を披露している。大人数向けのアクロバティックな芸がメインだろう。玉の上で一輪車に乗っている芸を魅せているわけだが、俺も感嘆するだけの技術だろう。兄さんも食事から離れて彼の芸を鑑賞している。父さんたちも気づいたようで、静かに彼の姿を見ていた。

「ずいぶん前に彼の芸を真似したことはあったけど、あんなにすごい人だったんだな。あの時は手先で出来るような簡単な芸しか見ていなかったから、本来の実力を測りかねていたのかもしれないな」

 兄さんが、顎に手を当てながら考え込むようにして呟いた。俺もそれに頷くようにして彼の芸を食い入るように見ているのであった。
 決闘が始まるまでの余興までもがすべて終わり、これから本当に始まるのだろうという空気が舞台から流れている。ぴりぴりとした感覚が窓をこえてこちらまでやってきているのである。今まで、ざわざわとわずかに騒がしく感じていた民衆の声もしんと静まり返って、今では風の音ばかりが聞こえるだけである。ケイト母さんが見ていられないとばかりに遠くの壁際にまで言ってしまった。しかも、それに合わせて顔までも隠しているのだから、防備は万全といったところだろうか。いいや、少しだけ指の間を開けているためにしっかりと見ることは出来るかもしれない。じりじりと窓へと近づいているということからも、怖いもの見たさなところがあるかもしれない。
 進行役の合図によって、二人の人間が入ってくる。これから決闘をする二人。お互いに緊張がかすかに顔をに出ている。だが、それでも兄さんの方が落ち着いて見える。俺たち二人と戦うよりもましだと言っていたほどなのだ。だからこそ、今はほんの少しばかり余裕が見えるのだ。だが、実戦において、慢心にならない程度の余裕は必要だろう。体がいうことを聞いてくれなくなるという事態を防いでくれるのだから。
 お互いが開始線のところで止まる。進行役が淡々とルールを確認していく。決闘のルールは相手を殺すような危険な行為さえしなければ、たいていが許される。相手が降参するから気絶したら、勝ちになる。相手を殺害してしまうと、負けという扱いになる。少なくとも、今の世の中において人体を回復させる技術は高い。魔法という力も合わさっており、生きていれば何とかなることが多いのだ。だからこそ、少しばかり無茶しても構わないだろうというのである。逆に言えば、その少しぐらいの無茶を大きく越えてしまえば負けるということだ。そんなことをする場合はたいてい意識的に行動するのだから。
 そして、決闘は始まった。開始の合図とともに鳴らされる鐘の音を聞いたケイト母さんが悲鳴を上げるというハプニングはあったものの、決闘そのものは何の邪魔もなく始まった。ルイス兄さんは、向こうが卑怯な手を使ってくるかもしれないと、少し警戒していたのだが、それはどうやら必要ないのかもしれない。
 とうぜんだが、純粋な実力勝負になるとルイス兄さんの方が格段に強い。なにせ、学年主席なわけだからだ。そして、同い年である彼はどうやらBクラスに在籍していたそうだ。ならば言うまでもないだろう。だから、相手は押されている。こうなることは、たいていの人間なら予想できていたことなのである。だからこそ、何かしらの手を用意しているだろうということを想定したのだが、一向にそれを使う様子は見えない。
 兄さんも、姑息な手段を使うようなそぶりを見せないかと、警戒しながら攻め立てているので、少しばかり本来の実力よりは弱々しいのだが、それでも、圧倒的な力の差を見せつけているのだから、どれほど兄さんの実力が高いかがわかるというものである。とはいえ、俺たち自身は兄さんが戦っているところは俺たちとの模擬戦でしか見たことがないため、俺たち兄弟は驚いてしまっている。なにせ、兄さんが剣を使って相手を圧倒しているのだから。魔法を使えばそうなるのはわかるが、剣を使ってそれが起きることは想像なんてできやしない。母さんたちも、俺たちに負けている姿を見ているせいで、感覚がマヒしていたようで、ルイス兄さんの姿に驚きを隠せないようであった。今までの、兄さんの姿を知っているからこその反応なのであった。
 相手は尻もちをついてしまった。息も絶え絶えであり、もう抵抗する力は残っていないように見える。それに対して兄さんは息が荒くはなっているが、すぐに整えられるようなわずかなものであり、しっかりと相手を見据えて剣を構えている。このまま戦い続けても、絶対に兄さんの優勢は覆らないだろう。誰もが、兄さんの勝ちを確信しているのであった。俺もまたその一人である。
 しかし、相手の様子が少しばかり不穏である。あまりにも大きな声でもって唐突に笑いだしたのだ。その声は、この部屋まで届くほど、それも嫌にはっきりとである。今までの音声は遮られているようにくぐもっていたというのに、その壁が消えてなくなってしまったかのような鮮明さを持っているのだ。何かしらの危険性があるのではないかと、俺はすぐさまに腰に差している剣に手を触れる。
 今この中で異常性を感じ取れているのは俺だけではないようで、カイン兄さんもまた俺と同じように警戒をしているし、ハルたちもすぐさま俺のそばによって背中を隠すように立つ。この不気味さが今大笑いしている彼から出ているものかは掴めないからである。だからこそ、どこからでも対処できるようにと全方位を警戒することしか出来ないのであった。
 彼は突然に自分の持っている剣で無理やりに指を切り落とした。決闘で使われるような剣は基本的に、刃で斬れないようにしてあるのだが、それを無理やりに斬り落としたのだ。そのせいでか、観客からは大きな悲鳴が上がっている。今この場には女性の方が多いのだから、そのような声が会場を包み込んでもおかしくはない。
 血はぼたぼたと、闘技場を染めていく。だんだんと紅い染みは広がって、終わるようには見えない。だが、早く治療しなければいずれは出血多量で死んでしまうかもしれない。その量である。
 血は地面を染めながら広がっていき、そして、それに規則性があると気づいたのが今であった。流血はただ地面に流れているのではなく、まるで魔法陣を描いているかのような独特な規則性を持っているのだ。しかし、人類史のどの時代に生み出された魔法陣の形状とも合わない。ただただ、それが不気味に映るばかりであった。
 と、光った。魔法陣らしき模様が光り輝いて、彼を包み込んだのである。俺は直観的に、あれを放置したままではいけないのだと感じた。少なくとも、ルイス兄さん一人で手に負える事態ではなくなってきている。だから俺は、すぐさま部屋を飛び出した。それに続いて、カイン兄さんたちも来てくれる。俺たちは一刻も早く、ルイス兄さんの元へと駆けつけなくてはならないのである。

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